冬の手仕事
「なぁ、マイン。なんで毎回小銀貨1枚はギルドに預けているんだ? 全部家に持って帰らないのは、なんでだ?」
馬車を下りた商業ギルドからの帰り道、ぽてぽてと歩いていると、ルッツが突然そんなことを聞いてきた。
「ルッツも預けてるじゃない」
「マインがしてるから。なんか意味があるのかと思って、真似してみただけだ。稼ぎは全部家に持って帰るもんだと思ってたから、なんか家族に悪い気がして……」
お金が残らないギリギリの生活をしている平民に貯金の概念は薄い。せいぜい秋口になると冬支度のためのタンス貯金をすることはあっても、商業ギルドに登録して預けるなんてことはしていない。
当然、親がしていることが子供の常識となるのだから、子供も給料はすべて持ち帰って、全部使う生活をするようになる。
「わたしが貯めるのは、次の初期費用のためだよ」
「次の初期費用?」
ルッツが不思議そうに首を傾げるので、自分達の体験を例に、説明する。
「紙を作ろうと思っても、道具もなくて、お金もなくて、援助してくれる大人もいなかった時、釘一つ手に入れることさえ難しくて、すごく困ったでしょ?」
「あぁ」
オットーに援助を頼んで、ベンノに叱られたのはそれほど前のことではない。ルッツも思い出したようで、苦い顔で頷いた。
「たまたまベンノさんが『簡易ちゃんリンシャン』の作り方を買ってくれて、初期費用を全額負担してくれたからよかったけど、道具を揃えるのにもすごくお金がかかってるって、ルッツにもわかるでしょ? 何を始めるにもお金がいるんだよ」
「鍋に材木、灰、糸、竹細工……よく考えたら、すげぇ高いよな?」
ここ最近、仕入れのために色々な店を回るようになって、露店ではなく、店で売られている物の品質と物価がわかってきたルッツは、紙を作るための初期投資の値段に青ざめていく。
「だから、貯めておくの。ベンノさんにも試作品ができたから、初期投資は終了だって言われたでしょ? これから先、紙を作るための道具を増やそうと思ったり、何か新しいことを始めようと思ったら、全部お金がかかるの。紙がいっぱい作れて、本を作ることになっても、新しい道具がいるもの」
「だから、次のためか……」
納得したような、していないような表情のルッツの様子をじっと窺う。
わたしよりもルッツの方がお金を貯めておかなければならない差し迫った理由があるのだが、ルッツは気付いていないのだろうか。思い至っていないのだろうか。
少し考えた後、わたしはゆっくりと口を開いた。
「こんなこと言いたくないし、考えたくないけど……もし、ルッツの両親が洗礼式になっても商人になるのを許してくれなかったら、ルッツはどうする?……先のこと、考えたこと、ある?」
わたしの質問を聞いて、辛そうに顔を歪めた後、ルッツは力ない声で小さく呟いた。
「……ベンノの旦那に頼んで住み込み見習いになろうと思ってる」
「うん、商人になろうと思ったら、そうするしかないよね? 諦めるって言われなくてよかった」
わたしが笑って見せると、少し安心したようにルッツが息を吐く。この年で家を飛び出そうとするのだから、相当の覚悟がいると思うし、まだまだ迷いはあると思う。
けれど、ルッツは自分の目指す方向に行こうとしている。それなら、やはり先立つ物は必要だ。
「でも、ルッツ、よく考えて。家を飛び出して、住み込みになった時にも最初のお給料が出るまでの生活費や見習いとしての服を整えるお金がいるんだよ。家を飛び出したルッツに、自由になるお金があるのと無いのでは全然違うと思う」
「あ……」
ハッとしたように、ルッツは顔を上げた。
「自分が稼いだお金を自分のために貯めておくのは、別に悪いことじゃないよ。みんなが全額出し合って生活しているから、罪悪感はあるかもしれないけど、本当は仕事をする年齢じゃないルッツがたった5日足らずで大銅貨13枚も持って帰るんだよ? ラルフの見習いのお給料より高いお金を家に渡すんだよ? だから、大丈夫」
「そっか……。ラルフよりも稼いだんだ、オレ」
誇らしげにルッツが笑う。
見習いを始めたばかりのラルフが一月で稼げるのは、多分大銅貨8枚~10枚くらいなので、わたし達が稼いだ金額はかなり高額になる。
「マイン、ありがとう。すっげぇ気が楽になった」
「よかった」
にへっと笑うと、何故か突然ルッツがわたしに背を向けて、その場にしゃがみこんだ。
「どうしたの、ルッツ?」
「背負ってやる」
「はい?」
「今日、結構色んなところに行ったから、かなり疲れてるだろ? 顔色が悪い」
ルッツの言葉にわたしは思わず自分の顔をぺたぺたと触ってみる。まだ熱いとは感じないので、熱は出ていないと思う。
「……顔色悪いの?」
「まだそれほどじゃないけど、明日の午後も呼ばれてるんだから、無理はしない方が良い。オレが一番にしなきゃいけない仕事はマインの体調管理だからな」
「……わかった。お世話になります」
一日であちらこちらに移動しすぎて、へろへろになっているのは事実だ。ルッツが無理はしない方がいいと言うなら、結構危険な状態になっていると思って間違いない。
ルッツはわたしを背負って家まで送ってくれた。さすがに階段は自分で上がったのだが、途中でへたりこみそうになるわたしの手を引いて、ルッツが一緒に上ってくれたから、本当に助かった。
正直、家の前までの階段が一番きついんだよ。
「ただいま、母さん」
「あら、ルッツ。ここまで来るなんて珍しいわね? マインの体調、良くないの?」
「今日はベンノの旦那に髪飾りを見せるだけのつもりだったんだけど、ギルド長に会って、家にお邪魔することになったんだ。直接、髪飾りを渡してほしいって言われて。だから、多分すごく疲れてると思う」
「そう、いつもありがとう。助かるわ」
そう言って、母は中銅貨を一枚、ルッツに握らせる。
そのお金を見て、思い出した。
「あ、そうだ。母さん、これ、忘れないうちに渡しておくね」
「マイン、あなた、一体何をしたの?」
わたしが渡した大銅貨5枚を見て、母は蒼白になっていく。
まさか髪飾りにそこまで価値があると思っていなかったようで、ぎょっと目を見開いたまま固まってしまった。
「フリーダの髪飾りを作ったお金だよ。珍しいから高く買ってくれるって言ったでしょ?」
「聞いてはいたけど、まさか、こんなに高いなんて……」
ごめん、母さん。実は紹介料兼手数料として自分用に小銀貨一枚は取り退けてあるんだ、なんて絶対に口にできない雰囲気である。
「本当なの、ルッツ?」
「嘘は言ってないよ、エーファおばさん。オレだって一緒にやったから、同じだけ持ってる。マインと半分に分けたんだから」
そう言って、ルッツも自分がもらった分の大銅貨を母に見せた。それでようやく信用してくれたようで、母は胸を撫で下ろす。
ちょっと、母さん。娘のこと、全く信用してなくない?
「実は、明日の午後もベンノの旦那に呼ばれてて、店に行くことになってるんだ。だから、なるべくよく休ませてやって」
「わざわざありがとう、ルッツ」
ルッツを見送って、バタンとドアを閉めた母は、少し眉を吊り上げながら、わたしをベッドに放り込んだ。
「無理しちゃダメじゃない。それにしても、ずいぶん高く買ってくれたのね?」
「うん。フリーダはお金持ちで、糸も高級なの使っていたし、普通は一つなのに、二つ作ったでしょ? それに、冬支度の忙しい時期だからって、料金を弾んでくれたの。だから、他の人に作ってもこんなに高くないからね」
「そう、忙しい時期だからって、配慮してくれたのね」
母の中でギルド長とフリーダは貧乏人にも配慮ができる、とても親切で紳士的なお金持ちとなったらしい。これから先、母が二人に会うことは多分ないだろうから、幻想を壊す必要もないだろう。
子供が大金を持って帰った理由がわかって、安心したらしい母は夕飯の支度のために寝室を出ていく。
寝室に残されたわたしは、やはり、身体に相当負担がかかっていたようで、ベッドに横になるとすぐにうとうとし始め、夕飯を食べることもなく、深い眠りに落ちた。
起きたら、朝だった。
午後からベンノの店に行くことになっているので、午前中は休憩することになった。半ば強制的に。
最近ちょっと外出が多いせいか、よく寝たはずなのに身体がだるい。熱が出そうな前兆がちらちらと伺えると思っていたら、冬支度を始めた家族にベッドに放り込まれたのだ。
「マインはおとなしくしてろ。最近、頑張り過ぎだ。父さんより稼ぐ気か?」
板戸の点検をして回る父にそう言われ、冬用の布団やカーペットを広げて干し始めたトゥーリと母には、
「今日もベンノさんのところに行くんでしょ? 朝はおとなしくしていないと倒れるよ?」
「マインは冬支度ではほとんど役に立たないんだから、役に立てるところで頑張りなさい」
と言われて、ベッドから動くことを禁じられたのだ。
仕方がないので、もそもそと布団の中に潜り込んで、家族が忙しなく動く様子を眺める。
今年は去年と違って、冬支度も何をするかわかってるから、ちょっとは役に立つと思ったんだけどな……。
家族の過保護具合は、昨日、大銅貨を5枚持って帰ってきて、母に渡した後、目覚めることなく眠ってしまったからだろうと思う。
家の中では手伝い一つ満足にできないわたしが、5日とたたないうちに大銅貨13枚を稼いできて、夕飯も食べずに眠りこけていたのだから、家族の脳内ではものすごい重労働をしたことになっている気がする。
でも、ここ数日色んなところに行ったし、わたしにとっては確かに重労働だったかも。
お昼の4の鐘が鳴ったので、わたしは寒くないように服を着こんで、いつものトートバッグを持って出かける。
「いってきます」
下まで降りて、ルッツと顔を合わせると、ルッツがわずかに顔をしかめた。
「マイン、体調、そんなに良くないだろ? オレだけで行ってきた方がいいんじゃないか?」
「最近忙しかったからね。でも、ベンノさんが冬の手仕事の金額を決めるって言ってたから、今日は行くよ。糸を運ぶのは、ルッツに任せられても、値段を決めるのは、わたしが行きたい」
「……あぁ、金額は、なぁ。オレ、まだよくわからないから」
そう、数字がまだよくわかっていないルッツに、値段を決めるのはまだ任せられない。今日だけはわたしが行って、ベンノが髪飾りにつける値段に関してはある程度交渉したいのだ。
「じゃあ、せめて背負ってやるよ」
「え? 悪いよ。昨日の帰りだって背負ってもらったのに……」
「今日の帰りは糸を持って帰るから、背負えないんだ。今、体力を使うな」
「うぅ、午前中ずっと寝てたから、大丈夫なのに」
「こういう時のマインの大丈夫は当てにならないんだ」
こういう時のルッツは頑固で絶対に譲らないんだ、と心の中で呟きながら、ルッツの背中に寄りかかる。
わたしはほんの少ししか成長していないのに、ルッツはまた大きくなった気がする。病気のせいとはいえ、同い年でここまで差が開くのが、ちょっと悔しい。
「ルッツ? マインを背負っているようですが、体調が良くないのですか?」
ルッツに背負われたわたしを見つけて、マルクがぎょっとしたように目を見開くと、早足で寄ってきた。
マルクはわたしの体調に過敏に反応する。わたしが目の前で意識を失ったことが相当トラウマになっているようで、本当に申し訳ない。
「……最近、毎日外に出て、色んなところに行ってるから、疲れが出始めてる。多分、今夜あたりから寝込むと思う。だから、用件をさっさと終わらせたいんだ」
「わかりました」
マルクは一つ頷いて、奥の部屋へと案内してくれた。
「旦那様、マインとルッツが到着しました」
「通せ」
ギッとドアを開けて通してくれたマルクが一緒に部屋に入ってくる。
「マインの体調があまり良くないとルッツから報告がありました。用件を手早く済ませられるようご配慮ください」
「わかった。座れ、二人とも」
「はい」
テーブルに着くとすぐに冬の手仕事の話が始まった。
ベンノに仕入れた糸の値段を提示され、この量の糸から作れる髪飾りの数をわたしが予測し、料金を決める。
「ベンノさん、この髪飾りは販売価格をあまり高くしたくないんです。糸も安いものを仕入れたから、なるべく色んな人が買える値段にしてくれませんか?」
「マインの気持ちはわかるが、最初から大安売りというわけにはいかない。大量に出回るようになれば、販売価格は次第に下がって行くんだからな。最初は大銅貨3枚くらいだな」
ハレの日のためなら、ちょっと無理をすれば、ウチでも買えないこともない金額だ。ちょっときついが、姉妹で共有することにすれば、何とか……というくらいの値段設定なので、これから、少しずつ下がることを考えると妥当と言える。
「それくらいなら、妥当ですね。わかりました」
わたしが頷くと、次はわたし達の取り分の話となった。
「髪飾り一つにつき、手数料と材料費を引いた取り分は中銅貨5枚だ。新しい手仕事で、他に注文できる相手がいないから少し高めの設定にしてある」
「中銅貨5枚で高めの設定!? やっぱりフリーダの髪飾り、ぼったくりすぎじゃないですか!」
ベンノの値段設定で、2つ分作っていたら、取り分は小銀貨5枚だったはずだ。100倍は値段が違う。
「あれは、基本がじじいの言い値だから、別にいいんだよ」
「……じゃあ、普通はどれくらいの値段設定なんですか?」
去年の冬の手仕事はトゥーリの籠作りを手伝ったけれど、わたし達に渡されたお金なんてなかったので、一個当たりの料金を気にしたことはなかった。
「冬の手仕事なんて、俺達商人が手数料を取って、裁縫や細工の工房の親方が手数料を取るんだから、実際に作るヤツの手に渡る金なんて、1つにつき中銅貨1枚でも恩の字だろ? お前たちは工房の親方を通した注文じゃない分、高いが」
「えぇ!? 中銅貨一枚もないって、そんなに安いんですか!?」
驚いた後で、日本でも内職の値段がかなり安かったことを思い出す。
確か、ビーズのストラップみたいなものでも、一つ数十円だった。そう考えると、1つにつき中銅貨1枚くらいでも不思議ではない。自分達が受け取る中銅貨5枚が破格なのだ。
「工房で品物の売買ができるのは、基本的に親方だけだからな。親方がどのくらい手数料を取るかにもよって、多少の違いはあるぞ? マインは経験あるんじゃないのか?」
冬の手仕事として髪飾りを作ると言いだしたのだから、経験はあるだろう? と聞かれて、わたしは去年の手仕事を思い出す。
「去年は姉のトゥーリの手仕事を手伝ったんです。でも、原価も手数料も取り分も何も知らずに作ってましたし、わたしの手元にお金は来ませんでした。あれ? そういえば、作った物を売るのって、ギルドの登録がいるんですよね? ウチの母さん、登録してたのかな?」
トゥーリとわたしの手仕事だった籠を持って行ったのは母だったけれど、母が商業ギルドに足を運んだという話は聞いたことがない。わたしが行った話を珍しそうに聞いていただけだ。
「なんだ、お前の母親は露店でもしているのか?」
「いえ、普段は染色の仕事をしているはずです」
「それなら、仕事場で割り振られた手仕事だろうな。親方が割り振った仕事を回収するだけなら、職人自身が商業ギルドに登録する必要はない。代表して売買を行う親方の登録だけがあればいい」
職人さんの仕事場では、社長がまとめて売買するので、社員に商人登録は必要ないらしい。代わりにそれぞれの職人ギルドで職人としての登録があるらしい。
へぇ、初めて知った。
じゃあ、髪飾りを手伝ってもらうのも、工房のノルマが終わってからかな。
「つまり、去年の手仕事は、母さんが仕事場で割り振られたもので、それをトゥーリに任せていて、さらに、わたしが手伝っていたんですね」
「何を作ったんだ?」
「わたしが作ったのはこれです。これは最初に作ったので、かなりシンプルですが、暇にまかせて作った他のバッグはかなり凝ったものもあったんですよ」
バーンとトートバッグを持ち上げて見せると、何故かベンノが苦い顔でこめかみを押さえた。
「どうしたんですか?」
「……また、お前か」
「へ?」
またって、何ですか? そういえば、そういう苦い顔、何度か見たことありますね。もしかして、わたし、また何かやらかしてましたか?
「確か、春の終わり頃に売られた籠の中に、装飾に凝ったバッグが数点あったことを思い出した。手仕事は数をこなさなければ、手取りが増えない。手っ取り早く稼ぐために、荒い編み方が多い中で、やたらと目立っていたんだ」
「のおおおぉぉぉ!」
暇にまかせてちょっと凝った飾りを入れてみたり、それをトゥーリに教えたりしていたが、まさか、市場で悪目立ちしていたとは。
「誰が作ったか知りたくても、工房までは特定できるが、一斉に集められる冬の手仕事を作った職人までは特定できないからな」
「よかった~。特定できなくて……」
自分が変わっていることは自覚しているので、なるべく埋没しているつもりなのだが、どうも埋没できていない気がする。
「自分で使う分なら、なるべく丈夫に作るのが当然だから、マインが持っているバッグもそれほど不自然ではないと思っていたし、装飾もないから、今まで結びつかなかったが……この半年ほどで俺が遭遇した不可解な物の出所は全部マインのようだな」
凝ったバッグ、髪飾り、簡易ちゃんリンシャン、紙……と指折り数えられて、わたしは頭を抱えたくなった。ベンノの視点から見た話を聞くと、埋没したい人間の所業とはとても思えない。
何となく身の置き所がなくて小さく謝った。
「……なんか、すみません」
「まぁ、いい。それより、暇にまかせると凝る傾向があるようだな。髪飾りのデザインはマインが最初に作ったやつだ。勝手に変えるな。これは絶対だ。いいな?」
「わかりました。色違いは作りますが、デザインは統一します」
まさか、去年作った籠やバッグが目立っているなんて思いもしなかったし、フリーダの時のように張り切って、悪目立ちしたくない。
デザインを統一しておくことで問題は回避できるはずだ。
「一応これで話しておく用件は終了だ。あぁ、そうだ。確か、冬の間に勉強したいと言っていたな? これを貸してやるから、帰ったら目を通しておけ」
「……何だろう?」
ベンノに渡された木札に目を通そうとしたら、ぐにっと頬を抓られた。
「帰ったら目を通すんだ! わかったか?」
「はひっ!」
「まったく……。返すのは熱が下がってからでいい。早目に帰って寝ろ。ルッツ、この阿呆から目を離すなよ。帰りの道中で木札を読んで事故にでも遭いそうだ」
麗乃時代に本を読みながら、学校から帰っていて車にはねられたことを思い出したわたしは、口を閉ざして視線を逸らした。
帰りはマルクが注文しておいた糸が入った籠を準備していてくれたので、ルッツがそれを持って帰る。マルクに非常に心配そうな顔で見送られながら、帰途についた。
のんびりゆっくりとした足取りで帰りながら、わたしは寝込む前に決めておきたいことをルッツに相談する。
「ねぇ、ルッツ。髪飾りの取り分なんだけど……」
「なんだ?」
「簪部分より花の部分の方が、ずっと時間がかかるから、中銅貨2枚と3枚に分けていい?」
「いいぞ。かかる時間を考えたら、1枚と4枚でもいいくらいだ」
手間だけを考えれば、ルッツの言う通りにするのが一番だが、わたしが2枚と3枚に分けたいと考えたのは、別に理由がある。
「それじゃルッツの計算が大変だから、中銅貨2枚と3枚に分けよう」
「計算?」
「そう。今回は自分達の取る手数料を一つにつき中銅貨1枚にして、花の部分は中銅貨2枚、簪部分は中銅貨1枚で、家族に仕事を依頼してみない?」
「え? 家族に?」
わけがわからないと首を傾げるルッツにわたしは先を続ける。
「うーん、わたしの花を作るスピードから考えて、一月で30くらいしか作れないと思う。
簪部分ばかり残っても困るから、まず、一月で30の簪を家族にも作ってもらって、自分達が手数料を取ることを覚えてみようよ」
「それって、商人になるため?」
前に話した商人と職人の違いを思い出したらしいルッツは、わたしのしたいことを理解したようだ。
「そう、ベンノさんの真似っこから始めてみない? 商人見習いになるために、ルッツは勉強を頑張らなきゃダメでしょ? 簪部分ばかり作ってるわけにはいかないと思うんだよね。まぁ、自分で作ったら作った分のお金は自分の物にしてもいいと思うけど」
家族からお金を取るようなものだから、あまり気持ち良くないのはわたしも一緒だが、商人になってから、自分の家族だけは特別なんて行動をしていたら、すぐに商人として立ち行かなくなる。
そんなわたしの説明に、ルッツはしばらく地面を睨んでいたが、グッと顔を上げた。
「……やってみる」
糸は花の部分を作るわたしの家に置いておいた方がいいので、ルッツに家まで糸を運んでもらった。
当然のことだが、大量の糸を持ち帰ったことに家族がビックリしたようで、冬支度の手を止めて寄ってきた。
「ルッツ、この糸、どうしたの?」
いや、だから、どうして娘のわたしじゃなくて、ルッツに聞くかな?
わたしとルッツの信頼度の違いに、むぅっとしつつ、わたしは説明する。
「髪飾りを作るための糸だよ。完成品をベンノさんに売る代わりに、糸は買ってもらえることになったの。これ、わたしの手仕事の材料だから勝手に使っちゃダメだからね」
「わかったわ。ルッツ、ありがとう。これ、よかったら食べて」
母はルッツに小さなビンに入った、できたてのジャムを渡す。ルッツは顔を輝かせてビンを受け取ると、足取りも軽く帰っていった。
「これは、物置に置いておくから、マインはもう寝ろ」
父が糸の大量に入った籠を物置に置きに行ってくれて、わたしはベッドへと追い立てられる。
「うぅ、せめて、身体拭きたい。昨日も拭いてないし、今日だって外出したから気持ち悪いんだもん」
「ちょうどお湯が沸き始めたところだからいいよ。わたしも綺麗にしたかったし、持って行ってあげる」
「ありがと、トゥーリ」
およそ一年、わたしはトゥーリと身体の拭きっこをしてきた。トゥーリも最近は三日くらい拭かないと気になるらしい。
寝室の中でも竈の裏側で一番暖かい場所に湯浴みの準備をして、身体を拭きながらトゥーリがしみじみとした口調で言った。
「去年は何かわけのわからないことをしていたマインが、今年は自分で仕事を取ってくるなんてビックリだよね」
「トゥーリは今年も籠を作るの?」
桶の中でタオルを洗って搾りながら、わたしはトゥーリに聞いてみた。
トゥーリは三つ編みを退けて、首の辺りを拭きながら、自分の予定を話してくれる。
「わたしの仕事場の手仕事より、母さんの仕事場の方が高いから。これから、籠作りのための木を切ってきて、皮を剥ぐ予定なの」
「そうなんだ? 仕事場の手仕事って絶対にしなくちゃいけないものじゃないの?」
工房の親方から割り振られるものではなかったのか。ベンノから聞いた話からノルマがあると思っていたわたしが首を傾げていると、トゥーリが小さく笑った。
「お小遣い稼ぎだからね。いっぱい作る人もいるし、家族の服を作る方が忙しくて、手仕事まで手が回らない人もいるから、絶対じゃないよ?」
「あぁ、それぞれ事情があるもんね」
工房のノルマが終わったら手伝ってもらおうと思っていたけれど、別にノルマというわけじゃないなら、トゥーリに最初からわたしの手仕事を手伝ってもらっても問題ないんじゃないだろうか。
わたしはちらりとトゥーリを見て、ニコリと笑った。
「わたしが作るのはトゥーリに作った髪飾りなの。あれと同じ髪飾りを一つ作ったら中銅貨2枚もらえるんだよ」
「え!? 何それ!? すごくお金になるじゃない。わたしも一緒にやっていい?」
「うん、一緒にやろうね」
わたしがそう言うと、トゥーリは嬉しそうにはしゃぎ始めた。いっぱい作って、お小遣いもらうんだ、と目を輝かせる。
「ねぇねぇ、マイン。何を準備すればいいかな?」
「ベンノさんが糸を準備してくれたし、簪部分はルッツが作るから、特に準備するものはないよ。細いかぎ針があれば大丈夫」
「下準備も必要ないなんてすごく楽だね」
うふふ、と笑っていたトゥーリが、不意に笑顔を凍らせて、目を瞬きながらわたしの背後を指差した。
わたしがくるりと後ろを振り返ると、眉を寄せた母が、頬に手を当てて立っていた。かなり真剣な眼差しで何かを考え込んでいる。
「ねぇ、マイン。マインの晴れ着を仕上げたら、わたしもやっていいわよね?」
ルッツ、どうしよう?
母のやる気に火がつきました。
簪部分に追加が必要そうです。
母のアップが始まりました。(笑)
冬は内職で稼ぎます。
次回はルッツの教育計画です。