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閑話 オレの救世主

 オレはルッツ、5歳。

ザシャ、ジーク、ラルフという三人の兄がいて、オレは末っ子だ。


 今日は朝起きると、板戸の間から貧しい太陽の光がちらちらと見えていた。吹雪が数日続いた後で、久し振りの太陽に大きく目を見張る。


 晴れた!


 部屋が冷えるのも気にせずに、思わず板戸を開けて外を見た。雲ひとつない青空が広がっていて、辺り一面の雪景色で、太陽を反射して眩しく街中をきらめかせている。


「すげぇ」


 こういう晴れ間は非常に少ないので、大人も子供も一斉に森に出ていく。乗り遅れたら大変だ。オレは窓を閉めて、台所へ駆けだした。


「ルッツ、急げよ」

「うん」


 ラルフ兄が食べ終わって、バタバタと準備を始める。オレも固い黒パンを温めた牛乳でふやかして食べるとすぐに身支度した。

 今日は絶好の採取日だ。雪の中でしか採れないパルゥを採るために、街中の人が森に向かう。少しでも多くのパルゥを採るためには負けられない。

 一年間通して考えても、確実に手に入る甘味はそれほど多くないのだから、一個でも多く手に入れたいと誰もが考えている。


 今日はラルフ兄だけじゃなくて、普段は仕事の見習いをしているザシャ兄とジーク兄も一緒に森へ行く。4人で採れば、きっといっぱい採れるに違いない。

 オレ達は籠や荷物を背負って、駆けだした。

 階段を駆け下りて、外に出ると、井戸のところにいた母さんがオレ達に気付いて手を振った。


「今から森? 気を付けて! できるだけいっぱい採ってくるんだよ!」

「わかってる!」

「任せとけ!」


 母さんは外に行くといつだってご近所さんと情報交換という名の井戸端会議をしているけど、こんな寒い雪の中でよく長話ができるよな。ホント感心する。

 井戸の周りにいる母さんの話し相手の一人にトゥーリとマインの母さんもいた。母さん同士が仲良しなので、オレ達も小さい頃から一緒で結構仲良しなんだ。


「トゥーリは父さんと一緒にもう行ったわよ? 急いだら?」


 マインの名前は上がらなかった。多分、マインは家で留守番だ。こういう日に外に出かけるとだいたい寝込む。

 そういえば、豚肉加工の日も去年と同じように、荷車の中で倒れていた。去年は熱があっても連れてこられたらしいけれど、今年は村に着くまでは元気だったらしい。今回も出来たてのソーセージを食い損なうなんて、可哀想だよな。


 マインはちっこくて、ひ弱で、可愛くて、危なっかしくて、同じ年だけど、妹みたいだと思っている。

そういえば、冬支度の頃に珍しく草の茎が欲しいなんて言ってたけど、一体何をするつもりなんだろうか。


「ジーク! あの木に行け!」

「わかった!」


 オレ達が森に着くと、すでにパルゥの争奪戦が始まっていた。雪深くなった森の中、しかもよく晴れた朝のうちでなければ採れない冬の貴重な甘味だ。誰も彼も目の色が変わっている。


 ザシャ兄の声にジーク兄が走り出して、木によじ登っていく。残りの三人は、木から少し離れたところで、火の準備を始めた。

 雪を掻きわけて、土を露出させ、持ってきた薪に火を付ける。ジーク兄がどの実を採るか決めたのが見えた。


「ルッツ、そろそろ上がって準備しとけ」

「うん」


 オレはジーク兄のいる辺りを目がけて、パルゥの木に登り始めた。

 パルゥは魔木だ。氷と雪でできたような白い木で、枝分かれしているところが多いので、木には登りやすいが、実は木の高いところになる。

 普通の木なら、ナイフを使えば実が採れるけれど、パルゥの実はナイフでは採れない。それが厄介なところだ。


「ルッツ、いいか?」

「ちょっと、待って」


 ジーク兄の背後について、すばやく手袋を脱ぎ、ジーク兄が握っていた実の付け根に近い枝を掴んだ。


「ハァ、冷てぇ。後よろしくな。もうちょっとだと思うぜ」

「ん、わかった」


 ジーク兄は自分の手袋をはめると、身軽に木を下りていく。

 素手でぎゅっと握っている細い枝は氷のように冷たくて、周りの空気も冷たいので、一気に手の温度が下がっていくのがわかる。


 早く落ちろ!


 パルゥの実を採るには枝を温めて柔らかくしなければならない。

 でも、木の上では絶対に火が使えない。木が持っている魔力で消されてしまうのだ。だから、手袋を脱いで、素手で温めるしかない。

 少しずつ枝が手の中で柔らかくなっているのがわかる。けれど、実はまだ落ちない。


 まだか? もうちょっとって、どれだけ?


 ジンジンと痺れていた手の感覚が段々なくなってきた。交代してほしくて少し首を動かすと自分の乗っている枝がギッとわずかにたわんだ。


「ルッツ、交代だ」

「ザシャ兄、もうちょっとなんだ」

「ラルフ! そろそろ落ちるって!」


 ザシャ兄がラルフ兄に声をかけて、枝を手にした瞬間、パルゥの実がブツッと落ちた。ザシャ兄の手がずっと枝を握っていたオレの手よりずっと熱かったんだろう。

 オレの顔くらいの大きさの実が真っ直ぐに下へ落ちていく。


「早く温めろよ。手ぇ真っ赤だぞ」

「わかってる」


 ザシャ兄は次の実を探して、枝を移動する。

 オレもすぐに手袋をはめ直して、落ちないように気を付けながら、木から下りた。

 そのまますぐに火に駆け寄ると、手袋を脱いで、赤々と燃える焚き火に手をかざして温める。何度も擦って火にかざせば、感覚がなくなっていた指先がジンジンと痛みだしてきた。


「投げるぞ! そらっ!」


 落ちたパルゥの実を拾いに行っていたラルフ兄が大きく振りかぶってパルゥの実を投げてきた。そのままラルフ兄はザシャ兄と交代できるように木を登っていく。

 近くに飛んできた実をジーク兄が拾って籠に入れた。氷の塊のような実は、寒い中にある限り、手荒に扱っても絶対に割れない。


「うおぉ、冷てぇ。ジーク、次行け」

「うしっ!」


 ザシャ兄が手を擦りながら戻ってきたので、今度はジーク兄が火にかざしていた手に手袋をはめて、木に向かって駆けていく。

 パルゥを採るのは、連携が大事で、手が温かい人や交代できる人数が多い方が有利なのだ。

 こうして、交代しながら実を5つ採った。


「ちょっと柔らかくなってきた」

「わかった」


 ジーク兄と交代して、6つ目の実がもうじき落ちるというところで、昼を過ぎて森に上から光が差し込み始めた。

 パルゥの葉がきらきらと宝石のように光を反射し、木が意思を持っているように揺れ出して、シャラシャラという葉擦れの音を響かせる。


「やばい! 早く降りろ、ルッツ!」


 兄達の叫ぶ声が聞こえた瞬間、足元の枝が大きく揺れた。少しばかり身を乗り出すようにして、枝をつかんでいたオレは体勢を崩して、枝にしがみついたまま宙づりになった。


「うわぁっ!」


 落ちないように、と思わずもう片方の手も伸ばして、枝をつかんだ。


「ダメだ、ルッツ! 手を離していい! すぐに飛び降りろ!」


 オレが手を離そうとしたのと、両手でつかんだことで柔らかくなっていた枝がブツッと音を立て切れたのが同時で。

 オレはパルゥの実と一緒に落ちた。


「わあぁぁぁっ」


 下がふかふかの雪だったのと、一度ぶら下がった状態になってから手を離したことで、頭から落ちることもなく、特に怪我はしなかった。

 オレが飛び降りたのと同じくらいに、あちらこちらのパルゥの木から次々と人が飛び降りてくる。


 採集の時間は終わりだ。


 シャラシャラと葉擦れの音を響かせて、キラキラと光を反射しながら、自ら光を求めるようにパルゥの木がぐんぐん高く伸びていく。

 森で一番高くなり、たくさん茂った木の上に伸びると、まるで女の人が頭を振って髪をゆするように、風もないのに木が枝を揺らした。揺らされて光が当たった枝からは、採りきれなかった実が四方八方へ飛んでいくのだ。


 全部の実が飛んでいくと、パルゥの木は溶けるように小さくなって、あっという間に消えてしまう。

 これが森の他の木とは違う、冬の晴れ間にしか現れない魔木パルゥだ。


「終わったな」

「帰るか」


 みんなそれぞれ採れたパルゥを抱えて家に帰っていく。昼からはどの家でもパルゥの処理をすることになる。この処理が重労働であり、お楽しみでもある。


「とりあえず、一人一個ずつな」


 木になっていた時はオレの顔くらいの大きさがあったパルゥの実も、家の中に入ったころから周りの皮が溶けはじめ、少し小さく丸くなっていた。


「器の準備できてるか?」

「うん!」


 細い枯れ枝に暖炉の火を付けて、パルゥにツンと押しつける。すると、その部分だけ、プチッと皮が破れて、中からとろりとした白い果汁が溢れてくるのだ。

 ふわっと家中に甘い匂いが漂い、オレはごくりと唾を飲み込みながら、甘い匂いがする果汁をこぼさないように器に取っていく。

 この果汁が貴重な甘味だ。一気飲みしたい誘惑にかられながらも、必死に唾を呑みこんで、大事に大事に食べると決めている。


 中の汁を採り終わったら、次は実を潰して、油を取る。パルゥの油は食用にも使えるし、ランプのオイルにも使えるので、冬の半ばにはとてもありがたい実だ。

 よく絞ってカラカラになった搾りかすは、パサパサしていて、人が食べられるものではないけれど、鶏にとっては栄養豊富な餌になる。卵の味がぐっと変わることからも、それがよくわかった。


「すいませーん」

「おじゃましまーす」


 そして、今日明日は家に人がたくさんやってくる。パルゥの搾りかすと卵を交換してほしい人がやってくるのだ。

 でも、オレとしては、搾りかすばかりあっても、どうしようもない。鶏は喜ぶけど、オレが食べられる卵が減るのを目の前で見ているのはすごく嫌だ。


 どうせなら、搾りかすじゃなくて、肉でも持ってきてくれよ。卵は一人一個って感じで、絶対に食べられるけど、肉はいつも兄貴達に食べられて、あまり当たらないんだからさ。


 そう思っていたら、マインとトゥーリもパルゥの搾りかすを持ってきた。麻袋に入っている搾りかすは2個分くらいだろう。


「ルッツ、これ、卵と交換してください」


 マインに、にこーっと笑って差し出されても、あまり歓迎したい気分じゃない。もちろん、母さんに怒られるから、追い返すなんてできないけれど。


「もう餌は間に合ってるんだよなぁ。それより、肉ないか?」

「肉?」

「兄貴達に食われて、オレの分、あんまりないんだ」


 冬場はみんなが家にいることが多いので、ご飯を取られる確率も高くて、オレはいつだって腹が減っている。トゥーリやマインに言っても仕方がないことだとわかっていても、ついつい口から不満が零れ出た。


 トゥーリは「体格が違うから、取られちゃうんだね」と苦笑して、オレの不満を受け流した。そして、マインは何を考えたのか、バッとオレの目の前に麻袋を付き出して言う。


「じゃあ、ルッツ。これ、食べたら?」

「鳥の餌なんか食えるか!」


 いつも優しくしてやっているマインに鳥の餌を食えと言われるなんて思わなかった。あまりのショックで反射的に怒鳴ってしまったが、マインはきょとんとした顔で首を傾げた。


「……料理次第では食べられるよ?」

「はぁ?」

「完全に絞っちゃうから、食べられなくなるんだよ。実は美味しいんだから、搾りかすだって、ちゃんと料理すれば大丈夫」


 平然とした顔でマインは言うが、とても信じられなくて、オレは思わずトゥーリを見た。鳥の餌を食べるような奴がいるわけない。

 しかし、トゥーリは疲れたような笑顔で軽く肩を竦めただけだった。どうやら、マインは本当にパルゥの実を食べたらしい。


「おまっ! なんてもったいないことするんだよ! パルゥの実を食べて終わるより、果汁と油と鳥の餌に分けて使う方がいいだろ!? 普通は実を食べるなんてもったいないことしねぇよ!」


 ちょうど、鳥の餌に困る頃合いなので、特にウチでは実を食べようなんて考える奴はいない。むしろ、あんなに苦労して採る実を有効に使わずに食べるなんて、あり得ない。そんなバカはこの街全体で考えてもマイン以外いないと思う。


「えぇと、鳥の餌にするならそれでいいけど、鳥の餌はもう充分なんでしょ? だったら、人間のお腹が膨れることに使った方いいじゃない」

「だから、パサパサして人が食えるようなもんじゃねぇって、言ってんだろ!」

「ぎっちり絞って油をできるだけ多く搾ろうとしたから、人には食べられないものになったんだよ。ちょっと手間かけたら、ちゃんと食べられるって」

「マイン、あのなぁ……」


 笑顔で信じられないことを言うマインに、力が抜けていく。

 何だろう。この、何を言っても説得できないんだって感じの無力感というか、敗北感?


「あのね、ルッツ」


 マインの姉であるトゥーリが小さく口を開いた。

 血縁者ならマインに「鳥の餌は人間の食べ物じゃない」と言い聞かせることができる、と期待を込めて振り返ると、トゥーリは力なく項垂れていた。


「信じられないかもしれないけど、ホントに食べられたんだよ。……おいしかったことにショック受けちゃったよ、わたし」


 え? マジで?

 鳥の餌、食べさせられちゃったのか、トゥーリ!?


 マインはどうやら自分の家族で既に実践済みだったようだ。なるほど、自分の意見に自信を持っているわけだ。


「やってみた方が早いかな? ルッツ、パルゥの果汁、まだ残ってる?」


 そう言いながら、マインは小さい器に自分の持ってきた搾りかすを少しだけ入れた。

 パサパサした搾りかすに、オレの分の果汁を小さじ2杯くらい加えて混ぜ合わせる。それを一つまみ自分の口に入れて、うんうん、と小さく頷いた。


「ルッツ、あーん」


 オレの分の貴重な果汁を使われた上に、鳥の餌を食べさせられるなんて、ひどいと思っていたが、普通にマインが口に入れるのを見て、恐る恐る口を開けた。

 マインの指先についた黄色い物が舌の上に乗せられ、口を閉じると甘い味が広がっていく。


 果汁をちょっと入れただけで、本当に甘くなって、パサパサした感じがなくなった。

 毎年、自分の分に分けられた果汁をちびちびと舐めるように飲んでいるけれど、搾りかすと混ぜたら甘い物がもっと食べられるんじゃないだろうか。


「ほら、結構甘くておいしいでしょ?」


 マインが、うふふん、と得意そうに笑ってそう言うと、今まで胡散臭そうに見ていた兄達が一斉に反応した。


「甘い?」

「うまい?」

「マジで? ちょっと貸せよ、ルッツ」


 兄全員が小さい器に指を突っ込んできた。器を取られないように逃げようにも、体格の違いで逃げるどころか、避けることもできやしない。


「ちょっ、離せ! 持ち上げるな! 弟のものを取るなんて、それでも兄か!?」

「弟のもんはオレのもん」

「うまい物はみんなで分けろ」

「よっしゃ! 取れた!」


 抵抗空しく三人がかりで押さえこまれて、器ごと取られる。三人が次々と指を突っ込んで、あっという間に器が空になってしまった。


「あぁぁぁ! オレのパルゥが!」

「うまいな」

「鳥の餌、だよな?」


 オレの叫びを完全に無視して味見した兄貴達も、オレと同じように信じられないと言わんばかりに目を見開いて、マインを見る。

 注目されたマインは照れたように頬を掻きながら、信じられないことを言った。


「ルッツの家でなら、もうちょっとおいしくできるよ?」

「マジで!?」


 全員が食いつくのも無理はないだろう。全員が食べ盛りの男で、一番上のザシャ兄なんか「いくら食っても足りない」って、いつも言っているのだ。鳥の餌でも、美味しく食べられるなら大歓迎だ。


「……あ、でも、手伝ってもらわなきゃできないかも。わたし、力も体力もないから」

「よし、任せろ」


 マインに力も体力もないのは、すでにわかりきっていることだ。手伝うだけで甘くておいしい物が食べられるなら、オレは全力で手伝う。


「ルッツに一人占めはさせねぇよ? オレも手伝うからな、マイン。ルッツより力も体力もあるぜ」

「そうそう」


 いきなり兄達が協力的になった。オレの出番がなくなるんじゃないかと心配したが、マインは「やったー」と大喜びしながら、全員に役割を与えていく。


「えーとね、お兄ちゃん達は焼くための鉄板を準備してほしいの。ルッツは材料の準備で、ラルフが混ぜる係ね。あ、それから、ルッツの果汁ばっかり使うのは可哀想だから、みんなの果汁をちょっとずつ使うよ。はいはい、出して、出して」


 母さんと同じようにパンパンと手を叩きながら兄達を急かす。

 全員の果汁を並べさせるマインが天使に見えた。マインの一言がなかったら、絶対にオレの分だけ使われていたはずだ。


「ルッツ、卵2個と牛乳持ってきて。ラルフはあそこの木べらで、これを混ぜてね」


 普段は足手まといにしかならないマインが生き生きとした表情で、次々と指示を出して、みんなを動かしていく。

 ザシャ兄とジーク兄は二人で鉄板を持ってきて、竈で熱し始めた。ラルフ兄は渡された木べらでマインが次々と入れていく材料を混ぜ始める。オレはマインに言われるまま、あっちへこっちへと動きまわり、色々な物を準備させられる。


「うん、こんなもんでしょ。次は、バターある?」


 オレが差し出したバターをマインは小さいスプーンを使ってすくい取ると、ちょっと高めの椅子に上がって鉄板の上に滑らせる。危なっかしい体勢に全員がハラハラしているなんて、多分気付いていない。

 マインが鉄板に乗せたバターは、ジュワ~という音と共に溶けて小さくなっていき、いい匂いが鼻をくすぐった。ものすごく腹の減る匂いだ。

 そこに少し大きめの匙でラルフ兄が混ぜていた、どろっとした生地を置いていく。ジュウウゥゥと焼ける音がして、バターの上にパルゥの甘い匂いが加わった。とんでもない匂いの暴力だ。

 見た目は母さんがイモをすり下ろして作るパンケーキに似ているが、匂いの甘さが全然違う。


「こんな感じで、人数分焼いてほしいの」


 最初の一つを作って見せた後は、椅子がなくても届く兄達に丸投げして、マインは鉄板を見ながら、指示を出すだけだ。でも、それでいい。

 一度見たので、どうすればいいかはわかる。高い椅子の上でふらふらしながら作業されると心臓に悪い。自分達でやった方が危険度が低いので、兄達もすぐにマインの手から調理道具を取り上げた。


「こんな風にブツブツが出てきたら大丈夫。そろそろひっくり返して」

「おぅ」


 マインの指示にザシャ兄がヘラでひょいっとひっくり返せば、こんがりといい色になっていた。よだれが垂れそうなくらいうまそうだ。周りからゴクリと唾を呑みこむ音が聞こえる。


「これ、あっちに寄せて。空いたところにもう一枚焼いて」


 ある程度焼けた物はちょっとずつ寄せられて、次のバターと生地が流し込まれていく。マインが「これはもう大丈夫」と言った物から、皿に上げられていく。

 最初にできた皿を持って、マインが満面の笑みを浮かべた。


「じゃじゃーん!『オカラで簡単ホットケーキ』!」


 マインが何か言ったが、よくわからない。どう反応していいかわからず、ちょっと首を傾げた。


「……え? なんて?」

「あ~……簡単パルゥケーキのできあがり~」


 失敗した、と言うように、ちょっとだけ気まずそうな顔をした後、マインが言い直す。

 テーブルに並べられたパルゥケーキからは、ほこほことした湯気が出ていて、すぐにでもかぶりつきたい。


「熱いから気を付けてね。どうぞ、召し上がれ~」


 一口食べて、ゆっくりと噛みしめる。パルゥケーキはビックリするほどおいしかった。ふわふわしていて、鳥の餌のようなパサパサ感は全くない。いものケーキと違って、ジャムも何も乗せなくても、十分に甘い。

 しかも、一人に一枚ずつ皿にのせられるから兄貴達に取られる心配もない!


「ねぇ、ルッツ。これなら簡単だし、結構お腹いっぱいにならない?」

「なった。マイン、お前、すごいな」


 卵と交換してほしい人が次々に持ってくるから、パルゥの搾りかすは大量にあるし、ウチの鶏が産むんだから、卵だっていつでもある。牛乳も卵と交換しているから、大体あるので、パルゥケーキは冬の間いつでも作れるってことだ。


「パルゥの搾りかすを使った料理は、他にも思いつくのがあるけど、わたし、力ないから作れないんだよね」

「マインがやり方教えてくれたら、オレが代わりに作ってやるよ」


 この一件により、マインの指示通り動いたら、おいしい物が食べられると刷り込まれてしまった。

 晴れ間が来て、パルゥが採れる度に新しくておいしい料理を教えてくれるようになったマインのおかげで、この冬はオレが腹を減らすことは少なくなった。


 マインはオレの救世主だ。

 だから、オレが力も体力もないマインを手伝って、役に立ってやる。


 この刷り込みがオレの一生を左右することになるなんて、パルゥケーキの幸せに浸る今のオレには気付くこともできなかった。



ルッツ視点の冬の生活です。

実はファンタジーな世界だったとわかっていただけたでしょうか?(笑)


お貴族様は魔術を使いますが、貧乏人には使えない世界です。

なので、マインが魔術の存在を知って、「え? わたし、実はファンタジーな世界にいる!?」って気付くのは、結構先の話です。

 魔獣も魔木も外に出なきゃ気付きませんからね。


 次回はオットーさんのお手伝いをします。

 この世界の文字を覚えるために、まずお手伝いを頑張ります。

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