廻る季節と小さな女王

作者: 二階堂風都

 季節を司る春・夏・秋・冬の女王様が、交替で塔に住むことで季節が廻るとある国。

 しかし冬の女王様が塔から出ず、この国では長い長い冬が続いていました。

 困った王様はお触れを出しました。

 ――冬の女王を春の女王と交替させた者には好きな褒美を取らせよう。

 ただし、冬の女王が次に廻って来られなくなる方法は認めない。

 季節を廻らせることを妨げてはならない。

 

 そんなお触れが出て、数日経ったある日のこと。

 料理屋で奉公する娘アクアは、雇い主である料理屋の主人から塔へ向かって欲しいと頼みを受けました。

 季節の野菜を料理の中心にしているこの店では、冬が続いたことで営業を続けることが難しくなっていたのです。


「農村から出てきたアクアなら、冬が続くことの苦しさを伝えられるかもしれない。どうか、冬の女王様を説得してきておくれ」


 農村出身のアクアは、父親の病気を期に出稼ぎに来た体の小さな娘です。

 冬に少ない貯えを切り詰めていく苦しさ、心細さは誰よりも良く知っています。

 アクアは主人の頼みを引き受けました。


「はい。きっと冬の女王様を説得してきます!」


 主人とその奥方に見送られ、アクアは塔へと向かいました。

 塔はお城の向かい、大きな広場を挟んだ場所にあります。

 アクアが塔を訪れると、そこには女王様を説得して褒美を得ようとする人々と、純粋に冬が過ぎ去ることを願う人々で溢れ返っていました。

 アクアもその中に混じり、女王様が現れるのを待ちました。

 塔の一階、大きなホールに入れられた人々は待ちます。

 けれども、待てども待てども一向に女王様は現れません。

 待ち疲れた人々が帰路につく中、アクアは一人の女性から目が離せませんでした。

 それは町娘の格好をした、美しい銀髪を持つ冷たい目をした女性です。

 気が付くと、塔の中にはその女の人とアクア以外に誰も居なくなっていました。


「あの……貴女は、もしかして……」


 アクアが意を決して話し掛けると、その女性はアクアの事をまじまじと観察しました。

 それからひんやりとした手でアクアの手をそっと掴むと、塔の上階へとアクアを導きました。

 女王の間でアクアを待たせ、一度姿が見えなくなった後、再び現れた彼女は豪奢ごうしゃなドレスを身に纏っていました。

 彼女はアクアの思った通り、町娘に変装した冬の女王様だったのです。


「貴女が初めてよ。みんな、女王らしい格好をしていなければ私だと気が付かないのね」


 アクアは言葉に詰まりました。

 広場を通る度に、大きな窓のある塔の女王の間は、下から見えるようになっています。

 アクアも、春の女王様、夏の女王様、秋の女王様の御姿を見た事はありましたが、目の前の冬の女王様の御姿は記憶にありません。

 暖かい季節には、広場に集まって市民達はお喋りに興じます。

 帰る時には、それを見守る女王様がいらっしゃる塔へ向かい一礼をしてから去るのが皆の習慣になっているのです。

 しかし寒さが厳しい冬は、人々の家に帰る足を早めさせ、広場は閑散としています。

 視界を遮る雪も、女王様の御姿を確認し難い原因かもしれません。


「別にそれが寂しいから、塔から出ない訳ではないの。私はただ冬の雪景色の美しさを、何時いつまでも見ていたいだけ」


 それは女王様の本心ではないとアクアは思いました。

 最初は、アクアは農家の娘として冬の女王様に食べ物の大切さを聞いて貰うつもりでした。

 でも今は、女王様の冷たくなってしまった心をどうにかして温めてあげられないかと考えていました。

 アクアは結局、言いたかったことは何も言わずに一度帰る事にしました。

 ただ一言だけ


「また来ます」


 とだけ女王様に告げ、その日は下宿先の料理屋に帰りました。

 それから三日後。

 アクアは再び女王様に会いに来ました。

 その手も頬も真っ赤になり、とても寒そうなアクアの様子を見た女王様はたずねました。


「どうしたの? とても寒そうだけれど」


 アクアはそれには答えず、女王様に広場を見て頂くように言いました。

 女王様は不思議に思いながらも、塔の窓から広場を見下ろします。

 すると――


「こ、これは……」


 そこには、普段の寂しい広場の風景はありませんでした。

 代わりに沢山の雪像、氷の像が立ち並び、下から市民が女王様に向かって手を振っているではありませんか。

 降りしきる雪の中、沢山の人々が女王様に向かって笑顔を見せています。

 女王様は驚きました。


「お店の常連さんとか、雪が好きな人達に声を掛けて集まって貰ったんです」


 アクアは料理屋の奉公人ですが、同時に看板娘でもありました。

 三日の間、その広い顔を生かしてなるべく多くの人に声を掛けて回りました。


「あんなに楽しそうに……それに、冬とは思えないほど賑やかだわ……」


 冬の女王様の凍り付いた心は、ゆっくりと溶けていきました。

 ぎこちなく微笑んで、けれども嬉しそうに、広場の様子にじっと見つめています。

 そして名残惜しそうに視線を外した後、お返しの様に女王様は霜焼けしたアクアの手を取り温めました。


「冷たい手ね……大変だったでしょう?」

「女王様、私も雪は大好きなんです。音が止んだ静かな朝……カーテンを開くと、別世界に行ったみたいに町が白銀に覆われている。とても美しい景色です。でもずっと冬だとみんな困るし、雪も氷も、いつか溶けてしまうからこそ綺麗だと思うんです」

「貴女の言う通りかもしれないわね……」

「それに、春が巡って、夏に暑くなって、秋に涼しくなれば、また冬が来ます。また来るんです」


 季節はめぐるもの。

 アクアはその一つ一つの季節、全部が大好きなのです。

 冬の女王様は、小さく息を吐いた後にこう言いました。


「……分かりました。では私は、塔を下って次の冬を待つとしましょう。二つ、私からのお願いを聞いてくれる?」

「はい。何なりと」

「一つは春の女王様を連れてくること。もう一つは……また冬が来たら、広場で今日のように色々な雪像や氷像を見たいわ。いいかしら?」

「はい!」


 彫刻師の職人さんも、来年はもっと力作を作ると張り切っていました。

 アクアは来年も広場を賑やかにすることを冬の女王様に約束し、塔から春の女王様を探しに町へ出て行きます。

 その年から、毎年冬になると広場は女王様の為に市民が作った雪の彫像や氷の彫刻で埋め尽くされたそうです。

 冬の女王はそれを楽しみにし、塔からそれを嬉しそうに眺める様になったとのことでした……。



 さて、冬の女王様の話では春の女王様も町娘に扮して何処かに隠れているとの事です。

 アクアは、春の女王様が好みそうな冬でも温かそうな場所を探して回りました。

 そして、とある上品な喫茶店でニコニコと話を聞く、まるで春の日差しのような暖かな笑顔の女性を見つけました。


「あの……貴女は、春の女王様ではありませんか?」


 その女性は、アクアがそうたずねると全てを察したように寂しそうに微笑みました。


「私を探しに来たということは、冬の女王様は塔を出る気になったのね。なら、今度は私が塔へと向かいましょう」


 そう言うと、まだ湯気が出ているカップを残して静かにテーブルから離れました。

 これでアクアは、引き受けたお願いを全て達成しました。

 なのに、春の女王様の寂しそうな微笑みが気になって仕方ありません。

 アクアは春の女王様を引き止めました。


「待って下さい! せめて、女王様がそのお茶を飲み終わるまでは……。是非、女王様のお話を伺いたいのです」


 アクアの必死な様子に、春の女王様は椅子に座り直しました。

 そして、アクアの分の温かいお茶を店主に注文すると静かに語り始めました。


「この店に来る人達はね……故郷から、出稼ぎに来ている人が多いの」

「私もそうです。農村から、料理屋に奉公しに来ました」

「そうなの……苦労しているのね。私、そんなここの人達の話を聞くのが好きなの。普段は他愛もない話をしているけれど……時々、寂しくなった時はみんな自分の故郷の話をするわ」


 アクアはその気持ちが良く分かりました。

 本当に疲れた時や寂しい時は、故郷や離れて暮らす家族の事を思い出して泣いてしまうこともあるくらいです。


「私はそれを聞いているばかりだけど……その話は、寂しさから来ているのに何処か温かくて、切なくて。でも、春になるとここに通っていた人の半数は、故郷に帰ってしまうの」


 雪解けを待って、故郷に帰る人々。

 春は、お別れの季節です。

 アクアは、春の女王様が寂しそうにしている理由が分かりました。

 塔に住んでいる間は、女王様は塔から出ることが出来ません。


「春の女王様……」

「別れが嫌なのではないの。大切な故郷に帰るんだもの、むしろ祝福すべき事だわ。だからそうではなくて、お別れの言葉を言えないのが辛いの。でもそれは、単に個人的な我儘わがままに過ぎないのよね……」


 アクアは、春の女王様にも冬の女王様のように笑顔になって欲しいと考えました。

 そして、一つの考えを実行することに決めました。


「女王様。雪が解けたら、塔の一階に降りてみて下さい」

「一階に……? 不思議な事を言うのね。でも、いいわ。憶えておきます。……お茶を飲み終わってしまったわね。話を聞いてくれてありがとう、小さなお嬢さん」


 そう言って、春の女王様は店から出て行きました。

 こうして塔の女王様は交替し、長かった冬から暖かな春がやって来ました。

 その間、アクアは春の女王様の為にあるお願いをして回りました。

 雪が完全に融け、出稼ぎの人々が故郷へ帰りだす頃。

 春の女王様は、アクアとの約束通り塔の一階へと降りてきました。

 すると……


「あ、あぁ……」


 そこには普段の殺風景な塔の一階の光景はなく、色とりどりの花で埋め尽くされた美しい光景が広がっていました。

 それらは塔に全て入り切らず、花束は広場の方まで続いています。

 そしてその花束を置きに来るのは……なんと、あの喫茶店で故郷に帰ると話していた女王様にとって見覚えのある人々の姿でした。

 女王様が驚いていると、アクアが塔の入り口からひょっこりと顔をのぞかせます。


「女王様」

「貴女……これは一体……?」

「この町から離れる時は、どうか春の花を塔へ置いて行って下さい。一輪でも構いませんから――と、みなさんにそうお願いしてみたんです」


 アクアは再び、人々にお願いして回りました。

 自身でも山に花を摘みに行き、去る人々が塔へ持っていってくれるように一生懸命に働きかけました。

 この町にお世話になった感謝を捧げる儀式として、途中からは話が一人歩きし……。


「そうしたら、塔へお花を置いてから旅立つと幸せになれる――そんな噂が出来上がってしまって」

「素敵ね……とっても素敵……ありがとう、アクア。嬉しいわ。こうして、直接でなくてもお別れをする機会をくれて……私は、幸せよ」

「女王様……でも、良くご覧になって下さい。何だか、去っていく人ばかりではないとお思いになりませんか?」


 女王様はアクアの言葉に首を傾げました。

 疑問を解く為に、行き交う人々を良く観察します。

 そして気が付きました。


「! もしかして、春になって故郷から出てきた人も……」

「はい。春は別ればかりではない。出会いの季節でもあると私は思うんです。去っていった人達と同じくらい、沢山の人々がこの町を訪れるんです……春が終わったら、またあの喫茶店を訪ねてみて下さい。みんな、話を聞いてくれる女王様の事を待っていると思います」

「ええ……ええ……!」


 その年から、春になると塔の一階と広場は花の香りで埋め尽くされるようになったそうです。

 春の女王様は花束を置いて行き交う人々の出会いと別れを、慈しむように塔から眺める様になったとのことでした……。




 料理屋の主人の頼み事、それから冬の女王様の頼み事を終えたアクアは料理屋へと帰りました。

 アクアは王様からのご褒美を料理屋の主人に譲ろうとしましたが、頑固な主人は欲の無いアクアをしかりつけてお城へと送り出しました。

 アクアは欲しいものを一生懸命に考え、そして今日、登城の日がやって来ました。


「料理屋の娘、アクアよ」

「はい、国王様」

其方そなたは見事に季節をめぐらせる事に成功した。そればかりか、二人の女王のうれいまでも断つとは誠に見事。何なりと望みを申すがよい」


 アクアは、今回の事で当たり前のように廻っていた季節の尊さを再認識しました。

 それと同時に、四季の間に少しだけ足りないものがあると考えました。

 なので、王様にこんな願いを申し出ました。


「……春の後には夏が来ます。お日様の光を一杯に受けて、作物も草木もどんどん大きくなります。でも時々、お日様が強すぎる年があると思うのです……」

「ほう。其方、現在の四季だけでは不足だと申すか」

「あ……不敬だったでしょうか?」

「構わん。続きを申してみよ」

「はい。春と夏、夏と秋の間に少しだけ、雨が多い季節が欲しいのです。そうしたら、夏の日差しが強すぎても土に蓄えた水で作物は強く育ちます。秋の渇いた風でも枯れません」

「……おもしろい。では、其方の望み通り新たにを制定し、女王を新しく任命するとしよう!」

「ありがとうございます!」


 アクアは満足でした。

 これで料理屋の主人も、故郷の農家も一緒に楽になると思ったからです。

 しかし、国王様のお言葉には続きがありました。


「ではアクアよ。六の月と九の月には、忘れずに塔へと入る様に」

「え……」


 アクアは慌てました。

 王様が何を言っているのか分からなかったからです。


「聞こえなかったのか? 其方を、雨季の女王に任ずると余は申したのだ」

「お、お待ち下さい!」


 自分が女王になるなんて、アクアは考えてもいなかったのです。

 しかしいくら断っても、王様はそれを許してはくれませんでした。


「其方の分け隔てなく降り注ぐ優しき思い……雨季という季節にはぴったりだと余はにらんだ。新しき女王として相応しい。引き受けてくれるな?」


 アクアはそれ以上、断れませんでした。

 ――こうしてアクアは、新しい雨季の女王として短い期間、塔に住むことになりました。

 けれども決して不幸になることはなく、料理屋の奉公も続け、故郷に沢山の仕送りをしたそうです。

 雨季の女王としても他の季節の女王と大変仲が良く、恵みの雨を与えることから人々からは大層感謝される存在となりました。

 とある島国では、小さな彼女がつかさどった季節の事をこう呼んだそうです。

 夏の前に降るものを梅雨、秋の入り口に降るものを秋雨と……。