暴力反対
戦地である賢者の大草原を抜け、ひたすらに北上する。
人の目を避けて移動したおかげで、一切の戦闘を行わずに国境を越えて独裁国ダケシウへと侵入できた。
「意外とあっさりだったな。警備がなってねえぞ」
一波乱あると構えていたレオンドルドが走る速度は落とさずに肩をすくめる。
「うむ。やはり、一悶着がなければ物語としても盛り上がりに欠ける」
顎に手を当てた状態で併走する団長。
二人とも息を切らさずに平然と会話をしているが、現在の速度は常人の全速力を遙かに凌駕している。
ここにいるのは誰一人として常人ではないので、平然と付いてきているが。
「誰も国境沿いの壁を軽々と飛び越えるなんて思っていませんからね。あれでは警備のやりようがありません」
呆れた声のアリアリアが言う通り、俺たちは国境沿いに設置された高く分厚い石造りの壁を、難なく飛び越えてきたのだ。
レオンドルドは自慢の脚力でひとっ飛び。
団長は風の魔法をまとい優雅に。
クヨリは近くに生えていた木を引っこ抜いて縄で木と自分を結び、木を放り投げて自分も飛んでいった。
アリアリアは足の裏から炎を噴き出して、右腕をピンと伸ばした格好で飛行。
ちなみに俺だけは普通に壁を蹴りながら素早く登ったのを追記しておく。
そんな俺たちを警備兵は呆然と見つめていたのが印象的だった。
「目的地は国王が居座っている城でいいのか?」
「まずは城ですが、本当の目的地は別です。城には姉がいないとの情報を得ていますので。城に少し立ち寄って、国王を捕縛。その後に更に北上して海岸部の別荘を目指します」
情報屋マエキルの話によると、そこを姉は住居としているらしく、ここ数日はその場から離れていないらしい。それは今も同様で、別荘から出た気配はない。
現状が確認できるのはアリアリアから譲ってもらった〈大いなる遺物〉のおかげだ。小さく四角い透明な板にしか見えないこれは、遠くの人と会話を可能にする道具で、さっきも別荘の近くに潜んでいるマエキルから直接話を聞いた。
「じゃあ、さっさと王をとっ捕まえて本命を倒しに行かねえとな」
王を捕まえる。本来ならとてつもなく困難なことなのだが、レオンドルドは朝食でも食べに行くような気軽さで口にしている。
実際、この面子だと有言実行が可能なところが恐ろしい。
「我々ができるだけ早くけりをつけねば、被害が広がる一方。観客が減るのは避けたいところだ」
「今頃、戦場はどうなっているのか」
団長らしい言い回しで人々を心配し、クヨリは唇を噛みしめている。
ここにいる面子は誰一人として自分たちのことを心配していない。残してきた家族や仲間や知り合いの身を案じる者ばかりだ。
俺は冷静を装っているが、戦場に送り出した人々がどうなっているのか……心配で仕方ない。
「ご心配ならば、リアルタイムで映像をお見せしましょうか?」
そんな俺たちに対して、アリアリアが平然と理解不能なことを口にした。
「すみません、仰っている言葉の意味がよくわからないのですが」
「そのままですよ、論より証拠。これをご覧ください」
言い終わると同時にアリアリアの目が光を放つ。
走っている進路方向の上部に四角く光る透明の板が現れると、そこには――別の映像が浮かび上がってきた。
木の槍を持った少年兵がケヌケシブの軍に襲いかかっている映像。
ケヌケシブの兵士たちは少年兵を倒すことに躊躇いはあるようだが、彼らに手間取っていると後方から押し寄せてくる敵兵に対応できないので、苦渋の表情で切り捨てている。
そんな凄惨な場面が上空に映されていた。
思わず眉をひそめるが目を逸らしはしない。姉の凶行を止められなかった弟として――唯一の身内として見届ける義務がある。
「これは」
「各地に忍ばせて置いたドローンからの映像です」
「どろーん?」
聞き慣れない言葉だったので思わず聞き返す。
アリアリアは頻繁に古代人にしかわからない単語を口にするので、咄嗟に理解するのが難しい。
「小型の偵察……オートマタだと思ってください。飛びますが」
「飛ぶ、小さいアリアリア……」
説明を聞いてますます混乱したクヨリは首が折れそうなぐらい、首を傾げている。
俺も完全には理解していないが、各地の情報を見ることができる便利な道具だという認識で間違いないはず。深く考えるのは止めよう。
「軍隊の戦いはケヌケシブが圧倒的に有利な状況です」
上空から見下ろす映像に変わり、人々が米粒状の大きさになると戦況がよくわかった。
確かにアリアリアの言う通り、ケヌケシブの軍が優勢のようだ。
「ならば問題は、オンリースキルとレアスキル所有者であるな。スキルによっては戦況を容易にひっくり返す能力もあるのではないか」
団長の危惧は当たっている。俺の『売買』は集団戦には不向きな能力だが、逆に大規模な戦いに適したスキルが存在している。
そういったスキル所有者を押さえ込めるかどうか。それが勝敗の鍵を握っているのは間違いない。
「では、スキル所有者同士の戦いへと焦点を絞ります」
映像が大草原から、川辺の砂利が敷き詰められた場所へと入れ替わる。
そこにいるのは漆黒の兜と鎧を身にまとい、背中には大剣を背負った人物がいて、対面に立つのは胸元に大きく巨大な棘突きのハンマーで岩を叩いているシンボルマークが刺繍された、真っ白な祭服を着た女性。
大柄な男性に匹敵する見事な体躯で、短く切りそろえられた髪に太い眉毛と大きな目が印象的だ。
俺は彼女を知っている。
「確か、こいつは妙ちくりんな新興宗教の教祖だよな? と言っても信者は誰もいねえ、たった一人の。俺もしつこく勧誘されたから覚えているぜ」
当時のことを思い出したのか、レオンドルドがうんざりした顔でぼやいている。
そう彼女は無抵抗平和主義を掲げている新興宗教の教祖。あまりにも過激な修行内容に誰もついていけないので、信者は直ぐに脱退していく。
前回、大量の信者を引き入れたはずなのだが三日も持たなかった。
「それに相手は……あいつか。闘技場で何度か戦ったことがあるヤツだが、結構な使い手だったぜ」
眉間にしわを寄せて黒鎧の相手を睨みつけていたレオンドルドは、手を打ち鳴らすと納得がいったのか満足げに大きく頷いている。
「彼は闘技場での活躍が有名な漆黒閃と呼ばれる武芸者ですね。姉に勧誘されたレアスキル所有者の一人ですよ」
彼の情報は事前に得ている。レオンドルドがチャンピオンとして君臨していた闘技場の実質ナンバー3で、何度も挑んでは打ち負かされていた。
「あいつのスキルは確か……『重さ』だったか」
「そうです。触れた物の重さを自在に操れるスキルです。その能力で全身鎧と大剣の重さをなくし、軽々と操る」
俺の説明を証明するかのように、映像の漆黒閃は大剣を片手で振り回している。
そんな相手に対し、新興宗教の教祖である彼女は両腕を広げながら大股で近づいていく。
「あいつバカなのか? 武器持たずに近づいてやがるぞ。身体は相当鍛えているようだが、武術は一切学んでない動きに見えるが」
さすがレオンドルド、一目で見抜いた。
彼女は激しい修行で毎日自らの身体を痛めつけているが、戦闘の知識も技術もない。
単純な戦闘力なら勝ち目はまるでない……のだが。
「あの者は何か話しているようだが。アリアリアよ、声は聞こえぬのか?」
団長に問いかけられると、何を思ったのかアリアリアは自分の後頭部を軽く叩く。
すると、その瞬間映像から音が聞こえるようになった。
『暴力は暴力を生むだけです。そんな物騒な物は投げ捨てて、共に無抵抗平和主義を実践しませんか?』
教祖の彼女が子供に語りかけるように、優しく諭している。
その言葉を聞いてレオンドルドの眉間のしわが深くなった。
「やっぱ、バカだろあいつ」
「平和主義が悪いとは申さぬが、状況を見極める知能が足りぬようだ」
「無謀、無知、無茶」
「自殺志願者なのでしょうか?」
仲間からは散々な評価だ。
彼女のことを知らなければ、そう思って当然なのだが。
「回収屋、お前は敵の情報を知った上であいつを当てたんだよな?」
レオンドルドの問いかける声には隠そうともしない棘がある。
こんな無謀に見える戦いをお膳立てしたのだ、批難されて当然だろう。
「はい、そうですよ。彼女なら問題ないと判断しました」
俺が断言するとレオンドルドたちは口を噤み、黙って映像に集中している。
なんだかんだ言っても俺のことを信頼してくれている態度に少し胸が熱くなった。
『貴様は頭がおかしいのか?』
大剣を持っていない方の手の指を頭の横でクルクル回す漆黒閃の反応も、仲間たちと同じようだ。
『いえ、私だけがこの世界で唯一まともなのですよ。暴力は虚しく、意味のない行為。力で相手を屈服させることはできません。そうですね、もし貴方が私を力で従わせることができなかったら、我が宗派に入信するというのはどうでしょうか?』
満面の笑みを浮かべ、大きく見開いた目で相手に迫っていく。
その迫力に一歩押されていた漆黒閃だったが、踏みとどまると両足を踏ん張って大剣を構えた。
『戯れ言を。力があれば相手を屈服させることなど容易い。その偽善いつまで貫けるかな。もし、こちらの攻撃に耐え、それでも綺麗事を並べられるのであれば入信でもなんでもしてやろう』
『本当ですね! 神の前で誓ったのですから、二言は許しませんよ!』
唾をまき散らしながら早口で歓喜の声を上げる彼女を見て、「あーあ」と声が漏れた。
彼女の態度にうんざりしたのか無駄な問答は終わりとばかりに、漆黒閃が大剣を相手の脳天へ振り下ろした。
大剣がぶつかると同時にゴンッという鈍い音が響く。
命中した大剣は相手を両断することなく、相手の頭に乗った状態のまま微動だにしていない。
『……はぁ?』
信じられない光景に間の抜けた声を出す漆黒閃。
ちらりと仲間の様子を窺うとアリアリアを除いた全員が、大口を開けて唖然としている。
『言ったじゃないですか。暴力は何も生まないと』
『バカな⁉ どういうからくりだ! ふざけるなっ!』
漆黒閃が相手の首筋、脇腹、太もも、心臓を目がけ連撃を叩き込むが、それをすべて平然と受け止める彼女。
鈍い音が連続して響いているだけで、彼女の身体には傷の一つも付いていない。
無防備な姿を晒したまま、ゆっくりと歩み寄る彼女と攻撃を続けながら後退る漆黒閃。
「何が起こっているんだ? 俺の知っている戦いの常識が覆されてんだが……」
映像が信じられないレオンドルドは何度も自分の目を擦っている。
「彼女は高レベルの『硬化』『頑強』『頑丈』『強硬』を所有しているのですよ。なので、生半可な攻撃は一切通じません」
仲間たちにネタばらしをする。
初めて会ったときよりもレベルが上がっているので、あそこまでいけばレオンドルドの一撃ですら耐えられる可能性が高い。
『さあ、さあ、入信してください。さあ、はやくー。この入信書にサインをー』
剣戟の雨を物ともせずに歩み寄る彼女に、一歩一歩と後退る漆黒閃だったが、その背が大木にぶつかる。
左右を見回して逃げようとしたが、兜の左右に伸ばされた彼女の手が大木にめり込み、逃げ道を塞がれた。
「約束通り、入信してください。逃がしませんよ。さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ」
「ひ、ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ‼」
悲痛な叫びを最後に空に浮かんでいた映像が消えた。
誰も何も言わない沈黙が場を支配している。
しばらくは無言のまま走り続けていたが、不意にクヨリが口を開いた。
「暴力反対と言っていたが、あれは精神的な暴力ではないのか?」
その問いに誰も答えない。
クヨリは続けて言葉を口にする。
「あの鎧の者はどうなるのだろうか」
この場にいる全員がこの後の想像をしたのだろう、渋い顔になっている。
「遙か東方の国にこんな言葉があるそうです。知らぬが仏、と」
「どういう意味なのだ?」
「知らなければ気にならない、平静を保てる、みたいな意味だそうですよ」
その言葉を聞いてレオンドルドが手を打ち鳴らした。
「つまり、ほっとけ、ってことだな」