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総力戦

 眼下には見渡す限り緑の大地が広がっていた。

 今、俺は裸の女王が治めるリチウ国の北部に位置する、賢者の大草原にある巨大な岩石の上に立っている。

 賢者の大草原はこの岩石を除いて遮蔽物のないだだっ広い草原があるだけ。

 昔話によると元々は山岳地帯だったらしいのだが、大賢者が放った魔法によりすべて吹き飛び、地面が平らに均された、と言う話だ。


 嘘か本当かは真偽不明だが、おかげで視界が広がっていて遠くまで見通せる。

 視線の先――平原の北部には無数の点が視界の端から端まで埋め尽くしている。その点は独裁国ダケシウ国の兵士たち。

 その数は情報によると十万を超えている。


「ここまでくると圧巻を超えて壮観ですね」

「回収屋よ。そんな暢気なことを言っている場合ではなかろうに」


 岩石の上でへたり込み、俺の脚をしっかり掴んで離さない怯えた声。

 ちらっと右横に視線を向けると、顔面蒼白で小刻みに震えている涙目の国王と目が合った。

 威厳などまったくない、人の良さそうな顔をした男。これでもこの大陸最大の規模を誇る、杭の国ケヌケシブの王なのだ。


「高いところは苦手なのでしょう。何故、上りたがったのですか」


 国王が懇願するので岩石の上まで引っ張り上げたが、ずっとこうやって怯えているだけだ。


「王として、これからの戦いに挑む気概を見せたかったのだが……うん、高いところはやっぱりダメだ」

「杭の塔を攻略したときも窓際に立つだけで脚がすくんでいましたからね」

「ははっ、懐かしい話だね」


 国王との付き合いは長い。彼がまだ王の座に着く前から、何かと無理難題を押しつけ頼られていた。

 自分が無力であることを理解して、他者に頼ることに躊躇いがなく、身分など気にせず接する変わった王で、そこが気に入っていた。いや、なんだかんだ言って……今も気に入っている。


「回収屋よ、勝てると思うか」

「どうでしょうね。敵の戦力は膨大ですよ。単純に兵士の数も見ての通りですし。敵は十歳以上の子供も徴兵して戦争に連れてきていますからね」

「少年兵か……」


 国王の表情が苦々しげに歪む。


「前衛に並んでいるのは子供ばかりですよ」


 『遠視』『千里眼』のスキルを発動して少年兵の様子を観察する。防具は与えられていないようで着の身着のままの格好が多い。

 何人かは手作りしたのだろうか、継ぎ接ぎや明らかに大きさの合っていない鎧や兜を身につけている。武器は木の枝を削っただけの槍。

 目は虚ろで瞳に光がない。怯えているか絶望しているかの二択。

 少年たちは戦力として頭数には入っていない。……起用した目的は別にある。


「子供たちを盾にする気かっ! 何を考えている、子は国の宝であろう! 守るべき存在の筈だ!」


 怒りを抑えきれなかった国王は岩石に拳を叩き付けた。

 拳から血がにじみ出ているが気にも留めず、敵の大群を睨みつけている。

 当人は「私に王の資格がないのは重々承知しているよ」なんて常日頃から口にしているが、そんなことはない、と断言できる。

 人民を心から慈しみ、国民を最優先に考え行動し、貴族や権力者たちの不正は見逃さない。

 彼には誰よりも王としての資質がある……当人に言うと調子に乗るので口にはしないが。


「無理矢理徴兵して、国民も総動員してこの戦いに挑むようです」

「このような無謀な策で勝ったところで、甚大な被害が出れば国として成り立つまい。ダケシウの王は何を考えているのだ」

「ダケシウの王は何も考えてないですよ。ただの傀儡ですから。すべて姉の仕業でしょう」


 感情を込めずに静かに語ると、王が心配そうに俺の顔を覗き込んでいる。


「やはり、それは間違いないのか?」

「確かな情報筋から提供されたものですので」


 大陸中に情報網を張り巡らせている、眠り姫。そして、個人で雇っている情報屋マエキル。

 信頼している二人の意見が一致しているので疑う余地はない。


「そうか。失礼なことを訊くが……割り切れているのか?」

「はい。なんの躊躇いもありませんよ」


 国王の問いに即答して笑顔で返す。

 もう、迷いはない。完全に吹っ切れている。

 姉を倒し……いや、言葉を濁すべきじゃない。

 姉を殺すことが世界を救うことに繋がり……長きに渡った回収屋としての人生も救われる。


「腹が決まっておるのだな。ならば、言うことは何もない」


 少し威厳を取り戻した国王が岩石の上に立つが、膝が小刻みに震えているのは見なかったことにしよう。

 逆光を浴びて雄々しく立ち、睥睨する姿は絵になっている。少なくとも岩石の後方に控えている兵士たちにはそのように見えているはずだ。下半身は見えないから。


「兵士の数では我が軍は半分にも満たない。しかし、質は間違いなく我が軍が上をいく。だが情報によると、ダケシウには強力なスキルを所有した猛者が集められていると聞く」

「ええ、姉がレアスキルやオンリースキル持ちを積極的に集めていましたからね」


 いつか、俺の『売買』を『強奪』スキルで奪うために、オンリースキル持ちを手駒にしている。と当人がそのようなことを語っていた。

 周辺の小国を滅ぼし、優秀な人材は取り込み、戦力は膨れ上がっているが士気は別だ。敵軍で自ら望んで戦いに挑んでいる者はごく少数だろう。

 姉を崇拝している一部の人を除いてしまえば、力とスキルで無理矢理に従わされているだけの存在。

 士気も練度も、自ら国を守るために挑むケヌケシブの兵士と比べるまでもない。だからこそ、少年兵という愚策を実行した。


「正面から戦えば負けることはない、と自負している。兵士たちは私と違って優秀だからな」

「まあ、そうですね」

「そこは否定しても良いのだぞ?」


 いじけた素振りをする国王。いい年したおっさんが、そんなことをしても可愛くもなんともない。


「問題は姉とスキル所有者の存在なのですが、それも事前の打ち合わせ通りで」

「こちらとしては助かるが。本当に構わぬのか?」

「ええ、レア、オンリースキル持ちが何処に配属されているかは事前に調べが付いていますので」


 眠り姫とマエキルの情報に加え、レオンドルドの婚約者で元暗殺者のリゼス、同門で『隠蔽』に長けた暗闇が苦手な暗殺者である彼にも手を貸してもらった結果、敵軍の戦力、配置は筒抜けだ。


「スキル持ちにはスキル持ちをぶつける、か」

「ええ、人脈を総動員しましたので」


 回収屋としての日々。その中で出会ってきた様々な人々。

 俺の過去、目的をすべて明かし、協力してくれる人材を集った。

 結果、多くの人が協力してくれることになり、今に至る。


「上手くことが運んだとしても、双方の被害は尋常ではない、か」

「はい、そうですね」


 国王の呟きに対して、否定も甘い算段も口にしない。

 ケヌケシブ軍が圧勝すればダケシウは壊滅状態。戦力が拮抗すれば双方に大きな被害が出るのは避けられない。

 加えて、敵兵のほとんどに『支配下』のスキルが見える。姉の所有する『支配』スキルの影響下にある証拠だ。これだけの大人数に仕掛けると威力は弱まり、命令内容も限定される。

 おそらく、従わせられる内容は一つか二つが限界だろう。そして、その内容は「逃げるな」か、それに類似したものだと予想が付く。

 なので戦況が不利になれば戦意を喪失して白旗を揚げる、なんて都合の良い展開は期待しない方がいいだろう。姉を倒さない限り、姉の呪縛から解放しない限り、敵兵は止まらない。


「では、私は別行動しますね。ご武運を」


 国王に頭を下げて踵を返し、岩石の淵まで移動する。

 そのまま飛び降りて立ち去るつもりだった俺の背に声がかかった。


「回収屋よ……。すまんが、下ろしてくれないか?」






 国王と別れた俺は賢者の大草原から離れ、敵陣を避けて迂回し、更に北へと足早に向かっている。

 大群同士の戦いに不安がないと言えば嘘になるが、自分のやるべきことをやるしかない。


「姉を倒せばすべての片がつく。私の……俺の長い、長い人生に終止符が打てる」


 心の声が思わず口から漏れる。

 そんな俺の呟きを聞き逃さなかったのは併走する者たちだった。


「おいおい、黄昏れるのは早すぎねえか? いつもの胡散臭い薄笑いが消えてるぞ」


 茶化す声に反応して視線を向けると、自分の口角に指を当てて押し上げ、小馬鹿にするような笑顔作っているレオンドルドと目が合う。


「そうだ、らしくない。回収屋はもっと余裕の態度でどんな場面でも平然としているべきだ」


 今度は左手に視線を移すと、つぎはぎだらけの黒いドレスを着たクヨリがじっと俺の顔を見つめている。


「うむ、このような最高の舞台。主役であるお主がそのような態度でどうするのだ。主役は胸を張り、声も張り、堂々と演じなければならぬ。それが主役に抜擢された者の定めである」


 このような状況でもタキシードにマントという格好で大げさな身振り手振りを交えて話す、魔王団長。


「また、この面子なのですね。正直、見飽きた顔ぶれですし、戦場には場違いな格好をした方々ばかりですが、堕落胸喪女の相手をするよりかはましです」


 表情を崩さずにため息を吐くアリアリア。いつものメイド服姿も戦場には不向きだと思うが、口には出さない。

 彼女の言う通り、厄介事に挑むときのいつもの五人組。


 大陸最強を自負する不敗の闘技場チャンピオン、レオンドルド。

 『不死』のオンリースキルを所有する、か細く儚げな令嬢に見える、クヨリ。

 劇団虚実の団長でありながら、世界を滅ぼそうと目論んだこともある魔王。

 古代人が技術の粋を集めて作り上げた、人間に模した機械人形オートマタであるアリアリア。

 そして、回収屋である俺。


 俺の知りうる限り最強の面子。たった五人だというのに安心感が半端ない。


「今回の合戦は他国も協力して挑む予定だったんだろ?」


 かなりの速度で駆けているというのに、息の一つも乱さずに平然と話しかけてくるレオンドルド。


「当初の計画ではそうだったのですが、数日前からまるでタイミングを計ったかのように、内乱や魔物の反乱などが他国で勃発しまして、国内のことだけで手一杯という話です」

「それはやはり、回収屋様のお姉様の仕業なのでしょうか?」


 アリアリアが無表情なまま首を傾げている。


「おそらく……いや、確実にそうでしょうね」


 これを偶然で片付けるほど間抜けではない。確実に姉の手引きによる騒乱だろう。


「他国からの援軍は期待できぬ状況か」

「残念ながら」


 深刻な表情で呟くクヨリの言葉を肯定する。


「良いではないか! 逆境は主役を際立たせ輝かせる最高の演出である! 腕の見せ所ではないか、なあ回収屋よ!」


 大げさに両腕を広げ、天を仰ぎながら大声で言い放つ団長。

 「人生は舞台」常日頃からこの言葉を口にする団長にとって、この逆境も演出の一つに過ぎないのだろう。


「団長さん。私は主役なんて柄でもないですよ」


 回収屋の立ち位置は他者の人生にほんの少しだけ関わる……脇役でいい。


「何を言うか。誰もが人生の主役だ! たった一度の人生、懸命に激しく華やかに演じるべきであろう!」

「そうだそうだ! 自分の人生、楽しくおかしく演じようぜ! 俺は常に全力でやってるぜ!」


 団長の発言に便乗してレオンドルドが大声で語っている。

 そんな二人を俺は眩しそうに目を細めて見つめていた。……いや、俺だけじゃなくアリアリアとクヨリはこちら側のようだ。


「アリアリアは目立とうとして空回りしている無駄乳を眺めて楽しむ方がいいです」

「我は脇役の方がいい。目立ちたくはない。でも……ヒロインには憧れる」


 意味深な視線を向けるクヨリに微笑みを返しておく。

 すると頬を赤らめてすっと視線をそらした。


「おっと。回収屋は冒険活劇よりもラブロマンスが望みか?」


 俺とクヨリの顔を交互に見てから、ニヤリと笑う団長が茶化してくる。


「恋愛はいいぞー。人生が華やかになるからな! 回収屋も一歩踏み出してみろよ!」


 近々婚約者のリゼスと結婚予定のレオンドルドが、緩んだ顔で遠くを見つめて語り始めた。


「独身魔物マニアが見たら、地団駄を踏んで悔しがりそうですが」


 アリアリアは自分の主のことを想像して言っているのだろう。

 こんな状況だというのに誰一人として緊張もしていない。普段通りの面々。

 本当に頼りがいのある仲間たちだ。


「レオンドルド、クヨリ、アリアリア、ログリウル団長」


 そんな仲間の名を口にする。

 少し驚いた顔でこちらを見つめる面々。


「どうした、真剣な顔で」

「熱でもあるのか?」

「薬はいくつか常備しています」

「真の名を呼ばれたのは数百年ぶりである」


 全員の視線が俺に集まっているのを確認してから、小さく息を吐いて大きく吸う。


「今まで本当にありがとうございました。皆さんに出会えて幸せでしたよ」


 ずっと心に秘めていた感謝の言葉が素直に口から出た。

 仲間たちは顔を見合わせると足を止め、後方で一塊になって何やら話し合っている。


「やっぱ、おかしいぞあいつ」

「電気ショックを与えて正気を取り戻す手もありますが」

「我が一発殴れば元に戻るかもしれぬ」

「劇中にそのような場面があったのを覚えておるぞ」


 思わず『聞き耳』を発動させてしまったが、聞かなかった方がよかった。


「ご安心ください、正気ですよ」


 拳を振り上げた状態で距離を縮めてくるクヨリに先手を打つ。


「ならば、おかしなことを口にするな。……今生の別れ……のようではないか」


 拳を下ろして俯くクヨリ。

 実際そのつもりで口にした。姉との戦いで生き延びる確率は低いとみている。

 やるべきことはやったと自負しているが、それでも勝利を収めて生き残るのは不可能に近い。

 良くて相打ち……最悪でも彼女に痛手を与えて力をそぎ落とす。そう心に決めていた。

 秘策はある。が、上手くいくかどうかはわからない。故に安易なことを口にはできない。


「すみませんでした。必ず、皆さんと一緒に勝利の祝杯を挙げましょう」


 ――嘘を吐いた。


 いや、本心が口からこぼれた。

 心からそうあって欲しいと望む未来。

 回収屋としての一世一代の大勝負。必ず勝利を買い取ってみせる!


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