魔物愛護団体
この世界には魔物が住み着いている危険な場所が点在している。便宜上、魔境と呼ばれている一帯の近くには、必ずと言っていいほど町や村が存在していた。
そして、そこには決まって屈強な男たち――冒険者が多く住み着いている。
理由は単純明快で、魔物を放置すれば近隣へ悪影響を与えてしまうからだ。
だから、その魔物の数を少しでも減らすため、魔物を退治できる人材を集めなければならない。なので、国は魔物を討伐した者には褒賞を与えると流布する。
となると拠点が必要となり、冒険者の集う場所が各地に点在するようになった、という訳。
「ここに来るのは三年ぶりでしょうか」
以前は行商で訪れたのだが、今日の目的は別にある。
拠点としている町で妙な噂を耳にしたからだ。
この町には「魔物愛護団体がある」と。
本来なら聞き流す程度の下らない噂でしかないのだが、その場に居合わせた魔物好きで、一部の界隈では魔物学者として名を馳せているセラピーが食いついた。
「その話、詳しく聞かせてください!」
丸い縁の眼鏡を人差し指でくいっと押し上げ、断りもなく私の隣に座ると、ワンピースの上からでもわかる豊かな胸部を押しつけながら迫ってくる。
健全な男性なら鼻の一つも伸びる場面なのだろうが、冷静に興奮状態の彼女を押し返して、噂話の続きを聞くことになった。
結果、町にまで彼女が同行することになり今に至る。
「んー、アリアリアがいないと解放感が半端ない! いつもより空気も美味しい気がします!」
セラピーは隣で大きく両腕を伸ばして、深呼吸を繰り返している。
彼女とオートマタのアリアリアは常に一緒だったので、単独行動をするセラピーはかなり希少だ。
「アリアリアさんは私の頼み事を優先してやってくれていますので、今回は別行動ですね。大丈夫ですか?」
口うるさいが常にセラピーの面倒を見ているアリアリアがいないと、少し心配になる。……俺に彼女が制御できるのかと。
「ああ、だから断られたのかー。一緒に行く? って訊いたら『ぷっ、いい大人が一人でお出かけもできないのでちゅか?』と煽られたのはいつものことなのですが、本当についてこないなんて変だなとは思ったんですよ」
いつも煽られることに疑問はないのか。
一見、仲が悪いように見える彼女たちのやり取りも、実は互いに信頼し合っているのが伝わってくる。当人たちは絶対に認めないが。
「それにー、回収屋さんと二人で旅行なんて……婚前旅行みたいだしぃ」
俯いて小声で呟いている言葉が丸聞こえだが、聞こえないふりをしておく。
この世界での結婚適齢期をとうに過ぎている彼女は焦っているようで、配偶者候補として俺も標的の一人らしい。
化粧っ気はないが顔立ちは悪くない。胸が大きいのを好む男性も多い。性格はおっとりしているが、良く言えば穏やか。モテる条件は整っているはずなのだが、男性が若干苦手で知らない相手とはまともな会話が成立しにくい。
俺は商売上、他者との会話に慣れているので話題の提供も聞き役もお手の物。セラピーにとってはかなり話しやすい相手だそうだ。
「この町はいつ来ても活気がありますね」
妄想の世界にどっぷり浸かっているセラピーを呼び戻す為に、少し大きな声で話しかける。
「二人で宿に泊まって、お酒なんて飲んじゃったりして、そのまま……えっ、じゅるっ、あっはい」
はっと我に返ったセラピーが辺りを見回している。
拠点としているクヤトワの町と同じぐらい発展した町並みで、人口も杭の国で二番目に多い。
クヤトワを参考にして作られた町なので似ていて当然で、馬車に乗れば丸一日程度で着く距離。
ただ、クヤトワと大きな違いが一つある。それは行き交う人々。
武器をぶら下げ防具を身にまとった人を頻繁に見かけるのだ。
ここは杭の国南西部の国境線沿いに位置する町で、南西には漁村ミゲラシビ。北には巨大な未開拓地が存在している。
凶悪な魔物が闊歩している未開拓地の影響か、国境沿いには魔物が多く存在し、魔物討伐を生業としている冒険者たちにとって稼ぎ場の一つとなっていた。
「やっぱり冒険者が多いですねー。以前、ここで雇った冒険者と一緒に魔物見学に向かったことがあって。本当は未開拓地まで行きたかったのに、誰も引き受けてくれなかったのですよ」
当時を思い出したのか、セラピーが頬を膨らまして不満を口にしている。
「それは当然かと」
未開拓地に足を踏み入れて無事に帰ってきた者は少ない。
俺ですら奥地まで進んで無事にすむ保証がない。それほどの魔境と化している危険地帯。
一介の冒険者程度では死体すら残らないだろう。
「さて、取りあえず宿でも取りましょうか。目的の場所には明日向かうとしましょう」
「そうですね。お腹空きましたー」
アリアリア曰く、最近たるんで膨らんできたお腹をさすって空腹をアピールするセラピー。
手頃な価格で店の雰囲気も悪くない食堂に案内して、そこで思う存分、魚介料理を楽しんだ。
「おはようごひゃいまふぅ」
寝癖でぼさぼさの髪をゴムの髪留めで縛り、大あくびを上げながら宿屋一階の食堂に降りてきたセラピー。
眼鏡が傾いていて、服も着崩れしていて肩が見えている。
本来ならアリアリアが悪態を吐きながらセラピーの身だしなみを整えるのだが、いないとこうなるのか。
「よく眠れましたか?」
「ちょっとねふひょくでふー。……ずっと待っていたのに来なかったしぃ」
彼女とはもちろん別々の部屋を取ったのだが、どうやら深夜に俺が夜這いにやって来ると想定していたようで、朝方まで起きていたのは『気配察知』で知っていた。
「朝ご飯を食べたら目的の場所に向かいますよ」
「はっ、はい! わっかりました!」
セラピーは背筋がピンと伸びて表情がキリッと引き締まる。
魔物が絡むと一変するのは扱いやすくて助かるな。
既に頼んでおいた料理が運ばれると、セラピーは凄まじい勢いで搔き込んでいる。
「慌てなくていいですよ。相手は逃げませんから」
「す、すひょひでもはひゃく、はなひほ、ひひたひのふぇ!」
ちゃんと呑み込んでから話して欲しい。
口から飛び散る無数の食べかすをナイフで叩き落としながら、小さく息を吐く。
「んぐっ! で、でも、魔物愛護団体ですか。どんなことをしているのか楽しみですよ」
「そう、ですね」
相づちを打ちながらも、彼女ほど楽観視はしていない。
事前にいくつか情報を得ているのだが、詳しい話は聞かせずにここまで来た。
楽しみを奪うのも悪いと思ったのが半分、もう半分は前情報のない真っ白な状態で対応して、忌憚のない意見を聞かせて欲しかったからだ。
「藪を突いて蛇が出るか魔物が出るか」
事前に調べていた住所通りの場所に向かう。
この町でも富裕層が集まる一角に、目的の建物があった。
外壁はすべて純白に塗られた、四角く巨大な建物。泊まっている宿屋が四軒はすっぽり入るぐらいの大きさだ。
「ふわー、おっきいですねー。見た目は真四角でシンプルですけど」
「そうですね。白いペンキを全体的に塗っているだけで、石造りのようです」
壁を軽く小突いてみると、かなり厚さがある壁であることがわかった。
建物の入り口には両開きの扉があり、その脇に二人の門番らしき男が立っている。
皮鎧と手には槍。腰には剣を携帯したよくある門番の装備。
門番の表情はにこやかで、常に笑みが張り付いている。
俺たちはその二人に歩み寄ると、こちらも笑顔を浮かべて話しかけた。
「こんにちは。こちらが魔物愛護団体の建物で間違いないでしょうか?」
「はい、そうですよ。何かご用でしょうか?」
穏やかな物言いだが、一瞬で表情が引き締まり、目つきが鋭くなった。
この門番、二人ともかなり腕が立つ。身のこなしもそうだが戦闘系のスキルをいくつか確認できた。
「噂を耳にして前々から気になっていまして。私も共感できることが多く、詳しい話を訊かせてもらえないかと思ったのですが」
そう切り出すと門番は破顔して、満面の笑みを浮かべると扉を開いた。
「そうでしたか、中へどうぞ。我々は同志を歓迎します」
あっさりと中に入る許可を得られた。
俺の交渉系スキルの影響もあるが、行商人風の格好と暢気そうな女性という組み合わせが、相手の警戒心を大きく削いでくれたのだろう。
促されるままに中へと足を踏み入れる。
中は大広間になっていて、奥にはカウンターと二階へと繋がる階段が見えた。
外観と同じく白一色の飾りっ気のない室内。窓際に椅子と机も置かれているが、高級な物ではなくごく一般的な値段で買える物ばかりだ。
セラピーは好奇心を抑えきれないのか、興味深げに辺りをキョロキョロと見回している。
カウンターの向こう側に受付らしき人物がいるので、彼女に近づく。
「すみません、ここの活動について詳しく教えて欲しいのですが。内容によっては、いくらか寄付をしたいと思っているのですが」
門番と同じような笑顔を貼り付けて対応していた受付嬢の表情が、一瞬鋭い目つきになったが即座に元に戻った。
「ありがとうございます。では、魔物愛護団体を立ち上げた目的と使命について――」
「あー、それは私が直接話そう」
大きく通る声に振り返ると、階段を降りてくる男と目が合った。
頭頂部の髪は薄く、脂ぎった肌に立派な口髭を蓄えた、小太りの男が俺たちの方へと歩み寄ってくる。
着ている服は一見、素朴に見えるが、あれはかなり質の良い高価な品だ。
「このお方は魔物愛護団体の代表者である、ダリル様です」
緊張した面持ちでダリルの説明を口にする受付嬢。
「様付けはやめてくださいと言ってるじゃないですか。志を同じくする者同士、上下関係はありませんよ」
「す、すみません」
「ほら、もっと肩の力を抜いて」
ダリルが受付嬢の肩に軽く手を添えると、びくりと体を縦に揺らしている。
「あっと、すみません。一応、ここの代表をやらしてもらっています。詳しいお話は応接室の方で」
カウンターから小走りで出てきた受付嬢に先導されて二階へ上り、一番奥の部屋へと促された。
その部屋には長机とソファーが二台。一見、簡素なデザインの量産品に見えるが、『鑑定』が物の価値を一発で見抜く。
かなりの高級品だ。このソファー一つで一般的な市民が一年間働いた給金を軽く超える。窓際に置かれた花瓶なんてその三倍はするぞ。
「我々は魔物を守り、彼らの生活を脅かさずに共存することが目的です。人を殺す危険な魔物は存在します。ですが、そもそも魔物が住んでいた場所を開拓して追い払ったのは我々人間なのです。後からやって来て、住む場所を奪っておきながら抵抗されたら殺すなんて……野蛮ではないですか!」
身振り手振りを交えながら熱く語るダリル。
隣に座っているセラピーは大きく頷いている。
そんな彼女の反応に気を良くしたのか、ダリルの話しぶりにますます熱が入っていき、声が大きくなっていく。
「――とういうわけで、我々は魔物と共存することを望んでいます」
活動内容についての話は終わったようだ。
要約すると、人間が悪い、魔物は被害者。だから、駆除するのは悪。魔物が住む環境を整備して、そこに人が立ち寄らなければいい。人を食べないように、魔物が住む一帯に餌になる食べ物を持ち込んでばら撒いたり、魔物が好きな果実が実る樹を植栽している……という、話の流れだった。
「その為には土地を買い取り整備するお金が必要なのです。そこで我が団体は寄付を募っています」
と言いながらチラリチラリと何度も俺に視線を送っている。
「なるほど、そのように崇高な目的があるのですね。ちなみにセラピーさん、魔物との共存というのは実際の話、可能なのでしょうか?」
隣で熱心に聞き入っていた彼女に話を振ると、眼鏡を人差し指でくいっと押し上げてきっぱりと言い放った。
「無理ですよ」
「えっ?」
大口を開けて唖然とした顔でセラピーを凝視するダリル。
さっきまで自分たち側のような態度だった彼女が、あっさりと掌を返したことに心底驚いたようだ。
「正確には一部の知能が高い魔物や穏やかな気質の魔物とは共存可能ですが、凶暴で知能が低い魔物や、人間を食べる魔物との共存は難しいですね。一部の魔物との共存は可能ですが、すべての魔物となんて無理無理」
セラピーは鼻で笑うと、手を左右に振って肩をすくめた。
魔物マニアであっても、正しい判断を下せるという点だけは信頼している。
「い、いやいや! 相手のことを知らずに初めから諦めるのはよくないですよ。我々は著名な学者や冒険者から情報を得て、その資料を参考にして――」
「その学者って誰ですか? 学者と冒険者の名前も教えてください。魔物学を嗜んでいる方なら一通り知ってますし。あっ、参考にした資料も見せてください。冒険者も有名な人なら回収屋さんは知ってますよね?」
「はい。商売上、冒険者の方々にはよくしてもらっていますので、ベテランから期待の新人まで把握していますよ」
大きく頷き同意する。
「あの、そのですね。ええーと、大事な資料なので別の場所に保管していまして。取り寄せるのに少々時間が……」
「あっ、時間なら大丈夫ですよ。しばらくこの町周辺の魔物を調べる予定なので、いくらでも待ちます!」
「私もしばらくはここで商売をする予定なので、ご心配なく」
即座に逃げ道を塞いでみた。
ちなみに俺はわかった上での行動だが、セラピーに他意はない。純粋な好奇心による申し出であって、相手を追い詰める意図は全くない。
ダリルは『話術』『詐欺』のスキルを使って、なんとか話を逸らして誤魔化そうとしているが、中途半端な知識で得た情報では、セラピーも俺も論破することは不可能。
逃げ場を失い、語彙も尽きたのか、セラピーの語る魔物についての知識をただ黙って聞いているダリル。
そろそろ、かな。
「――というわけで、この魔物と共存するならまずは水場と餌になる新鮮な動物」
「ええい、うるさい! 黙れ、黙れ!」
ダリルは勢いよく立ち上がると、紅潮した顔面に血走った目で話し続けているセラピーを睨み、震える指を突きつける。
「なんなんだ、お前は! 俺の商売の邪魔をしに来たのか!」
「商売? これは慈善活動ですよね?」
怒られている意味がわからず、小首を傾げているセラピー。
「今更、とぼけやがって! 自称心優しき偽善者から容易に金を集められる、楽で美味しい商売の邪魔をしたいのだろ! あいつらも良いことをしたという満足感に浸れて、俺たちは懐が潤う! どっちも万々歳じゃねえか! そうか、あんたら……我々を脅して金を強請る気か!」
べらべらと自分の罪状を暴露してくれている。
「実際に活動はしていなかったのですか?」
「はっ、するわけがないだろ。安全な場所から金と口だけ出して満足している輩ばっかだ。魔物たちが跋扈する危険地帯へ見学に来る勇気もねえから、活動なんてやらなくてもバレることはねえ!」
なるほど、よく考えられた仕組みだ。
可愛らしい見た目の魔物に対して愛情がある人や過度な博愛主義者、そういう人たちを騙して金儲けを企む。そんな連中も存在するのが現実。
善行を掲げている団体の主張が本心だとは限らない。このように善良な人々を騙すための建前に過ぎない場合もあるのだ。
もちろん、弱い者の為に資産を投げ打って活動している団体も存在はする。
だけど、人の優しさは――金になる。……悲しいことに。
「えっと、回収屋さん。この人、何を言っているのですか?」
「つまりですね、魔物との共存なんてこれっぽっちも考えてなくて、魔物に同情する人の善意につけ込んで、騙して金を巻き上げて稼いでいた詐欺集団ってことですよ」
そもそも、俺がこの町に来た理由はとある情報を掴んでいたからだ。
『魔物愛護団体を名乗る詐欺集団が暗躍しているとの情報があってなぁ。まあ、普通の詐欺ならまだよかったんやけど、どうやら――』
と情報屋のマエキルから話を訊いていた。
「ダリルさん、それだけじゃないですよね? バックにいる独裁国ダケシウのことも調べはついているのですよ」
そう、詐欺は本来の目的を覆い隠すためでしかなく、魔物を繁殖させるのが本命。
これもいくつかある、策略の一つでしかないが潰しておくに越したことはない。
気の長い回りくどい手だが、人の心を弄ぶ……如何にも姉が好きそうな策だ。
「な、何を言っているのだ! そっちこそわけのわからないことを言って、とぼけるんじゃない!」
おや、予想外の反応が返ってきた。
これは芝居でも嘘でもないと『心理学』が答えを導き出す。
となると、ダリルは詐欺の自覚はあってもダケシウとの繋がりは知らなかったということになる。
憤る男を前に当初の予定が崩れたので、どうしようか迷っていると扉が勢いよく開かれ、武装した兵士と――受付嬢がなだれ込んできた。
「まさかと思ってましたが、貴方があの回収屋ですか。あの方の邪魔をする者は許さない!」
髪を振り乱し、感情をむき出しにして叫ぶ受付嬢。
なるほど、姉の配下は受付嬢の方で、ダリルは操られていた傀儡でしかなかったと。
「この者たちを殺しなさい。その男も用済みよ」
受付嬢の指示に従い、兵士たちが一斉に襲いかかってきたので、戦闘用スキルに入れ替えてあっさりと撃退した。
並の冒険者なら勝てない相手だが、無数のスキルを操り、チャンピオンや数々の猛者と渡り歩いてきた俺の敵ではない。
情報を聞き出すことも考えたが姉のことだ、自分に繋がるような情報は与えてないだろう。
姉に利用されていた詐欺集団が少し哀れではあるが、騙していたはずの連中が騙されていただけの話。
「あ、あの、あの。結局なんだったんですか⁉」
床に横たわる人たちを怯えた目で見つめているセラピー。
なし崩し的に巻き込まれただけなので、未だに状況が掴めていないようだ。
魔物愛護団体、か。
善意につけ込んで耳に心地よい言葉で惑わし、金品を搾り取り、骨までしゃぶり尽くす。
「人間を食い物にするのは魔物だけではなかった、ということです」