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朽ち果てそうな修道院で

 漁村ミゲラシビへと続く街道「塩の道」から離れ、山道を進んでいる。

 この周辺には大きな町はなく、小さな村がぽつぽつと点在している程度。普通の商売人なら近づくことのない地域なのだが、回収屋である俺には関係ない。

 人口の多さも重要だが、優秀なスキルはこういった僻地で隠居している者が、所有している可能性が高い。


 魔物も多く、治安、環境も悪い。厳しい生活を強いられる場所で暮らす人々はたくましい。

 故にスキル所有者も多い。生き抜くために覚えたのか、それともスキルを持つ者だけが生き残り繁栄した結果なのか。

 どちらにせよ、友人の無能者を除けば、大概の人は有益なスキルを所有している。


「霧が濃いですね」


 馬車がギリギリ通れる幅しかない道を進んでいるが、かなり視界が悪い。

 時刻は夕方。背の高い木々に囲まれていることに加えて、この霧。まだ日が落ちていない時刻だというのに辺りは薄暗く、肌寒い。

 立ちこめる濃い霧の水分がじわじわと服に染みこみ、不快感が増していく。

 引き返すことも考えたが、脇道に入ってからかなりの時間が経過している。


「今更ですし、進みますか」


 野宿を覚悟する必要がありそうだ。

 夜間も休まずに歩き続ける、という手もあるが……やめておこう。

 朝に起きて夜に寝る。毎日三食。

 当たり前のことを当たり前にする。人から外れた力を複数も得ているからこそ、人としての常識を忘れないようにしたい。


 そんなことを考えている内に完全に日が落ちた。

 ランタンを取り出し灯りを付ける。

 頼りない光が周囲を照らす。ないよりはマシだが、精々見える範囲は数歩先ぐらいまで。


「おっと、雨ですか」


 踏んだり蹴ったりとはこのことだ。

 野宿をするにしても、せめて雨風を凌げる場所はないかと足早に道を進むと、周囲の景色が変わってきた。

 視界の先にあった木々が消え、開拓された場所に出たようだ。

 道の両脇にあるのは石の……墓。このような人里離れた場所だというのに、異様なほど墓石が並んでいる。その数は少なく見積もっても百以上。


 時折鳴り響く稲光で、一瞬だが墓場が照らされる。

 誰も手入れをしておらず、汚れや苔や蔦が張り付き、墓石に刻まれている文字は辛うじて読めるものがいくつかある程度。

 側面には亡くなった日が記載されているが、同じ日に亡くなった人が大半のようだ。

 何か大きな災害に遭遇したか、盗賊や魔物に襲われたのかもしれない。


「おや、こちらの墓は違いますね」


 墓場の片隅にある墓石は他と比べて作りが新しい。苔や蔦もなく、墓石が欠けていることもない。

 同じように側面を見ると、一年前の年号が刻まれていた。

 少し気になり周辺を確認すると、ここ十年以内に亡くなった人のようだ。


「このような場所にわざわざ埋葬するものでしょうか」


 近くに村や集落はない。

 この場所に至る道は俺が歩いてきた一本だけ。


「妙ですね」

「先祖の方々が眠っている場所なので。ここに埋葬して欲しいという方も多いのですよ」


 俺の独り言に対して答える声。

 ゆっくりと背後に振り返ると、そこには黒い修道服を着た女性が一人佇んでいた。

 気配は一切感じなかった。だというのに、まるで今そこに現れたかのように修道女が現れ、柔和な笑みを浮かべている。

 手にランタンをぶら下げているので、相手の姿は確認できた。


 よく知る修道服よりも黒の割合が多い。光量の弱いランタンのせいか、その黒が闇夜に溶け込んでいるかのような漆黒に見えた。

 相手の顔は目深に被ったフードのせいで口元しか見えない。

 口紅を塗っているわけではないようだが、かなり血色がいいのか、真っ赤な唇が闇に映える。


「このような夜分にどうなされたのですか? もしや、道に迷いましたか。行商人をされているようですが」


 バックパックを背負った俺の格好から、そう判断したのだろう。


「ええ、まあ。好奇心で山道に入るべきではありませんでした」


 恥ずかしそうに頭を掻く。


「それはそれは、難儀でしたね。よろしければ、修道院の離れにある小屋をお使いください。この辺りは魔物も出ますので、夜の一人歩きは危険ですよ」


 穏やかな話し口で悪い印象はない。

 だが、夜の墓場に修道女が一人。違和感は拭えないが宿を貸してもらえるのは正直ありがたい申し出だ。


「お言葉に甘えさせてもらいます。私は……回収屋とでもお呼びください」

「回収屋様ですか。変わった呼称ですね、わかりました。そうそう。修道院は男子禁制ですので、申し訳ありませんが中には入らないようにしてください」

「わかりました」


 異性の立ち入りを禁じている修道院は珍しくない。男子修道院、女子修道院が存在し、どちらも貞操を守り、異性との接触を拒んでいる。

 俺のよく知る神父もそうだが、結婚相手にのみ体を捧げることが許されているので、表向きは初めての相手が結婚相手となっているのだが……まあ、そこは深く追求しないでおこう。

 敬虔な者もいれば、そうでない者もいる。人が増えれば統率は乱れるものだ。

 歩み始めた修道女の後を追う直前に、もう一度墓場に目をやる。


 すると一つ奇妙な墓を目にした。真新しい墓に刻まれている文字に思わず目を見張るが、瞬きをしてから早足でその場を去った。

 足音を一切立てずに修道女が地面を滑るような動きで歩いている。その後ろを黙ってついていく。

 墓場を抜けしばらく進むと、古ぼけた修道院が見えてきた。

 修道院にしては珍しく壁が黒く塗られ、屋根は濁った赤。このような場所にあるというのに中々の規模だ。大きめの屋敷程度はあり、これなら修道女が数十人いても生活が可能だろう。


「では、そちらの小屋をご自由にお使いください」


 すっと左腕を伸ばした先にあるのは小さな丸太小屋。

 簡素な外観だが、墓や修道院と比べると古さを感じない。一晩の宿としては充分すぎる。


「ありがとうございます」

「では、ぐっすりと……おやすみください」


 頭を下げてお礼の言葉を口にする。

 顔を上げると、そこに修道女の姿はなかった。






 小屋の中は思っていた以上に掃除が行き届いていて、清潔に保たれている。

 家具はベッド、机と椅子、クローゼットがあるだけだが、一泊するだけならなんの問題もない。

 机の上に置かれているランタンに火を灯し、手にしていたランタンの火を消す。

 仄かな灯りが室内を照らす。

 所有していたランタンより光量が弱いようで、狭い室内だというのに灯りが隅まで届いていない。


「これはこれで趣があっていいですね」


 コンコンコン、と窓に何かがぶつかる音がしたので目をやると、窓ガラスに無数の雨粒が当たっては弾けている。

 さっきよりも雨風が勢いを増している。雷鳴も頻繁に轟くようになってきた。この状態で外を出歩くのは止めた方がいい。


「今日は早めに寝るとしますか」


 特にやることもないのでバックパックから携帯食料を取り出し、遅めの夕食を食べ終えるとランタンの灯りを消して、ベッドに入った。

 予想外に弾力のあるマットが敷かれていて、シーツも洗い立てなのか肌触りがいい。


「これは嬉しい誤算ですね。よく眠れそうだ」


 目蓋を閉じて、大きく安堵の息を吐いた。






 コンコンコン、と音がする。

 また雨が窓にぶつかっているのかと薄目を開けて確認すると、雨は完全に止んでいた。

 だというのにまた、コンコンコン、と何かが当たる音が窓の方から流れてくる。

 無視して眠ってもいいが、一定間隔で途切れない音が気になってしまう。

 上半身を起こして窓へ目を凝らすと、一瞬だが窓の外を通る人影を目撃した。


 黒い修道服。


 窓際に駆け寄ると、その背が修道院の中へと消えていった。

 見上げた夜空の星の配置からして、今は深夜。こんな時間帯に何をしているのか。


「不用心ですね」


 修道院の扉は開けっぱなしで、誰も閉めにくる気配がない。

 魔物が徘徊している地域で無防備極まりない状況。魔物が入り込めば大惨事になる。


 「仕方ない」


 外套を手に取って、外へと踏み出す。

 雨は降ってないが湿気が多く、若干の不快感がある。

 足早に修道院の入り口まで駆け寄ると、両開きの扉の片側に手を添えた。

 すると、当たり前だが視界に修道院の中の様子が見える。

 男子禁制だが好奇心が勝り、覗き見ぐらいは許されるだろうと室内を見回す。


「ここは礼拝堂ですか」


 入り口から真っ直ぐ進んだ先には巨大なステンドグラスがあり、その前に神の像が設置されている。

 ステンドグラスから射す星明かりに映し出される姿は幻想的なのだが、その造形に思わず眉をひそめた。

 普通は創造神の像か信仰する対象である、女神イウズワか女神ハワシウの像があるはずなのだが、そのどちらでもあり、どちらでもない。

 創造神らしき男性に絡みつくように身を寄せる二人の女神。イウズワとハワシウ。それだけなら、宗教画でも見たことのある構図なのだが、大きく異なる点がある。


 両女神は手に短剣を握っている。それも嫉妬で歪んだ醜い表情を浮かべ、今にもその凶刃を創造神に突き刺さすのではないかと錯覚させるほどに、臨場感と迫力を見事に表現していた。

 芸術性の高い像ではあるが修道院に設置するような物ではない。それは敬虔な信者でなくとも理解できる。

 とはいえ、宗教には様々に枝分かれした宗派が存在する。こういった少し過激な宗派も存在するのだろう。

 面倒事には関わらない方がいいと判断して見なかったことにする。

 再び扉を閉めようとした直後に「きゃああああああああっ‼」という甲高い悲鳴が奥の方から響いてきた。


「これは流石に見過ごせませんね」


 躊躇うことなく修道院の中へ足を踏み入れ、音のした方へと駈けていく。

 背後でバタンと強めの音がしたので振り返ると、強風でも吹いたのか扉が閉じられていた。

 礼拝堂奥の扉を開けると、そこは長い廊下に繋がっていたのだが、このような深夜にもかかわらず壁際の燭台に置かれたろうそくが燃えている。

 それも一つや二つではない。何十ものろうそくの明かりが廊下の先まで連なっていた。まるで……俺を導くかのように。

 とはいえ迷っている時間も惜しいので、前へ前へと進んでいく。

 耳を澄ましてみると、悲鳴が聞こえた方向から今度はすすり泣く女性の声が微かに届いてきた。


「あ、あああ、なぜ、なぜ……」


 悲哀に満ちた声。

 繰り返し呟く声にギシギシと異音が交ざっているのは、爪で何かを削っているのか。


「大丈夫ですか? 悲鳴が聞こえたので」


 廊下の奥へ向けて大声で呼びかける。

 返事はなく、静まりかえった沈黙が代わりに答えた。

 出血して錯乱している可能性も考慮して、早足から速度を上げて駆け出すと、廊下のろうそくが一斉に消える。

 突如光を失い廊下が黒に染まった。

 突然の出来事に足が止まる。


 廊下には窓が一つもないので完全な闇に包まれていて、目を凝らしたところで本来なら何も見えない。

 すると、何の前触れもなく一番近くにあったろうそくが再燃する。

 光が照らしだしたのは、目の前にいる漆黒の修道服をまとった女性。

 何の気配もなく突如現れた修道女。

 鼻先まで覆っていた頭巾をゆっくりと持ち上げると、その顔が露わになる。

 血走った目にただれた皮膚。唇周辺の肉は失われていて歯がむき出しだ。


「ギシャアアアアアア!」


 大口を開けて奇声を発する修道女。

 そして爪が異様に伸びた両手が俺の首を掴もうとしてきたので……軽く払う。

 両手を弾かれた修道女は血走った目を限界まで見開くと、驚いた顔で呆然と俺を見つめている。


「ところで、何故、廊下の床から飛び出してきたのですか?」


 さっき、目の前の床に穴が開いて、そこから修道女が出てきたことを指摘すると、相手は驚愕の表情で後退っている。


「……見えていたの? 真っ暗なのに?」

「ああ、すみません。『夜目』をレベル20で発動しているので」


 真っ黒な修道服が闇夜に溶け込んで見えにくかったので、小屋を出る前から『夜目』を発動していた。


「それじゃあ、ずっと真夏のサンビーチ並みに煌々と明るく丸見えだったの?」

「ええ、まあ」

「そんなの全然怖くないでしょ! あんた、ホラーの楽しみ方理解してる⁉」


 修道女が詰め寄ってくると、指先で俺の胸を何度も突いてきた。

 その顔で怒ると中々の迫力だ。


「と、仰られても。そもそも、なんなのですかここは。貴方も謎ですが、ただの修道院ではないですよね」


 普通の修道院は床に開閉自在の穴は仕込んでないし、点火消灯を自在にできるろうそくなんて所有していない。

 それに修道院の壁や床の材質は一見、石や木に見えるがそう見せかけているだけで違う物質だ。


「はあー、久しぶりのお客さんなのにリアクション薄くてムカつく」


 修道女が肩を落として床を蹴っている。どうやらいじけているようだ。


「お客さん、ですか?」

「そうよ。ここはホラー体験が楽しめるお化け屋敷なんだから」

「お化け屋敷? 確かにお化けが出そうな感じではありますが」


 幽霊が出る条件は整っている場所だとは思う。


「違う違う。娯楽として怖い体験が出来る施設のこと。ここは大昔に古代人が作った恐怖を体験して楽しむ施設。お化け屋敷なの」

「恐怖を……楽しむ?」


 言葉の意味はわかるが理解不能。

 なぜ、わざわざ恐怖を体験するのか。それも恐怖を楽しむ、という発想なんて思いつきもしない。


「それに、古代人ということは……貴方はオートマタですか」


 さっきから『鑑定』をしてもスキルが見えなかったのも、知り合いのオートマタ、アリアリアと同じく、古代人の技術で封じられていたとなれば納得もいく。


「あら、物知りじゃない。そうよ、私はホリホリホ。ホラー部門担当のオートマタよ」


 その顔で微笑まれても反応に困る。


「ここはね古代人がスリルを楽しむために作ったの。非日常のホラー体験って結構気分転換になるのよ。あと大声で叫ぶとストレス発散にもなるし」

「そういうものなのですか」

「そういうものなの。人って怯えながらも本能的に恐怖に惹きつけられるらしいよ。だから、怖い怖いと言いながらも自ら足を運ぶ。我々オートマタからすれば滑稽に見えるけど……ちょっと羨ましい」


 何か思うところがあるのか、腕を組んで遠い目で天井を見つめている。

 姿が姿なだけに悪巧みをしているようにしか見えないが。


「つまり、話をまとめるとここは古代人の娯楽施設で、貴方は管理人兼、従業員のような立場だと」

「正解。退屈な日常にちょっとしたスパイスを。ってのがキャッチフレーズよ。今もたまに迷い込んだ人をこうやって脅かしてあげているの。あ、もちろん相手に応じて恐怖のレベルは調整しているからね。子供相手だとちょっと脅かす程度だし、あんたみたいな何事にも動じなさそうなのには、最大級のおもてなしをしているの。くっくっくっくっ」


 含み笑いを漏らしながら嬉しそうに語るホリホリホ。


「でも、全然怖がらなかったから欲求不満なんだけど、ね」

「申し訳ありません。恐怖にも死体にもアンデッドにもある程度は慣れていますので」


 幼い頃だったら失禁どころか気絶していただろう。

 それぐらい迫力のある演出だったと思う。だが、残念ながらそういった感情は遠い昔に置いてきたので、相手が満足するような反応が出来なかった。


「アンデッドよりも生きている人間の方が怖いですしね」

「そういうものなの?」

「そういうものです」


 実際、アンデッドの群れより姉一人の方が遙かに怖い。


「もしかして、墓場にあった『回収屋』と名前が刻まれた墓も演出の一つだったのですか?」

「うん。ほら、直前にあんたが名乗ったでしょ。普通は本名を教えてもらって刻むのだけど、まさか回収屋なんて……やっぱ、違和感あったよね?」


 俺は黙って頷く。

 あれが本名なら少しは恐怖を覚えた可能性もあったが、回収屋と彫られていたので思わず首を傾げそうになった。


「ここって頻繁に人が訪れるのですか?」

「全然。一年に一人来たらいいぐらいかなー。久々のお客さんだったのにぃ」


 そんな恨みがましい目で見られても……見た目からして似合いすぎているけど。


「また、数年は暇になりそうー。誰か大量のお客さん連れてきてくれないかしら。そうしたらお礼に遺物をいくつか渡してもいいのに」

「その話を詳しく」


 今、聞き捨てならない言葉があった。

 ぐいっと迫ると、ホリホリホが後退る。


「え、ええと。このお化け屋敷って謎解き要素もあってクリアした人にはプレゼントを渡す決まりになっているんだけど、ほとんどの人が途中で逃げちゃってプレゼント用の遺物が大量に余っているの。だから――」

 





「回収屋よ。新たな演目を思いついたのだが、どうだろうか。率直な意見を求めておる」


 いつもの宿屋一階のいつもの席に座っていると、魔王団長が対面に座り、問答無用で脚本を机に置く。

 ざっと目を通してみると、今までとは一風違った演劇のようだ。


「これって恐怖を題材にしていますよね?」

「うむ、その通りだ。夏場は恐怖体験を求める民衆が多いようでな。小説家も最近ブームのホラー小説を学んでいるようなので、需要と供給が一致したのだ。ただ、我々悪魔は恐怖を与えることには長けているのだが、どうやら悪魔の求める恐怖と一般大衆が求める恐怖は異なるようでな」


 確かに。悪魔の恐怖はもっと人の心を抉るような苦悩や、肉体的な拷問といったものなので、演劇の題材としては適していない。

 もっと、見ている人が純粋に驚き叫ぶような……恐怖……体験……を。


「一つ、いい場所を知っていますよ。劇団の皆さんや小説家さんも連れて、合宿にいくのはどうですか?」


 この後、俺の提案に乗った魔王団長は、皆を引き連れてお化け屋敷を訪れた。

 結果、劇団員や小説家やチェイリに俺は酷く恨まれることになる。

 やはり、幽霊やお化け屋敷よりも生きている人間の方が……怖いなと実感させられた。


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