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文豪への道

 家々の屋根から太陽が少しだけ頭を出す時刻。

 少し遅めの朝食をとるために、宿屋の指定席になりつつある、一階食堂の窓際へ向かっていると、机を挟んだ対面の席に一人の男が座っていた。

 いつもなら仕事の依頼人か知り合いが座っているのだが、今回は後者のようだ。

 何冊もの積み重ねられた本に加えて、読みかけの開かれた状態の本が数冊。かなり集中しているようで、一心不乱にページをめくり時折大きく頷いている。

 前に座っても相手は気づいておらず、視線を上げようともしない。


 こちらからは頭頂と後頭部しか見えないが、対面の人物が誰なのかは一目瞭然。

 服装にこだわりはないらしく、着心地重視で飾り気のない格好を好んで着ている。ボサボサの髪をボリボリと掻きながら、ぶつぶつ呟くのもいつものことだ。

 そして、そんな男から少し離れた位置に立っているのは、髪を後ろに撫でつけるように整髪料で固めた執事。加えて無表情な双子メイドが二人。

 庶民も利用する宿屋の食堂に相応しいとは思えない組み合わせだ。

 ここの常連には見慣れた光景なので、誰もそのことを指摘することもなく食事を楽しんでいる。


「小説家さん」


 無駄だとわかっていながら呼んでみた。

 彼は有名な小説家であり、劇団虚実の脚本家でもあり、この宿屋に長期宿泊している知人の一人だ。

 案の定、俺の呼びかけに反応はなく、ページをめくる音だけが聞こえてくる。


「やはり、無駄でしたか。執事さん、また締め切りに追われているのですか?」


 質問の対象を小説家から執事へと変更する。

 この状態の小説家に訊くよりも話が早くて済む。


「いえ、珍しく今回は余裕があるようです」

「本当に珍しいですね」


 月末になると決まって「ネタが思いつかない!」「編集から逃げる準備をしなくては!」と焦り出す姿ばかりを目の当たりにしてきたので、今回もそのパターンかと思っていたのだが。


「では、何を熱心に……」


 続けて質問を口にしようとしたのだが、小説家が読んでいる本のタイトルに共通点があることに気づいた。


「自伝ばかりですね」


 机の上に積まれている本は俺でも知っているような有名人の自伝ばかり。それも、全員に共通点がある。

 ――文豪と呼ばれる小説家。


「小説の腕を磨くために文豪の人生を追い参考にしたい、とか? それとも、新作の題材にするのでしょうか?」


 誰かに問いかけたわけではなく、少し大きな独り言だったのだが、その言葉に反応したのは小説家だった。

 ガバッと勢いよく顔を上げ、血走った目が俺を見据えている。


「そうなのです! 文豪と呼ばれる諸先輩方の人生に触れ、私も文豪になるべく奮起しようと思いまして! 多くの自伝を読み漁り、私は一つの結論にたどり着いたのです!」


 興奮状態で唾をまき散らし、身振り手振りを踏まえながら大声で語る小説家。

 いつもより感情のこもった熱い語りだ。


「そう、文豪にはクズエピソードが欠かせないと!」


 拳を振り上げ断言する小説家。

 執事と双子のメイドは無表情なまま、小さなため息を吐く。

 何故そんな結論に達したのか個人的にも興味があるので、話の続きを促してみるか。


「名作を書かれた文豪の方々は、人格的にも優れているのではないのですか?」


 俺は読書家という程ではないが、それでも有名作品の大半は読んできた。

 他人の心に触れ、琴線を刺激する小説を書ける人ならば、その人格も推して知るべしだ。


「甘いですね、回収屋さんは。文豪の大半はクズです!」


 小説家や熱心なファンを敵に回すようなことを、なんの躊躇いもなく口にしたぞ。


「そのような印象はないのですが」

「まあ、そうですよね。誤解している方が多いのですが、作品の内容と作者の人間性はまったく関係ない!」


 その言葉に否定しかけたが、目の前にいる小説家を見ていると納得してしまう。

 彼らも俺と同じ気持ちのようで、執事と双子メイドは黙って頷いている。

 彼も数多くの名作を世に送り出しているが、人間性に関しては……かなりの変わり者だとは思う。


「とある有名な文豪は女遊びが激しく、友人や知人に金を借りまくって返さなかったどころか、逆恨みして金を貸した相手に死ね、と言ってみたり」


 いや、いや、さすがにそんな性格破綻者が名作を書けるわけが……。


「別の文豪は多くの女性に手を出しては自殺未遂を何度も繰り返して、心中しては自分だけ生き残ったり」


 作り話にしてももう少し真実味がないと……。


「他にも例をあげたらキリがなく、女性関係が酷い、借金まみれ、これが多くの文豪に共通しているエピソードです! あと、性癖が異常な場合も」

「わかりました、それ以上は結構ですので」


 小説家の話を遮り、一旦黙ってもらった。

 これ以上聞いてしまうと、今後読む予定の名作を素直に楽しめなくなってしまう。


「しかし、文豪のすべてがそういう人ではありませんよね?」

「確かに、人格者の方々も多くいらっしゃいましたよ。ですが、そんな方々がかすむぐらいクズ――」

「はい、それはもういいので」


 また熱く語り始めそうだったので止めに入る。


「しかし、そんな自伝を読んで何か参考になるのですか?」

「もちろんですとも。私は生真面目で約束事を守る、作家として面白味のない人間でした」


 締め切りは守らないのに、と思ったが口には出さない。


「ここは先人たちを見習い、小説家としての殻を破るためにも、もう少し破天荒に生きるべきではないかと愚考したのです!」


 本当の意味で愚かな考えではないかと。


「まずは金遣いを荒くして借金でもしてみようかと思ったのですが、元々物欲がなくて貯金が唸るほどあるので、借金したところで即座に返済可能なのですよ」


 人によっては嫌みに聞こえるが、小説家にそんな意図はない。ただの素直な発言だ。

 実際、かなり裕福で個人の島を持ち、執事にメイド二人を雇い給金もいいらしい。


「なので、性の乱れに挑戦してみようかと」

「はあ」


 心のこもっていない相づちを返す。

 実際、この話をさっさと切り上げて逃げたい、というのが本心だ。

 いっそのこと『隠蔽』を使って逃げるか。

 これ以上、取り留めのない無駄話に付き合う必要性も感じない。

 逃亡を実行に移す直前に両肩を力強く掴まれた。

 ゆっくりと振り返ると、俺の背後に回り込んでいた執事と双子メイドが逃がすまいと、薄い笑みを貼り付けた顔で俺を見つめている。


 その目は「主をなんとかして」と訴えかけていた。

 スキル関連の面倒事なら自ら首を突っ込んでいくこともあるが、こういった話には興味がない。

 だが、宿屋の常連であり、魔王団長の一件でも世話になっている。無下に断るのは可哀想か。


「なので、モテるようなスキルを売ってください」

「お断りします」


 即答した。


「何故に⁉ お金ならいくらでも払いますから」


 懇願されようがしがみ付かれようが、そんな欲望を叶えるためのスキルは売らない。

 小説家ほどではないが貯蓄額はそれなりにあるので、いくら積まれようが断固として拒否する。


「資金は潤沢なのですから、夜遊びでもしてみては?」


 このまま放置していては宿屋の迷惑になるので、こちらから提案してみた。

 あの界隈はお金があればあるほどモテる。


「夜の社交場ですか。その、あのですね、私はこう見えても奥手でして……」


 いい年した大人が指をもじもじさせて照れている。

 そういえば、小説家は未だに独身で浮いた話を聞いたことがない。

 もしかして……文豪をだしにして、ただ単に女性と関わりたいだけなのでは?


「主はずっと独り身で本が恋人といった生活をしてきましたので」


 執事が耳元で呟く。

 予想は当たっていたようだ。


「レオンドルド様とコンギス様のお二人に当てられたようでして」


 執事からの追加情報。

 新婚夫婦と初々しい恋人同士。この二人はこの食堂でのろけ話を口にする機会が増えていた。常連である小説家なら嫌でも目と耳に入ってくるか。

 それで羨ましくなって……という流れが当たりかな。

 これは素直に女性を紹介した方がいいのか、それとも色恋沙汰に希望を失わせて執筆に集中するように促すのが正解なのか。

 判断が難しい。


「未経験でも書くことは可能です。可能なのですが、臨場感が薄れてしまいます。実際に経験したことを踏まえて書く文章と、想像で書く文章。文章力や想像力も絡んできますが、どちらの方にリアリティーを感じるかといえば……やはり、前者なのですよ」


 小説は実際にあった話を書くノンフィクションと、架空の物語を創造するフィクションに分けられる。

 この小説家はフィクションしか書いたことがない。


「いくつか作品を読ませてもらっていますが、登場人物の描写も見事ですよ。一風変わった性格でも無理がないというか、実際にそういう人がいるかのように感じさせてくれますので」

「ああ、それは実在の人物を参考にしているからですよ。人間観察が趣味ですからね」


 常日頃から他人の一挙手一投足を観察して、手帳に何かを書き込んでいたのは知っている。無数の情報が集まり形になって登場人物が形成されるのか。


「もしかして、この宿屋の方々も参考にしています?」

「もちろんです」


 断言した瞬間、宿屋内にいた常連や従業員たちのざわつく声がした。

 みんな、聞き耳を立てていたな。


「もしかして、あの作品のヒロインが私だったり? じゃあ、次の舞台の主役は確定?」

「あのドジで人見知りの子に共感していたのは……あれって……まさか……」

「やはり、あのモテ男は俺だったか」

「あの仲睦まじい夫婦は絶対に俺たちだろ」


 視線を向けなくてもわかる。声からして、チェイリ、スーミレ、レオンドルド、コンギスだ。

 他の常連も自分に都合のいい願望を並べて、好き勝手なことを呟いているな。今後の起用を期待してなのか、手ぐしで髪を整えて姿勢を正している人もちらほらいる。


「では、私も?」

「回収屋さんは興味深い素材ではあるのですが、未だになんというか……人物像が掴めないのですよ」


 眉根を寄せてじっと俺の顔を見つめる小説家。

 取りあえず、戸惑いながらも苦笑いを浮かべているように見える『演技』をしておく。

 望まぬ方向に話がずれそうなので軌道修正をしよう。


「つまり、女性とお付き合いをする体験をして今後の創作活動に繋げたい、という認識でよいでしょうか?」

「確かに担当からは恋愛描写が甘いと指摘されて悩んでいますが、これはあくまで文豪を真似ることで、作品に深みを持たせる実験であって、私が女性と付き合いたいのを誤魔化しているわけではないのですよ!」


 早口でまくし立てるように弁明する小説家。


「そういうことにしておきましょう」


 完全に言い訳だが、表面上は納得しておく。

 語るに落ちるとはこのことだ。本心が知れたので話をまとめに入る。


「ただ遊びたいだけなら、やはり、そういった夜の店に行くのが手っ取り早いのですが」

「そういう職業を見下したり偏見を持つこともないのですが、初めは商売ではなく自然なお付き合いを目指すべきかと」


 だから、いい大人が指をもじもじさせるのはやめて欲しい。

 お望みは純愛路線と。小説家の見た目は良くも悪くもない。年相応といった感じだ。

 もう少し小綺麗な格好をすれば悪くない感じになるはず。

 若い頃なら見た目の善し悪しが恋愛の成功率に大きく関わるのだが、ある程度年齢がいくと清潔感があり、それなりの容姿であれば受けはいい。

 それに小説家には何よりも強い武器がある。――資産だ。

 わかりきっていることだが金は強い。富豪であれば愛人を何人も抱えるなんて普通のこと。


「小説家さんは名も売れていますし、有名人ですよね。今まで女性に言い寄られることはなかったのですか?」

「財産目当てで言い寄られることは何度もあったのですが。むしろ、それが原因で女性不信になってしまい」


 苦々しく言葉を吐くと、大きく肩を落としている。

 背後にいる執事たちが目を伏せて頭を振っているので、ろくでもない体験をしたことだけは伝わってきた。


「そのような経験をしたというのに恋人を求めるのですか?」


 純粋な疑問を口にする。

 その言葉を聞いた小説家は俯いていた顔を上げて、テーブルに上半身を乗り出した。


「寂しいのですよ! 深夜に執筆中に、ふと小腹が空いて一人で夜食を食べているとき。一人で外食をしているとき。ベッドに入って灯りを消したとき。ふと、寂しさがこみ上げてくるのです……」


 言葉尻が弱くなり消え去るような声で呟く小説家。

 なるほど、寂しい……か。

 考え込んでいると肩を指で突かれたので、視線だけ向けると執事が渋い顔をしている。


「担当様から釘を刺されているのですが、できることなら色恋沙汰は避けて欲しいそうです」


 ぼそぼそと囁く執事を訝しげに見てしまう。

 担当とは小説家の編集を担当している人物のことで間違いない。

 しかし、担当編集とはいえ、小説家の恋愛を妨げる権利はないはずだが。


「今までも恋愛に熱を入れすぎて執筆が滞るようになる、といった事例が何度もあったそうです。特に恋愛経験が未熟な人ほど陥りやすいそうです」


 なるほど。相手のことばかり考えてしまい仕事が手に付かなくなる、というのはよく聞く話だ。

 未経験者であるほど、どっぷり浸かりやすいのは確かに否定できない。


「なので、できることなら、それ以外の方法で主の心が安まる流れに持っていただけたら幸いでして」


 耳元で囁きながら、すっと俺の手に金貨の入った袋を握らせる執事。

 袖の下は嫌いなのだが、このような案件に関しては迷惑料として受け取ってもいい気がする。

 となると、寂しさを埋める別の何かを提示する必要があるのか。

 ……あ、一ついい方法を思いついた。


「では『魅了』スキルをお売りしましょうか?」

「本当ですか! 是非に!」


 俺の手を包み込むように握りしめる小説家。

 余程嬉しかったのか、興奮で少し手が汗ばんでいる。


「ただし、レベルは低めなので精神力が弱い相手にしか効き目がありません。幼い子供に気に入られやすくなり、第一印象が少しましになる程度でしょうか」

「……それになんの意味が? まさか、子供を先に手懐けて人妻を狙えとでも?」


 大きなため息を吐いて肩を落とし、露骨に意気消沈して半眼で俺を睨んでいる。


「いえいえ。動物を飼うというのは如何でしょう?」

「動物、ですか」


 俺の提案が予想外だったようで、キョトンとした顔で見つめている。


「ええ、『魅了』のレベルが低くても、警戒心の低い小動物には効果がありますので」


 以前、猫だらけの島に行ったとき、住民は独りぼっちだったが猫に囲まれて幸せそうだった。間違いなく寂しい気持ちは薄まる。


「なるほど、それはありですね。いやー、私もいい年ですし、本音を言えば結婚を焦る気持ちもあったのですよ。動物を飼えば心のゆとりもできて、物事をポジティブに考えられるようになりそうです」


 作品のクオリティーを上げるために経験したい、という話はどこにいったのか、とツッコミを入れたくなったがぐっと堪える。


「可愛い動物を飼えば、女性を誘いやすくなるかもしれませんよ」

「ああ、ありますね! 子猫が生まれたから見に来ないか、とか誘い文句としては優秀そうです」


 手帳にメモを取り出す小説家。

 未来に夢を膨らましている彼を眺めながら、とある言葉を呑み込む。

 動物を飼うと人は癒やされ夢中になるが、寂しさが和らぎ、心が満たされることで……婚期が遅れるという話は黙っておこう。


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