塩の道
首都から西へと延びる街道。
大きめの馬車が余裕を持ってすれ違えるほどの道幅があり、地面には固さと頑丈さが売りの石が敷き詰められている。
一辺が大人の歩幅ぐらいの長さがある正方形の石。それを十個横並びで地面に埋め込み、それを真っ直ぐ繋げていく。
気が遠くなるほどの距離を――。
この街道には正式な名称があるのだが、皆《塩の道》と呼んでいる。西へと延びた街道の行き着く先には、海があるからだ。
整備された石畳の道をずっと、ずーっと進めば海にたどり着ける。
馬車なら早くて一週間。徒歩なら……健脚自慢でも一か月は覚悟するべきだろう。
途方もない時間に思われそうだが、それでも、この道があればこそ。塩の道がまだなかった頃は早くても海まで半年は掛かると言われていた。
今は当たり前のように存在しているが、これは何百年も前に国の王が二代に渡ってやり遂げた偉業だと、語り継がれている。
「精が出ますね」
塩の道の真ん中で二十名もの人が集まり、熱心に足下を見つめていたので声を掛けた。
「あっと、すみません。通行の邪魔でしたね。……あっ、回収屋さんじゃないですか」
周りの人に指示を出していた男が顔を上げて申し訳なさそうに謝るのだが、俺の顔を見て相好を崩す。
一か月に一度は会う間柄なので、こちらも笑みと会釈を返す。
「みんな少し休憩にしようか。私はこの人と話があるから」
「「「はい、親方!」」」
厳つい顔に筋骨隆々の面々が元気に返事をして、塩の道の脇へと移動する。
そこには彼らの馬車もあるので、荷台から布を取り出して汗を拭っていた。
「点検と整備、ご苦労様です」
「これが私たちの仕事ですから」
そう言って微笑む彼の顔は少し誇らしげだ。
「皆様のおかげで、我々は大助かりですよ。本当に感謝しています」
彼は代々、この《塩の道》を整備している石工の一族だ。
何代も先のご先祖は、この道を作り上げた主要メンバーの一人だったりする。
「この仕事は一族の誇りですから」
誇り、という表現は大袈裟ではない。
この道が使えなくなれば流通は途絶え、国の存亡に関わってくる。
特に俺のような行商人は、そのありがたみを誰よりも理解していた。
「道の具合はどうですか」
「元々、かなり頑丈な石材を使ってますので、ちょっとやそっとでは欠けることはないのですが、昔と変わらない佇まい……とはいきませんね」
親方は苦笑いを浮かべて、ボリボリと頭を掻いている。
毎日多くの人が行き交い、何百年も経過しているのだ。何もしなければ石畳は劣化する一方なのは言うまでもない。
「あなたはこの仕事に携わってから、何年になりましたか?」
「かれこれ、十年でしょうか。今は三十路で、始めたのが二十歳でしたから」
先代の後を継いで、もう十年になるのか。
彼はこの仕事を始めてから家に帰ったことがないはずだ。街道を調べながら西へ西へと向かい、補修ヶ所を見つけたらその場で直す。
それを、毎日、毎日繰り返す。
同じような作業を毎日、毎年、引退するまで。
「この仕事を辞めたいと思ったりはしないのですか?」
誰もが思う疑問を口にすると、親方は目蓋を閉じて「うーん」と唸った。
「正直、この仕事を受け継ぐまでは親にも反抗していたのですよ。引退するまでずっと、足下を見て石を交換するだけの人生に何の価値があるんだ! って暴言を吐いたこともありました」
昔を思い出して反省しているのか、バツが悪そうに頭を掻いている。
数十年前に同じような光景を見たことがある。血の繋がりを感じずにはいられないな。
「でも、二十歳前に半年父の手伝いをしたときに猛省したのですよ。自分たちが、どれだけ大切な仕事をしているのか、思い知らされ――」
「おー、今日もご苦労様。これよかったら、食べてくれよ」
親方の言葉を遮ったのは、西からやって来た馬車の御者席で手を振る商人だった。
こちらの近くで馬車を止め、荷台に上半身を突っ込み小さな袋を取り出すと、ぽんっと投げ渡す。
「これは美味しそうな果物ですね」
「この先の宿場町で手に入れたもんだ。まだ半日で品質も問題ないから、安心しておくれ」
「ありがとうございます。いただきますね」
「礼を言うのはこっちだ。あんたらのおかげで、こうして快適に商売ができるんだからな。偉大なる道の王と、あんたら一族に感謝だな」
ふくよかなお腹を叩き大声で笑う商人。
商人が口にした「道の王」とは、この偉業にちなんで呼ばれるようになった異名だ。塩の道の政策に携わった二人の王を指して、そう呼ぶ。
商人はそれから二、三言葉を交わすと、再び街道を進んでいく。
商人がいなくなってからも、街道を利用する冒険者や旅人が現れる度に、感謝の言葉と共に何かを差し出す者が続出する。
石工たちはお礼を口にして、どんな物でも断ることなくすべて受け取っていた。
「この仕事をしていると飢え死にの心配だけは無用ですよ」
嬉しそうに笑う若い親方。
ほんの一時間で、十人の石工を余裕でまかなえる食料を手に入れていた。
食の心配は無用だが、寝泊まりはどうしているかといえば、そちらも心配は無用だ。
石工たちの寝泊まりは、仕事の区切りが悪いときは野宿らしいが、街道沿いの街や村にたどり着くと無償で宿も食事も提供される。
「人々に感謝されるこの仕事を、今は何よりも誇りに思っています。このような偉業を成し遂げた、祖先や国王に感謝を」
もはや崇拝の域に達している故人たちへ感謝の祈りを捧げる、親方と石工たち。
その姿を見ていると、なんともいえない気持ちになってしまう。
「……皆さん、この道には感謝していますからね」
整備された道を商人、ハンター、旅人が利用する。
それを目当てに街道脇に宿屋が建ち、人が集まり、宿場町ができる。
恩恵を受けている人々は、補修する彼らを厚遇で迎え入れる。当然の流れと言っていいだろう。
宿場町は徒歩で半日進んだ先に等間隔で点在しているから、道の利用者が野宿することは滅多にない。
そして、塩の道には更なるメリットがある。
街道での犯罪率の少なさだ。
利用者が多い街道とはいえ、常に人通りがあるわけじゃない。
商人の馬車や、武器を持たない石工の団体を狙う輩がいても不思議ではない、はずなのだが犯罪の発生率が異様に低い。
「危険な目に遭遇したりはしないのですか?」
「回収屋さんはご存じとは思いますが、この石には微量ながら魔物が嫌う成分が含まれています。なので弱い魔物は寄りつかず、強い魔物はこの街道付近には存在しません」
この石に魔を退ける成分が含まれているのは事実。
普通なら聖堂や王城の一部に使われるべき高価で希少価値のある石材なのだが、そのことを知る者は一部だけだったりする。
……これが公に広まると、石を盗む輩が出てきてもおかしくないからだ。
元々はただの石だったのだが、とある理由で魔物が怯える要素が加わってしまった。まあ、今は関係のない話か。
「ええと、魔物ではなく野盗とかの被害は?」
「それもないですよ。確か……祖父の時代は年に何度か襲われたりしたから、護衛もいたそうですが」
若い親方は腕を組んで視線を空に飛ばしながら、過去の記憶を引き出してくれている。
この街道は商人や旅人の利用が多い。
なので、そこを狙う野盗がいて当然なのだ。この国は他と比べて治安はいい方だが、だからといって野盗のような輩が消えることはない。
「昔はそうでしたね。でも、国王が――おっと、噂をすれば」
口を閉ざして前方を軽く睨む。
街道から少し離れた平原にぽつんと大きな岩があるのだが、その後ろから複数の気配を感じた。
誰かが『隠蔽』のスキルを所持しているのか、気配がかなり薄い。
「そこの方々。出てきてはどうですか?」
口元に手を当てて大声で呼んでみる。
石工たちは突然の行動に驚き、俺の顔をまじまじと見ているだけだ。
野盗らしき連中の反応をしばらく待ってみるが、出てこない。
「岩の後ろに隠れている、あなたたちですよ」
そこまで断定するとあきらめたようで、緩慢な動きで六人の男が姿を現す。
ボサボサの髪にひげ面。加えて薄汚れた革鎧と粗末な剣。
わかりやすい野盗の装いをしている。
「こんな場所で道の補修とはご苦労さんだな。その石ころはいらねえが、金目のもんは全部置いていってもらおうか」
定番の台詞を吐いてニヤついている。
それに対するこちらの対応は……。
「「「「はあああああっ」」」」
大きなため息だった。
「なっ! てめえら!」
野盗にとっては予想外の反応だったようで、ニヤけ面が一瞬にして怒りの形相へと変化する。
全員が得物を構えたか。どうやら本気でやるようだな。
「あのー、一つ、うかがってもよろしいでしょうか?」
「ああんっ! 今更、命乞いしても遅えぞ!」
不機嫌さを隠そうともせずに、鼻息荒くすごんでくる。
普通なら命の危機を覚えて怖じ気づくのだろうが、俺も石工も物珍しそうに眺めているだけだ。
「いえいえ。あなた方は、もしかしなくても、この国の人じゃないですよね? 戦争で滅んだ町や村から流れてきたとか?」
姉の影響で、とある国が近隣諸国に手を出して、かなりの被害が出ている。
おそらく、戦争に巻き込まれて野盗崩れになったのではないか。この憶測の根拠は彼らのスキルだ。
『農業』『木工』『計算』『早口』
といった他の仕事で活躍できるものが揃っていた。
それに――この国の人が道を補修する石工を襲うなんて、あり得ないから。
「へええ、よくわかったじゃねえか」
「やはり、そうでしたか。ちなみに、彼らのことはご存じでしょうか?」
石工の団体に手を差し伸べるような動作で振り返る。
俺の仕草に促されて野盗の視線が彼らに集中したが、その意味がわからず首を傾げていた。
「ただの道を補修している連中じゃねえか。昨日辺りから観察していたが、護衛も付けずにバカなヤツらだぜ」
「なるほど。やはり、知らないのですね。あのう、老婆心ながら一言よろしいでしょうか。私はともかく、彼らには手を出さない方が身のためですよ?」
同情を込めて親切に忠告したのだが、返答は爆笑。
「げははははははっ! おいおい、追い詰められて気でも狂ったのか? 武器もない、護衛もいない連中の何を警戒しろって言うんだ」
相手のリーダー格らしいひげ面が目元の涙を拭っている。泣くほど面白かったらしい。
「彼らを襲ったら確実に……死にますよ」
迫力を出すために『話術』『威圧』を発動させて呟くと、野盗連中が黙って息を呑む。
「彼らに特別な力はありません。襲えばあなたたちが勝つのは容易でしょう。ですが、この国の王が宣言しているのですよ。街道を補修する者を害する者は、王を傷つけるのと同等の罪だと心得よ、とね」
これは脅しでもはったりでもない。
実際に何代か前の王が、国民の前で口にした言葉だ。
「お、おいおい。バカなことを言うんじゃねえ。ただの石工にそんな価値があるわけがねえだろ」
と強がってはいるが、若干だが怯えの色が見える。
「まあ、信じられないのは当然ですね。でも、彼らが無防備なのと誰も警戒すらしてなかったことが、証拠にはなりませんか?」
「…………」
その点については野盗も疑問に思っていたのか、仲間と顔を見合わせて首を傾げている。
「この街道――塩の道は、この国の生命線なのですよ。故に道を補修する彼らを尊重しているのです。ちなみに石工を襲った野盗や冒険者は、過去に数名いたのですが、国が総力を挙げて犯人を確保。全員が壮絶な拷問の末に首をはねられ、見せしめのために街道の脇に死体が晒されたそうです」
淡々と語りじっと見つめると、誰かの生唾を飲む音が耳に届く。
国王が国民の前で宣言したことは脅しではなく、本当に実行したのだ。
――拷問、というのは嘘なのだが、それを明かす必要はない。
「あ、兄貴、その噂を耳にしたことがありやす。そん時は、くだらない冗談だと聞き流したんですが」
野盗の一人がリーダー格に耳打ちすると、髭で覆われていない部分から血の気が引いたのが見えた。
「ということで、手を出さない方がいいのではないでしょうか?」
さっきと違って俺の提案を真面目に聞いていた野盗たちが、一か所に集まって円陣を組んで何やら相談している。
こちらとしては急かす必要もないので石工たちは仕事に戻り、俺はぼーっと作業を眺めていた。
「おい。お前らには手を出さねえことにした」
昼食を食べ終わって休憩していると、野盗たちが歩み寄ってきた。
「あっ、そうなんですか。お疲れ様でした」
かなり長い間、相談していたので疲れた顔をしている。
「さっきの話がもし嘘だったら、後で必ず報復に来るからな。ったくよ、時間の無駄だったぜ。どっかに手頃な獲物がいるといいんだが」
地面に唾を吐いて野盗たちが立ち去ろうとする。
俺はその無防備な背に向けて、足下の石材の破片を投擲した。
「がっ」
不意打ちの一撃を避けられるはずもなく、全員が地面に倒れ伏す。
「結局、見逃す気はなかったのですよね。……回収屋さんは意地悪だなあ」
苦笑する親方に向けて、悪びれもせずに微笑んでみせる。
「野盗を放置する理由はないですからね」
ここで犯罪をあきらめたところで、また何処かでやるだろうし、場慣れした感じからして前科持ちなのは間違いない。
野盗は端から詰んでいたのだ。
倒れている連中の首筋に手を当てる。
脈はあるから気を失っているだけだ。これを町か村の詰め所に持って行けばお小遣い程度にはなるだろう。
「噂に聞いていた野盗の襲撃という初体験に驚きましたが、他国の人から襲われるという展開もあるんですね」
「いつもなら他国の野盗が流入するなんてことは滅多にないのですが、今は国際情勢がよくありませんから」
あの国が暴れている影響で砦の防衛に兵士が割かれていて、手薄になっている関所が増えている、との話を耳にしたことはあった。
野盗の一団を通してしまうほどセキュリティーが甘くなっているのは、さすがに予想外だったが。
「回収屋さんも言ってましたが、この国の生命線である塩の道を補修するという、大事な使命を負っていることを、もっと強く意識しないとダメですね」
ぐっと拳を握りしめ、自分の責任を改めて噛みしめているようだ。
「初代の先祖は国王から直接お言葉を授かったそうです。この道は決して断絶してはならぬ、と。私も先祖の意思を引き継ぎ、国のためにこの身を捧げ邁進します!」
崇高な心がけだと普通なら感心する場面なのだが、俺は苦笑いをかみ殺していた。
熱く語ってくれているが……真実を知ったら、彼はどう思うのだろうか。
まだ街道が出来上がっていなかった過去。その場で指揮を執る国王や初代石工と言葉を交わした俺は、この道が造られた本当の理由を知っている。
王は……魚介類が好物だったのだ。
だから、この道は真っ直ぐに海へと繋がっている。
人々の移動や物資の運搬をスムーズにする目的で整備された道を造る、というのが建て前で、本音は純粋な食への欲望だった。
魚介類が豊富な漁村として有名なミゲラシビから、少しでも早く食材を得るために造られた道。それが真実だ。
ちなみに《塩の道》の本当の由来は海に繋がっている、からではない。
私利私欲で海までの道を繋げようとした王に対して、抗議した宰相とその一族はすべて労働力として石を運ぶ人員となった。
つまり、石工の祖先は王へ反抗した者たちだ。
そんな彼らの屈辱の涙と汗が石に落ち、蒸発した塩が真っ直ぐ道のように伸びていた。
故に――塩の道。
そして、左遷された宰相やその一族には『魔物除け』のスキルを所有する人が多かった。
そんな人々の流す体液にはわずかだが、魔物を遠ざける力がある。
とはいえ、少量では気休め程度にしかならないのだが、彼らの流す大量の涙と汗が石に落ちしみ込み……。
この道に魔物が寄りつかない理由は、そういう訳だ。
結局あの愚王は王子にその座を奪われたのだが、時既に遅く、塩の道は半分にまで到達していた。
新たな王は継続するかどうか悩んだのだが、街道が今の状態でも役に立っていることを知り、石工たちの待遇を改善。国政として街道の完成に尽力した。
彼らへの厚遇は先代のやらかしたことに対する、王族の罪滅ぼしでもある。
「切っ掛けはなんであれ人々の役に立っているのですから、偉業には間違いありません、か」
「どうかされましたか?」
若い親方が訝しげに、こっちを見ている。
心の声が口から漏れていたようだ。
「いえ。今日の晩ご飯は海の幸が食べたいな、と」