ゴブリンを観察する者
「ぜーはーぜえええ、ぴひゃあああああ……」
セラピーが壊れた管楽器のような粗い呼吸音を響かせている。肩の揺れよりも胸部が大きく跳ねるように動いているので余計に疲れそうだ。
俺とアリアリアは平然と山道を登っているが、基本家から出ない生活をしている彼女にとって長時間の登山はきつい。
今日はセラピーの依頼で、ある場所を目指している。
「休憩しましょうか」
「この駄肉魔物マニアを甘やかしてはいけません。それにちょっとでも優しくするとすぐ惚れて、求愛行動を開始するので危険ですよ」
「ぜええええ、はああああ、ありいいいいいあああああ、ぜええええ、うげええええ」
汗まみれの顔で文句の一つでも言いたいようだが、呼吸で精一杯のようだ。
それどころか今日の朝ご飯を口から放出し始めたので、ここで一旦休憩する事にする。
川辺だったのでハンカチを濡らして軽く絞り、道の脇であおむけになって転がっているセラピーの額にそっと置く。
「大丈夫ですか」
「はうぅぅ。ひんやりして気持ちいいれすぅ」
「甘いですね、回収屋様は」
メイド服姿のアリアリアは寝ころんだセラピーを冷たい目で見降ろしている。
いつものことながら、どっちが主なのか分からないな。
「休憩ついでに依頼の確認をさせてもらいましょうか。この先にあるらしいゴブリンの集落の調査ですよね」
「胸の下に汗が溜まって気持ち悪……あっ、はいそうです! ええとですね、大規模なゴブリンの群れを発見したという話がミゲラシビの村で広まっているのですよ。そこで討伐される前に生態調査をしておこうと思いまして」
首筋から手を突っ込んで胸のあたりを拭いていたセラピーが慌てて姿勢を正した。
ゴブリン調査か。女性がやることじゃないよな。
「あっ、その顔は。やっぱり女がゴブリンの群れに近づくのは変ですか?」
「顔に出ていましたか、失礼しました。変というより心配なのですよ。相手はあのゴブリンですからね」
「回収屋さんはゴブリンについて……どう思っていますか?」
丸い眼鏡をくいっと人差し指で持ち上げて妙な質問をしてきた。
ゴブリンについてなんて深く考えたことがないが、何か意図があるのだろう。真面目に考えてみるか。
「子供並みの知能と人間の大人には劣る筋力。繁殖力が強くて『一匹見たら十匹いると思え』と言いますよね。強さはそれ程ではないのに優先討伐対象なのは、凶暴さと群れの危険性を危惧してだと聞いています」
「はい、その通りです。さすが、回収屋さんですね」
「他にもゴブリンと言えば、女子供を連れ去って生殖行為を行うと言われてますが」
俺が言い辛かった事をあっさりと口にするアリアリア。
危険視されている理由の一つが、人間の女を連れて帰り自分たちの子供を産ませることだ。
「はあー、アリアリアも勘違いしているわね。回収屋さんもそう思っていました?」
大きなため息を吐いてセラピーが頭を振っている。
思うも何も事実ではないのか?
「違うのですか? 私はゴブリンの群れに遭遇した経験もありますし、襲われた村を訪れたこともあります。その際に人間の女性は連れ去られていましたよ」
長年、行商人をやっているとゴブリンと遭遇する機会なんて幾らでもあった。
村人に懇願されてゴブリンの集落を襲って、捕まっていた女子供を助けたことも数知れない。
首に荒縄を巻かれ、家畜のように扱われていた人々。全員が痩せこけて何人かは既に殺されていたこともある。
「そこなんですよ。なんで女を連れ去ったらその……エッチなことをするって発想になるんですか。ゴブリンたちの美的感覚だと人間なんて論外ですよ。人間がゴブリンとエッチなことができるか考えてみればわかりそうなものなのに」
言われてみればそれもそうか。ゴブリンからしてみれば人間の顔は好みではないだろう。人間の美醜とは判断基準がそもそも違うはずだ。
「ですが、女を連れて行くのは事実ですよね? では、なぜ殺さずに連れて帰るのですか」
「それは食べるためですよ。ゴブリンは人間を食べます。人が動物を食べるように」
ゴブリンに食人の習性があるのは知っている。なんせ、奴らには生まれ持って『食人』のスキルがあるからな。
「何故連れ去るのかは食べるため。女性を選ぶのは肉が柔らかく男よりも抵抗できないから。持って帰った後は飯も食べさせずに放置するのは、胃の中を空っぽにさせると内臓の処理も簡単で美味しくいただけるからですよ。あとは殺してしまうと肉が腐敗しますが、生きていれば腐りませんからね」
そうだったのか。
ゴブリンの能力は把握していたが習性はそこまで理解していなかった。
奴らに対する認識は人より弱いくせに集団で襲ってくる魔物。頭が悪く凶暴、程度に考えている者が殆どだろう。
……セラピーの魔物の知識に関しては感服するよ。
「行き遅れの女が恋バナではなく、凶悪な魔物について熱く語る姿……見ていられません」
アリアリアはわざとらしくハンカチで目元を拭っているが、涙は一滴も出ていない。
「ほっといてよ! 魔物の知識は大切なんだからね。知っていると対処もできる。それが命に関わることだってあるのに!」
アリアリアの胸をぽかぽか殴っていたセラピーが、真っ赤になった手を掲げて「うおおおお……」と唸っている。
人間のように見えるがアリアリアの体は魔法金属。素手で殴れば痛い。
「確かに知識は大切ですよね。前から気になっていたのですが、ゴブリンは言葉を理解しているのでしょうか? ゴブリン同士で会話が成り立っているのか疑問でして」
たまに叫んで言葉らしいものを発しているようには見える。
「一応、ゴブリン語は存在していますよ。ただ会話は無理ではないでしょうか。基本の幾つかの単語が存在しているだけですから。殺せ、降参、行け、待て。こんにちは、おはよう、こんばんは、を一まとめにした挨拶。とかですね」
「なるほど。確かに長文で会話している場面は見たことがありません」
こんなに長く生きてきたというのにゴブリンについて俺は何も知らなかったのか。
記憶も怪しい若い頃は脅威の存在だったので、それなりに情報収集もして準備は怠らなかった。
しかし、今の俺は自惚れるわけではないがゴブリンでは相手にならない。なので、知ろうとも思わなくなっていた。反省しないとな。
死を招く一番の要因が油断だと知っているのだから。
この際だ、前々から気になっていた魔物についての疑問をぶつけてみるか。
「ゴブリンの生態については理解できましたが、ゴブリンが人間と生殖行為をしないのは本当なのですか?」
「しませんよ。そもそも、繁殖させるために人間をさらうというのがおかしいんです。ゴブリンにはメスもいるのですから」
「ですが、実際に人間の女が連れ去られて……変わり果てた姿で村の外に捨てられてあった事例は目にしたことがありますよ」
「あれは、人がやったことをゴブリンに罪を擦り付けたのだと思いますよ。本当にゴブリンがやったのなら死体なんて残しません。人間の骨も持って帰って装飾品や家具の材料として利用しますから」
ゴブリンの巣穴で人間の骨でできた椅子。肋骨の鎧や頭蓋骨の兜を見たことがある。
人間の愚行をゴブリンのせいにする……か。
あり得ない……とは言えないな。この長い人生で人間の愚かな本性を何度も目の当たりにしてきた俺には。
「そもそも、繁殖できませんから。人間とゴブリンの性行為は可能でしょうけど、妊娠しませんからね。ゴブリンハーフとか見たことあります?」
「ない、ですね」
「でしょう。もし本当に子供ができるとするなら、ゴブリンそのままで生まれたりしません。母と父の両方の特徴を備えている筈です。もっとも生物的に異なる種族が交わっても子供なんてできませんが。人間に近い亜人は別ですよ。ドワーフとかエルフは人間と体のつくりがほぼ同じですからね」
今までずっとゴブリンを誤解していたようだ。
もっと厄介で邪悪な魔物かと思っていたのだが、そうでもないのか。
「となると新たな疑問が。魔物や動物の特徴を複数兼ね備えた魔物が存在しますよね。例えば鷹の上半身と獅子の下半身もつグリフォン。鶏の体と蛇の尻尾があるコカトリス。ああいうのはどうなんですか? 互いに交わってできた魔物なのでは?」
異なる種族どうしで交配できないのであれば、あのような生物が生まれることはない。
「あー、それですか。私もそれがずっと疑問だったのですよ。でも、その秘密は暴かれました。……アリアリアの口から」
予想もしなかった名前が出たので思わず彼女の方を見る。
会話に飽きていたようで、お湯を沸かして一人お茶を飲むアリアリアがいた。
「その話ですか。複数の生物の特徴を兼ね備えた魔物の大半は……古代人が遺伝子操作して作り上げた、実験動物ですよ。それが野に放たれて繁殖して今に至るわけです。ずずずず」
お茶を飲みながらとんでもないことを暴露してくれた。
古代人とは現代の人よりも優れた知能を持った種族で、数百、数千年前に滅びたと言われている。
「遺伝子操作というのは初耳ですが、これも古代人がやらかしたのですか」
古代人がスキルの研究をして迷惑なスキルを作り出していたのは知っているが、まさか魔物を生み出すこともやっていたのか。
――人の理を無視する能力『スキル』。新たな生物の創造。
古代人のやったことは神に反する行い。……いや、神になろうとでもしていたのか?
「もともとは植物の品種改良に力を入れていたみたいですが、こういうのって軍事目的で研究したがるバカが必ず出てくるのですよ。最強の魔物を生み出して敵国を乗っ取るぞー、というノリですね」
戦力として強力な魔物を欲しがったのか。そう考えると納得がいく。
この時代にもアンデッドを操るネクロマンサーやゴーレムを使役する魔法使いがいる。古代人も現代人と発想は似たり寄ったりなのかもしれない。
「とても勉強になりました。ではそれを踏まえたうえでゴブリンの観察に行きましょうか」
「はい! かなり疲れも取れたので行けますよ!」
勢いよく立ち上がったセラピーの胸が上下に大きく揺れる。
ゴブリンに対して昨日までの認識ならセラピーは絶好の獲物となるのだが、今回の話が本当なら、そっちの危険性はない。
……いや、鍛えられていないので肉が柔らかく普通の女性より肉付きがいいとなると、上質な食材としての需要はあるか。こんなことは口が裂けても言えないが。
先頭は俺で真ん中に非戦闘員のセラピー、最後尾はアリアリアという布陣で進んでいく。
「複数の気配を感じます。足音を立てないように気を付けてくださいね」
念のために高レベルの『隠蔽』を発動させているので、万が一にもゴブリンに見つかることはないと思うが。
高台の大木の陰に隠れながら眼下に視線を向ける。
森の中に木々が消えた一帯がある。そこにはゴブリンの集落があった。
「ちょうど、集落の真上を取れたようですね。ゴブリンが……二十一体。一回り体格のいいホブゴブリンが八体ですか」
見える範囲にはそれだけのゴブリンが存在している。
大規模とまではいかないが、村一つを襲うには十分な戦力だ。
「ホブゴブリンというのはゴブリンと同族なのですか?」
「いい疑問ですね、回収屋さん。ゴブリンは人間の大人の女性よりも背が低いのに、ホブゴブリンは人間の男性と同等ぐらいですよね。肌の色や骨格は似ているのですが、ホブゴブリンはかなりの筋肉質です」
魔物の説明となると熱を帯びるな。
同族かどうかだけが知りたかったのだが、ここは大人しく話を聞くか。
「『名前からして同族だ』という意見と『名前は人が適当につけたものだろ。あれは別ものだ』との意見があるのですが、個人的な見解だとあれは同種ですね。ゴブリンって個体差が激しいのですよ。知能のレベルも人間の二~十歳児ぐらいまでの差があります。肉体的に優れた個体が繁殖したのがホブゴブリン。稀にゴブリンの中から生まれる知能が高く『属性魔法』などのスキルを生まれ持つ個体は、ゴブリンシャーマン、ゴブリンマジシャン等になります」
セラピーの考えはそうなのか。確かにゴブリンには個体差がある。
群れの中に知能が高いリーダーが存在していて、それを知らない冒険者が罠にはまり痛い目を見るなんて定番中の定番だ。
この数なら問題なく討伐できるが、今は生態を調べることを最優先しないとな。
セラピーは手帳を取り出して熱心に書き込んでいる。アリアリアはその姿に呆れながらも何処か嬉しそうだ。
辺りの気を探っていると集落の近くに洞窟の入り口があり、そこには武器を構えたホブゴブリンが見張りに立っている。
更に広範囲の気配を探ると洞窟の奥にゴブリンとは違う気配が四つ。これは人間か、それも気が小さいということは弱っている証だ。
食う前の下準備中なら、助け出さないと。
ゴブリンへの偏見は消えたが人を襲って殺すという事実は残っている。
「あの洞窟に捕らえられている人がいるようです。なので、観察はここまでで構いませんか。ちょっと助けに行ってきます。行商人として目立つ真似はしたくないのですが」
「そうなんですか!? 回収屋さんなら大丈夫だと思いますが気を付けてくださいね。たかがゴブリンだと侮らないでください。彼らは人類にとって脅威の存在なのですから」
その声は真剣味を帯びていて、心から心配してくれているのが伝わってきた。
「ありがとうございます。油断するのが一番危険ですからね」
「そうなんです! だからこそ、多くの人に正しい情報を知ってもらいたいのです。少しでも被害を減らせるようにゴブリンの生態を研究して、世の中に広めないといけないのですよ!」
拳を握り締めたセラピーの丸眼鏡の奥には、強い意志の光が灯っている。
ただの魔物好きだと思っていたが……ゴブリンだけではなくセラピーの認識も改めなければならないようだ。
魔物に対して熱心なのも多くの人の助けになれば、という崇高な目的だったのかもしれない。
「素晴らしい考えだと思いま――」
「あっ、よかったらゴブリン一体だけ生け捕りにしてください! やっぱり、できればオスとメスの番でお願いします。じっくり研究してみたいので! か、勘違いしないでくださいね。さっき生殖行為の話があったからゴブリンのアレを調べようとか、そういうのじゃないですからっ! 恋人がいないからといってゴブリン同士の性行為を覗く趣味はないですから! これはあくまで学術的に」
セラピーは早口で言葉を並べながら、顔を赤らめて必死に否定している。
……前言は撤回した方がいいのだろうか。