影の住人
深夜にふと目が覚めてベッドから上半身を起こす。
ここはいつも宿屋の一部屋。一年契約で更新している部屋なので、普通の宿屋の部屋と違い私物も幾つか置かれている。
部屋の中をざっと見まわしてみるが、寝る前と変わりはない。
「気のせいですかね」
気配を探ってみるが何も感じない……ように思える。
スキルの『夜目』レベルを上げているので昼間と同じように見えているので、見間違はいない……と思う。
だが、さっきから確信の持てない違和感は何だろうか。
『直感』スキルを最大まで上げると微かに警鐘が鳴る。こんな微妙な反応は初めてだ。
命の危険は感じないが、何かしらの問題が起こっているのは間違いない。
更に危険察知に使えそうなスキルを総動員して目を凝らす。
天井、床、ベッド、タンスには何もない。
ぐるっと壁に視線を這わす。窓際の部屋の隅がほんの少しだが歪んで見える……気がする。
目を凝らして周辺を観察すると、窓の鍵を閉めて寝たにも関わらずカギが開いているのに気づいた。
まさか、あそこに誰か潜んでいるのか?
俺に気づかれることなく部屋に入り込んで忍んでいるだと……。それが本当だとしたら、いつでも俺の寝首を掻けたということだな。
ぞっとして思わず自分の首を撫でる。こんな感覚は久方ぶりだ。
何者かが潜んでいると仮定して考えられるのは『隠蔽』のレベルが異様に高い。もしくは俺の知らないスキルの効果。
ただの勘違いならそれでいいが、さすがにそれはないと断言できる。
さて、どうしたものか。このまま無視して眠れるほど神経は図太くない。敵意はないように思えるが。
考えるのも面倒になってきたので行動に起こすことにするか。
「私に御用ですか?」
部屋の隅に向けて語り掛ける。
「や、夜分遅くにすみません……」
返事を期待してなかったのだが、囁くような声が聞こえた。
驚いたのは声が聞こえたというのに、まだ存在感が希薄なのだ。幽霊、悪霊の類ならまだ納得もいくが今の声は生身の人間だ。
「申し訳ありません。どこにいらっしゃるのか分からないのですが」
「あっ、いつもの癖でして。す、すぐにスキルを解除しますので!」
焦った声はさっきより大きい。声からして青年だろう。
部屋の隅だと予想していたが、それは的中していたようで膝を抱えて座り込んでいる黒ずくめの青年がいた。
目元以外は黒い布で覆われているので表情は伝わってこない……はずなのに、陰気な顔だというのが何故か分かる。
恰好からして暗殺者だろう。腰に二本短剣をぶら下げているので間違いはない。
殺気がないのも感情を殺せるほどの凄腕だとしたら納得はいくが、さっきから体がぶれるぐらいに小刻みに震えている姿がすべてを否定している。
潜んでいる方が怯えている。……反応に困るな。
「あ、あのう、申し訳ありませんが、明かりをつけてもらってもいいですか?」
「……明かりですか?」
「はい。暗いのが怖くて怖くて」
自ら明かりをつけて欲しいと頼むとは思いもしなかった。
暗殺者らしき男は暗闇が怖い。……笑うところなのだろうか。
冗談としてはなかなかレベルが高いが、あの怯え方は本物のようだ。
枕もとのランタンに火をつけると、暗殺者風の男はほっと安どの息を吐く。
「昔から闇が怖くて。何か潜んでいるような気がしませんか?」
潜んでいたのはあんただ、と思わずツッコミを入れそうになる、危なかった。
「はぁー緊張しすぎて喉が渇きました」
背負っていた小袋から水筒を取り出すと、顔を隠していた黒い布をあっさりと外して美味しそうに飲んでいる。
顔を隠す気もないのか……。
気が弱そうという特徴はあるが、それ以外は印象に残らない顔をしている。
「ところでこのような時間帯に何か御用ですか?」
「し、失礼しました! お仕事の事で悩んでいたら、回収屋さんの事をリゼス先輩から教えてもらいまして」
「リゼスさんとは、あの暗殺者の?」
リゼス――十年間、俺の命を狙い続けていた女暗殺者。最近和解して、チャンピオンを紹介したら恋仲になり、すっかり大人しくなった。
最近は互いに結婚を意識しているらしい。
「はい、暗殺者を引退されたリゼス先輩は同門なのです」
暗殺者で確定か。
「引退されたのですか」
「近々結婚されるという噂です。『普通の女の子に戻ります!』と前に酔っぱらって宣言していましたから」
「……それはなによりですね」
また惚気話を延々とされそうなので、しばらく彼らには近寄らないことにしよう。
「それで私に何か頼み事でも?」
「はい! 私は暗殺者なのですが、重大な欠点がありまして。それを克服しようと努力はしてきたのですが……。何の成果も得られず、今に至ります」
「そうなのですか。でも、あなたは暗殺者としての能力がずば抜けて高いと思いますよ」
実際『鑑定』で彼のスキルを暴こうとしているのだが『隠蔽』のレベルがかなり高いようで、レベルどころか何のスキルを所有しているのかも見抜けない。
自慢するわけではないが、俺相手にここまで存在感を消して近づける者がこの世界にどれだけいるか。
「その悩み事とはどのような?」
大体わかっているが、一応訊いてみる。
「お恥ずかしい話なのですが、私は、そのー、えーと……」
言い辛そうに指をもじもじさせている男の暗殺者。
男女差別をするわけではないが、女性ならまだ可愛げがあったな。
「暗闇が苦手なんです! 昼間だって影に潜むのも苦手なのに、夜とか光がないのですよ⁉」
「夜ですからね……」
暗殺者は影の住人と呼ばれ恐れられる存在だというのに、影に怯えてどうする。
「今日も意を決して部屋に忍び込んだのですが、思ったより暗くてそこから一歩も動けなくなってしまいました」
「…………なんで、夜に忍び込んだのですか。昼間に依頼すればいいだけだと思うのですが」
「えっと、先輩から暗殺者が回収屋さんに依頼する時は、こうするのがマナーだって教えてもらったのですが。もしかして間違えていました?」
「その件は、後でリゼスさんに直接問いただしておきます」
十年もの間、俺を暗殺できなかったのが未だに心残りだったのだろう。そこで俺を驚かすための悪戯を実行したのか。
彼女の事は後回しにするとして、目の前の彼にどう返答していいのか判断がつかない。
暗殺者が人を殺すことに罪悪感を覚えて引退する、というのはありがちな話だが、暗闇が怖いという悩みを聞いて素直な意見を言わせてもらうと、
「なぜ、暗殺者になったのです?」
これに尽きる。
職業選択を間違えたとしか思えない。
「昔から存在感がなくて、お店で注文しても反応されなかったり、順番を飛ばされるなんて日常茶飯事です。師匠は未だに私の顔と名前が一致しないようで、よく呼び間違えています」
リゼスと同門なら師匠は既知の人物だ。今はかなりの高齢のはず。
……たんに記憶力が低下しているだけではないのだろうか。
「そんな私だったので普通の仕事は無理だなと悩んでいると、偶然だったのですが師匠の暗殺現場を目撃したのですよ。怯えるばかりで何もできない私だったのですが、師匠は最後まで私に気づくことなく仕事を終えて帰られて。その時、ふと思ったのです。暗殺者にすら気づかれない私なら天職ではないかと」
性格は暗殺向きではないと断言するが、能力は暗殺者向きという厄介な存在だ。
師匠も彼の能力を見抜いて暗殺者として育てたのだろう。
「そ、それで、暗闇に対する恐怖をどうにかしていただけないでしょうか」
「可能だとは思いますよ。そのためにはスキルを確認させてもらいたいので『隠蔽』のスキルを一時的に止めてもらえませんか?」
「はい、わかりました!」
これで能力を隠蔽する力が消えた。『鑑定』で彼のスキルを調べることが可能となる。
調べた結果、『隠蔽』『気配操作』『存在感』『内気』『擬態』といったスキルがあった。
どれも高レベルなのだが『隠蔽』がずば抜けて高い。他に目を引くのは『擬態』だ。
これは魔物にしか存在しないと言われている。実際は稀に人間でも所有する者がいるのは知っていたが、直にお目にかかるのは初めてとなる。
『擬態』の能力は周りの風景と同化して姿を認識されないようにする。『隠蔽』と組み合わせて使うと、どれほどの効果を発揮するのかは身をもって経験した。
「買い取るとしたら『内気』なのでしょうが、これだと暗闇の恐怖は払えないと思いますよ」
「そ、そうですか。あの、そのー、スキルを売ってもらう事も可能なのですよね? 独身で趣味もなく友達もいませんので、貯金はいっぱいあります! ですから、闇が怖くなくなるスキルを売ってもらえませんでしょうか!」
悲しい現実をさらっと暴露してくれた。
売るのは一向にかまわないのだが、何を売るかが問題だ。
「夜……闇が怖いのですよね?」
「はい、何度も言うようですが暗いところが駄目でして。夜もロウソクやランタンをつけたまま寝ていますので、オイル代が結構な額になります」
それはオイル代よりも火事にならないか心配になる。
何を売ればいいかは判明しているのだが、それを彼に売っていいのかという葛藤があるのだ。
暗殺者としての能力に恵まれた彼が暗闇の恐怖を克服してしまえば、かなり恐ろしい暗殺者へと変貌してしまう。俺の命を奪える可能性も出てくるかもしれない。
「そちらの一派は暗殺業を生業としていますが、今も悪党のみをターゲットにしているのですか?」
彼の所属する暗殺一派は悪党のみを狙うことで有名だ。正義の暗殺集団、等と呼ぶ人もいるらしい。
「はい、そうです。掟を破った者には追手が差し向けられます」
それを聞いて安心……できない。
例外があることを俺自身が知っているからだ。
「すみません。リゼスさんは私怨で私を狙い続けていたのに、罰せられた様子がないのですが」
「あっ、それはですね。師匠が『あの男なら殺しても死なん。よい鍛錬になるだろうから放っておけ』と仰って」
掟に反する行為を咎められないのに引っ掛かっていた。だがそれよりも俺の命をしつこく狙うことで、優秀な暗殺者を一人失うかもしれないという危惧に対する疑問が、今の説明で氷解したよ。
俺も彼女を鍛錬の相手として利用していたので、お互い様だったということか。
「なら、このスキルをお売りしても大丈夫でしょう。ただし、スキルを悪用した場合は、追手が一人増えることになります。それを肝に銘じてください」
殺人を生業とする者に悪用するなというのもおかしな話だが、弱者のために手を汚す者を必要とする人は大勢いる。
人殺しは善ではない。だが悪とも言い切れないのだ、この世界では。
「はい、分かっています」
神妙な面持ちで頷く彼を信用することにした。
「ありがとうございます! これで夜に怯えないで堂々と働くことができます!」
感激して俺の手を握る暗殺者の彼。
彼に売ったスキルは『夜目』だ。このスキルは言葉通り夜に目が利くようになる。昼間とさほど変わらないぐらいに周囲が見えるので、これで闇に怯えずに暮らしていけるだろう。
「日差しの強い日には影に入るのも怖かったのですが、これでもう怖いものはありません!」
堂々と胸を張っている彼は数分前とは別人のようだった。
……これで彼の影の薄さもなくなるといいのだが。