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方向音痴

 山沿いにある村での商談を終えた時には日が落ちていた。

 危険なので一泊して明日からにしてはどうかと言われたのだが「急ぎの要件を済ませたいので」と断り村を後にした。

 首都へと繋がっている街道を歩いていると、進路方向に小さな明かりが見える。


「ランタンの明かりでしょうか。こんな夜分遅くに珍しい」


 自分の事は棚に上げて『夜目』と『千里眼』のスキルレベルを上げて目を凝らす。

 昼間と変わりない視界を得た俺の目に映るのは、ランタンを手にした女だった。

 足首辺りまで伸びた黒髪に薄汚れた元々は白かったであろうワンピース。それだけでも異様な格好なのだが、足を見ると素足だ。


「武器も携帯しないのは不用心ですね。街道とはいえ魔物も現れるのですが」


 地面は平らにならされて凹凸も少ない。馬車も問題なく走れる道なのだが、それでも小石が転がっているので、はだしで歩くのはきつい。

 魔物に追われて逃げてきたようにも見えるが、足取りがおぼつかず違和感を覚える。

 老人が深夜徘徊する場面に遭遇したことはあるが、それは町や村の中でのことで魔物が闊歩する平原で出会うことはない。

 ましてや、この場所は村や町から結構離れている。


「迷子の女性の可能性も無きにしも非ずですが、普通に考えるなら魔物の類ですよね」


 人型の魔物となると限られてくる。獣人や半獣のように人と異なる外見は見当たらないので、そうなるとヴァンパイアや精霊の類。もしくは幽霊や悪霊やゾンビ、リビングデッドといったアンデッドの可能性が高い。

 体が透明ではないので霊ではない。となるとゾンビ、リビング・デッドかヴァンパイアあたりか。

 気配を探ってみると生命力を感じないので、動く死体と呼ばれるゾンビかリビング・デッドが本命かな。

 多くの人はリビング・デッドとゾンビの違いが分からず同一視して扱われている。だが、同じのようで異なる魔物なのだ。

 ゾンビは呪術や魔法などで強制的に蘇った死体。

 リビング・デッドは何らかの原因や理由があって自ら蘇った死体を指す。


 普通はこの状況なら考察もせずにまず怯えるのだろうが、そういった感情は数百年前に置いてきてしまった。

 深夜でも昼のように見通せるスキルもあるので恐怖の対象にはならない。

 距離が徐々に近づいていくと微かに腐臭が漂ってくる。

 どうやら正解だったようだ。前髪で顔の大半が隠れているので醜悪の判断ができない。腐り始めていたとしてもかなり近づかなければ、異様さに気づかれない程度の腐敗具合だろう。


「アンデッドなのは確かですが、問題は知能ですね」


 俗に不死系と呼ばれるアンデッドは死んだ後も、人間だった頃の知性を維持している個体も少なくない。幽霊や悪霊などの肉体を持たない霊は特にその傾向が強い。

 ゾンビやリビング・デッド……はっきりしないので動く死体としておこう。彼らは肉体の腐食具合によって知能のレベルが変化する。

 臭いと見た目から判断する限りでは死んでからあまり経過していないのではないだろうか。涼しい時季なのも考慮して考えると、死後半月未満と考えるのが妥当か。

 会話が通じるかどうかは際どいところだ。

 足を引きずるようにして歩く女が至近距離まで迫る。

 前髪の隙間から見える目がじっと俺を捉えている。目に光はなく……死者の濁った瞳。


「こんばんは、きれいな星空ですね。深夜の散歩ですか?」


 笑顔で話しかけてみる。

 相手は何も答えず黙って見つめるのみ。

 表情が読めないので『心理学』も役に立たない相手だ。


「女性一人で散歩は物騒だと思いますが」

「うちにぃぃぃ……かえる……のぉぉぉ……」


 小さく聞き取り辛い粘り気のある声。声帯も損傷しているのだろう。


「ご帰宅の途中でしたか。女性一人を夜道に放置するのはいただけませんので、近くまで送らせてもらっても構いませんか?」

「は……いぃぃぃ……おねがぁぁい……しまぁぁ……」

「ありがとうございます、一人は寂しいですからね。では、まいりましょう」


 来た道を戻ることになるが、女性の歩調に合わせて隣を歩く。

 ゆっくりとゆっくりと歩を進める。

 時折動きが止まり、辺りを見回す。

 そして隣にいる俺をじっと見つめる。その度に俺は、


「どうされましたか。帰宅の途中ですよね?」

「ほうこぉぉうぅぅ……おんちぃぃ……でぇぇ……。あ……ああああ……うちぃぃ……かえぇぇ……るぅぅ……」

「はい、同行しますよ」


 質問をすると目的を思い出したのか、再び歩き始める。

 それを何度も何度も繰り返す。

 動く死体は記憶や思考を操作する脳が腐っているので人の記憶も人間性も失う、と伝えられているがそうではない。実は動く死体になると必ず『忘却』スキルを得るのが原因なのだ。

 そもそも肉体が腐り命を失った状態で動く死体は人の理から外れている。その脳は既に働きを失い、その体を動かしているのは……体から離れられない魂。つまり幽霊なのだ。

 肉体から離れた存在が幽霊や悪霊といった霊。肉体にとどまり続けている霊がゾンビ、リビング・デッド。

 何故、そのような違いが発生するのか未だに判明していない。


 『忘却』を得た動く死体は時間が経過すると徐々にレベルが上がり、個体差があるのだが数時間から数日で人の記憶をすべて失う。

 彼女のスキルを確認したが『忘却』レベルが高いので自分が何をしていたのかすぐに忘れてしまうようだ。なので、こうやって時折話しかけることで、何をしていたのかを思い出させてやる必要がある。

 動く死体のもう一つの特徴である『食人』スキルも調べたがレベルは低い。これなら食欲を自力で抑えられるかもしれない。


「ご自宅はどこにあるのですか」

「このぉぉぉ……みちのぉぉぉ……さきぃぃぃ……」

「そうですか。早く帰らないとご家族が心配されますね」

「うぅぅ……ん……」


 小さく頷く姿は寂しそうに見える。

 たまに道から逸れて森の中に行きそうになる彼女に声を掛けてから、その手を繋いで街道へと戻す。

 血の通らない冷たい手は人の柔らかさが失われて硬い。

 小首をかしげて見上げる彼女は俺を不思議そうに見ている。


「夜道は足下が見えずに危険ですから、手を繋いでいきましょう」

「はぁぁぁ……いぃぃ……」


 それからも、定期的に声を掛けて目的を思い出させる。

 静かな夜道をランタンの頼りない光が照らす。

 動く死体と共に歩く夜道。そんな日もたまには悪くない。

 どれくらい歩き続けただろうか。前方に炎の明かりが見えてきた。

 あれは村の前に設置されている松明の光。


「ついぃぃ……たぁぁ……」

「よかったですね。家族が待ちかねていますよ」


 彼女は足早に村へ向かって駆けていく。

 俺の速足にも劣る速度だが、これが今の彼女の全力疾走。

 深夜だというのに開け放たれていた村の門へと飛び込む彼女。

 前髪が後ろに流れ顔があらわになる。その顔は嬉しそうに微笑んでいた。


「ただ……い……ま……」


 そう口にした彼女は門を抜けると同時に地面に倒れ……動かぬ死体と化した。

 ゾンビやリビング・デッドは肉体を完全に破壊して滅ぼすのが一般的な倒し方だが、幽霊や悪霊と同じく未練を果たせばあの世に送ってやれる。

 俺は彼女を抱きかかえると、村の奥へと進んでいく。

 深夜に訪問者が来たというのに誰も出てこない。それどころか村には誰の気配もない。

 人のいない村の奥へと進むと、そこには村の共同墓地があった。

 ざっと見まわして一つの墓を見つけるとその前に彼女を運ぶ。

 墓標には家族の名が刻まれている。父と母、それに娘と息子が。


「これで全員揃いましたね。この方で間違いありませんか?」


 墓標に向かって呟くと地面から青白い光があふれ、三人の人影が浮かび上がった。

 人が好さそうな顔をした夫婦と幼い男の子。


『ありがとうございます。娘を連れてきてくださって』

『この子ったら死んでも方向音痴が治らなかったのですね』

『お姉ちゃんらしいね』


 今回の依頼人である三人が穏やかな死に顔の娘を見て微笑む。

 この村は数週間前に野盗に襲われ壊滅した。その際に両親が命懸けで娘と息子を逃がしたのだが、その途中ではぐれた娘だけが街道の脇で力尽きた。

 家族への未練が残っていた彼女は村へ帰りたいと願った。その結果、彼女は動く死体として蘇り歩き始めたのだが、生まれつき得ていた『方向音痴』と『忘却』の相乗効果により村とは違う方向へと彷徨っていたのだ。

 俺はこの廃村に偶然通りかかり、幽霊となってまで娘と姉を心配する家族に出会った。

 家族のスキルを売ってもらう事を条件に彼女の探索を頼まれ、何とか彼女を連れてくることに成功した。


「これで依頼は完遂ですね。娘さんは私が埋葬しますので、ご安心ください」

『最後までありがとうございます。では我々のスキルをお受け取りください』


 家族から買い取ったスキルは平凡でレベルも低かったが、少し色を付けて代金を支払う。彼らはもう受け取ることができないので墓前に供えておく。

 ……この代金は墓地の整備に使わせてもらうとしよう。

 深々と頭を下げた家族が白い粒子となって夜空へと昇っていく。

 それを見送ると墓標を外して墓を掘り起こし、棺桶の空いたスペースに彼女をそっと横たえさせた。


「今度は家族の手をしっかり握って、道に迷わないでくださいね」



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