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見学と家族

 宿屋一階の食堂の窓際は外が良く見えるので好んで座っていたら、いつの間にか俺の特等席になっていた。

 別に他の人が座っても構わないのだが、よほど混んでいない限りその席は空いている。

 今日も当たり前のように特等席に座り、店内を何気なく眺めてみた。

 宿屋の娘で元祖看板娘チェイリが、客の下ネタを嫌味なく注意してあしらっている。

 彼女は露出が多い格好をしているので、新規の客が軽い女と勘違いして声を掛けることがあるのだが、劇団で鍛え上げられた演技力と度胸で笑って受け流す。

 こういうのはスーミレにはまだ無理だよな。今も絡んできた客相手にしどろもどろになっているところをチェイリに助けられている。


「はーい、うちはお触りもお誘いも禁止よー。変なことしたらうちの常連が黙ってないんだからね」


 チェイリが茶目っ気のあるウィンクをすると、常連の男性客たちが利き腕を掲げた。

 その中には屈強な冒険者が何人もいて、ちょっかいをかけていた男は金をテーブルに置くと慌てて店から飛び出していく。


「皆さん、ありがとうございます」


 ぺこぺこと何度も頭を下げるスーミレに常連が親指を立てて応える。

 スーミレもすっかり馴染んだな。初めて会った頃は頬もこけていて顔色も良くなかったが、今は元気いっぱいに店内を駆け回って働いている。

 今ではこの店の二枚看板娘として活躍中だ。

 当初は手際も悪く足を引っ張っていたが、最近は立派な戦力として活躍――。


「注文したのまだかな」

「あっ、す、すみません!」


 どうやら注文を厨房に伝えていなかったようで、スーミレが慌てている。

 ……まあ、うっかりミスはあるようだが、それでも立派に成長して――。

 パリーンと店内に響く大きな音に何事かと客が驚き視線が集中する。それはスーミレが落とした数枚の皿が割れた音だった。


「す、すみません! 直ぐに片付けます!」


 まるで働き始めた頃のようだ、と和んでいる場合じゃないな。

 少し気になったので彼女の様子を観察していると、それからもミスを連発しては謝っていた。


「らしくないですね」


 失敗は誰にでもあるが、今日のスーミレは心ここにあらずといった感じで、ぼーっとしていることが多い。

 何か心配事があるのかもしれないな。日頃お世話になっているので、後で話を聞いてみるか。



 昼の書き入れ時が過ぎたので、カウンター近くで虚空を見つめているスーミレを呼ぶことにした。


「スーミレさん。……スーミレさん」

「えっ、あっ、はい!」


 はっとした顔になると小走りで駆け寄ってくる。


「ご注文でしょうか」

「いえ、そうではないのですが。何かお悩みでも? 今日は注意力が散漫なようですが」

「あう……。すみません」


 自覚はあるようで、お盆を胸に抱えて頭を下げている。


「何か悩み事があるなら聞きますよ? 私では力になれないかもしれませんが、人に話すことで気が楽になる場合もありますので」

「ありがとうございます。せっかくなので、甘えさせてもらいますね」


 対面の席に座ったスーミレは一枚の紙を取り出してテーブルに置く。

 それは学び舎への申込書だった。

 学び舎か……。子供達に勉強を教える施設なのだが、月謝があるので一般階級以上の余裕がある人々が通う場所、というのが市民の認識だ。

 この国は教育にも熱心なので他国に比べて月謝も安く、庶民でも通える程度なのだが、それでも貧民層には敷居が高いというのが現実。

 それに学問は生活に余裕がある人の娯楽、という認識の大人も多く、子供を通わせるのを頑なに拒む親がいる。


「おや、スーミレさんが学びに行くのですか?」


 彼女の年齢だと少し遅いが、自分で稼ぐようになって勉強をしてみたいと願う大人は少なくない。個人的には良いことだと思っている。


「私じゃなくて弟と妹を通わせようかと思っています」

「パージさんとカースミさんですか」


 双子の弟妹には食事に誘われた際に会っている。大人しい弟と利発な妹だった。


「はい。私はそんな余裕がなかったので通えませんでしたが、今は少し余裕があるので、あの子たちを行かせてあげたいなと。でも、あの子たちは行きたがらないのですよ。私が学び舎に行けなかったのを知っていて遠慮しているようで」

「お二人らしいですね」


 弟と妹は家族を気遣い、自分のスキルを俺に売ろうとしたぐらいだ。

 月謝もそうだが、学び舎に通うことで家の手伝いが出来なくなることも理解したうえで、家族に迷惑を掛けたくないと思っているのだろう。

 スーミレと同じく家族想いの良い子だ。


「あの子たちにとって余計なお世話だったのでしょうか……」

「学問は必須かどうかと問われれば、必要のないものかもしれません。ですが、学ぶことにより未来への選択肢が増えます。最終的に学んだことを活かせない職に就くこともあるでしょう。そうだとしても、将来を選べる余裕があるというのはとても大切なことなのですよ。新たなスキルに目覚める可能性もありますしね」


 スーミレが真剣な目で俺を見つめている。

 説教臭いので嫌がられるかとも思ったのだが、もう少し続けてみよう。


「学んだことは決して無駄になりません。学ぶことで問題が解けた時の喜びや、自分はやれたという自信。難しい問題でも真剣に取り組めば答えにたどり着ける。これを理解できただけでも将来の役に立ちます。それに、学び舎は学問だけではなく、同じ年代の子供と触れ合う場でもありますから」

「そうですよね……。ありがとうございます、すっきりしました! もう一度家族で話し合ってみます」

「少しでも力になれたのなら嬉しいですよ。ですが、納得しない相手を無理やり行かせるのだけはやめてあげてください。集団行動には向き不向きというものがありますので。学ぶだけなら、私でも簡単な数の計算や文字程度なら教えられますから」


 そんな助言をしたのは、過去の体験が頭をよぎったからだ。

 魔法使いを育成する学園で出会った一人の生徒。……彼のように追い詰められてまで、集団で学ぶ必要はない。


「はい! 回収屋さんに相談してよかったです。また困った時は……お話を聞いてもらえますか?」


 上目づかいでそんな風に言われて断れる男がいるだろうか。

 いつものように微笑んで小さく頷いた。



 あれから一か月。スーミレも心配事から解放され、いつものように働いていたのだが……最近またミスが増えている。

 どうやら、また話を聞く必要がありそうだ。


「すみません、また弟妹のことで……」

「どうしました。学び舎が楽しくないのですか。それとも他の生徒と馴染めないのでしょうか」

「いえ。二人とも毎日、学び舎であったことを楽しそうに話してくれます。勉強も他の子と比べて優秀らしくて、妹が自慢していました」


 上手くいっているのか。それは何よりだ。


「では、どのようなことでお悩みを?」

「ええとですね。今度、授業参観があるらしくて見学に行きたいのですが、私が行っていいのかどうか」

「遠慮する必要はないのでは。お母さんと一緒に見に行ったら、きっと喜びますよ」

「……二人とも『仕事を休むのは良くない』とか『見られるのは恥ずかしい』と言っているのですよ」


 これは判断が難しい。気を遣っているとも取れるが、純粋に授業を見られると恥ずかしいという子供特有の心境なのかもしれない。


「ですから、あのー。『隠蔽』や『変装』を一時的に貸してもらうというのはできませんか? そうしたら弟たちにバレずに見学できると思うのですよ」


 気持ちは分からなくもないが、それはさすがに大袈裟だ。


「大丈夫ですよ。普通に行っても怒ったりしませんから。照れるかもしれませんが、きっと喜んでくれます」

「そうでしょうか。うん、そうですよね!」


 表情が明るくなり、嬉しそうに頷いている。

 相談されると相手に意見を求められていると勘違いしがちだが、大半は自分の考えが決まっていて実は意見を求めてはいない。背中を押して欲しいと願っているだけだから。

 ……と、若い頃に知り合いの女性に面と向かって言われたことがある。

 そんな過去はどうでもいいが、これでスーミレも心置きなく授業参観に行けるだろう。



 二日後。朝食を食べ終わった俺の対面にスーミレが座った。

 見ているこっちにまで幸せが伝染しそうな満面の笑みだ。


「授業参観は楽しかったですか?」

「はい! 二人は恥ずかしがっていましたけど、ちゃんと勉強しているところを見られて嬉しかったです! あっ、意外だったのが妹よりも弟の方が積極的に発言していたんですよ。うちでは大人しくて、妹の方が出しゃばりなのに」


 今は俺以外の客もいないので休憩時間らしく、チェイリや女将さんはこっちをちらっと見ただけで咎めようとはしない。

 言いたいことが山ほどあるようなので、聞き役に徹することにしよう。

 休み時間が終わるまで話を聞いていたのだが、要約すると一所懸命に勉強する姿や、新たな一面が見られてよかった、ということらしい。


「スーミレちゃん、そろそろ仕事始めるわよー」

「はい! 回収屋さん、長々と話してすみませんでした」

「いえいえ。しかし、家とは違う自分を見られるというのは、そんなにも恥ずかしいものなのでしょうか?」


 窓の外に見える親子連れを眺めながら、ふと思った疑問を口にする。


「うーん、どうなんでしょう。頑張っている姿を見てもらえるのって悪いことじゃないですよね。あの子たちは恥ずかしがっていましたけど、帰る時には『来てくれて、ありがとう』って言ってくれましたから。私も子供の頃ならきっと嬉しかった筈ですよ」


 俺は両親に優しくされた思い出がないので、家族のあるべき姿というのが想像しがたい。唯一の身内が特殊すぎる姉なので何の参考にもならない。

 彼女がそう言うのだから、そういうものなのだろう。

 宿屋の入り口が開く音がして、勢いよくスーミレが振り返る。


「いらっしゃいま……せ」


 新たな客を見て彼女が硬直した。

 さっき窓から見えた親子連れが入ってきたようだ。

 家族を想う気持ちは一緒か。引きつった笑みを浮かべているスーミレも内心では喜んでいることだろう。

 働きぶりを見学に来た、母と弟と妹の来店に。


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