故障
「ただいま戻りました」
「「おかえりなさい!」」
行きつけの宿屋の扉を開けると、ぱあっと光を放ったのかと見紛う笑顔で看板娘二人に迎え入れられた。
この街を離れてたった数週間だったというのに、ほっと安堵の息が漏れる。
まるで我が家に帰って来たかのような心地良さ。
「あっ、回収屋。戻って来たのか」
階段をとことこと早足で降りてきたクヨリが隣に並ぶ。
最近は髪の手入れもこまめにやっているようで、以前のように寝ぐせでぼさぼさではなく艶やかで真っ直ぐな髪だ。
服装は相変わらずほつれて破れた跡が無数にあるドレスだ。
「またその服を着ているのですか。今度、新しいのを買いに行かないといけませんね」
「分かった。我も一緒に行こう」
「おや……。いつも私に任せていたのにオシャレにでも目覚めましたか。良い傾向ですね」
そう言うとじっと俺の顔を見上げて、頬を膨らましている。
何か言いたげに見えるが、言葉の選択を間違えたのかもしれない。
「ところで、独裁者の国はどうだった」
「あっ、私も聞きたいです!」
「私もー、あれっ、団長は一緒じゃないの?」
三人同時に訊かれた。声が重なって若干聞き取りにくい。
「独裁国では問題はありませんでしたよ。詳しい話はあとでしますね。団長は劇場に寄って来るそうです」
順番に答えてから窓際のいつもの席に座り、お茶と焼き菓子を注文する。
看板娘二人はもっと話を聞きたがっていたが仕事があるので渋々戻っていく。
クヨリは何のためらいもなく、俺の隣の席に座っている。
一息ついたら神父に新興宗教の報告に行こうかな。それに『理性』スキルがどうなっているかの確認もしておきたい。
だけどこの心安らぐ時間は誰にも邪魔をされたくないので、もう少しくつろいでから――
「回収屋さああああああんっ!」
勢いよく開け放たれた扉が壁にぶつかる音に続いて、絶叫が宿屋内にこだまする。
聞き覚えのある声だったのでお茶を飲み干してから振り返ると、取り乱して慌てふためているセラピーがいた。
いつものワンピースを着て首からは〈大いなる遺物〉をぶら下げている。涙目で俺を必死になって探しているようだ。
嫌な予感しかしないのでこのまま『隠蔽』で姿と気配を消すのもありかもしれない。
そんなセラピーの後ろには背筋を伸ばして佇んでいるアリアリアがいる。もちろん本来のオートマタの姿ではなく人間のメイド状態だ。
いつもなら主であるセラピーにツッコミを入れるかバカにする場面なのだが、まるで立場をわきまえた従者のようにおとなしい。
「回収屋さん、助けてええええっ! どこ、どこですかあああっ!」
あまりにも悲痛な叫び。無視するわけにはいかないか。
立ち上がると手を振って自分の場所をセラピーに知らせる。
「セラピーさん、ここですよ」
「いたああああっ!」
懸命に走り寄ってくるセラピーの胸部が派手に上下に暴れている。
俺は今更どうも思わないが、他の男性客がそこを凝視していた。
何故かクヨリとスーミレは殺気を漲らせた視線をぶつけていて、チェイリは少しだけ悔しそうだ。
そのまま抱き着いてきそうな突進だったので、思わずセラピーの額を手で押さえて勢いを殺す。
「役得なのにもったいねえ……」
誰だ、今呟いた客は。
「みづげだあああっ!」
「ちょっと落ち着いてください。どうしたのですか」
涙目で鼻水も垂れ流しているセラピーにハンカチを渡す。
それで涙を拭いて鼻もかんでから返そうとしたので、「差し上げます」と丁重にお断りしておいた。
「あの、あの、壊れたんです! 壊れたんです!」
「何が壊れたのですか。〈大いなる遺物〉絡みでしょうか。それなら大事ですが」
セラピーが住んでいるところには魔物を飼育している施設や、地下に巨大迷宮がある。それらが制御できなくなると、海辺のあの村が壊滅するだけではすまない。
「当たってますけど、ちょっと違うんですぅぅ!」
支離滅裂で説明もおぼつかないセラピーに聞くよりも、アリアリアに聞いた方が早いと判断して視線を移す。
いつもなら問答無用で割り込んでくる場面なのだが、じっとしているだけで口も挟まない。
「アリアリアさん、どういうことなのか説明してもらっても構いませんか?」
「主を差し置いて発言するわけには」
「どうしたんですか。まるで従者みたいですよ?」
「アリアリアは従順で主に尽くすのが生きがいですので」
いつものように無表情ではなく優しく微笑みながらセラピーを立てている。
たちの悪い冗談にしか思えないが、アリアリアの性格だと嘘でもこんなことはやらないよな。
「セラピーさん、これはいったい?」
「そうなんですうううっ! アリアリアが壊れちゃったんです! 一週間ぐらい前からずっとこんな感じなんです! 不気味なんです! 怖いんですうううう!」
額から手を放すと抱きついてぶるぶると震えている。
これは本気で怯えているようだ。
「詳しい話を……ここでするわけにはいきませんね」
周りの客と店員が聞き耳を立てている。
アリアリアがオートマタであることを知られるわけにはいかない。とりあえずは自分の部屋で聞かせてもらうか。
「ええと、込み入った話もあるでしょうから私の部屋まで来てもらえますか」
「へ、部屋ですか⁉ えっ、でもこんな昼間ですし、心の準備が」
セラピーが体をくねらせて変な動きをしている。
何やら勘違いしているようだな。俺を睨んでいるクヨリや店員や客と同じように。
「いや、そんな気はないですよ。アリアリアさんもご一緒に」
「初体験が三人ですか……」
「主の命令とあれば」
更にややこしくするのはやめて欲しい。
これ以上説明するのも面倒なので、二人を連れて長期間借りている部屋に移動する。
椅子が足りないので二人はベッドに腰かけてもらう。アリアリアは遠慮して壁際に立ったままだ。
俺は愛用させてもらっている椅子に座り……。
「クヨリさんはどうしてついて来たんですか?」
呼んでもないのにクヨリは無言で部屋に入り、当然のようにベッドに座っている。
「変な事をしないか見張り」
どうやら信用されていないようだ。
彼女はアリアリアの正体も知っているので問題はないか。
「それでいつからどうしてこうなったか、もう少し詳しく教えてもらっても構いませんか」
「はい。あれは一週間前ぐらいでした。アリアリアは月に一回ですがメンテナンスという行為をするのですよ。それをしないと体の調子が悪いらしくて」
「メンテナンスですか、初耳ですね」
「方法は家の中にある二つの細い穴に、体から伸びた紐のような物を刺して半日ぐらい動かなくなるんです。その間は話しかけても返事が出来ないので、いつも放置しているんですけど」
オートマタの動力は不明だが、そうやって力の補充をしているのかもしれないな。地下にある施設と繋がって魔力のような何かを得ている、と考えるとしっくりくる。
「今回もいつものようにやっていたら、突然大きな雷が家に落ちて……。我が家は無事だったのですが、アリアリアがいきなり目が痛くなるぐらい光って、煙を体から噴き出したと思ったら、こうなったんですぅ」
「雷が紐から伝わって体内に流れ込んだのでしょうか。強い衝撃を受けて記憶が飛んだ人を何人か見たことがありますが、それに近いのかもしれません。今までの記憶が失われて素の人格が現れた」
「えええっ! じゃあ、元々はこんなに大人しくていい子だったんですか、あのアリアリアがっ⁉」
「どういう意味でしょうか?」
驚きの余り絶叫するセラピーを笑顔で嗜めるアリアリア。
怒っていないように見えるのが逆に怖いらしく、また俺にしがみついているがクヨリが持ち前の怪力を活かして引き剥がした。
「困りましたね。人間であれば対処の仕方もいくつか思い浮かぶのですが、オートマタには通用しないようですし。こういう時に詳しい方が……ああ、いましたね」
我ながら間抜けだと思う。アリアリアについて誰よりも詳しい相手がこの宿屋にはいたじゃないか。
俺は一旦部屋を出ると対象の人物の部屋を訪れて、経緯を説明して引っ張って来る。
「アリアリア、何それ。チョー受けるぅぅ」
独特な言い回しで笑っているのは茶色く波打つ髪に丈の短いスカートが印象的な少女――イリイリイだ。
以前、アリアリアと戦い敗北してから、この宿屋に住み着いている。
一度動かなくなって何とか修復してからは口調がこんな感じになってしまった。
「前から気になっていたのですが独特な方言ですよね」
「方言じゃないしぃ。これって大昔に流行った若者言葉だしぃ」
オートマタが作られた時代の言葉なのだろうか。今と基本は似ているのだが、聞いているだけで少しイラっとする。
だが今は彼女が頼みの綱。余計なことを言って機嫌を損ねるわけにはいかない。
「アリアリアの状態について何か分かりませんか?」
「こんなのチョー余裕だしぃ。バックアップ中に電流が走ってデータがぶっ飛んだだけでしょ。ってことで修復中はサブAIが起動しているって感じ?」
「……すいません、もう少し分かりやすくお願いします」
セラピーも理解が及ばずに呆けた顔をしている。
クヨリは考える気もないようでじっとセラピーの胸を見つめては、自分の胸に視線を向けて大きなため息を吐いているので放っておこう。
「こんなのも分かんないのー、マジ無理ぃ。えっとね、記憶が混乱している間はこの大人しい別人格がでてきているだけ。これで分かった?」
普通に話せるのなら初めからやって欲しい。
「つまり、時間経過で元に戻るってことですか。それはどれぐらいで?」
「んー、一週間から長くても二週間でしょ。それでも戻らなかったら私が何とかするから。じゃあ、そゆことで」
それだけ言うと、そそくさと自分の客室に戻っていった。
「という事らしいので。もう一週間過ぎているのでしたら、あと数日で元に戻るかと」
「そうなんだー。ありがとうございました! これで安心して暮らせます。このままだったらどうしようかと」
胸を撫でおろしているが、アリアリアがこのままだと何か困るのだろうか。
いつもよりも物静かで命令に歯向かわないこの状態を、都合がいいと捉える人も多いだろうに。
「今のままだったら、あなたをバカにもしませんし、毒舌を浴びせかけられることも、からかわれることもないのですよ?」
「それは分かっています。でも、うーん、何て言えばいいのかな……いつもの口うるさくて性格も悪くてサボり魔のアリアリアが本来の姿ですから。私もそっちの方が落ち着くので」
頭を掻きながら困ったように笑う。
いつもは口喧嘩ばかりだが、本当に仲がいいのだな。
「そうですか。早く元に戻るといいですね」
「はい!」
屈託なく笑うセラピーの後ろで、アリアリアも同じように嬉しそうに笑っていた。
二週間後、いつもの席で午後のティータイムを満喫していると、扉が勢いよく内側に開いた。
「回収屋さあああああんっ! 助けてくださいぃぃ」
またセラピーの泣き声が聞こえる。
アリアリアが元に戻らなかったのかと心配して立ち上がろうとする。
「近所迷惑ですよ。その使い道のない無駄に大きな胸で口を押えてはどうですか」
アリアリアの毒舌が聞こえたので安心してお茶の続きを楽しむ。
「前に戻れるなら、もう一度壊れて! あの従順で家事全般を嫌がらずにやってくれたあの頃にっ!」
「お断りします。なぜ、私よりも下等な存在に従わねばならないのか、百万文字以上で詳しく的確に説明してください」
「多いよ! 一大巨編が出来上がるから!」
騒がしい声を聞き流しながら、俺は優雅にお茶を最後まで飲み干した。