新興宗教
街の片隅にある小さな教会の前に立っている。
その宗教のシンボルらしきものが屋根の上にあるのだが、見たこともない形をしている。
巨大な棘付きのハンマーで岩を叩いている? ようなデザインなので、宗教というよりは鍛冶屋の看板の方が相応しい。
ここに来るまでは少し疑っていたのだが、女難と『理性』でお馴染みの神父が言っていたことは本当のようだ。
「あの独裁国で一風変わった新興宗教が立ち上がったと耳にしまして。訪れるのであれば、どのような教義で何を行っているのか調べてはもらえないでしょうか」
と神父から頼まれていたので物のついでに足を運んでみた。
彼は良き商売相手であり、こちらの都合で色々試させてもらっているので、これぐらいは引き受けないと罰が当たる。
「しかし、辺境の村で独自の宗教に遭遇することは多々ありますが、国の首都で新興宗教というのは珍しいですね」
多くの国では国教が存在し、それ以外を信じる者は爪弾きにされるのが普通である。宗教色の濃い国では異端者として牢に放り込まれても不思議ではない。
この大陸には二大宗教があり、人々の大半はそのどちらかを信仰している。
一つは杭の国を筆頭に多くの国で信じられている、ハワシウ教。
他人を羨むことなく、困難に陥っても嘆くのではなく乗り越える強さを持て。という権力者にとって都合の良い教義を掲げている。
つまり、貧乏でも我慢して努力しろ、という意味だと俺は理解している。
もう一つはこの独裁国や治安の悪い地方で流行っている、イウズワ教。
欲しいものがあれば奪え。力がないのであれば大人しく従い尽くせ。というのが教義だ。
力こそ正義と言わんばかりの教えなので、冒険者や犯罪者に信者が多い。
二大宗派が掲げる神は両方とも女神で、太古の昔に一人の男(創造神)を奪い合った仲らしい。ハワシウ教の言い分だと、
「ハワシウ様と創造神が仲良くしているのに嫉妬して、邪神イウズワが色目を使ってちょっかいかけてきた」
とのことらしい。それに対してはイウズワ教の信徒は反論する。
「いいえ違います。創造神はまとわりつくハワシウが邪魔だったのです。そこに現れた美しく魅力的なイウズワ様に、創造神が一目ぼれしたのです!」
もっと回りくどく難解な言葉で誤魔化してはいるが、互いの主張はこんな感じだ。
仲が悪い両宗教なのだが、創造神の奪い合いでこの世界が一度滅びたという神話は、互いに認めているのが面白い。
両方の意見を訊いた上での感想としては、創造神がだらしない、という印象しかない。
神であろうが色恋沙汰は人間と変わらないということなのだろう。この神話が創作でなければだが。
そんな世界で新たな宗教を一から興すのは何かと難しい。分派のように少し考えが異なるが元は一緒、というわけではなく全く新しい宗教らしい。
そんな知識を思い返しながら、もう一度教会を観察する。
教会自体はこぢんまりしている。街である程度は情報収集をしたのだが、誰もが腫れ物に触れるかのように適当に誤魔化すだけで、詳しい話は何も聞けなかった。
教祖らしい人物は街中で目撃されているが、板に棒を貼り付けた看板を手にして熱心な勧誘をしているそうだ。
その人物は美形で中性的らしく、性別は女性らしい。
彼女と話をしたことがある人に訊ねると「強引で頭も……固い人だよ」と口にしていたが、周りにいた人が苦笑いだったのが非常に気になる。
スキルを利用して強引に聞き出すことも可能だったが、そこまでする必要はないと判断して直接ここにやってきた。
真新しい両開きの扉の傍に備え付けられていた小さな鐘を鳴らす。
カランカランと耳に心地いい音が響き、扉の向こうからこちらに駆け寄ってくる足音が聞こえてきた。
「はいはいー、ちょっと待ってくださいね! 逃げないでくださいね! 信者になりたい方でしょうか!」
勢いよく開け放たれた扉から飛び出してきた女性が俺の両手首を力強く握る。もう逃がさないと握力が語っている。
至近距離まで顔を寄せた彼女のきらきらと輝いた瞳が、俺を捉えて離さない。
肩に触れるかどうかぐらいの髪の長さに、太めの眉と大きな目。少し日焼けした健康的な肌に浮かぶのは満面の笑み。
確かに男性か女性か判断の難しい顔をしている。声からして女性のようだが。
服装は神父が来ている祭服よりもシンプルで、胸元に教会の屋根の上にあったシンボルが描かれている。
「初めまして、回収屋と申します」
「カイシュウヤ? 個性的なお名前ですね」
「いえ、名前ではなく職業名とでもいいましょうか」
「これは失礼しました。廃品回収のお仕事をされているのですね、ご苦労様です。あいにくうちには使えそうな古い物がなくて……」
この人は話を聞かずに突っ走るタイプか。
完全に誤解をしているようなので、自分の仕事内容を分かりやすく説明する。スキルを売れるという点は隠しておいて。
「オンリースキルですか。耳にしたことはありますが、凄いですね! それで、今日は入信に? それとも寄付ですか?」
「すみません、私は神を信じていませんので」
「なら都合がいいです! うちに入信しましょう!」
手首に感じる圧が強くなった。
めげずにぐいぐい来る人だな。
「ええと、入るかどうかは別として、お話だけ聞かせてもらっても構いませんか?」
「もちろんです! ごほんっ! 人は時に苛立ち暴力を振るう場合もありますよね。その対象となった人が何も悪くなかったとしても。そんな困難に遭遇して理不尽な暴力を受けたとしても、殴り返しては争いの火種が大きくなるだけです。相手の憤りも暴力もその大きな愛で全て受け止めて我慢する。というのがうちの売りです!」
胸を張って自慢気に語ってくれたが、それってつまり……。
「殴られっぱなし、というわけですか」
「はい! 殴られ放題で反撃は無しです!」
無抵抗主義か。
昔、平和主義者が集まって武器を捨て争いのない国を築いた。しかし、その国が豊かになると周辺の国に襲われて、あっという間に滅びた過去がある。
ふと、そのことを思い出す。
理想としては悪いことではない。だが悲しいことに、誰もが優しく人を思いやれるわけではないのだ。
抵抗しないということは相手を増長させるに等しい行為でもある。
「それでは最悪死ぬ場合もあるのでは。それすらも受け入れるのですか」
崇高な考え……だとは思う。でも、それはこの世界では無謀でしかない。
「えっ、まさかー。死ぬのはダメですよ。死んだら意味がないじゃないですか」
「では、逃げろと?」
「いいのをもらったら、ダメージで動けなくなりますからね! 逃げるのも難しいと思いますよ!」
笑顔で嬉しそうに語られるとこっちが対応に困る。
しかし、予想外の答えが返って来た。殴られ続けて、死ぬのは嫌、逃げるのは無理だと分かっている。
この人もしかして、深く物事を考えるのが苦手なのだろうか。
「では話し合いで解決するのですか」
「暴力に訴える人に話なんて通じませんよ、やだなー。それに殴っていると興奮しているみたいで余計に人の話を聞きませんからね」
手を振りながら笑っている。
今の会話で笑うポイントはあったのだろうか。面白い話をしたわけじゃないのだが。
「そうなると、殴られている最中に死んだ振りでもするのでしょうか」
「あっ、それもいいですね! メモしておきます!」
懐から取り出した手帳に熱心に書き込んでいる。
勤勉なのは結構だが、この人は何を考えているのかさっぱり分からない。
「よっし、書き終わりました! それで入信の手続きなのですが」
「いや、入りませんよ。それと、話もまだ途中ですし」
「あっ、そうでしたね。助言をしてもらえたので、すっかり入信気分でしたよ。ええとですね、殴られると怪我するじゃないですか。それに相手も調子に乗って殴り続けるかもしれないじゃないですか」
「そうですね」
その点は理解しているのか。
今までの話だと何も考えずに殴られるイメージがあったが、そこまで浅はかな考えではなかったようだ。
となると、何か画期的な方法でもあるのだろうか。少し興味が湧いてきた。
しかしこの人は面白い。話しながら大袈裟な身振り手振りが入るので、飽きずに聞いていられる。
今も話しながら拳を突き出して殴る真似をしたかと思うと、頭を抱えて殴られて耐えている自分を表現していた。
「でも私は違います。私は少々殴られても平気なので、全てを受け入れることができるのです!」
「はい?」
期待していただけに、思いもよらない発言に声が漏れた。
「すみません。無学な私には理解が及ばないのですが、どういう意味なのでしょうか」
「ええとですね、私は殴られても平気なんですよ。殴った方が後悔するぐらい頑丈ですから! どうですか、試しに不平不満を拳に乗せて私を殴ってみます?」
俺に頬を突き出して、ここ殴っていいですよと指差している。
この人、もしかして……単純に防御力が高いだけなのか?
その自信からして見当はついたが、『鑑定』を発動してスキルを調べる。
『硬化』『頑強』『頑丈』『強硬』が並んでいた。それも高レベルで。
なるほど、これだけ硬い系のスキルが高レベルで揃っていたら、殴った方の手が痛くなる。たぶん鉄よりも固い。
それに『頑強』と『強硬』には自分の意見を曲げない精神的な意味合いも含まれているので、何を言っても自分の主張を押し通す彼女の性格にも納得がいった。
「私は生まれつき『頑強』『頑丈』『強硬』を持っていまして、昔から殴った相手が泣いて謝るのを見て、ピンときたのです! 無抵抗って強いって!」
拳を掲げて悦に入るのは勝手だが、想像していた展開と違う。
確かに彼女は殴られても平気なので無抵抗が通じるだろう。だが、それって……。
「おっしゃる通り、無抵抗でも大丈夫かもしれませんね、あなたは。ですが信者の方はどうされるのですか? 殴られたら痛いですし、あなたほど頑丈ではありませんよ」
「いいところに気がついてくれました! そこで私は考えました。じゃあ、スキルを得られるような特訓をすればいいと! 私も初めは『硬化』スキルを持っていなかったのですが、厳しい修練の結果、手に入れることができたのです!」
そういえば生まれつき持っていたスキルに『硬化』が含まれていなかった。『硬化』を後天的に覚えたという前例は聞いたことがないのだが、覚えられるものなのか。
本当にそれが可能であれば彼女の主張も間違いとは言えない。
「ちなみにどのような修練を」
興味本位で聞いてみると目の色が変わり、再び俺の手を力強く掴んで顔を接近させて来る。圧が凄い。
「よくぞ聞いてくださいました。まずは日が昇る前に起きて滝に打たれます。時折上から流木や石や岩が流れてくるのですが、そこは頑張って耐えます」
「…………」
頑張ってどうにかなるものじゃない。
「滝行が終わったら朝食を食べてから街の外に向かいます。そこで魔物討伐をします。避けるのは禁止で魔物を狩り続けます。あっ、もちろん冒険者ギルドで依頼を受けておきますよ。そうすると運営費も稼げて一石二鳥ですから」
「…………」
慌てて説明を付け加えているが、気にするポイントはそこじゃない。
「夜になったら二人一組で鉄の棒を持って順番で殴り合って体を鍛えます。あっ、初心者は木の棒ですので安心してくださいね」
「…………」
何処に安心する要素があったのだろうか。
「お風呂はぐつぐつに沸かした熱湯にして肩までつかって百まで数えます。睡眠は大切なので鉄の棘を置いたベッドでぐっすり眠ってもらいます」
「…………」
煮えるし、永眠する。
この荒行という言葉さえ生易しく感じる拷問方法を笑顔で話す、この人はかなりヤバい。それも悪気がないのが更に質が悪い。
ここまで聞いて素朴な疑問がある。
「ところで他に信者の方は、いらっしゃらないのでしょうか?」
俺の顔を正面から捉えていた目が、すっと逸れる。
そして手首を掴む力が強くなる。必死になって引き留める理由は把握した。
「何故か皆さん初日の内に取り消されるか、気を失って治療院送りに……」
小首をかしげているが手は放してくれない。
普通なら反省をして考えを改めるものなのだが『頑強』『強硬』が精神に作用した結果だろう。レベルを上げた結果、他人の意見に耳を貸さず譲らないこの性格が完成した。
スキルを見た時は買い取る気が満々だったが、この人は深くかかわらない方がいいと『直感』が断言している。
話が通じない相手がどれだけ厄介なのかは、酷い過去と共にこの身で体験済みだ。
早々に立ち去った方が利口か。
「為になるお話ありがとうございました。行商人として修行をする暇がありませんので、とても残念ですが入信はお断りさせていただきます。心ばかりの寄付ですが……」
そう言うと手を放してくれたので、懐から取り出した財布から多めの寄付を渡す。
「こ、こんなにもいいのですか! ありがとうございます!」
喜んでくれて何よりだ。
手元の金貨に気を取られている内に気配を殺して、そっと扉まで下がろうとしたら服の裾を掴まれた。
「離していただけないでしょうか」
「まだ入信の手続きが終わっていませんよ?」
「申し訳ありませんが」
「他宗派の信者ではないのですよね。それでしたら、問題ありませんよ!」
話が初めに戻った。
「行商人として各地を渡り歩き、定住していませんので、申し訳ありませんが」
「でしたら特別扱いとなりますが、三日で完遂する圧縮修行をやりましょう! 通常の五倍ぐらい辛いですが、熱い信心があれば乗り越えられます!」
「辞退します」
常人だと確実に死ぬ修行を試す気にはなれない。
説得の際に『話術』『心理学』を活用しているというのに通用しない。聞く耳を持たないとはこのことか。
なだめすかし寄付金を増量して、各地でこの宗派の話を広めることを条件にようやく解放された。
入信を進める気にはなれないが、話のネタとしては受けるかもしれない。
どうやら解放してもらえるようなので、相手にバレないように安堵の息を吐く。
帰り際に少し気になったことを切り出してみた。
「この宗派は結婚や恋愛行為は禁止されていないのでしょうか」
二大宗派の一つハワシウ教は婚前の性行為を禁止している。恋愛にも節度を求められ、熱心な信者はそれを守り抜く。
もう一方のイウズワ教は教義からして分かるように、本能の赴くままに好きにすればいいという考えだ。
「恋愛も結婚も自由ですよ。私は結婚も恋もまだですが」
そりゃ無理でしょう。という言葉が喉元まで出かけたが呑み込む。
この人とまともに付き合うことができる人がいたら、素直に称賛したい。
「それはもったいないですね。魅力的ですのに」
見た目だけは。という部分は外しておく。
お世辞が満更でもなかったのか、身をよじらせて照れている。
でも、自分の立場を思い出したようで、大きく咳払いをして表情を引き締めた。
「恋にも興味がないわけではありません。ですが私は……身持ちも硬い女ですから」