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墓をほる人

 カン、カン、カン。と小気味良く石を削る音が作業場に何度も響く。

 入り口の扉をそっと閉めて、作業が終わるまで見守ることにした。

 石を加工する道具と大きな石が幾つも転がっている部屋。そこに、一人の男がいる。

 長い髪を後ろでまとめ、袖のない服と半ズボン。

 服の上からでもくっきりと分かるぐらい背筋が浮き出ている。ほぼ毎日、石を彫り続け鍛え上げられた職人の証。

 壁際には四角く切り出されただけの石が幾つも並んでいるが、色は様々で黒に近い色もあれば濁った灰色のものまである。

 向かって右側の壁にはまだ手を付けていない石材。左側には既に完成した――墓石が並んでいた。


「こんなもんか。おっ、回収屋いたのか。声をかけてくればいいものを」


「お仕事の邪魔をするわけにはいきませんからね」


 手にした石工具であるノミを地面に置き、肩をほぐすようにぐるぐると回している。

 顔や体には削った石の粉が付着していて、全体的に黒っぽい。

 黒塗りの妙な顔になってはいるが、布で拭きとった顔は目尻が下がっていて穏やかそうに見える。


「ところで、何の用だい。また誰かの墓石を頼みに来たのかな?」


「ええまあ。生前に自分好みの墓石を製作して欲しいそうで」


「ほうほう。回収屋には世話になっているからね。優先して引き受けるよ」


 墓石を彫る職人である彼とは物心つく前からの面識どころか、先々代から付き合いがある。

 そもそものきっかけは先々代に『石工』スキルを売ったのが事の始まりだった。

 昔から俺は多くの人の死を見送ってきた。葬式には何度参列したのか覚えてもいない。そんな生活を送っていれば、自然とそういった関係に詳しくなり関りも増える。


「いつ見ても見事な出来ですね」


 完成した墓石に指を滑らせた。

 凹凸が一切なく磨き上げられた墓石の表面は、なめらかに仕上げられている。

 ここの墓石は質素なものが多いが、墓というのは地方や人によってかなり違いがある。権力者は無駄に大きな墓を建てたい欲求があるようで、宮殿を丸ごと墓にした王もいる。

 そういえば別の権力者が建造させた山のように巨大な墓は、今は遺跡と呼ばれ観光スポットになっているそうだ。

 桁外れの金持ちの話以外となると、材質の違いだろうか。

 村などでは木の板を。大きな町の貧民以外は石を。

 冒険者などは愛用していた武器を墓標代わりにするのも定番だろう。

 彼の場合は名の売れた職人なので少々値が張る。俺が依頼した場合はかなり安く割り引いてもらえているが。


「仕事を持ってきてくれるのは嬉しいんだが、回収屋が自分で彫った方がいいものができるんじゃないか? いっそのこと腰を据えて何かの職人にでもなれば、ぼろ儲けできるだろうに」


 粉が残っていて気持ち悪いのか、頬をぼりぼりと掻きながら職人が苦笑いをする。

 彼は俺の能力を知っているので、それを指摘しているのだろう。


「スキルを活用させてはもらっていますが、本職にする気はありませんよ」


 これだけのスキルを使って一つの職に絞れば、世界一の富豪になることも夢じゃない。

 だが他人のスキル――能力で一つの道を究める気にはなれない。自分の実力でもない他人の才能で称賛を浴びて財を手にする。それを良しとしなかった。

 散々、スキルを利用しておいて何を言っているのかと理解してもらえないだろうが、自分なりのこだわりだ。

 それに姉との決着をつけるまでは、今のままでいい。……回収屋の仕事も気に入っているし。


「そうか。生き方は人それぞれだから、他人がとやかく言うことじゃないな。それで誰がどんな墓標をご希望なんだい?」


「匿名希望の方からのご依頼です」


「ちょっと待ってくれ。それでは名を刻めないのだが」


「名は別の者が彫るそうです。それは無理でしょうか?」


「墓標の形だけ整えて欲しいのか。いや、大丈夫だ。珍しいがないわけじゃない」


 木の墓標の場合は家族が名を入れる場合や、村長が担当することも少なくない。

 石だと技術が必要となるので普通は職人に全てを託す。今回は訳ありなので、そこは省いてもらうことにしている。


「それに名を刻まなくても済むかもしれませんしね」


「どういうことだ?」


「これは失言でした。こちらの話です、すみません」


 訝しげに眉をひそめているが、この話を詳しく彼にすることはできない。


「曰くありげな依頼か。回収屋からの依頼でなければ受けないところだが、信用しているよ」


「詳しい事情を話すとそちらにも害が及ぶ危険性がありますので、申し訳ありません」


 これは彼が知るには荷が重すぎる。

 言えない事情を察してくれたようで、彼もそれ以上は何も言わない。


「じゃあ、その人の趣味や好きな物は知らないかな? 最近は墓に好みの装飾を彫るというのが流行っていてね」


「そうなのですか?」


「国が豊かだと余裕のある市民が増えてね。家にこだわりがあるように、永遠の棲み処となる墓に凝る人がいてもおかしくないだろ」


 そう言われ改めて完成品に目をやると、一般的な形である墓標以外にも花や動物が彫り込まれた形の物が結構あった。

 更に凄いのは墓石自体が動物や壺や椅子等の形をしている物まである。


「それは家具職人の墓で、そっちは雑貨屋だね」


「なるほど、中々に個性的で。これなら墓を探す際にも迷いませんね」


「まあ、そのせいで一つ彫るのに今までよりも時間がかかるようになったけどね」


 従来の四角い板状で上部が丸みを帯びているだけの物よりも、数倍、下手したら数十倍は時間がかかることだろう。

 墓石を見るだけで生前の姿がしのばれるので、これはこれでありかもしれない。

 何か装飾を施してもらうと仮定して、趣味や好きな物か……。


「読書と絵を描くのが好きでしたね」


「それは贅沢な趣味だね。裕福なのかな」


 本は大きな街では流通しているが、小さな村となると日々の生活に追われているので、村長や隠居した学者、もしくは読書好きが数冊持っている程度で普及率は低い。

 そもそも、商売人や村長以外は文字が読めないという村もざらにある。

 絵となると画材も安くないので、画家でもない限り趣味で書く人は滅多にいない。


「それを参考にした図案を書いておくから、三日、いや、二日後でいいか。確認をしに来てくれるかい?」


「相変わらず仕事が早いですね。分かりました、この時間にまたお伺いしますよ。……ええと、それと……もう一つお願いがありまして」


 詳細はまた今度ということで、手土産を渡して作業場を後にした。

 予定が一つ終わったが今日は午後から重要な案件があるので、次の現場に急いで向かわないと。





「最近、深夜になると街中に変態が現れて問題になっているのですよ。なんでも裸の上に外套を着ているだけの姿でうろつき、若い女性を見つけると前をはだけて見せつけるという手口だそうです」


 巷で面白い話はないかと訊かれたので、スーミレが不安そうに相談してきた変態の話題に触れたのだが、目の前の女性は眉根を寄せてこっちを睨んでいる。


「何故にその話を我にした……」


 怒りを押し殺しているようで若干声が震えている。

 目の前の女性が力を込めて握りしめた椅子の手すりが、ぎしぎしと軋む音がするが彼女の周囲には何もない。

 漆黒のドレスを着込み、空気椅子のような不自然な格好で頬杖をついているのは、杭の国に訪れている女王だった。


「別に他意はありませんが、あなたなら犯人の気持ちが理解できるのではないかと」


「好き好んで裸体で過ごしていたわけではないわっ!」


 怒鳴りつける女王の迫力に怯えたのか、黒い服の表面が微かに蠢く。


「グロイが怯えているではないですか」


「おおっ、すまないグロイよ。お前は気にしなくていいんだよ。ほら、怒ってない、怒ってない。笑顔だろ?」


 無理に微笑んでいるので頬が痙攣しているが、服の動きは治まった。

 彼女は黒いドレスを着ているが、それは本来のドレスに黒いスライムが薄く貼り付いて形を保っている。

 オンリースキル『透明化』の影響で、常に全裸にしか見えない女王に対しての苦肉の策だ。


「はぁー。回収屋には色々と世話になっているが、もう少し女王に対しての礼儀というか、なんというか……」


 額に手を当てて頭を左右に振り、疲れた表情でため息を吐いている。

 毎回、顔を合わせる度にからかうのが決まりごとになっているが、このぐらいにしておこう。本気で怒らせると王子まで関わってくるので何かと面倒になる。


「それでご用件は?」


「そうであった。隣国に不穏な動きがあるのは承知しておるだろう。どうやら、本格的に侵略を開始するらしくてな。無理難題を吹っかけてきて、この約定が認められないのであれば開戦もやむを得ない、という宣戦布告があった」


「あの独裁国ですか。とうとう動き出すのですね」


 無能だった国王がとある人物の差し金により……言葉を濁す必要もないか。後ろで糸を引く姉の影響で軍事に力を入れ、近隣に脅しを始めた。

 これはただの脅しではなく近いうちに侵略戦争を開始するのは、ほぼ間違いない。

 マエキルや眠り姫からの情報によると食料の備蓄も充分で、傭兵や評判のよくない冒険者も次々と独裁国へ集まっているそうだ。


「こちらには杭の国の後ろ盾もある。まずは他国を侵略して戦力を増強してからだとは思うが、この国の動向は予想もつかぬことが多くてな。お世辞にも豊かとはいえない国だというのに軍備をどうやって整えたのか。その資金源は何処なのかそれが分からぬ」


 悩んでいる振りをしているが鋭い眼光が俺を射抜いている。

 その目は全て知っていると暗に伝えていた。

 一国の女王ともなればこちらと同等かそれ以上の諜報活動が可能となる。姉の存在を察知していても不思議ではない。


「裏で糸を引く者がいるかもしれませんね」


「……そうだな。かの国に忍ばせていた者が既に十人以上は連絡がつかなくなっておる。中々の切れ者であるのは確かだ」


 マエキルがあの国に滞在して情報収集をする予定だったが、俺と眠り姫が止めて正解だったようだ。

 姉だけではなく配下が優秀なのもこの身で体験済み。敵の幹部だったカイムロゼによると、レアスキルやオンリースキル所有者がまだ何人もいるらしい。


「杭の国から優秀な兵を五千借り入れ、警備についてもらってはいるがどうにも嫌な予感がしてならぬ。念のために国民の一割程度はこちらに移り住ませてもらっている」


 小さな国とはいえ既に一割もの人を移しているのか。

 同盟国であり王子と婚約中であればこその手段だが、思い切ったことをしたな。

 恐らく富裕層のみが移っているのだろう。贅沢品が広まってきたのもその影響が多分にある。


「快く受け入れてくださった王子には感謝の言葉しかない。さすが、我の愛する男だ」


 恋する乙女の顔をした女王が、頬に両手を当てて全身をくねくねしている。

 威圧的な顔と態度ばかりを見てきたので新鮮ではあるが、怒鳴っている時より別の意味で怖い。

 恋愛経験が皆無な女王が初めて恋した男性があの王子となると、ぞっこん惚れ込むのも頷けるな。

 立ち居振る舞いも容姿も問題なく、おまけに相手のして欲しいことを事前に察知する能力に長けている。『精神感応』スキルのおかげとはいえ、ある意味では理想的な男性像ではないだろうか。


「万が一、戦争が始まった場合は防衛を覚悟はしているが、国民の全てを杭の国に逃がす予定だ。受け入れ態勢も整えてもらっている」


 移民の全てを受け入れるというのか。人道的な理由だけではなく、それだけの余裕が国にある、ということでもある。

 この国の財政が潤うように仕向けたのが功を奏したようだ。幸運の持ち主である彼の起用と鉱山の問題が片付いたのが大きい。

 ……鉱山では色々あって、暫くリプレとクヨリが口を利いてくれなかったが。それは国家間の問題に比べれば些細なことだろう。


「近々、あの国の様子を見に行く予定にしています。情報が入り次第伝えますので」


「回収屋なら心配は無用だろうが……気をつけるのだぞ」


「細心の注意を払いますよ。危険を感じたら即座に撤退しますので」


 姉の懐に飛び込む危うさは重々承知している。

 だが相手の情報を得ることの重要さは、左腕を失った時に心に刻んだ。

 勝利を得る為の必須条件。姉側の戦力をできる範囲で把握しておきたい。


「こちらの密偵を連れていくか? 命を捨てる覚悟は済ませている連中だ。いざという時は見捨ててもらって構わぬ」


 冷たい目だ。

 女王の発言を冷酷だと非難する人もいるかもしれないが、斬り捨てる決断もできない者が国の頂点に立つわけにはいかない。


「お気持ちだけで充分です。一人の方が何かと動きやすいので」


 隠密行動となると一人の方が何かと動きやすい。頼りになる仲間は多いが、潜み情報収集に適した人材となると……察して欲しい。

 荒事に適した人材として思いつくのが数名いるにはいる。

 クヨリは良くも悪くも目立ち、罠を避けようともしない。

 チャンピオンは身を隠すという発想がそもそもない。罠があれば自ら突っ込んで粉砕する。

 となると手段は限られてしまう。


「いざとなれば民衆を引き連れて国を……捨てればいい。御先祖様には申し訳が立たないが。命さえあれば人はやり直せる。とはいえ、簡単に捨てる気はないがな。国民の財産や住む場所や……人々の思い出を守るのは女王たる我の務めでもある」


 このご時世だ、戦争や魔物の影響で故郷を追われ移り住む者は多い。

 涙を呑んで生まれ育った土地を離れる人々の、無念の表情を何度も目にしてきた。


「最悪の展開にはなりませんよ。……いや、ならせませんよ」


 それは女王に向けた言葉ではなく、自分自身に言い聞かせていた。





 次の日、俺は墓石が立つ予定の場所へ足を運ぶ。過去の記憶と一致する点は少ない。

 丘の上に立つ小さな民家は壁も天井も朽ち果て、土台すら土に埋もれている。

 庭にあった花壇には花が一本も植えられていない。育てる者がいないのだから、植えても枯れるのを待つだけ。


「やはり、墓を建てるのはここしかないですよね」


 姉と共に過ごした我が家の跡地。

 自分の姿は若い頃のままだが、この場所に来ると過ぎ去った年月を再確認させてくれる。

 次に姉と会った時が今生の別れになるだろう。


「人を呪わば穴二つと言うからね。姉さんの代わりに墓穴は俺が掘っておくから安心して」


 俺はこの場に穴を二つ掘って蓋をしておく。

 長すぎる人生を終えるのが、俺になるのか姉になるのか……それとも二人になるかは分からない。それを考慮して墓標には名を刻んでいない。

 どちらがその下に眠ることになってもいいように。


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