前へ次へ   更新
65/85

男の甘味

「困ったわー。本当に困ったわー」


 宿屋一階の特等席で外を眺めながらお茶を飲んでいると、対面の席に宿屋の女将が座った。

 暇な時間帯とはいえ女将が客席に座るのは珍しい。


「あー、どうしようかしら。本当に大ピンチよ」


 無事な方の手で頬杖を突いて、俺の方をじっと見つめ同じような台詞を繰り返している。

 何を訴えかけているのかは理解しているが放置中だ。

 俺が黙っていると包帯の巻かれた手をアピールするかのように、テーブルの上に置く。

 女将は昼時の忙しい時間帯に利き手を火傷してしまい、チェイリから戦力外通告をされて暇を持て余していた。


「料理人は私以外に一人しかいないから、正直手が足りなくてねー。あの娘の料理は、まあ、お察しだから。スーミレは上手な方だけど、丁寧に作るので早さが足りないのよ。あー、誰か手際よく料理をできる人が、現場を手伝ってくれたら助かるのにー」


 露骨にちらちらと何度もこっちを見ている。

 つまり、女将は俺に厨房を手伝って欲しいと言っているのだろう。


「料理が得意な知り合いが一人いますよ。独創的な料理なのですが味は保証します。セリフェイリさんという新婚ほやほやの女性ですが」


「その人って、確か料理教室を開いた時の……あの魔界の入り口を連想させる料理を創造した、コンギスさんの奥さんですよね」


 眉根を寄せて話す顔を見て、乗り気ではないのは即座に理解できた。

 あの料理を食堂で出したら、良くも悪くも評判にはなりそうだ。


「回収屋さんって『料理』スキルを持っていると耳にしたのですが」


「ええまあ。持っていますよ」


「二三日で完治すると思うから、それまで手伝ってもらえません? もちろん、給金は支払いますから」


 包帯の巻かれた痛々しい手を合わせて、頼み込む女将を無下にはできなかった。

 何かと世話になっているので、これぐらいの手伝いなら問題ないか。


「給金は必要ありませんよ。日頃からお世話になっていますからね」


「ありがとうございます! これであの子たちもやる気出してくれるわね。あっ、そうそう。ついでと言ってはなんだけど、新メニューも考えてもらえないかしら?」


「メニューを増やすのですか。今でも十分だとは思いますが」


 ここは他の食堂と比べてメニューが豊富で美味しく安い。だから宿を利用しなくても料理だけを食べにくる常連は多く、特に昼時と夜は戦場と化す。


「いやね。今まではうちの客って冒険者や肉体労働者。あとは家族連ればっかりだったのに、最近は女性客が増えたのよ。スーミレの人当たりのよさもあるのだけど、宿泊客に女性が増えたおかげで店に女性客が入りやすい雰囲気が生まれたみたいで」


 なるほど。確かに俺がこの宿屋にやって来た当初はむさ苦しい男性客が多かった。今は客層も女性率がかなり上がっている。

 男ばかりの店には女性も二の足を踏むが、店内に女性が増えると自然と足を運びやすくなる、ということか。

 最近では魔王団長がここで団員たちと打ち合わせをすることも増えて、役者目当てにやって来る演劇ファンも増えているそうだ。


「今でも十分すぎるぐらい繁盛していると思うのですが」


「ほんと、ありがたいことにね。でも、飯時のメニューを増やしたいわけじゃないのよ。女性客が多い時間帯。昼と夜の間に出せるような菓子や甘味が欲しいかなって」


 そういうことか。

 焼き菓子とお茶が少しだけあるが、正直その方面は弱い。

 だが食堂に菓子やお茶がある方が稀で、そもそも菓子は贅沢品でありそれが普及しているということは、この杭の国が他国と比べて発展している証拠でもある。

 最近は景気が急上昇中らしく、お茶を楽しむという文化が一般にも浸透してきているそうだ。

 商売人としてはこの波に乗るしかないよな。


「菓子に関しては、あまり見かけたことがなかったですね。……仕事柄、各地に足を延ばしていますので、食べた経験を元に再現してみましょうか」


「お願いできるかしら。新メニューは手の空いている時でいいから」


 珍しく美味しい料理は話のネタになり、商売として利用できることもあるので『記憶力』のスキルを活用して覚えることにしている。

 夜の書き入れ時を過ぎたら何品か作ってみるか。





「お疲れさまでしたー! 回収屋さんの料理大好評でしたね!」


「母さんより、美味しいんじゃないの。ほら、ほら、食堂の隅を見てみてよ」


 食堂の営業時間が終わり、後片付けも終えて一息ついているとスーミレとチェイリが駆け寄ってきた。

 二人とも俺の仕事ぶりを褒めてくれているが、少し『料理』レベルを抑えるべきだったと後悔している。

 肘で脇腹を押してくるチェイリが指差す方へ目をやると、食堂の隅で突っ立ったままこっちをじっと見ている女将がいた。……悔しそうにハンカチを噛みしめながら。

 やはり、レベルを落とすべきだった。


「いえいえ、女将さんの腕には敵いませんよ。さて、お二人はもう少し付き合ってもらってもいいですか。女将さんに頼まれていた新作の試食をしていただきたいので」


「えっ、いいんですか! 回収屋さんの手料理楽しみです!」


「芝居と仕事終わりは小腹が空くから、嬉しいわ~。期待してるからね」


 瞳を輝かしているスーミレと、茶目っ気のあるウィンクをしたチェイリの期待に応えないとな。

 夕方前に買い出しに行って購入した果物を使ったものと、卵をふんだんに使った焼き菓子を試してみるか。……いや、それだと面白味がないか。

 好奇心が抑えきれずに手元を覗き込んでいる二人へ「出来上がってからのお楽しみに」と言って厨房から追い出し、一人で料理に取り掛かる。

 まずは利益を度外視して、作るだけ作ってみよう。

 完成した菓子をテーブルに運ぶと、いつの間にかクヨリやリプレまで椅子に座って待ち構えていた。甘い匂いに誘われてやってきたそうだ。

 こんなこともあろうかと多めに作っておいて正解だった。

 待ち構えている女性陣の席に菓子を運ぶ。南国と北国で食べられている冷たい菓子と温かい菓子を提供してみよう。


「まずは冷たい方を先にどうぞ」


 ガラスの器に入っているのは氷を細かくすり下ろした氷菓子。果物を煮詰めて作っておいた蜜をかけて食べる。

 南国では氷系の魔法を使える者が副業としてやっている、最も人気のある菓子。

 今回の蜜はこの時期に手に入りやすい赤い果実を使ったので、白い氷に赤い蜜が映えて、見た目も悪くないと思う。

 杭の国では存在しない氷菓子なので、全員が興味津々といった感じだ。


「うわぁー、初めてですよこんなの。弟達が喜びそうです」


「氷よね、これ。そういや、劇中でこういう氷菓子があるって台詞があったような」


「器が冷たい。我も初体験だ」


「地元ではこんなのなかったです」


 食べる前の食いつきは悪くない。

 未知の料理というのは誰もが警戒するようで、全員がゆっくりと匙を口に含む。

 ごくりと呑み込んだ瞬間に全員の目が大きく開かれる。


「「「「美味しい!」」」」


 これはお世辞ではなく本心だというのは『心理学』に頼らなくても分かった。

 冷たさと甘さに感動しながら、何度も口に運んでいる。そんなに一気に食べたら……。


「ん、んんーっ⁉ 痛い、頭がああっ!」


 クヨリ以外が頭を抱えて唸っている。


「すみません。言うのを忘れていました。これは大量に一気に食べると、冷たさで頭がキーンとなるのですよ」


「そ、それを早く言ってくださいよ……」


 温かいお茶も添えていたので、三人が慌てて飲んでいる。

 クヨリは『痛覚麻痺』があるので、頭の痛みもなく食べきっていた。

 総評としては夏場に食べたい。冬間近のこの時期は売れないと思う。とのことで今回は見送りとなった。

 それに果物を煮詰める際に大量の果物と砂糖を使用したので割に合わない。「利益が見込めないので無理」との女将さんからのツッコミも入る。


「では次に隣の温かい品をどうぞ」


 氷菓子で体が冷えたところに温かい汁物は美味しく感じるはず。

 木の器に入った黒い汁には小さな豆が幾つも浮かんでいる。


「あ、あの、これはどういう菓子なのですか」


 スーミレが木の器を両手で包み込み、暖を取りながら首を傾げる。

 この見た目に尻込みしたのか……。無理もない。俺も初めてこれを出された時は、黒い液体が毒なのではないかと警戒したから。

 まあ、クヨリは物怖じすることなく既に飲んでいるが。


「これは小さな豆を甘く煮込んだ汁物ですよ。中に芋の角切りを入れる場合もあります。汁も豆を完全に潰すか豆の形を残すかで、地元では派閥ができるぐらい人気の品です」


 個人的には豆を残した触感がある方が好みだ。

 この料理に使われている豆は煮込む前は赤い実をしているのだが、煮込んでいる最中に真っ黒に変色する。地元の者以外は躊躇する食べ物としても有名だった。

 クヨリが平然と食べているのを見て覚悟が決まったようで、残りの三人も口にする。

 恐る恐る食べていたというのに、口に含んだ瞬間にほっとした緩んだ表情に変わった。

 甘く温かい物を食べると和む。寒い地方では何よりのご馳走となる品だ。


「温まりますね~。これから寒くなるから人気出ますよ。お母さんたちにも食べさせてあげたいぐらいです」


「見た目はアレだけど、味もいいし材料も少なくて済みそうね。私でも作れるかな」


「黒は良い……。我の好きな色だ」


「時間が戻っていないということは安全ですね」


 満場一致で後者の方がいいという結論に達したので、食堂の新メニューが一つ決定した。

 もう遅いので後片付けをしてから宿の部屋に戻る。

 料理が評価されたのは嬉しいが、問題は仕入れだ。

 あの豆はこの地方では育てられていない珍しい植物なので、大量に確保するとなると……。ああ、そういえばあそこが群生地だったな。

 寒い場所で育つので彼も重宝していた。あの小さい豆は他の菓子にも使えるので、大量に仕入れる事ができたら別の商売にも利用できる。

 今の内に生産体制を整えておくのもありだ。

 




「最近、ご無沙汰していて申し訳ありません」


 久しぶりに無能者であった友人の墓参りをして手を合わせる。

 墓標やその周りは綺麗に掃除されていて、彼らが大切にしてくれているのが目に見えて分かった。

 友人が住んでいた丸太小屋には、今は別の冒険者三人が住み着いていて、山の魔物退治に精を出してくれている。


「回収屋のアニキ。今日はどのようなご用件で?」


「墓参りと皆さんに会いに来た……。のもありますが、他にも目的がありまして」


 俺の背後に立つ、凛々しい顔つきの三人の冒険者に振り返る。

 初めて会った時とは比べ物にならない、引き締まった体に精悍な顔。

 過酷な自然と魔物の脅威と戦いながら過ごしているだけのことはある。口調と態度も以前とは違い、見た目だけでなく中身もかなり鍛えられているようだ。


「ここの近くに生えている赤い小さな豆をご存知ですか?」


「ええ、もちろん。無能者様の手記にも書かれていましたので」


「なら話が早いです。あれが実ったら集めておいて欲しいのですよ。もちろん代金は支払いますので」


「それは構いませんが……。あの豆は食べられるんですよね? 料理をして食べていたような記載があるのですが、料理方法が書かれていませんでしたので」


 三人が頭を掻きながら困り顔をしている。

 友人は事細かな日常まで詳しく日記に書いていた。食材から料理方法についてもその例に漏れない。

 そんな彼が赤い豆の食べ方だけは書いていなかった。それを楽しみにしている記述はあったというのに。


「そのことですか。実は甘いもの好きなのを隠していたのですよ。「甘い物なんぞ、男らしくない」と断言していましたからね」


 ……懐かしいな。

 彼の嘘を見抜いていた俺は冬になると、手作りの黒い汁物をご馳走したものだ。

 興味のないふりをしながらも、その作り方を熱心に見つめ記憶しようとしていた。

 かなり気に入っていた証拠があの豆の群生地。自分で増やして栽培した結果、ああなった。俺にバレないように少し離れた場所に植える念の入れようだったな。


「今から、皆さんにもご馳走します。ここは寒いので芯から温まりますよ」


 振る舞った汁物を気に入った彼らに料理方法を伝えると「自分たちでも作る」と言い出したので豆を利用した他の菓子も教え込んでおく。

 それからというもの彼の墓の前には、定期的に赤い豆を材料として作られた菓子が供えられるようになった。


 前へ次へ 目次  更新