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死に際

 小さな街の中心には広場があり、そこには雄々しく立つ騎士の銅像がある。

 剣を掲げて雄叫びを上げているかのような姿の銅像は、この街を救った英雄である騎士を模ったものだ。

 英雄はこの街を偶然訪れていた騎士団の一員で、王からの命に従い重要な任務の最中に彼一人だけこの街に残った。

 街に凶悪な魔物が接近しているとの情報を掴んだからだ。

 兵士と協力して戦った魔物との死闘は数時間に及び、騎士の一撃がトドメとなり魔物は息絶えた。

 しかし、騎士も大怪我を負い息を引き取ったと語られている。

 街の住民達は彼の功績をたたえて広場に銅像を建て、英雄として祭るようになった。

 十数年前の出来事なのだが、街の人々は彼を尊敬して男の子には「彼のようになるように」と言い聞かせる者が殆どだ。


 そんな街で彼を嫌悪して見下す者がいる。

 今もその者は銅像を睨み地面に唾を吐く。

 誰もが眉をひそめるような行為だが、直接咎める者はいない。

 不快感をあらわにしている青年の横顔には――英雄の面影があった。


「何が英雄だ。俺は絶対にあんたみたいな死に方はしない」


 忌々しげに呟く青年の声が聞こえた。

 彼は英雄の息子で才能に恵まれた体躯を活かして冒険者をやっているのだが、自分の命を顧みない無謀な行動が多く、同業者から嫌われている。

 偉大な英雄の息子でありながら、父を毛嫌いする態度に苦言を呈する人も多いのだが彼はその考えを改める気は毛頭ない。

 俺は公園のベンチから腰を上げると、今も銅像を睨んでいる青年に歩み寄った。


「こんにちは」


「あんたか。こんな面白味もない街に何しに来たんだ、回収屋」


 俺の顔を横目で確認すると、呆れたようにため息を吐く。

 英雄である彼の父親とは交流があり、息を引き取る直前にもその場にいたので青年とも面識がある。


「少し、野暮用で。……まだ、お父さんを許せませんか」


「はっ、偉大なる英雄様ね。あんただって、あの場にいたんだ。俺の気持ちは分かるだろ?」


 肩をすくめて苦笑いを浮かべる。

 あの時、父親を見送ろうとこの街まで母とやってきた息子は、血まみれの父親の胸にすがり泣きじゃくっていた。

 あの瞬間まで彼は父親を尊敬する可愛らしい少年だったのだが。


「どんな人でも死を目の当たりにすると……」


「俺は違う! あんな無様な死に方はしねえっ!」


 言葉を遮り、青年が叫ぶ。

 あまりの声の大きさに広場にいた人々が振り返る。

 そして青年の姿を確認して、小さく息を吐く。

 街の人のあきらめたかのような表情は、なぜあの英雄の息子があんな風になってしまったのかと、語っているかのようだった。


「どいつもこいつも、本当のオヤジを知らない癖にっ!」


 地面を蹴りつけて彼は去っていく。

 今日も英雄の息子は冒険者ギルドで危険な依頼をこなすのだろう。

 以前、どうしてそんな無謀な行為を繰り返すのか問いただしたことがある。

 その時に彼は真面目な顔でこう言った。


「理想の死に方を求めている。情けなく死ぬのはごめんだ」


 まだ少年だった彼の脳裏には、あの映像が焼き付いて離れないのだろう。

 ――彼の死生観を覆すほどに。

 父親が死んだ責任の一端は俺にある。

 英雄となった父親がここに残ることを決心したのは、以前に俺がいくつかのスキルを売ったのが原因だ。

 あの力を得ていなければ前線に立つこともなかった。

 結果論に過ぎず、それを選んだのは青年の父親だというのは重々承知しているが、それでも割り切れるものではない。

 絶望に打ちひしがれ泣くことをやめ、絶望に染まった当時の少年の顔を目の当たりにしてしまうと……。


 とはいえ常に彼を見守るわけにもいかず、こうやって街を訪れた際には気に掛けるようにしている。

 過去に思いをはせている間に、冒険者ギルドから依頼書を手に出てきた彼から距離を取り、『隠蔽』を発動させて後を追う。

 気づかれることなく尾行を続けていると、青年は寄合い馬車の停留所で御者と話をしている。

 どうやら馬車の護衛のようだ。

 彼が一人で冒険に出る場合はあまり心配をしていない。彼は死に場所を探しているが、一人で寂しく死ぬ気はない。

 人が見ている前で潔く死にたい。それが彼の望みだから。

 『聞き耳』で盗み聞きをしたのだが、かなり危険な地帯へ向かう馬車のようだ。

 本来は護衛が一人だけでは不安が残るのだが、依頼人の懐具合があるのだろう。少々無謀でも依頼料をケチって、命を危険に晒す者は少なくない。

 魔物が現れなければ問題がないと高を括って。


「行先は……次の予定地に近いですね」


 依頼内容と目的地を聞いたときの青年の歪んだ笑みが気になった俺は、このまま尾行を続けることに決めた。





 初日の夜は無事に過ぎそうだ。

 幌付きの馬車の中で御者と依頼人は寝ているが、護衛の彼は焚き火の前に座り、ぼーっと夜空を眺めている。

 青年はスキルも揃っていて実力は上級冒険者まであと一歩といったところ。

 恵まれた才能と無謀ともいえる実戦を繰り返した結果、彼の実力は当時の父親に匹敵するまでとなっている。

 青年が今の実力で父の隣に立っていれば未来は変わっていただろうが、あり得ない例を出したところでどうにもならない。

 焚火に薪を足して立ち上がると、青年は剣を手に取り素振りを始めた。

 あの剣は父の遺品であり、父の命を奪った剣でもある。

 鬼気迫る表情で剣を振るう青年は何を考えているのか。あの最期が今も頭にこびりつき、それを消し去ろうとしているのだろうか。

 心の傷は時が癒してくれることもあるが、彼の場合はそうはならなかった。

 苦境に身を置き死に触れることで、映像はより鮮明になっている気がしてならない。


「生きることは苦しいですか……」


 届かない声を漏らすほどに彼の姿は痛々しかった。

 彼には幸せを掴んで欲しい。だが、それは俺が決めることではない。

 生を望んでくれるのであれば全力で支援をするが、彼は死ぬことしか考えていない。

 生きることが苦痛で死ぬことでしか安らぎを得られない者がいても不思議ではない。自分の価値観が絶対ではないのだから。


「父さん……。母さん……」


 今にも泣き出しそうな青年の声を聞き、俺は夜空を見上げる。

 夜空には無数の星が輝いていた。





 二日、三日と無事に終わる。

 魔物は現れたのだが苦戦もせずに全て駆除する。彼の腕をすればあの程度の魔物は片手間で倒せる相手だ。

 あと二日で目的地に着く。そんなタイミングを見計らったかのように馬車の進路上に魔物が現れた。

 頭の三つある巨大な体躯の犬型の魔物。

 三つの口からは呼吸のたびに炎がちろちろと漏れ出ている。


「ケ、ケルベロスがなんでこんなところにっ⁉」


 その姿を目の当たりにして、悲鳴を上げる御者。

 無理もない。ケルベロスは上級クラスの冒険者が狩る魔物だ。遭遇は死を意味する。

 それにあの街の住民にとってケルベロスは恐怖の象徴。

 ――英雄が身命を賭して倒した相手だから。


「おあつらえ向きじゃねえか!」


 そんな強敵を前に進み出た青年の顔に浮かぶ感情は――喜び。

 今の実力なら運の要素も絡むが、ギリギリ勝てるかどうかの実力差。

 俺が陰から手を貸せば確実に倒せるが……。


「いるんだろ、回収屋! てめえが手を出したら、俺はここで自害するぞ!」


 背を向けた状態で雄叫びのように声を荒げる青年。

 まさか、気づかれていたとは。


「いつからです」


「やっぱ、いやがったか。はっ、気配すら感じてねえよ。だがな、あんたは俺がヤバい時や困った時にいつもふらっと現れていただろ。だから、今回もいるんじゃないかとカマかけただけだぜ」


 やられた。確信もなく叫んだだけだったのか。

 今更、惚けるわけにもいかない。姿を現して馬車の横に並ぶ。


「これで安心して死ねるな! 馬車の方は頼むぜ!」


 ためらいもなく彼はケルベロスに向かっていく。

 死に場所を求めている彼にしてみれば、おあつらえ向きの舞台。


「ど、どなたか知りませんが。彼が託すぐらいなら強いんですよね! なら、力を貸してあげてください! 彼を手伝って!」


 御者が必死の形相で俺に懇願してきた。

 言われるまでもない。俺だって助けたい。

 だが彼は理想の死を望んでいる。彼が考えを改める可能性に賭けるとしても……今ではない。ここは見守るしかないのだ。

 拳を握りしめ戦闘から目を離さない。

 どんな結末が待っていようと、最後まで見届ける義務がある。

 俺が葛藤する間に青年の剣がケルベロスの頭の一つを斬り落とし、もう一つの頭の両目を潰した。

 その代償として彼の右腕はもう動かない。大量の血が零れ出ていて、このままだと数分で血が足りずに動けなくなる。


「ははっ! 死ねそうじゃねえか!」


 死が目前に迫っているというのに怯えの色は微塵もない。

 むしろ、対面するケルベロスの腰が引けているように見える。


「逃げんなよ! 魔物なら根性見せやがれ!」


 人の言葉が通じたのではないだろうが挑発されていることだけは理解できたようで、最後に残った頭が青年を威嚇する。

 応急処置と自分で配合した回復薬を、いつでも取り出せるようにポケットに忍ばせて身構えておく。

 ケルベロスが最後の力を振り絞り跳び掛かる。

 青年は避けようともせずに全体重をかけた突きを放った。

 切っ先はケルベロスの顔面を貫くが、直前に振り下ろされた爪が青年の胸を(えぐ)る。

 地面に横たわるケルベロスの死体の隣で青年が跪いているが、剣を支えにして辛うじて体勢を維持しているだけで、いつ倒れてもおかしくはない。


「お見事でした。手当をします」


 駆け寄って青年に傷を見せるよう促すと、弱々しく首を横に振った。


「い、いいんだ。この傷ではどうせ助かんねえよ」


「いえ、まだ間に合います」


 確かに重症だが、今なら何とか命を取り留めることは可能だ。


「放っておいてくれ。俺は潔く死ぬ。親父とは……違う」


 頑なに治療を断る彼の意志は揺るぎそうにない。


「やはり、あの時のことが忘れられませんか」


「ああ、そうだ! あの、死に際の情けなさをあんたも見ただろっ!」


 血を吐きながら叫ぶ姿に俺は何も返せなかった。

 あの時、そうあの時、英雄と呼ばれている彼の父親は子供と妻の前で――醜態を晒したのだ。





 重傷を負い命が尽きるのを待つ身となった男がいる。身を預けるベッドのある小さな部屋には、家族と俺だけが残された。


「お父さんっ! 死なないでお父さん!」


「あなたっ! うっうううっ」


 父親に縋りつく息子とベッドの脇で涙を流す妻。

 応急処置で彼の血は止めたが折れた骨が内臓を突き破り、その命があと僅かなのは『医療』スキルで判明している。

 目を閉じて荒い呼吸を繰り返すだけだった男の目が、家族の呼び声に応えるかのように突如開いた。


「お父さ……」


「嫌だ……死にたくない! なんで俺は他人のために死ななくてはならないんだ! 痛いっ、痛いっ! 助けてくれよ! なあ、誰か助けてくれよ!」


 血走った目で助けを乞う父親の姿に息子と妻は言葉を失う。


「なんて馬鹿なことを俺はしたんだっ! 冷たい、怖い……死にたくない! お前ら俺が死ぬのに何で生きてんだ! お前たちの命を俺に寄こせ! 何で俺だけが死ななくちゃならない!」


 情けなく喚く父親。

 死への絶望から生ある者への妬みによる罵倒。

 顔色を失い呆然とした顔で膝を突く息子。

 今、父親は死を目の当たりにして、後悔が胸を埋め尽くしている。

 多くの死に接してきた俺にとっては、彼のように取り乱す姿は驚くことではない。

 人は自らの命が失われると自覚した途端に命が惜しくなる。誰もが素直に死を受け入れられるわけではないのだ。……それが英雄と呼ばれる男であったとしても。

 だが、理想として憧れの存在として見てきた父の落ちぶれた姿は息子の心に、取り返しのつかない衝撃を与えた。

 息子の隣にすっと移動した妻の顔には――表情がない。

 少年の肩を抱いて部屋の外へと連れて行くと、彼女だけが戻って来た。


「痛い、苦しい……。誰か助けてくれ。ああ、嫌だ、嫌だああああっ。死にたくない、死にたくない……」


 妻は夫の脇に立ち優しく頭を撫でる。

 彼の目が妻を捉えると、ぼろぼろと涙を流す。


「いやだぁ。いやだぁ。死にたくない……痛いぃ」


「これ以上、苦しまなくていいんですよ。寂しくなんてありません。私も一緒に」


 妻はそう言って微笑むと枕元にあった剣を手に取り、俺が止める間もなく夫の胸に突き刺した。

 涙を流しながら死んだ彼を看取った妻は俺に向き直り、深々と頭を下げる。

 戦場では重傷者を痛みから救うために仲間がとどめを刺すことは珍しくもない。だが気弱そうに見える彼女が自ら手を下すとは思いもしなかったが。


「息子には謝っておいてください」


「待ってくださ……」


 夫に刺した剣を引き抜くと、彼女は夫の血に濡れた切っ先を自分の胸に突き刺し、重なるようにベッドに倒れた。

 事後処理は俺が取り仕切ることとなった。

 英雄は静かに息を引き取り、妻は夫の後を追った。ということにして。

 暫くの間はショックで息子の記憶も曖昧だったのだが、暫くして彼は我に返り父を憎むようになった。

 ――そんな彼が死の間際で笑っている。

 剣を手放して大地に体を投げ出し、自分は父親とは違うと嘲笑する。


「本当にいいのですか。あと数分の内に処置をしなければ、確実に死にますよ」


「いいんだ。ああ、体が冷たい。そうか、これが死ぬ感覚……。そうか、こんなにも寂しいし、怖いんだな……。でも俺は、俺は、大丈夫だ……誰かを恨んだり、傷つけもしない……で、死んでいくんだ……。情けない死に方は……」


 彼の意識が朦朧としてきたのだろう。目の焦点が定まっていない。

 父親の死に様を見た青年は、死を享受しているように見える。

 もう話す力も失ったのだろう、唇を開閉しているだけで声が漏れてこない。微かな息遣いだけが聞こえるだけだ。

 俺は彼の唇に耳を寄せ、言葉を聞き取ろうとした。


「死にた……」


 それが彼の最後の言葉だった。

 何を言おうとしていたのか。


「死にたくない」「死にたい」


 そのどちらか、それとも違うことだったのか、もう知る術はない。

 ただこれは彼が生前に望んでいた死に様であることだけは確かだ。

 青年はずっと父親を尊敬していた。そして彼を超えたいと願っていた。

 想いは歪んでしまったが、死に際の潔さで憧れていた父を超えようとしていたのでは。そんなことを考えてしまう。


「でも私は、情けなくても生にしがみついてでも……あなたに生きて欲しかったですよ」


 彼の目蓋を閉じさせて、ぽつりと呟いた。


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