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病弱に憧れて

「お帰りなさい、回収屋さん」


 宿屋に戻ると、新しく入った店員の少女が優しく微笑んでくれた。

 痩せこけていた体は前と比べて肉が付き、あの頃より断然魅力的に見えるな。


「ただいまです。お仕事には慣れましたか?」


「はい、おかげさまで。回収屋さんから紹介していただいて、感謝しています。最近は病気にもならなくて、ご飯もおいしいです!」


 元花売りの少女は元気いっぱいの受け答えをしてくれた。

 彼女は路地裏で助けてから、何かと気にかけていた花売りの少女。宿屋の女将が人手が足りないとぼやいていたのを思い出し、この仕事を紹介して今に至る。

 ぼさぼさだった髪も今は艶めいていて、赤いリボンでまとめている。青白かった顔も血色がよくなっていて元気そうだ。


「スーミレは、いつも回収屋さんの話ばっかりしているよねー」


 彼女の後ろからひょこっと顔を出したのは、この宿屋の看板娘チェイリ。金髪で波打つ髪と、まつげが長く魅力的な女性だ。

 スタイルも申し分なく、宿屋の制服がよく似合っている。

 スカートから伸びる足や揺れる胸を目で追う客も少なくない。スーミレも十分魅力的なのだが、チェイリには華がある。

 ちょっとした仕草にも色気があり、人の目を引くのだ。

 ちなみに年齢は不詳だ。俺は二十代半ばではないかと見当をつけているが。


「もう、へ、変なこと言わないでください。チェイリさん!」


「ごめんごめん。もう、ふくれっ面も可愛いんだから」


 スーミレのぷくっと膨らんだほっぺを楽しそうに突いている。

 女将さんも娘のチェイリもいい人だから、のびのびとやれているようだ。

 元は俺の口利きだが「真面目でよく働く」とスーミレのことを女将さんも褒めていたな。


「スーミレちゃんをからかうのは、これぐらいにして。回収屋さんに頼みごとがあったの。スキルをなんでも買ってくれるんだよね?」


「はい。値段は要相談になりますが」


「うんうん、じゃあ買って欲しいスキルがあるのぉ~」


 俺の体に女性の武器を押し付けて、しな垂れかかってきている。人差し指で胸元をぐりぐりされるとくすぐったい。

 女性に免疫が無ければ動揺するところなのだろうが、今更だよなぁ。

 一応、動揺したふりをしておこう。


「ど、どのようなスキルでしょうか?」


「ちょっと、チェイリさん! 離れてください! んーんんーっ」


 俺とチェイリの間に割り込んだスーミレが、必死になって引き剥がそうとしている。

 小動物っぽくて可愛らしい子だ。


「あーら、必死になって可愛いぃ」


「もうっ、もうっ!」


 じゃれている二人を眺めていると和む。

 このまま見物していてもいいのだが、話が進まないので口を挟むことにした。


「あの、ご用件というのは?」


「ごめんなさい、愛でるのが忙しくて忘れそうだったわ。あのね、私って昔からすごく元気で病気になったことがないの」


「それは素晴らしいことですね」


 スキルを調べてみたが『健康』がレベル8もある。レベル5もあれば大病には無縁で、風邪も滅多なことではひかない。

 とある村で疫病が広まり、唯一生き残った少年に『健康』スキルがあったという話を耳にしたことがある。


「まあ、『健康』スキルのおかげなんだけど。でね、不謹慎な頼み事だってことは分かっているんだけど……病気になってみたいのよ」


 とんでもない依頼だな。自ら病気になりたいなんて人を初めて見た。

 病気といえば『病弱』のスキルをスーミレが持っていたことを思い出し、ちらっと視線を向けた。

 彼女は複雑な表情でこっちを見ている。貧乏と病気で苦労してきた彼女にしてみれば、信じられない頼み事だろう。


「つまり『健康』スキルを買い取って欲しいということですか」


「ええ、そうなの。無理かしら?」


「可能ですが……今後困りませんか。病気を知らず健やかに日々を過ごせるというのは、とても恵まれていることですよ」


 俺の言葉にスーミレが何度も頷いている。

 健康になりたいと願う人は山ほどいるが、健康を捨てたいと言い出す人は、生まれて初めてお目にかかった。


「私は本気なの。健康を捨ててでも病気を経験したい」


 とんでもない頼み事だが、口調も態度も真剣そのもので、何かしらの深い理由がありそうだ。


「冗談や、生半可な気持ちで言っているわけではないのですね」


「ええ。私は一度病気にならないと前に進めない……。大病じゃなくてもいいの。風邪で構わないから」


 信念を感じる瞳。『心理学』も彼女は本気だと判断を下している。

 だが、なぜ病気になりたいのか。

 真剣だとはいえ、病気になったことがない人の単なる興味本位なら、買い取る気にはなれない。


「理由は病気になることへの単純な好奇心なのでしょうか?」


「あっ、そうだったわ。ちゃんと理由を話してなかったわね。私、ここの仕事以外にも、劇団員をやっているのよ。有名な劇団でね、ずっとちょい役しかもらえなかったんだけど、次の演目で大抜擢されたのよ。主役に!」


 劇団員だったのか。言われてみれば、活舌がよくて言葉が聞き取りやすい。それに立ち振る舞いが堂々としているのも、舞台で鍛え上げられているから。

 だからスキルに『演技』があったのか、納得だよ。

 見た目とスタイルも街の住民の中では際立っている。確かに、女優向きの人だな。


「それは、おめでとうございます」


「凄いじゃないですか、チェイリさん!」


「ありがとう、二人とも。でね、その役が……薄幸の美少女なのよ。病弱で貧乏な家庭に生まれ、病気に苦しめられながらも、挫けることなく日々を生きる。そんな女性なのよ。でもね、ほら、私って病気になったことがないから、そこの芝居がネックで……先輩達にも怒られっぱなしでね」


 大きくため息を吐き、額に手を当てて頭を左右に振る。

 相当悩んでいるようで、朗らかな表情が一変して疲労がにじみ出ていた。

 ただの好奇心……というわけではないのか。本気で悩んだ末の結論みたいだ。

 あと、気になることがある。役の設定に聞き覚えというか、似たような境遇の人を知っているのだが。

 思い当たる節がありすぎる人物に目を向けると、自覚していたようでスーミレがおどおどしている。


「一世一代のチャンスを逃したくないの! 今回の役に全てを懸けているの。もしこの役で評価されなかったら……引退を覚悟しているわ。だから、お願いします!」


 必死の形相で俺に詰め寄り、深々と頭を下げる。

 隣でスーミレも「私からもお願いします」と潤んだ瞳で懇願してきた。


「そうですね。それなら、買い取りさせていただきますよ」


「ほ、本当に!」


 勢いよく上げた顔は喜びで輝いて見える。


「ただし、条件が一つだけあります」


「な、なに? じょ、女優の体を自由にしたいとか……」


 自分の肩を抱いて怯えた演技をしながら、半歩下がるのやめてくれませんかね。

 半眼で軽く睨むのやめてもらっていいですかね、スーミレさん。


「そんなこと言いませんよ。初舞台のチケットをいただきたい。それが条件です」


「ふふっ、喜んで!」


 これで契約は成立だ。





「それでどうやったら病気になれるの?」


 小首を傾げて、可愛らしくそんなことを問われても……。

 スキルの買い取りを彼女の部屋で行い、その直後に言われたのがこれだ。


「えっと、寒くなってきてますから、薄着でいたら自然と風邪をひくのでは?」


 部屋の中は俺とチェイリだけではなく、心配だからとついてきたスーミレが意見を口にする。……彼女が心配しているのはどっちの意味なのかを、聞くのは野暮ってものだろう。


「なるほど、薄着だと普通は風邪ひくのね! 冬に裸で寝ても平気だったから、気づかなかったわ!」


 手を打ち合わせて驚いている。

 冗談ではなく本気で思いつかなかったのか。生まれついての『健康』持ち恐るべし。


「稽古の後にみんなが、直ぐに汗ふかないと風邪をひくわよ、とか言ってたのも、そういうわけだったのね。へぇー」


「『健康』スキルって凄いんですね……」


 二人が揃って別の意味で感心している。

 それから、彼女は風邪をひくための特訓が始まる。

 冬間近だというのに、袖のないシャツ一枚で日常を過ごす。稽古の後、いつもと同じく汗を拭かずに帰宅。風呂の後も裸でくつろいだ結果……次の日、望み通り風邪になった。


「へっくしょいっ! へっく……ぶしゅぅ!」


 垂れた鼻水を布で拭うチェイリの顔は、熱の影響で赤い。

 俺は一人でお見舞いに来ている。スーミレも来たがっていたが、風邪がうつると女将に怒られるので自重してもらった。

 ただでさえ、貴重な戦力である看板娘が病欠しているのだから。


「どうですか、風邪の感想は。あと、これは見舞いの品です」


 籠に入った果物の詰め合わせを、机の上に置く。


「あびばぼぅ」


 鼻をかみながら返事をしない。

 いつも見ている余裕のある姿とは違い、今は無防備で庶民的だ。

 露出の高い私服を好んでいたのに、厚手の寝間着だけではなく首にマフラーを巻いている。寒気が酷いのだろう。


「ごめんなさいね。化粧もしてない、情けない姿で」


「いえいえ、個人的には今の自然な感じの方が好ましいですよ」


 素直な感想を口にすると、キョトンとした顔で目を見開いている。

 驚くようなことではないと思うのだが。


「そういうのは、スーミレちゃんに言ってあげてね。お世辞って分かっていても、嬉しいものだから。えっと、そうじゃなくて……病気になるってこんなに辛いのね」


「そうですね。芸の肥やしになりそうですか?」


「うん……。経験してなかったら、病気の苦しさは分からなかったと思う。体がだるくて、何もやる気が出なくなるのね。風邪気味でしんどいからって休む人を、今まで正直に言うと……少しだけ見下していたの。甘えているって」


 苦しそうな表情は風邪の辛さなのか、それとも今までの自分を顧みた後悔なのか。

 赤らんだ頬に手を当て、もう片方の手を閉じたり開いたりするさまは、辛そうながらもどこか楽しそうにも見える。


「スワドロリは、こんなに辛い状態でも健気に振る舞い、元気なふりをして働いていたのね。私の芝居が上辺だけのものだって、演出家の先生に怒られたのも今ならよく分かるわ」


 スワドロリというのは、今回演じる主役の女の子の名前らしい。

 彼女なりに手ごたえがあったようなので、本番の芝居を楽しみにさせてもらおう。


「では、お大事に。安静が第一ですので」


 目的は達したので帰ろうとすると、服の袖をチェイリが掴んだ。

 赤らんだ頬と潤んだ瞳。汗ばんで肌に張り付いた寝間着が艶めかしい。

 庇護欲を揺さぶられる弱々しい彼女が、上目づかいで俺を見つめて、ゆっくりと口を開いていく。


「こんなことを言ったら迷惑だとは分かっているの。でも、でもっ、私のお願い聞いてくれる?」


 すっと顔を寄せてきた、熱い吐息が頬に届く。

 そのまま耳に口を近づけ……。


「『健康』買い戻させて」


 ですよね。

 今回の風邪はタチが悪いので、このままだと二週間近く寝込むことになる。

 主役の気持ちが分かったところで練習にも出られなければ、役を降ろされてしまう。

 そこまで考えているのか心配だったが、このオチか。


「早く治さないと、色々とヤバイのっ! だからお願い、なんでもするからっ! びえっくっしょんっ! びょびょうびゃびゃびゃっ!」


「分かりました、分かりましたから、鼻水を服に擦りつけないでください」


 涙と鼻水で濡れた彼女を押しのけ、『健康』スキルを彼女へと戻す。

 この展開は読めていたので、予め用意していた薬も渡しておく。『医術』『薬学』『精密動作』を活用して煎じた薬なので効き目は保証する。

 戻した『健康』と合わせれば、明日にはよくなっていると思う。


「ぷはぁー、この一杯のために生きてるわ」


 粉薬を水で流し込んだチェイリが、酒飲みのようなことを言っている。

 少しだけ楽になったようでベッドに寝ころぶと、毛布を口元まで上げて、こっちをじっと見ている。何か言いたそうだな。


「病気で弱っているときに優しくされるとヤバいっていうの、ちょっとわかるかも」


 普通なら聞こえない声の大きさだったが、いつもの癖で『聞き耳』を発動している最中なので、バッチリと聞き取れてしまった。

 ……聞かなかったことにしよう。妙な空気が部屋を充満してしまう前に、話を逸らしておこうかな。


「もしも、芝居が上手になれるスキル『踊り』や『活舌』のスキルが買えるとしたら、チェイリさん購入したいと思いますか?」


「う、うーん。それってかなり魅力的だけど……やっぱり実力で何とかしたいじゃない? あっ、生まれ持ったスキルを否定しているわけじゃないのよ。私だって今まで『健康』には随分助けてもらっていたみたいだし。でもね、スキルも役も自分で頑張って手に入れたいじゃない」


 自分の実力で……か。その気持ちは、よく分かるよ。自分の道を貫いた男を知っているだけに。


「病気になるのは自分の努力ではどうにもならなかったから、頼んじゃったけどね」


 ポリポリと恥ずかしそうに頭を掻くチェイリ。

 彼女はいずれ世界中に名の知れ渡る女優になるかもしれないな。


「応援しますよ。サイン今のうちにもらっておかないと」


「書いちゃう? 書いちゃう?」


 おどけている彼女に商売で使っている手帳を差し出す。

 俺が本気で言っているとは思っていなかったのだろう。戸惑いながらも、しっかりとサインを書き込んでくれた。

 冗談ではなく、このサインいずれ価値がでるかもしれない。

 頭に浮かぶ『演技』スキルが、この二日で2も上がっていることに驚きを隠しながら、受け取った手帳を慎重に懐へと戻した。


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