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嘘と商人

 行商の途中で立ち寄った村は酷い有り様だった。

 この一帯では最近雨がほとんど降らず、農作物の育ちが悪いとは耳にしていたが……ここまでだったとは。

 村人は骨と皮に間に本当に肉が存在しているのか、と疑いたくなるぐらいに痩せこけている。

 無駄な脂肪どころか肉が辛うじてへばりついている肉体は皮の付いた骨のようで、顔も骨ばっていて、むき出しの目が異様に大きく見えた。

 畑を耕している村人の振り下ろす鍬にも力がなく、今この場で力尽きても何の違和感もない。

 村の片隅に並んでいる木の棒は墓標か。

 古い物に交じって真新しいものが幾つも並んでいる。それが村人の苦しい現状をより鮮明に伝えてくれた。


「あんたは行商人かね……」


 村の入り口で観察していた俺に話しかけてきたのは、もう骸骨と呼んだ方が言いぐらいの外見をした老人だった。


「はい、そうです」


 そう言うと老人は喜ぶこともなく大きなため息を吐く。

 妙だな。小さな村を訪れる行商人は歓迎されるのが一般的で、村人にため息を吐かれたのは初めての経験かもしれない。

 特に飢えで苦しんでいる状況なら、喜んで迎え入れそうなものだが。


「見ての通り干ばつと魔物の襲撃でこんな状況じゃ。食うのにも困る現状で商人から物を買う余裕など何処にもないのだよ」


「では何か私が買い取りましょうか」


「売れる者は全て売ってしもうたよ」


 俺の提案に対して間髪入れずに老人が応える。

 買い物ができない状態でやってきた商人ほど無価値な存在はない。

 ご馳走を前にして食べることが叶わないのと同じか。そりゃため息の一つも吐きたくなる。


「あんたが奴隷商人でない限りは商売相手はおらんよ。もっとも子供を売ってまで生き(なが)らえたいと思う者はおらんがね」


 自嘲気味に笑う老人。

 この状況でも誇りを捨てていないのは立派だ。

 死が目の前に迫り、飢えに苦しんだ挙句に手を出してしまう最終手段。

 それが……人身売買。

 老人が子供と言ったのには訳がある。

 奴隷商人に売り渡すのに選ばれるのは子供が多いからだ。村としては貴重な労働力を割かずにすみ、子供は奴隷として需要があるので高値で売れる。

 最低の方法ではあるが、滅びる寸前の村の状況を救う唯一の手段と言ってもいいだろう。だがこの村はそれを選ばないのか。


 老人と話し込んでいると周囲からの視線を感じた。

 いつの間にかこの村の住人が俺を取り囲むようにして、こっちを見ている。

 作業中だったのか全員が手に農具や道具を握っている。鍬や鎌や包丁といった物騒なものが多い。

 子供もちらほら見受けられるが、全員が親の後ろに隠れている。


「おや」


 大人と比べて子供の方が痩せていない。つまり、子供に優先して食料を与えていたという証明になる。

 子供を大事にしているのだな。さっきの老人の言葉に嘘偽りはないようだ。

 さて、どうするか。彼らの現状を憐れんで食料を提供するのが人道的ではあるが。


『商人は金にシビアでなければならない』


 行商人を始める際に壮年の先輩から何度も口を酸っぱくして言われた、あの言葉をここで思い出してしまう。


『施しが最終的に儲けに繋がるのであれば構わん。だが何の価値もない人々に情も救済も必要ない。偽善者になりたいのであれば聖職者になることだ』


 ――だったな。あの人の基準でいくと、ここの村人は価値がないと判断されそうだ。

 しかし、俺は他の行商人とは勝手が違う。回収屋だから。

 自分にとってスキルは金よりも価値がある。


「あのですね――」


「商人さんや、耳寄りな情報があるんだが」


 俺の言葉を遮ったのは、遠巻きにこっちを見ていた村人の一人だった。

 痩せこけた頬にぎらついた目。そんな顔には媚びるような笑みが浮かんでいる。

 情報とやらを売り込む気か。ならスキル買い取りの説明前に少しだけ話を聞いてみよう。


「その情報とは?」


「おっと、その前に商談だ。この情報を買わねえか? そんな高い金額は要求しねえよ。金が無いなら、俺達にほんの少しばかり食料を分けてくれさえすればいい」


 悪い提案ではない。ここで気前のいいところと好印象を与えておけば、後の買い取り査定を優位に行える。


「情報の内容によりますが、金……よりも食料でどうでしょうか」


「おおっ、それで構わねえ! 実はなここから少し山の方に進むと沼地があってな。その近くに洞窟があんだよ。でだ、村の猟師がそこを出入りしている山賊らしき連中を目撃したんだよ」


 大袈裟な身振り手振りで語る男をじっと見つめる。

 周りの村人も真剣な眼差しを注いでいるのだが、その対象は俺ではなく語る男だった。


「山賊ですか。続けてください」


「村としても騒ぎになってな。どう対応しようか悩んでいる最中に魔物の襲撃があって、それどころじゃなくなっちまったんだ。そんでもって、つい最近そのことを思い出したって話だ」


 山賊が根城にしているらしい洞窟の存在か。

 これが本当の話なら、彼らが貯め込んだ金や物品があるかもしれない。


「魔物がやって来たのはその方角からだったから、おそらく山賊は死んじまっているさ。どうだ、調べてみる価値はあると思わねえか」


 熱弁を振るう男から視線を外して周囲の村人達に目を向ける、と全員がタイミングを計ったかのように、うんうんと頷いている。


「興味深い話ではありますね。名のある山賊なら証拠の品を見つければ街で賞金をいただけますし、何かしら貯め込んでいる可能性もあります。なるほど、ついでに足を延ばしてみるのもありですね」


 考え込むふりをして呟くと村人の目の色が変わった。

 情報が売れそうなので純粋に喜んでいるともとれるが……。女子供と年寄りは目を逸らしたのが気になる。


「その情報料なのですが、他の村で売る予定だった日持ちする乾物や瓶詰めで構いませんか?」


 俺が背負い袋から食料品を取り出すと、満面の笑みを浮かべて握手を求めてきた。





 その夜、品物を渡すだけでは味気ないので自ら料理を振る舞う。

 胃が弱まっているところに重過ぎる物は禁物なので、鍋に魔法で生み出した大量の水を入れ、乾物を戻して米と一緒に炊いたのだが、思いのほか好評で涙を流して喜ぶ老人までいた。

 飢えていたところに『料理』スキルありの食事は、貴族のご馳走よりも価値のあるものだったようだ。

 子供には飴玉と焼き菓子を与え、大人には酒も振る舞う。

 そうすることで村人の口の滑りがかなりよくなった。


「行商人さんはこの商売長いのかい?」


 いい具合に酔っぱらった髭面の村人が赤ら顔で絡んでくる。

 すきっ腹に酒は体によくないのでアルコール度数が少ないのを選んだのだが、それでもあっという間に酒が回ったのか。


「そうですね、かなり長い間やってますよ」


「若そうに見えるが幾つなんだい?」


「二十歳を超えたあたりから数えるのやめてしまいましたので、何歳なのでしょうね」


 本当はその十倍までは把握していたが、途中で数えるのがバカらしくなったので、おおよその年齢しか分からない。


「そんなもんかね~。ひいっく、うぃー。商人さんは一人でやってるってことは腕の方も自信あるのかい?」


 おっと、一瞬だが目つきが鋭くなった。

 周りで聞き耳を立てている村人の気配も少し揺れたな。


「まあ、それなりには。行商人をやっていると厄介事と仲良くなりますから」


「なるほどなー。おっ、そうだ。一つ教えて欲しい事があるんだよ。この村って何もねえだろ。いつか雑貨店でも開こうと思っていてな。商売のコツとかあるなら教えてくれよ」


 酔っ払いの戯言なのか本気なのかは判断がつかないが、これも何かの縁だ。商売の秘訣を教えよう。


「嘘を吐かず、相手を騙さないことです。単純ですが、とても大事ですよ」





 散々飲み食いして村人全員が寝静まった早朝。辺りはまだ闇に覆われているが俺は行動を開始する。

 宿として与えられた住民のいなくなった民家を抜け出し、昨日の内に聞き出しておいた目的の洞窟へ向かう。


「さて、当たりか外れか」


 期待を込めずに口に出す。

 昨晩、他の村人からも情報収集をしたのだが、山賊がいたのは間違いない。

 多くの村人も山賊らしき人物を見かけたらしく、実際に村で対策を練っていたのも事実だった。

 あの村人の説明に矛盾はなく『心理学』でも嘘ではないと結論を出した。だというのに完全には信じ切ってはいない。

 理由は単純明快でそもそも、


「儲かる話というのは人に話さず秘めておくもの」


 村のこの状況なら洞窟に自ら調べに行くべきだろう。山賊が金目の物や食料を残している可能性もあるのだから。

 だいたい「儲かる話がある」と言って誘惑するのは、詐欺の常套(じょうとう)句。

 村人の考えとしては万が一に山賊が残っていたら危ない。

 だったら無関係な商人に情報を売って調べさせよう。

 これで商人が戻ってこなかったら、あそこには寄り付かない。

 ……とでも思っていそうだ。


「ゆっくり歩いて村から半日ぐらいの距離ですか」


 獣道を抜けると沼があり、近くに洞窟が見える。

 ここまでは正しい情報だった。

 山賊相手なら後れを取ることもないので警戒する必要もないのだが、油断は禁物なので辺りを注意深く観察する。

 洞窟の入り口には木片が散らばっている。焼け焦げた跡もあるので焚き火跡かもしれないな。

 人や魔物の足跡は見当たらない。最近利用した痕跡はなく、気配も感じられない。

 山賊もいなければ、代わりに魔物が住み着いている可能性も消えた。


「これは情報料を丸々損しただけの流れですかね」


 洞窟の正面に立ち目を凝らす。

 『暗視』を発動して闇の中を見通すと先が二股に分かれていた。

 これ以上は警戒する必要もないので無造作に進んでいく。分かれ道に差し掛かったので左右を確認する。

 左は少し進んだ先が布で目隠しされている。扉替わりのつもりなのだろうか。

 右は途中で左に大きく曲がっていて先が見えない。

 『聞き耳』で音を探ると左からは何かが擦れるような音が微かにする。右は音を拾えなかった。

 どちらからでもいいのだが、何となく右を先に探索してみる。


 大人が二人並んで歩けるかどうかぐらいの幅しかなく、壁や天井は加工された形跡がないのだが地面だけは平らに均されていた。

 曲がりくねった右の道の先は宿屋の個室ぐらいの空間があり、粗末なベッドが四つある。手作り感あふれる机と椅子も隅の方に置いてあるが、それだけのようだ。

 探す気にもならないぐらいに物がないので踵を返した。

 分岐地点に戻り調べてない左を選ぶ。

 視界を遮る布を掴み、強く引っ張ると呆気なく布が地面に落ちた。


 そこは広々とした半球状の空間になっていた。天井部分に隙間があるようで、上から差し込む陽の光で内部が結構明るい。

 これなら『暗視』がなくても充分だ。

 さっき覗いた寝床の数倍は広いというのに、物がたった一つしか置かれていないのが気になる。

 いや、気になるどころではない。堂々とど真ん中に置かれているので嫌でも目に付く。

 それは木製の蓋付きの箱で縁を金属で補強をしていた。


「これは俗に言う宝箱ですよね」


 冒険小説の挿絵や演劇の小道具として多くの人がイメージする理想的な宝箱が、ここに鎮座している。

 何処からどう見ても怪しい、胡散臭い。罠にしても露骨すぎる。


「団長魔王のダンジョンでこんなことやったら、一時間ぐらい説教されそうです」


 そう言いながら箱に近づき蓋に手を掛ける。

 鍵もないので、そのまま開けてみた。

 開いている最中にカチッと音がして中から煙が噴き出す。

 それをもろに浴びてしまい、よろめきながら横向きに寝ころぶ。

 暫くそうしていると三人分の足音と気配が近づいて来た。

 上の隙間から中を覗いていた者が、俺が倒れたのを確認して仲間とやって来たのだろう。


「お、おい、商人さん大丈夫か?」


「本当に寝ているのかー」


「魔物も昏倒させる眠り粉を浴びたら、人間なんて一溜まりもないべ」


 無反応を貫いていると自ら内情を暴露し始めた。

 手間が省けるのでこのまま無視しておこう。


「これでこの行商人の金も持ち物も全部手に入る。初めてにしては上手くいったようだ」


「しかし、酷すぎないか。何もかも奪っちまうってのは」


「何を今さら言ってんだべ! 何もしなければワシらは死を待つだけなんだ! これで村人が子供や! 嫁が助かるっ!」


 最後は嗚咽交じりになった男の声に誰も言葉を返せない。

 俺を襲った連中は一晩を共にしたあの村の男どもだ。

 後をつけてきていたのも、夜も見張っていたことを知っていたので驚きもしない。

 子供を犠牲にしない誇り高い人々なのかと思えば、身内に優しいだけの連中だったか。


「で、でもよお。命まで取るのは……」


「バカ言うな! そんなことはやらねえぞ。服と小銭と三日分の保存食は残しておく。それ以外はいただくが」


 ほっと安堵の息が漏れる音が複数人からした。

 山賊にしてはお人好し過ぎるな。

 貧しい村人の副業が山賊というのは実は結構耳にする話なのだ。旅人を歓迎して迎い入れておきながら村ぐるみで殺害、そして処分といった展開も何度か経験済みだ。

 殺人は大罪だが、法なんてものは街や一部の村のみで通用するだけで万能ではない。

 そんなものより各村の風習や決まり事が重要視される世界。

 追い詰められた村人に、良心を期待するのが間違いなのだ。

 法を守ろうという心の余裕は生活に余裕があって初めて成り立つ。命と法を天秤にかけたらどっちに傾くなんて分かり切っている。


「悪く思わないでくれよ。ワシらもいっぱいいっぱいなんじゃ」


 そう言って近づいてくる村人の手が体に触れる瞬間、勢いよく上半身を起こすと悲鳴が上がった。


「ひいいいいっ! お、起きておったん!?」


「おらは悪くねえだ。悪くねえだ!」


「寝たふりをして騙しやがったのかっ! 商人は嘘吐かねえって言っていたくせにっ!」


 腰を抜かす村人、拝みながら謝る村人、……昨日、酔っぱらって絡んできた髭面もいる。

 まるでこっちが悪い事をしているかのような錯覚を抱く光景だ。

 正直な話、腹も立っていなければ失望もしてない。これで俺を殺そうとしていたら、また別の対応もあったのだが。


「残念ですが『状態異常耐性』も『毒耐性』もありますので。さて、どうしましょうか?」


 わざとらしく首を傾げて問いかけてみた。

 村人たちは一塊になってガタガタ震えている。

 客観的に見たらこっちが山賊みたいだ。


「今回が初犯のようですし、見逃してもいいのですが……」


 優しさを匂わすと面白いぐらいに村人の顔色が変わる。さっきまで血の気が失せて震えていたというのに。

 ただ今回の一件が成功していたら彼らは犯罪を繰り返していた。

 これは予想ではなく確信に近い。どれだけ苦労しても報われなかった人生だったというのに、たったこれだけのことで大金が手に入るのだ。

 その瞬間に彼らの価値観は逆転する。

 とはいえ止めに入る者もいるだろう。でも結局流されてしまう。

 そうやって悪に手を染めて引き返せなくなった者を数えきれないほど、この目で見てきた。


「そうですね……。実は私、人のスキルを買い取ることが可能なのですよ。洞窟探索後に明かす予定でしたが、このようなことになってしまって残念です」


「スキルを買い取る? そんなバカな話があるか。ワシらが頭悪いからって騙そうとしておるのだろう」


 定番のやり取りなのでいつもの説得方法を試す。

 買い取ったスキルは自在に操れると前置きして、三十以上のスキルを実践するとあっさりと認めてくれた。


「本当に悪かった! これを計画し実行させたのはワシだ。その罪も受け入れよう。その代わりにワシのスキルを全部買い取って、村の者に金を渡してもらえんだろうか!」


「そんな! 村の大人達みんなで決めた事じゃねえっすか!」


「んだんだ。村長は何も悪くねえ!」


 村長は全ての罪を被るつもりのようだが、村人がそれを許さない。

 貧困が元凶なのは確かだ。だからといって理由をつけて犯罪行為を行った事実は消えない。


「罪を憎んで人を憎まず、と申しますが。そうですね、では皆さんのスキル買い取らせていただきます。ただし、罪の分を差し引いて少し安く買い取る、それで構いませんか?」


「こちらとしては異論どころか不服もありません。ですが、本当にそれで許してもらえるのでしょうか?」


 安心と不安が入り交じった表情でこっちを見ている村人達。

 襲った相手から好条件を提示されて戸惑う気持ちは理解できる。

 警戒させ過ぎても非効率だが、反省は促したい。


「法よりも利益重視です。私は商人ですから約束は守りますよ」


 そこでチラッと髭面の村人に視線を向ける。


「そうそう。商売のコツについて昨晩語りましたよね。実は少し説明が足りませんでした。本当は、嘘を吐かない相手を騙さない……ではなく、バレる嘘を吐かないですよ」


 そう言って意味ありげに微笑む。


「そ、それは、さっきの眠ったふりのことですよね? 今回の約束のことでは、ない……ですよね?」


 恐る恐る尋ねる村人に笑顔を向ける。


「さあ、どうでしょうか」


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