前へ次へ   更新
56/85

百のスキルを操る勇者

 宿屋の一階にある食堂の片隅で食後のお茶を楽しんでいた。

 ガラス窓の外には忙しそうに行きかう人々が見える。他人が働いている時間帯にまったり過ごしていると思っただけで、贅沢な気持ちになるな。


「回収屋さん」


 呼び声に応じて顔を向けると、宿屋の看板娘チェイリと一歩引いた後にスーミレがいた。

 店員が二人ともこっちに来ると業務に差し支えがあるのではないか、と余計な心配をしたが遅めの昼食だったので客はもう誰もいない。


「はい、なんでしょうか」


「明日から芝居の稽古が本格的になるから、しばらく来れなくなるの。だから、スーミレの事を気にかけて欲しいなーって」


「大丈夫ですよ、チェイリさん! お客さんはみんな親切ですし」


 胸を張って自信があるように装っている。

 当初はおどおどして覚束(おぼつか)ないところもがあったが、今では宿屋の立派な主戦力だ。


「うん、信頼はしているんだけどね。念の為によ」


「もし手が足りないようでしたら、給仕のお手伝いしますよ。飲食店で働いた経験もありますので」


「えっ、回収屋さん経験者なの?」


「意外です!」


 あれ? 変なところに食いついてきたな。

 回収屋を始めるまでは様々な職種に手を出してきた。その内の一つに過ぎないのだが。


「ええまあ、結構色々やってきましたからね。料理人、荷運び、農業、傭兵、冒険者、ゆ……まあ、色々と」


「へー、回収屋さんって謎が多いと思っていたけど……。今度昔話を聞かせてよ。仕事が終わった後に」


「私も聞いてみたいです!」


 二人が机に身を乗り出し、興奮した顔を近づける。

 一部を除いて隠すような事はないので承諾しておいた。


「私の事はどうでもいいのですが、今度のお芝居の演目は何なのですか?」


「えっとね、百才の勇者よ」


 一瞬眉がピクリと動いたが、二人とも気づいていない。


「それはご高齢の勇者ですね」


「違う違う。才は年齢じゃなくて、才能の事でスキルを指しているの。正確には、百の才能を持つ勇者」


「有名ですよね、そのお話。数百年前に活躍した百種類ものスキルを操る勇者の物語。絵本でも小説でも読んだことありますよ。弟達を寝かしつける時に、よくおねだりされます」


 老若男女問わず人気な物語で、冒険や戦いの話は子供に評判がいいらしい。スーミレの弟達が食いつくのも分かる。


「しかし、困った事があってな」


「あっ、団長。おはようございます」


 不意に聞こえた声の主は、チェイリが所属している劇団虚実の団長である魔王だった。

 今日は練習着も兼ねた寝間着姿で登場したので、頭をぼりぼりと掻く姿は一般家庭の休日のお父さんにしか見えない。


「おはようございます。何か悩み事でも?」


 俺が話を振ると対面の席に座り、朝食を注文する。

 チェイリが動きかけたのだが、気を使ってスーミレが注文を伝えに行く。


「有名すぎる物語と言うのは、諸説入り交じって話に統一性がないのだよ。勇者は長身美形という説もあれば、小柄で小太りという設定もある。性格も様々でな、どれを採用するかで揉めておるのだ」


「やっぱり、イケメンで格好良い方がいいんじゃないですか? 絶対、その方がいいですよ。お客が喜びますって」


「ふむ。それはありがちではないか。やはり、ここは新たな考察をして」


 スーミレと団長が熱心に意見交換をしている。

 魔王と町娘が討論をするという、この状況を芝居にした方が受ける気が。

 盛り上がる二人を尻目に追加のお茶とお菓子を注文して、優雅な一時を満喫している。

 お茶を飲み干してもう一度二人を見ると、三人に増えていた。

 劇作家として採用された小説家も加わっている。


「ここは独創的なオリジナル色を前面に出すべきではないでしょうか。他者と同じものを演じても意味がありませんよ!」


「我輩もそれには賛成だ。新鮮な喜びを下々の者に提供する。それが劇団としてのあるべき姿であろう!」


「ちょっと、それは違うと思います! 劇場に来る人はその作品が大好きなのですよ。原作と違う要素なんて求めていません! 新解釈なんて作家が『自分の方がもっと面白い物を書ける』という自己満足と売名行為に過ぎません!」


「な、なんだとっ!」


 盛り上がっているな。

 この劇団は劇に関する事は見習いであろうが団長であろうが、忌憚のない意見を言い合う事が決まりになっているそうだ。

 現に言い争うチェイリと小説家を眺めて、魔王団長は満足気に何度も頷いている。

 傍観者として眺めていると、いきなり三人の血走った目から放たれる視線がこっちに向けられた。


「回収屋さんはどう思いますか⁉」


「原作を変更するのはダメですよね⁉」


「お主の意見を聞こうではないか!」


 あっ、巻き込まれた。

 意見と言われても……。この場を治めるのに都合のいい台詞はないだろうか。

 団長と小説家は今までに演じられた前例のない新しい演劇を見せたがっている。

 チェイリは原作を大切にしたいという主張。

 となると、これが妥当かな。


「そうですね。では、世の中に広まっていない、百の才能を持つ勇者の話を演じてみてはどうですか?」


 俺の提案を聞いて全員の眉間にしわが寄った。

 何を言っているんだこいつ、と顔が語っている。


「百の勇者の話は全十巻の代表作があり、あとは外伝や新解釈の物語ですよね。たまに荒唐無稽な話もありますが、あれは作者の創作だと言われていますよ?」


「ええ、確かにそう言われていますね。ですが、表に出なかった物語を私が知っているとしたら?」


 俺がそう口にすると、三人の顔が息の届く距離まで迫る。

 生温かい鼻息が荒いので、正直勘弁してほしい。


「興味がおありのようですね。では語らせていただきますよ、百の才能を持つ勇者の話を」





「勇者様、勇者様! どうか、我が国をお守りください! もう頼れるのは勇者様だけなのです!」


 とある国の王城で美しい姫が一人の男の背にすがり懇願している。

 男は黒いコートを羽織り、背には大剣を携えていた。

 彼は大陸を渡り歩き、多くの伝説を残している。

 か弱き者の味方であり、決して悪に屈する事のない勇者。

 その名を知らぬ者は、この大陸にはいないとまで言われている。


 背中に押し当てられたふくよかな胸の感触は、大剣の鞘と分厚いコートに遮られ殆ど感じられないのが惜しい、と思いながら勇者はぼーっと空を眺めていた。

 ここは姫の寝室のテラスなのだが、眼下には王都の景色が広がっている。そこだけ見るならいつもと変わりのない日常の街並みだが、その先の光景には目を逸らしたくなる。

 王都を取り囲む重厚な壁の向こう側。そこには無数の魔物が押し寄せ、二重に取り囲まれていた第一防壁は既に突破され、今は最終ラインである第二防壁で懸命に防衛戦を続けていた。


「助けるのは、まあいいだろう。国民にはなんの罪もないからな」


 背後の姫に聞かせるには十分すぎる大声で勇者が応える。

 その声を聞いた途端、今にも泣き出しそうだった姫の顔に笑みが浮かぶ。それは微笑みと呼ぶにはあまりにも(いびつ)だったが。

 勇者からは決して見えない角度なので姫は安心していたのだろうが、その顔を勇者はしっかりと確認していた。

 光魔法を利用して簡易の鏡を作り出し、姫の顔を観察していたからだ。


「ありがとうございます、勇者様!」


「ただし、条件がある」


「なんでも仰ってください。金銀財宝でも何でも支払います! もしも私の身をお求めであれば、喜んで……。は、初めてなので優しくしてください、ね」


 大半の若い男性にとって姫の誘いは魅力的だっただろう。

 だが、勇者には何の効果もなかった。むしろ、忌々しげに顔を歪めている。

 心の中で(何が初めてだ。若い男が好きで毎夜、新人の騎士や兵士とやっている癖に)と悪態を吐いていた。


「俺はこの国を守るために動く。金もあなたも必要ない。あの魔物達を呼び起こした無能共とそれを命令した首謀者の処分をするように」


 その瞬間、勇者の背中越しに揺れが伝わってきた。

 動揺したのだろうと、鼻で笑う。


「もちろんですわ。噂では悪魔を信仰する邪悪な宗教団体が引き起こしたそうです。彼らを見つけ出し根絶やしにする事をここに誓います」


 きりっとした表情で堂々と宣言をする姫。

 全てを知っている勇者にとって姫の行動は喜劇にしか見えなかった。

 外で暴れている魔物はこの国の政策により呼び出された魔物だ。

 古代の文献を解読した王宮の魔法使いが、大量の魔物を召喚して操る術を手に入れたと伝え、王や重鎮達が資源豊かな隣国を手に入れる手段として手を出した。

 その結果、魔物の召喚には成功したが現代人にはそれを制御する事は叶わず、地上にあふれ出した魔物に自国を滅ぼされそうになっている。

 勇者とはいえ数万にも及ぶ魔物を退治する事は不可能だが、それを操っている存在を倒せば魔物は全て消滅する事を把握していた。


「学習能力のない一族だ……」


「何か仰いましたか?」


「いえ、別に。先ほどの誓いを努々(ゆめゆめ)忘れぬように」


「はい! この命に懸けて!」


 両手を合わせて握り、上目遣いで誓う姫。

 さすが『演技』レベルが高いだけのことはある。勇者が何も知らなかったら騙されていたかもしれない。


「その誓いに相違ありませんね。王とその側近の皆さんもいいですね?」


 寝室の片隅に置かれている女神像に向けて訊ねる。

 姫が驚愕に目を見開き、天井や床裏に潜んでいた気配が微かに揺れた。

 勇者は盗聴や見張りには気づいていたが放置していただけだ。


「反論はないようなので、さくっと倒してきますよ」


 そう口にするとバルコニーから颯爽(さっそう)と飛び出し、苦も無く中庭に着地すると城門へ向けて走り去っていく。





 二日後、防壁が崩落寸前で敵の攻撃が止んだ。

 それどころか大地を埋め尽くす魔物の群れが消滅していた。

 勇者によって危機が去った事を知った国民は、お祭り騒ぎで帰還を祝う。

 王城でもパーティーが開かれ、その主役はもちろん勇者だった。


「約束通り、魔物は消えました。なので報酬をいただきたい」


 王の前に進み出た勇者が毅然とした態度で、王とその取り巻きを見回す。

 全員がニヤニヤと口元に笑みを浮かべ、事態を把握していないように見えた。


「勇者よ、よくぞ邪悪なるものを討伐してくれた。お主の望み通り、邪教徒は捕らえておる。近いうちに公開処刑する」


「そんな人身御供はどうでもいい。首謀者であるあんた達の首を差し出せと言っている」


 堂々と言い放たれた言葉に動揺が走る。

 王の前に控えていた騎士が勇者を取り囲み、槍の穂先を一斉に突きつけた。


「これは何のつもりかな?」


「我々の所業に気付いておったのか。このまま英雄としていい気になっておればよいものを……」


 王とその隣に立つ姫。更に大臣や宰相といった重鎮共の笑みが深まる。


「醜いな。魔物より」


「何とでも言うがいい。国民には魔物の毒が残っていたとでも伝えれば納得するであろう。あやつらは考える頭が無いからのう」


 無駄に立派な顎髭をしごきながらご満悦の王。


「毒か。それは料理や酒に仕込んでいた毒の事か?」


「ほう、今更気づきおったか。何も考えずに飲み食いしておったようだが、そろそろ毒の効き目が表れる頃ではないか?」


 自分達が太刀打ちできなかった相手を倒した勇者に対して強気だった理由は、料理に忍ばせていた毒の数々。

 王達は歓迎していると見せかけて、初めから勇者を処分するつもりだった。


「お主のような者がいると、我の権威が薄れるのでな。悪いが国と我の為に死んでもらおう。安心していいぞ、英雄として祭ってやるのでな」


「ふふ、残念ですわ勇者様。もう少し若ければ好みでしたが」


 王と姫の邪悪に歪んだ顔は、親子だけあって瓜二つだった。

 勇者は何も言わずに黙って大剣を抜く。


「俺はこの国を守るために動く、と言ったはずだ。お前らはこの国に必要はない」


「はっ、毒が回っておるのに強がるでないわ! さっさと反逆者を殺せ!」


 騎士達が槍を構えて殺到するが、その穂先は勇者を捉えられない。

 軽く振った大剣に槍が切断され、ただの棒と化す。

 勇者は黙って王へと歩み寄っていく。その歩みを妨げようと騎士が飛び出すが全て一振りで弾き飛ばされていく。

 その間に逃げようとする王と重鎮達へ向けて勇者が吠えた。


「動くなっ!」


 全身に稲妻が走ったかのような衝撃が襲い、その場にいた全ての者が身動き一つ取れなくなった。

 王の前に立つ勇者は大剣を振り上げた状態で動きを止めると、最後に一つチャンスを与える。


「王よ、最後に何か言い残す事はないか」


「わ、我が死ねば、国民を指導する者がいなくなり、国は混乱に陥るぞっ! そ、それでもいいのかっ!」


「なるほど。確かに言う通りかもしれないな」


「そうであろう! ならば――」


「だとしても、それがどうした。何もしなければ滅ぶ国を救った。国民は死ぬ定めだったところを助けられたのだ。ここから先は苦難が待っていようと、俺の知った事ではない」


「な、な、な、それでも勇者か!」


 予想外の答えを聞いて取り乱した王が罵倒する。

 勇者は面倒そうに頬を掻くと、大きく息を吐く。


「勇者業にも飽きてきたところだ。今度は別の事をやるのも悪くないかもしれないな」


 そう言って断罪の剣を振り下ろした。





「ほほう、それでどうなったのだその国は!」


「聞いた事もないお話ですよ。作者の名前はどなたなのでしょうか」


「すっごく臨場感があって、思わず聞き惚れちゃったわ。さすが、回収屋さん!」


 三人には思ったよりも好評だった。

 その後どうなったかも語ると小説家の作家魂に火が付いたようで、『こもって執筆作業に取り掛かる』と言い残して部屋に戻っていく。

 団長とチェイリも乗り気の様で、今から劇の練習に打ち込むそうだ。

 一人の取り残された俺の隣にスーミレがやってきて、空のカップにお茶を注いでくれた。


「ありがとうございます」


「お疲れさまでした。お話、とても面白かったです。その勇者さんって今幾つで、何をしているのでしょうね」


 素朴な疑問を口にする彼女に微笑みながら、一口お茶を含む。


「美味しいお茶を飲んで、笑っているのではないでしょうか」


 前へ次へ 目次  更新