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とけて一つになる

 高い塀に囲まれた豪邸を眺めている。

 重厚な鉄扉前には四人もの門番が立っていたので『鑑定』で調べると、優秀なスキルが揃っていた。


「なかなかに厳重な警備ですね」


 左隣に小声で話しかけたところで、クヨリがいない事を思い出して思わず苦笑してしまう。

 半年近く一緒に行動していたのだが、左腕を再生してもらってからは再び一人で動くようになった。

 彼女は拠点にしている宿屋で大人しく待ってくれている、と思う。約束を守っているのであれば。

 彼女は旅に同行したがっていたのだが、彼女は戦力としては優れているが隠密行動は不得意なのだ。

 有効なスキルを売り渡したところで注意力が散漫なので、罠にはことごとく引っかかり、うっかり物音を立てて物を破壊する。

 一応クヨリには『忍び足』を渡しておいたので、今頃特訓をしているはずだ。

 スキルの訓練と注意力を磨いて旅の相棒になると息巻いていたので、帰った時にその成果を見せてもらう事にしよう。


「さてと、思い出し笑いしている場合でもありませんでしたね」


 物陰から豪邸の様子を窺っていたが、堂々と姿を現して門の前まで移動する。

 警戒する門番たちが槍を構えて、進路方向に穂先を突き出す。


「何者だ! ここを大商人キセル様のご自宅と知っての事か」


「はい、もちろんです。私はしがない行商人をやっておりまして、回収屋と名乗っております。キセル様に、お取次ぎ願えませんか? 名を出せば分かっていただけると思いますので」


「回収屋だと……。怪しいヤツだが、御屋形様に聞いてみる。しばし待て」


 問答無用で追い払われるような事はないか。

 営業用の笑みを浮かべながら門番たちを観察する。

 『剣術』や『槍術』を保有。見張りに適した『気配察知』所有者もいる。能力だけなら中級冒険者に匹敵するな。

 これだけの腕を持つ者を雇うとなると金をかなり弾まないといけない。

 大商人と言われるだけの事はあるのか。……立派になったもんだ。

 ただ一つ気になるのが、彼らはフード付きのコートを着込んでいて口元には布を巻いている。つまり肌の露出が目元だけ。

 能力からして怪我を負ったか、何らかの理由で現役を引退した冒険者達を雇った、と考えるのが妥当か。

 豪邸の中に消えていった門番の一人が走り寄ってくると、俺を訝しげに睨んでいる門番に何やら耳打ちをした。

 途端に慌てて背筋を伸ばし深々と頭を下げる。


「失礼しました! 御屋形様がすぐに通すようにとの事です。ささっ、こちらへ!」


 見事な豹変ぶりだ。

 門番二人に先導されて門の向こう側へ足を踏み入れる。庭には色とりどりの花が咲き、木々の枝葉も整えられている。

 庭師が今も花壇の手入れをしているのが視界の隅に見えた。

 近くの花を注意深く観察すると、今までに見た事のない形状をしている。似通った形をした花は見た事があるが、このように美しい紅色ではない。

 確か白色しか存在しなかったと記憶している。


「見事な庭ですね。見た事もない花の品種ばかりのようですが」


「ええ。御屋形様のご自慢の庭です。病弱な娘の為に窓から見える庭だけでも……と各地から珍しい草花を取り寄せているそうですよ」


「そうなのですか。お優しいのですね」


 何百年もの間、大陸中を渡り歩いた自分がまだ見ぬ植物の宝庫。

 これは植物系のスキル、例えば『栽培』等を活用したのかもしれない。

 そんなに珍しいスキルではなく農業をする者が利用すれば、収穫量は通常の数十倍となるので重宝されている。

 庭師として所有している人もいるそうだが……。庭の手入れをしている庭師のスキルを覗かせてもらったが『栽培』はない、か。

 庭を見物していると視線を感じたのでその方向へ目線を向けると、二階隅の部屋に人影が見えた。

 レースのカーテン越しなので薄っすらと輪郭が分かる程度だが、ドレスを着た成人女性のようだ。

 直ぐにカーテンを閉められたので、それ以上は分からない。


「どうかされましたか、回収屋様」


「いえ。今、あの部屋から誰かが見ていましたので」


 すっと指差す方を見た門番の一人が、「ああ」と声を漏らす。


「ニーヤ様の部屋ですね。いつも窓際から庭を覗かれていますよ。病弱で外に出てはいけないらしく、私達の前に直接顔を出すことはありませんが」


 ずっと部屋から出ていないという事なのだろうか。

 もう少し詳しく娘について話を聞きたかったが到着してしまったようだ。

 門番に促されるままに、白塗り二階建ての豪邸の中へ入る。

 巨大なホールの壁際には甲冑の置物がずらりと並び、絵画や無駄に大きな壺が飾られていた。

 正直センスがあるとは言えないが、多くの人が想像する金持ちの家といった感じではある。

 辺りを観察しながら大人しく従っていると、一階の一番奥の扉前で足が止まった。

 木製扉の表面には様々な動植物が彫られていて、軽く見積もっても庶民であれば一年は暮らしていける価値のある物だと見抜く。


「こちらになります。御屋形様、回収屋様をお連れしました」


「おおっ、そうか! 入っていただいて」


 扉向こうから男の声がする。

 開け放たれた扉の先には小さな民家がすっぽり入るような広い空間が広がっていた。

 真っ赤なじゅうたんが敷き詰められた室内の、黒い革張りのソファーに腰かける肥えた男が頬肉を揺らしながら立ち上がる。


「おーっ、お久しぶりです、回収屋さん。お前らは下がっていいぞ」


 俺の手を包み込むように握る男の手が若干汗ばんでいるが、気にしないでおこう。


「回収屋さんは以前とまったくお変わりありませんな」


「貴方は変わりましたね。かなりふくよかになられたようで」


「はっはっは、金と無駄な肉は比例するようで。これも全てあの時にお金を貸してくださった貴方のおかげですよ」


 膨らんだ腹をパンパンと叩きながら陽気に笑っている。

 目の前の男――キセルと初めて会ったのは二十年以上前だったか。あの頃は二十歳そこそこの行商人で、お世辞にも商売上手とは言えない純朴な青年だった。

 行商人の先輩として俺を尊敬していたようで、一時期は押しかけ弟子のように俺の旅に同行していた頃もあったな。

 人懐っこく俺を「師匠、師匠」と呼び、どんなに辛い事でも笑って乗り越える、そんな男だったのだが……。


「懐かしいですなー。まだ商売のノウハウも知らぬ若造だった私が何度も教えを請い、共に旅した日々」


「強引に同行してきただけですけどね」


 あの頃を思い出して昔話に花が咲く。

 近況の話題になったので、そろそろ、あの事も訊いておくか。


「ところで、娘さんが病弱で部屋にこもっていると聞きましたが」


「ええ。生まれつき体が弱く手を尽くしてはいるのですが……」


「スキルは調べたのですか?」


「それはもちろん。どうやらスキルの影響という訳ではないようで、未だに解明されていない病らしく」


 これが悪影響を与えるスキルなら買い取れば体調もよくなるのだが、病が原因となると難しい。

 『健康』は病気になりにくいスキルであり、現状の病気を即座に治すものではない。しかし、スキルがあれば抵抗力が高まり完治が早くなる。


「よろしければ、後で『健康』をお売りしましょうか?」


「お心遣いありがとうございます。ですが、それは無理なのですよ。娘は……無能者なので」


「そう、でしたか」


 彼は共に旅をした間柄なので、俺がスキルを売買できることを知っている。

 なので、無能者の存在とその意味も理解していた。

 スキルスロットが存在しない無能者はスキルを得る事はない。

 そこから当たり障りのない会話を小一時間続けたところで、本題を切り出すことにした。


「今日、私がここを訪れた理由はご承知ですよね?」


 笑みを浮かべ緩んでいた表情が、すっと真剣なものへと変わる。

 相手もちゃんと覚えていたようだ。


「もちろんです。あの時、私は行商人を辞めてこの地に根を張り、商人として生きていく事を決めた。その際に二十年後にスキルを売る条件で大金をもらい受けましたから。その約束の日が……今日でしたか」


 男は立ち上がると窓際に立ち、庭を見下ろしている。


「正確な日時は覚えていませんでしたが、そろそろだとは理解しておりました」


「では約束通り売っていただけますね」


「はい、もちろんです。『融合』スキルをお売りします」


 二十年前、彼は子供が産まれた事をきっかけに独り立ちをした。

 その際にレアスキルである『融合』を二十年後に売る事を条件に大金を渡したのだ。

 それを元手に大成功を収め今に至る。


「ところで『融合』の使い道は分かったのですか?」


「ええ。あの頃はこのスキルを発動すらできなかったのですが……何とか使いこなせるようになりましたよ」


 声から陽気さが消えた。静かに淡々と話している。

 あのスキルが使えるようになったのか。当時は何も分からなかったというのに。

 『融合』スキルは過去の文献にその存在は示されているのだが、どういった能力だったのかという肝心な記載がなかった。

 俺と共に過ごしていた頃は発動条件が分からず、宝の持ち腐れだったのだが。


「色々試している内に発動条件に気付きまして、まず無機物同士の融合はできません。これは何度も私が試していたのをご存じだとは思いますが」


「そうですね。融合という言葉の意味からして、物同士を溶け合わせる、と考えてあれこれ実験してましたよね」


「はい。アレがそもそもの間違いでした。『融合』の発動条件は似通った性質を持つ生物である事。これが最低限の条件でした」


「生物……ですか」


「それも対象を右手と左手で触れる事でその二つを一つに融合できるのですよ」


 振り返り両手を握りしめるキセルが仄かに微笑んでいる。

 いい印象は与えない笑い方だ。


「初めのうちはほぼ同種のものしか融合できませんでした。それも生命力があまり強くなく精神構造も複雑でない個体のみでしたが」


「植物ですか」


「ご名答です。さすがですね回収屋さん。花びらの形が特徴的な花と、美しい色合いの花を融合する事で、万人に好まれる花を生み出す事も可能でした。果実を組み合わせて最高の味を創造したこともありましたね」


 庭に生えていた見た事もない草花は『融合』で生み出された新種ということか。

 そういった果実や花を売り捌いて、大商人と呼ばれるまで上り詰めた……。


「何年にもかけて何度も融合を繰り返し、スキルレベルを上げていった結果、ようやく数年前から植物以外の融合にも成功するようになったのですよ」


 口元の笑みが深くなり、その瞳に怪しい光が宿る。

 その姿に無邪気な青年時代の面影は何処にもない。


「面白いですよ、このスキル。融合といっても完全に同じ割合で混ざり合うのではなく、右手で掴んだ方がベースとなるのですよ。右手でカマキリを掴み、左手でチョウを掴んだ場合、カマキリの背中にチョウの羽根がある生き物が現れるのです。その習性はカマキリとほぼ同じでした」


「その融合は同じ相手に何度でも使えるのですか?」


「いえ、一度使用した相手には二度と使えません。……残念ながら」


 新たな生物の創造。人が足を踏み入れてはいけない領域だが、古代人も似たような実験を繰り返していた。

 一概に責めるべきではないのかもしれない。

 だが、分相応ではない野望を抱く前に回収しておいた方がいいだろう。このスキルはあまりにも危険すぎる。


「強力なスキルのようですね。買い取った後は慎重に実験をするか、封印した方がよさそうですね」


「それはもったいない。『融合』はレベルさえ上げれば、もっともっと、強力なスキルとなる可能性を秘めた神のスキルですよ。眠らせておくべきではありません」


 目を見開いて話すキセルの目つきが危険だ。充血した目から狂気が垣間見える。

 ……このスキルの危険性には前々から気づいていた。だが、彼の人柄を信じてスキルを買い取ることなく別れた。

 時とは残酷だな。

 嫌な予感程当たってくれる。危惧していた事態になりそうだ。


「そうかもしれませんが、それを決めるのは私ですよ。さて、『融合』を売ってもらえますね?」


「申し訳ありませんが、やはり、お断りさせていただきます」


 目を閉じて小さく息を吐いたキセルが、額に手を添えて頭を左右に振っている。


「おや、約束が違いますね」


「お金はお返しします。ですが、このスキルは私にこそ相応しい。それにこれを使ってまだやるべき事があるのですよ。申し訳ありません」


 謝ると同時に机の上に置かれていたベルを手に取り鳴らす。

 扉の向こうから感じていた複数の気配が部屋へとなだれ込んできた。

 フード付きのコートを着込んだ十名。全員が門番と同じ格好をしている。キセルに雇われている私兵だろう。


「おや、何のつもりですか?」


「貴方を捕まえ、私の『融合』の糧になってもらいます。貴方ほどの実験体であれば、私のスキルもレベルアップ間違いなしですからね」


「バカな事を……」


 狂気を孕んだ瞳は濁り果てていた。

 俺の知る彼は、もう何処にもいないようだ。

 無邪気に笑い、大商人になる夢を熱く語っていた青年は――


「私の実力をある程度は知っていると思っていたのですが」


「はい、それはもちろん。村を壊滅させたオーガを短剣一本で倒した雄姿は今もこの目に焼き付いていますよ。それを知った上で、貴方を捕らえると言ったのですよ、私は」


 過剰なまでの自信。

 キセルの前で本気を出したことは一度もないが、それでも尋常ではない強さを見せつけていた。自分に対して変な欲を出さないようにという注意を込めて。

 中級冒険者程度の実力者をこの程度集めたところで、敵わないのは理解しているはずだが。


「お前ら、本気でやれ。ただし、殺すなよ……。いや、殺すつもりでやらなければ勝てない相手か」


 キセルの言葉に応じて、私兵達がコートを脱ぎ捨てる。

 そこにいるのは異形の兵士だった。

 岩のような肌をした者。

 背中から鳥の羽が生え、手から鳥のかぎ爪が生えた者。

 頭から二本の角が伸び、口が牛のように突き出している者。

 腕が四本ある者。

 その他にも様々な人ではない特徴を備えた兵士達。


「動物や魔物と融合させましたね」


「ご名答です。さすが回収屋さんですよ」


 正解を言い当てた俺を見て満面の笑みを浮かべ、手を叩いて称賛するキセル。

 悪びれる様子もなく、余裕の対応か。


「人と動物や魔物を融合するというのは困難を極めました。生命力や精神力が植物とは比べ物になりませんでしたので。そこで私は閃いたのですよ。ならば体と心を削ってしまえばいいと。つまり……弱らせればいいのだと」


 拷問や食事を与えずに体を弱らせた、もしくは怪我人や病弱な者を利用した、という事だろうな。


「おっと、勘違いされないでくださいよ。兵士たちは戦いで体を欠損した者や病死間近の者を引き取り、同意の上で『融合』させましたからね」


 予想は的中か。

 相手の許可も得ずこんな化け物の姿に変えられたとしたら、従うわけがない。

 死ぬぐらいなら、こんな姿になっても生きたいと願う者もいて当然だ。


「一流の戦士の知能とスキル。それに動物や魔物の力が加えられる。そんな彼らに勝てますかな?」


「御託は良いですから、さっさと来なさい。弟子の考えを正してあげますよ」


「やれっ!」


 キセルの号令と共に異形の兵士達が一斉に襲い掛かってきた。

 再生した腕の練習も兼ねて、格闘能力を強化させるスキルを充実させて徒手空拳で対応する。

 人を超えた鋭い斬撃に、口から胃液のようなものを吐く私兵もいたが、敵ではなかった。

 物の数分で蹴散らし、一息ついたところで室内からキセルの姿が消えている事に気付く。


「乗じて逃げましたか」


 気配を探ると、この部屋と真逆の方向に逃走しているのが分かる。

 部屋を飛び出して後を追う。

 追いつく直前にキセルが飛び込んだ部屋は――娘が療養している部屋だった。

 開けっ放しの扉から中へ入ると、そこはキセルの部屋よりも巨大な空間。

 娘一人が住むにしては大きすぎる部屋の中央には巨大なベッドが置かれている。

 その脇には汗まみれのキセルがいて、彼が縋りついているのは黒く短い毛が無数に生えた節のある細い脚だった。

 それ(・・)は優しく微笑む黒髪の美しい女性のドレスの裾から、大きな膨らみと共に八本生えている。


「娘さんを大蜘蛛と融合させましたね」


 人よりも大きな体をした、その名の通り巨大なクモの魔物。

 その脚と全く同じだ。何度か遭遇したことがあるので間違いはない。


「そ、そうだ! それの何が悪い! 病弱で死を待つだけの娘を救うために、周辺で最も生命力が強く数百年生きる魔物である大蜘蛛を、あいつらに捕らえさせて娘と融合させたのだ! そのおかげで娘はこんなにも元気になった!」


 唾をまき散らし叫ぶキセルを娘はじっと見つめている。

 当の本人は何を語るわけでもなく、ただ父親の頭を撫でていた。


「融合させた実験体達は全て寿命が短かった。それは魔物そのものの寿命が短かったに過ぎぬ! だが、こいつなら娘は長生きができる。それでも、寿命が足りぬのであれば、スキルレベルを上げて更に魔物と融合させればいい! 娘をより美しく、より強く生まれ変われさせる事ができる! 今は会話もできないが、いずれは昔のように話してくれるようになるに決まっている!」


 俺に向かって説明しているというより、これまでの行いを自分に言い聞かせているかのように見えた。

 娘が沈黙を守っているのは言葉を話せなくなってしまったからか。

 融合した際に大蜘蛛の影響を大きく受けたのかもしれないな。個体の能力差が開きすぎていた結果、娘の精神に大きな変化を与えた。

 いや、そんな生易しいものではなく、彼女の自我は大蜘蛛に呑み込まれた。と考えると……。


「貴方の言い訳と美的センスに興味はありませんが、一つ質問をさせてください。大蜘蛛は人を食う魔物です。娘さんの食事はどうされていたのですか?」


「そんなもの決まっておる! 融合の実験のために買い取った奴隷や、さらってきた近隣の村のガキどもを食わせた。可愛い娘のご飯になったのだ、彼らも満足しているだろう」


 そこまで狂っていたか。

 娘が人ではなくなっている事を理解したうえで、囲い育て続けている。

 容赦する必要も、かける情も……消え失せてしまった。

 どうやら生まれ変わった左手を汚さなければならないようだ。


「すまないな、ニーヤ。まだご飯食べてなかったよな。あの男を追い払ったら、すぐにご飯に……。な、何をするんだニーヤ? じゃれるのは後にしてくれないか。私に糸を巻き付けて……。ど、どうしたんだ。お父さんだぞ⁉」


 頭を撫でていた手をキセルの腕や肩に回すと、手のひらから伸びる蜘蛛の糸を体中に巻き付け始める。

 慌ててもがいているが、既に首から下は白い糸で覆われていた。

 娘は微笑みながら父親を二本の蜘蛛の脚で掲げると、小さかった唇は頬まで裂け、顎がガクンと外れた大口を開けて……頭から呑み込む。

 娘は満足気に腹を撫でると、俺がいるというのに瞳を閉じて眠り始める。





 焼け落ちていく豪邸を眺めながら、大きく息を吐いた。

 この結末が正しかったかどうか、それは俺には分からない。

 人でなくなった彼女は一人では生きていけない。

 弟子だった者の愚行をこれ以上、見逃すわけにもいかない。

 私兵達は自らの意思で死を選んだ。「この体で生きていくつもりはない。どうせ先の短い命だから」と。

 地下室に閉じ込められていた、実験体かエサになる予定だった人々は既に連れ出しておいた。このまま近隣の村まで連れていくつもりだ。

 燃え盛る豪邸を背に歩く足をふと止め、最後に一度振り返る。

 まだ崩れていない娘の部屋を見つめていると、あの光景が蘇った。

 娘に食われる瞬間、彼は確かに笑っていたのだ。

 正気を失っていたのか、娘の為に狂人を演じて全てを誤魔化していたのか、今となっては確かめる術がもうない。

 だけど彼は満足そうだった。それだけは事実だ。


「融合を使える彼が溶けて娘と一つになれた。皮肉なものですね。……バカ弟子が」


 もし、彼が『融合』のレベルを上げて、もう一度娘に対して発動できるようになっていたら、同じように一つになろうとしていたのではないか。

 ふとそんな事を思ってしまった。


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