才能とは
街とも村とも離れた山中に、ポツンと立つ山小屋へ向かっている。
そこには常連の一人である、変わり者が住んでいるのだ。
定期的に訪れて交渉するのが決まり事となっていて、今回は四か月ぶりだろうか。
獣道を進み、うっそうと茂る雑草をかき分け、山頂へとたどり着く。
山頂付近は木々が切り倒されているので、見晴らしが抜群だ。
てっぺん部分には丸太を繋ぎ合わせた簡素な小屋があり、周りには色とりどりの野菜が植えられた畑や、鍛錬用の案山子が何本も突き刺さっている。
近くで案山子を確認すると、至る所に傷がある。これは彼が毎日、打ち込んでいる証だ。
「おっ、来てたのか! 回収屋! おめえは変わんねえなぁ」
男の大声が周囲に木霊している。元気なようで何よりだよ。
手入れを全くしていない髪と髭が伸び放題の顔。顔の造形が分からない状態なのだが、実は美形寄りなことを俺は知っている。
簡素な服を着ているが、あれは自分で狩った動物の革で作ったものらしい。
俺は彼の名を知らない。彼も俺の名を知らない。付き合いは長いというのに。
「無駄に元気なようですね。はい、街で購入した品々ですよ」
「いつも、すまねえな!」
基本的には自給自足でやっているのだが、全てを補うのは難しいので、こうやって会うついでに消耗品や生活必需品を持って行っている。
「どうですか、調子は」
「おう、この体を見たら分かるだろ」
上着を脱ぎ、上半身を晒した体は……見事の一言だ。
無駄をそぎ落とし、実用的な筋肉だけを追求し鍛え上げられた体は、芸術品としての価値すら感じる美がある。
「更に高みへ上りましたか」
「おうよ。鍛錬と魔物退治の日々を過ごしているからな。この山はいいぞ、中級以上の魔物がゴロゴロしてやがる」
腕を曲げ筋肉の張りを強調して、パンパンと叩きながら眩しい笑顔を見せている。
嬉しそうだなぁ。俺にもこの生活は可能だろうが、やりたいとは思わない。
彼が人のいない魔物地帯に独りで住み、極限状態に身を置いているのには……理由がある。
「回収屋、頼んでもいいか?」
「ええ、その為に来たのですから」
商品を持ってきたのは物のついででしかない。本来の目的はこっちだ。
俺は彼の正面に立ち、じっと頭上に目を凝らし『鑑定』を発動させた。
そこには――何もない。
スキルがある相手なら、何かしらの文字とレベルが浮かび上がってくるのだが、……何もないのだ。
「その顔は、ダメだったか」
「すみません」
「なんで、回収屋が謝るんだ。それに、分かりきっていたことだろ。まだまだ足りないか、しゃーねーな。もっともっと、己をいじめ抜かないとダメか」
屈託のない笑顔で後悔の一つも見せず、筋肉を強調させるポーズをとっている。
確かに分かりきっていたことだ。この結果は『鑑定』をする前から見えていた。
「最近は芸術方面の可能性も考慮してな、人形彫ってんだぜ。結構いい出来でな、持って帰るか?」
明るく振る舞う姿に慣れてしまっているはずなのに、心がズキリと痛む。
彼は――無能者だ。
生まれつき一つもスキルを持たぬ者。神から見放された存在。侮蔑の対象。
無能者は数千人に一人の確率で産まれると言われている。その者は生まれつき、神から才能がないという烙印を押されたも同然。
人々から蔑まれ、差別され、肩身を狭くして生きる。それが無能者だ。
だが、全ての人がそうではない。反骨精神を抱き、誰よりも努力して成功を収めた無能者も少なくない。
そして、彼のようにスキルを得るために日夜、己を鍛える者だっている。
スキルには後天的に覚える場合もある。魔法もそうだが、他のスキルだって、ふとしたきっかけで才能に目覚めることがあるのだ。――普通の人なら。
無能者は決してスキルに目覚めることはない。
人には自分の才能の数を決定づけるスキルスロットというものがある。生まれつきスキルが一つしかなくても、スロットが五つあるなら、今後、最大四つものスキルに目覚める可能性があるということだ。
だが、無能者にはない。スキルを持たずして生まれた者は、スキルスロットが存在しないのだ。だから、俺がスキルを売り渡すこともできない。
彼らは生涯、スキルの恩恵を受けることなく死んでいく。
無能者が毛嫌いされる最大の要因がそこにある。
「もう、止めてはどうですか。以前もお話ししましたが」
「俺にはスキルスロットとかいうのが無いんだろ? だから、この努力も無駄なんだよな」
あっけらかんと言葉を返す。
このやり取りも、何回目だろうか。
初めの五年は何も伝えずに見守っていた。前例がないだけで、その可能性が無いとは言い切れなかったからだ。
だが、他の誰よりも努力をして、スキルを得るために極限状態に追い込み、時には死ぬ直前まで自分を痛めつけている彼を見て……真実を明かした。
それでも彼は自分を曲げない。あれから――五十年の時が過ぎた今でも、それは変わらない。
老人とは思えない体だが、全盛期に比べれば明らかに衰えている。
身体能力だけなら、そんじょそこらの冒険者では敵わない。だが、チャンピオンに勝てるかと問われれば、首を縦には振れない。
最上級の肉体を作り上げたからこそ分かってしまう。スキルがある者と無い者の差が。
「まだ、やれることは幾らでもある。そういえば、数か月前だったか山を下りて本を購入したのだが、そこに面白いことが書いてあってな。スキルに目覚めるには日頃の努力だけではなく、極限状態の肉体と精神が必要だと」
「そういう説もありますし、実際に目覚めた例を聞いたことはありますよ」
「なんだよ、水臭いじゃねえか。そういう情報は教えてくれよっ」
「最近、浸透してきた新説なので。教えようと思っていたのですが」
嘘だ。それを教える気は毛頭なかった。
そこに書いてあったことは間違いではない。ただし、それは――無能者を除いての場合だ。
だから、俺は彼にそれを教えなかった。これ以上彼を追い詰めたら、そこに待っているのは確実な――死だから。
止めるべきだ。若い頃ならまだしも、これはさせてはいけない。
「可能性があるってのは嬉しいよな!」
老人だというのに無邪気に笑う顔は少年のようだ。
その姿に俺は言葉を呑み込む。スキルに恵まれ、その能力を利用してきた人間の言葉にどれだけの説得力がある。
何を言おうが、彼を止めることは無理だろう。
それを否定することは、彼の人生を否定するのと同じだ。
だったら、俺は彼を今まで通り見守ることしかできない。こうやって、たまに訪れては様子を見るぐらいしか。
「俺がスキルに目覚めたら、無能者として初の快挙になるのか。そしたらよ、偉大なる男だとか言われて、もてはやされちまうな! スキル会得を成し遂げたら……少しは他の無能者も引け目を感じなくて済むんじゃねえか」
拳を握りしめる、彼の瞳には揺るぎない信念が宿っている。
何十年もの間、一度たりとも消えなかった……情熱の炎が。
「そうかもしれませんね」
それが可能なら、世界に名を残すことになるだろう。そして、多くの無能者が勇気づけられる。
それが本当に……可能なら。
「こりゃマジで、そろそろスキルに目覚めるんじゃないか? そう思うよな、回収屋も」
「そうですね」
「ぐははははっ! 相変わらず、お前は嘘が下手だな!」
そう言って彼は豪快に笑った。
彼と会ってから半年が経過した。
あの日は春だったが、今は冬も間近に迫っている。
山頂には雪が積もり始める頃だろう。防寒着や保存食、それに薬を運ぶとするか。
小屋に一番近い宿場村に立ち寄り、必要な商品を買い込む。相当な量になったので『怪力』は常にセットしておく。
「お客さん、えらく買い込んだもんやね」
大量に売り捌けて上機嫌な店主が、俺に声をかけてきた。
ここは情報収集も兼ねて会話に乗ってみるか。
「この山に住んでいる友人に届けるのですよ」
「山って……あの変わり者の爺さんか!」
「ええ、そうです」
「ここまで来ることは滅多にないが、山の近くで多くの武器を使って魔物と戦う、半裸老人の話は、旅人からよく聞いてるよ」
かなりの有名人なようだ。あの容姿と老人とは思えない強さを誇る人だからな。噂になっていて当然か。
常に半裸なのは『見切り』『直感』に目覚める可能性を考慮して。
多くの武器を扱うのは三十年間、剣の腕のみを磨き上げた結果スキルに目覚めなかったからだ。自分には他の武器の才能があるのではないかと、試行錯誤したのだろう。
「だけどよ、お客さん。この時期に山を登るのはお勧めできねえっすよ。最近、人を食う凶悪な魔物がどこからか流れ込んできましてね。山には近づかないように、と国の兵士たちからの注意勧告があったんですよ。どこぞの冒険者達は話も聞かずに、山に向かいましたけどね。ありゃダメですわ」
「凶悪な魔物ですか」
「なんでも、デカくて白い、二足歩行の化け物だとか」
それは、イエティと呼ばれる毛むくじゃらの猿のことか? それなら、中級程度の冒険者が単独でも勝てる相手だ。彼なら得意の剣じゃなくても圧倒できるだろう。
「それはイエティというのでは?」
「いんや、もっとおっきいらしいよ。あんたの三倍ぐらい背が高くて、口から冷気を吐く巨人だとかどうだと」
俺は店主の言葉を最後まで聞かずに店を飛び出した。
やばい、フロストジャイアントだ。中級以上の冒険者パーティーが、準備を整えて挑む強敵。
極寒の地に住む、冷気を操る巨人。巨人族というのは一般的に知られている魔物だが、強さは相当なものだ。それでも普通の巨人が相手なら、彼は勝てるだろう。
だが、巨人族には様々な個体が存在する。フロスト、フレイム、ミスト、アイアン等。頭にそういった名がつく巨人は、強さのランクが跳ね上がる。
極寒の環境でフロストジャイアントに挑むのは無謀すぎる。だが、彼なら挑みかねない。スキルを得るためだけに生きる彼には、絶好の相手だ。
「早まるなよ! 早まるなよっ!」
俺は『俊足』『体力』『寒さ耐性』『跳躍』を発動させて、雪山登山を敢行した。
強化された脚力で雪を蹴り飛ばし、強引に前へ前へと進む。
発動させた『気配察知』に数人の気配が引っかかった。三つは全く知らない気配だが、もう一つは彼のものだろう。そして、どの気配よりも膨大な気配が一つ。
それがフロストジャイアントで間違いない。
速度を上げ全力で駆ける。進路方向の雪を高く舞い上げ突き進む。
「くそがっ、もどかしい!」
俺は『火属性魔法』にスキルを入れ替えると、腕を薙ぎ払う。
放射状に炎が広がり、雪が蒸発して木々が炭と化す。
焼け焦げた大地を一気に駆け抜け、木々の切れ間から飛び出した。
視線の先は雪原があり、三人の男が地面に転がっている。装備からして店主の話していた無謀な冒険者だろう。
対するは白い髪に白い肌。身の丈は六メートルに近い、チャンピオンの肉体にも匹敵する筋肉の塊……フロストジャイアント。
そして冒険者達を庇うようにして立ちはだかるのは――彼だ。
左手は折れたのか力なく揺れている。片目は塞がり、背中には大きな痣。満身創痍とはこのことか。
だが、巨人も無傷ではない。体の至る所に武器が突き刺さっている。あれは彼の愛用している武器の数々。
かなり追い込んでいるのは確かだ。
「加勢します!」
「これは俺の獲物だ!」
老人の怒声に足が止まる。
鬼気迫る表情で俺を睨む彼の瞳。手出し無用と目が訴えかけていた。
怒鳴られようが、これが原因で恨まれようが、助けるべきだ。そんなことは分かりきっている。
彼を殺したくなければ、無理にでも助けに入る……ことはできない。
今までの彼を知っているからこそ、俺はこれ以上……踏み出せない。
「こいつを倒したら、俺は何か掴める! 必ず、スキルを手に入れて見せる! 必ずだっ! うおおおおおおっ!」
諦めることを知らぬ老人の魂の咆哮。
スキルもない人間の咆哮にフロストジャイアントが怯み、バランスを崩して片膝を突く。
その隙に飛び出した老人は、一気に間合いを詰めると巨人の膝に足をかけ飛び上がり、その胸元へ最も得意とする剣を突き刺した。
「やったぞっ!」
起死回生の一撃。彼の人生を込めた切っ先は相手の胸を貫き、致命傷を与えた。
――が、苦し紛れに放ったフロストジャイアントの一撃もまた、彼の体を捉えていたのだ。
丸太のような腕で殴られ、吹き飛ばされ、地面で二度跳ねた後に大木へ激突する。
慌てて彼の元へ駆け寄ると、青ざめた顔で満足そうに彼は笑っていた。
「見たか、回収屋。……スキルもない、男が……単独で、倒してやった……ごほっげはっ」
大量の血が口から吐き出される。内臓がやられたのだろう。
死が近い。それは『医術』のスキルを使わなくとも判断できる。誰の目にも明らかだった。
「それ以上、話さないでください! 傷が広がります!」
「いいんだ、いいんだ……。回収屋……最後に、頼みごとを聞いてくれ」
武骨な手が震えながら俺の肩に置かれた。ギュッと爪を立て強く肩が握られる。
俺はその手を掴み返し、命の灯火が消えていく彼の目を見据えた。
「俺の、スキルを……鑑定、してくれ……」
「……はい。分かりました」
俺は『鑑定』を発動させて、彼の頭上に視線を向ける。
「どうだった、回収屋」
俺は彼の耳元に口を寄せ、鑑定結果を伝えた。
「喜んでください。咆哮のスキルがありましたよ」
満足そうに彼は一度頷くと、静かに目を閉じる直前に、
「最後まで……嘘が下手だな、あんたは……」
そう言って微笑み、息を引き取った。
冷たくなった彼を背負い、体にロープで括り付け、そこに転がっている三人を引っ張っていく。
彼が命を懸けて助けた連中は山の休憩所に置いてきた。火を起こし、手当もしておいたから大丈夫だろう。
山頂まで彼を運び。山小屋の隣に穴を掘る。
穴に彼を横たえて、土を被せる。墓標は既に彼が部屋に用意してあり、俺はそれを彼の元へと運ぶ。
丸太を削っただけの簡易な物で、そこには『才無き者』と彫ってあった。
俺はその文字の上に『偉大なる』と彫り加えておいた。