繋がるということ
人里から離れた山奥に石造りの家が一軒建っている。
獣道を進んだ先にあるので、この家の存在を知る者はごくわずかだ。
俺はその家の前に立つと、見るからに頑丈そうな鉄製の扉を叩いた。
少し待っていると、扉越しに男の声がする。
「行商人は」
これは予め決めておいた合言葉だ。返す言葉が正しければ扉を開ける、そういう手筈になっている。
「言わないとダメですかね」
合言葉を忘れた訳ではないのだが、口にするのは少しためらってしまう。
もう少しセンスのある言葉にして欲しかった。
「ぎ ょ う し ょ う に ん は」
どうしても言わせたいようだ。
仕方がないと小さく息を吐き、その言葉を口にする。
「愛想が命」
「……商売とは」
「信頼、愛、友情、努力、根性」
「合言葉を確認した。ほな、入ってええで」
扉が内側から開くと、そこには褐色の肌に縮れ毛バンダナの情報屋マエキルがいた。
ちなみにこの合言葉は全てマエキルが考えた。言うまでもないだろうが。
この小屋には連絡が途絶えた時に定期的に訪れることになっている。
今回のような時に備えておいて正解だったようだ。
「ごっつう久しぶりやな。宿屋から姿を消して半年は経ったんちゃうかな」
招き入れられ椅子に座ると、机の上に焼き菓子と飲み物が置かれた。
小屋はスキルを活用して作った家で、かなりの耐久力を誇る。魔物の体当たりでも耐えられるように作られている。
それに加え、床の一部が開く仕組みで、その先は地下通路に繋がっていて非常時の避難路になるように建築した。
「皆さんは元気にしていますか?」
「病気やケガって意味やったら元気ちゃうか。回収屋の姉ちゃんからのちょっかいも無いで」
それを聞いて安堵の息が漏れる。
一番危惧していた事がそれだったので、その事を聞けただけでも満足だ。
「ただな、みんな心配してんで。チャンピオンは口には出さへんけど、最近は毎日宿屋に顔出しとったし、特に女性陣が酷い有り様や。宿屋のスーミレちゃんやチェイリはんは、仕事も手につかない様子やしな。カイムロゼは八つ当たり気味に賭場を荒らしとるし、クヨリはんなんか一日中虚空を見つめて、二か月前に宿屋を出て行ってしもうたからな。神父様はみんなから相談を受けて教会の力と人脈を生かして、懸命に探してくれているようやで」
「ありがたい話ですね……。本当に」
自分が必要とされている事実を知り、胸の奥が熱くなる。
心配をかけている事は申し訳ないと思うが、姉と戦った際に諦めずに生き延びてよかった。心からそう思えた。
クヨリが姿をくらませた事が気になるが、元の屋敷に戻った可能性が高い。もう少ししてから訪ねてみようか。
「ほんで、何があったんや? その片腕からしてろくでもない事があったんやろうけど」
「何があったかお話ししますよ」
全てを話し終えると、マエキルは頭を掻きむしり大きく息を吐いた。
「マジかいな。姉ちゃんと遭遇したんか。腕一本ですんで良かったと考えるべきなんやろうな。命あっての事やしな」
「ええ、命拾いしましたからね。私の現状を伝えるのはとりあえず、チャンピオンと神父様と眠り姫だけに留めておいてください。チャンピオンには現状を知ってもらうべきですし、神父様は他言する事はないでしょう。眠り姫は今後もやってもらう事がありますので」
「了解や任せとき!」
ドンと胸を叩いてむせているマエキルを見て、少しだけ心が和む。
胸のつかえが取れたので、今日は久しぶりに熟睡できそうだ。
こういうやり取りも久しぶりだな。
「あっ、そうや! 不幸中の幸い言うんやろうか。前から頼まれていた欠損した体を復活させるスキルの情報を掴んだで」
「本当ですか」
肉体を再生する能力がないか探すように、マエキルに頼んでいた依頼の一つだ。
依頼の本来の目的は両腕を失った剣豪、剣無流の彼の腕を再生させる為だったのだが……。人生どう転ぶか分からないな。
今では左腕のない生活にも慣れてきたが、やはり不便な点が多い。何よりも問題なのは戦力が大幅に削られた事だろう。
片腕がないというのは戦いにおいて不利であるのはいなめない。
姉と再び相対する時に片腕というのは心もとないよな。
「んでな、その肉体を再生させるスキルっぽい噂が聞かれるようになったんが、ほんの一か月前ぐらいからなんや」
「つい最近なのですね」
そうなると話が違ってくる。ふと嫌な予感が頭をよぎる。
もしかして、これは姉が俺の生死を確かめる為に仕込んだ罠なのではないかと。
「このタイミングやから警戒してあんま近寄らんようにして集めた情報やから、信ぴょう性は薄れるかもしれんで」
マエキルも同じ事を考えたか。凄腕の情報屋と自称するだけの事はある。
「ええ、それで結構です。私も正体を隠して接近しますので」
「そやったら安心やな。ほなら得た情報を伝えるで。失った腕を再生したやら、失われた足を元に戻したやら、ごっつう評判になっているそうやで。小さな村に何処からともなく現れた男か女かも分からん、目深にフードを被った人らしいわ。無口で自分から話すことがないみたいやで」
「凄まじく胡散臭いですね」
「そやろ。もうちょい本格的に調べたかったんやけど、ここに来るのを最優先したからな」
「ありがとうございます。これだけで十分ですよ」
それから近況の報告をお互いにして、マエキルと別れた。
噂の人物の居る村を示した地図を手に、俺は駆け足気味に進む。
失われた腕の対策は幾つか考えていた。その内の一つが腕を再生する事だ。
文献によると大昔にどんな怪我も瞬く間に治したスキルが存在したらしい。それは不治の病も手足の欠損も問題なく治癒した。
……と言われている。
スキルは神から与えられたと言われるだけあって、信じられない能力が幾つも存在している。そんなスキルがあったとしても何もおかしくない。
ただこれがオンリースキルであれば、この世に二つと存在しないのだ。
信じたい気持ちはあるが、正直に言えば大袈裟に広まった噂だろうと考えている。
あとこの状況で思い当たる点が一つある。
どちらに転んでもいいように心構えをして、足を速めた。
噂の村にたどり着いた。
行商人であることを話すとあっさりと村にはいる事を許され、広場で商品を売りながら情報を集める。
確かにこの村に謎の人物がいるらしい。
噂通り千切れた手足を再生させたと、村人達が興奮して話す。目撃した者が何人もいるので嘘ではないのは分かったのだが、予想していた通りの展開のようだ。
噂の人物が何処にいるのかもあっさりと教えてもらえた。
並べた商品が全て売れたので、早々に商いを終えると村で唯一の宿屋へと向かう。
日頃はただの民家なのだが、たまに訪れる旅人の為に空き部屋を提供しているそうだ。
その宿屋の主に話をして部屋を教えてもらい、扉をこんこんと叩く。
扉の向こうに気配はあるが反応はない。
「お邪魔しますよ」
俺は相手の返事も待たずに扉を開けた。
室内の家具は粗末なベッドと机と椅子があるだけ。そんな殺風景な部屋の真ん中に黒いフード付きのマントを羽織った人物がいる。
ここからでは顔が見えないが一目見て……。いや、気配だけでそれが誰か俺には分かっていた。
その人は体ごと向き直ると、駆け寄ってきて俺の胸に飛び込む。
「クヨリさん、こんなところに居たのですね」
「黙っていなくなるな! また永遠に独りぼっちになったかと思って、どれだけ怖くて寂しかったかっ!」
俺を逃がさないように胴体をぎゅっと力を込めて掴んでいる。
クヨリが感情をあらわにして叫ぶなんて滅多にない。それだけ彼女が動揺して心配していてくれたという事か。
『怪力』の彼女が本気で締め付けると、普通であれば胴体が真っ二つに千切れるのだが『頑強』や『硬化』スキルを全力で発動しているので問題はない。
この村にクヨリがいたのは予想していた。手足が再生する話も噂の人物の体限定で、他人の体を癒した話を聞かなかったからだ。
『不死』である彼女は死ぬ事がなく、どんな怪我でも修復される。
「すみません、クヨリさん」
「回収屋はバカだ。一人で勝てないなら我々をもっと頼ればいい」
「ですが」
俺が言い訳を口にしようとすると、その口に指を当てて言葉を封じられた。
「どうせ、皆を巻き込みたくない、危険に晒したくない。とでも思っているのだろう」
図星を指された。
「回収屋に恩がある者は沢山いる。それこそ人生を救われた者もな。関わったことで不幸になろうが死のうが後悔しない者は……大勢いるのだぞ。もちろん、我もな。もっとも我は何があろうと死なぬがな」
涙目で微笑みながら上目遣いされると、何も言い返せない。
「それに何があろうと回収屋が守ってくれるのであろう? 我はそう信じておるぞ」
「そう、ですね」
反論が思い浮かばず、微笑み返してクヨリの頭を撫でるぐらいしかできなかった。
「子ども扱いするでない。そこは強く抱きしめる場面ではないのか。恋愛小説だとそうであった」
拗ねたように言うが、目を細めて受け入れているという事は嫌ではないのだろう。
思えば最も長い時を共に過ごしてきたのはクヨリだった。
姉の話も彼女には伝えているが、協力を頼んだことは一度たりともなかった。「それがずっと不満だった」とクヨリがこぼす。
ベッドに腰かけると隣にクヨリが寄り添う。
それから互いに何があったか、何を思っているか一晩中かけて語り明かした。
今回この村に滞在している事を実はマエキルも知っていて、俺があの場所に現れたら誘導するように頼んでいたそうだ。
マエキルの情報収集能力なら、もっと詳しく調べる事が可能ではないかとは思っていたが、こんなオチだったとは。
今までは何処まで踏み込んでいいか分からずに、一歩引いた関係をもう数百年続けていたが、俺が死んでしまうという恐怖が彼女を後押ししたのだろう。
「普通ならここで大人として情事があるのでしょうが……」
カーテンの隙間から朝日が射し込む部屋で、クヨリが気持ちよさそうに眠っている。
話し疲れたのか彼女はそのまま気を失うようにベッドに倒れた。それでも俺の手を握ったまま離していないが。
もう片方の腕があれば髪を梳いてあげられたな……。
「互いにそういう行為や感情から疎遠でしたからね」
他人の色恋沙汰に関わる事は多かったが、自分の事となるとどれくらい無縁だったか。
クヨリの事は好ましく思っている。それは間違いない。
おそらくクヨリも同じ気持ちだろう。
ただ正直よく分からない。今までは姉の事を考えてばかりで、そっちの興味が殆どなかったというのが実際のところだ。
長年の経験上、他の女性も何人か自分に好意を抱いているのは理解している。
自分は誰を最も大切に思っているのか。
やはりクヨリなのだろうか。
そもそも俺の中に恋愛感情は残っているのか。
それすら自分自身で判断できないとは、本当に重症だ。
「浮気は許さぬ……」
クヨリの寝言のタイミングの良さに思わず笑ってしまった。
少しずつ、普通の感覚を取り戻せるように努力するか。
姉との死闘で一度死を覚悟した。ならば生まれ変わったと考えて今までの自分を一新してもいいだろう。
今までは姉への想いが心の大半を占めていた。だが姉と再会して分かり合えることはないと確信した事で、姉に対する複雑な想いは消え、敵として認識できるようになった。
その事で心にぽっかりと空きができたのかもしれない。だから色恋沙汰について柄にもなく悩んだりする余裕が生まれた。というのは考えすぎか。
簡単にはいかないだろうが、まずはもう少し仲間を頼るようにしてみよう。
不老であるからといって停滞する言い訳にはならない。
「そろそろ、互いに変化があってもいいはずですからね」
変化と言えば、新婚のコンギスはチャンピオンのレオンドルドと手合わせという名の喧嘩を頻繁にしているのだが、昔と比べて強くなったと酒の席で漏らしていたな。
その事をコンギスに話すと笑いながら、こう言い切った。
「そりゃ、愛の力だろ。守る者がいると男ってのは強くなるんだぜ。独り身の回収屋とレオンドルドには分かんねえだろうがな!」
と自慢げだった。
守るべきものがいる事は枷になる。俺はずっとそう考えてきた。
だから伴侶を求めず、長い時を一人で過ごしてきたのだ。
恋愛経験が一度もないとは言わない。遥か昔になるが結婚の約束をした相手もいた。
でも結局のところ俺は一人を貫いて現在に至る。
そんな昔と違って今は、あの街に拠点を置いて多くの人と触れ合い、縁も繋がっていった。
今の自分は過去の自分より強くなっているだろうか?
それを確かめる為にも、少しクヨリと共に旅をしてみようと思う。
今更だが彼女は以前から、そうしたかったのではないか。
離そうとしないクヨリの手が、俺にそう訴えかけている気がした。