忠誠心の強い山賊
「今日でもう二回目ですか」
目の前に転がる山賊たちを見下ろし、ため息交じりにぼやく。
片腕を失ってからというもの、襲ってくる者が後を絶たない。
以前から一人で行商をしているので、山賊に襲われる機会は多かったのだが、以前よりもはるかに襲われる回数が増えた。
山賊もそうなのだがあまり強くない魔物、少人数の冒険者までが俺を脅すか殺そうとしてくる。
一人旅で隻腕の商人とくれば絶好の獲物に見えるのだろう。
行商人なんて旅の途中で行方知れずになる事なんて珍しくもない。だから、襲って殺したとしても捕まる事は滅多にないだろう。
「とはいえ、繁盛過ぎますね」
五人組の山賊を全員縄で縛り、使えそうな能力がないか調べてみる。
二度と悪い事が出来ないように、戦闘系のスキルを根こそぎ買い取らせてもらう。
ついでに悪行ができなくなる『契約』のスキルも押し売りしておく。
襲ってきた相手の武器を握りながら穏やかに微笑み、『威圧』『話術』を発動して交渉しただけだというのに、俺の『売買』を受け入れてくれた。
彼らはもう山賊行為を続けることは不可能だろう。まともに生きるしか術はないのだが、今後彼らがどうなるかは知ったことではない。
戦闘系スキルを失った状態で、魔物に遭遇して生き延びられるかどうか。そこは身体能力で何とかしてもらう。
魔物に食われたとしても自業自得だ。
人を殺しに来て助けてもらっただけでも、ありがたいと思うように。
その後にアリアリアから高値で買い取った、記憶を失わせる魔道具で俺と会った記憶を消しておく。これを使えば数時間前までの記憶なら消す事ができる。
姉に俺が生きている事を知られる訳にはいかないからね。
確実性を求めるなら、相手を殺しておくべきなのだろうが……。そこまで非道に徹する気にはなれなかった。
それをしてしまうと姉と同じ存在になってしまう、気がするのだ。
もっとも、俺が殺そうが殺すまいが結末は同じかもしれないが。
「しかし、たった数日でかなり戦闘系のスキルが充実してきました」
片腕を失って不便もあるが、返り討ちにする度にスキルを売ってもらっているので、面白いぐらいにスキルが溜まっていく。
人を襲うような輩は、見逃したところでまた同じことを繰り返す。
なので優しく交渉してスキルを買い取る事で、相手はもう悪い事ができなくなり真っ当な道を歩むしかなくなる。俺はスキルが増える。お互いに得をするいい商売だ。
「このまま暫く街道や、山賊の多い地域をぶらつくのもありですね」
スキルはどれだけあっても足りない。それは姉との戦いで実感した。
俺が生きている事がバレるのは、おそらく時間の問題だろう。それまでに何とかして攻略の糸口ぐらいは見つけておきたい。
「はぁ、またですか」
街道を逸れて獣道を少しましにした程度の道を進んでいると、道を遮るように薄汚い革鎧を着た男が四人現れる。
髭もそらず髪の毛もぼさぼさで、目だけが異様にぎらついているのが印象的だ。
ニヤついた笑い顔に既に抜かれている剣。場慣れしている。
相手は幾度と戦闘を繰り返してきたのか、体の一部が欠損している者が多い。
俺のように腕を失っている者や、義足の者もいるな。
「こんなところを一人でお散歩か? 不用心だねぇ」
「なんなら近くの村まで護衛してやろうか」
「おうおう。俺達は親切だからよ」
武器をちらつかせながら言う台詞ではないが、今までの連中よりかは物言いが面白い。少しだけ付き合ってみるか。
「人生に疲れると一人旅がしたくなりますよね。風の吹くまま気の向くまま旅をするのもいいものですよ」
怯えた様子を微塵も見せずに対応すると、山賊達が物珍しそうに俺を見ている。
この状況下で平然としているので訝しんでいるようだ。
「肝っ玉の太い男だな」
「行商人にしておくのは惜しいぐらいだ」
感心されてしまった。
山賊に褒められてもあまり嬉しくない。
「とはいえ、こっちも仕事でやってんだ。金と荷物を出せば、命は助けてやる。歯向かわなければ、近くの村か安全な場所まで送ってやるぜ」
山賊らしい事を言ったのはいいのだが、後半部分が予想外だった。
普通は身ぐるみ剥いで殺すのが常識。生かしておけば自分達の情報が国に伝わり、討伐隊が組まれるおそれがあるからだ。
装備はボロく、髪も髭も伸び放題の薄汚い男達だが……。もう少し様子を見よう。
山賊を撃退するのにも飽きてきた。手のひらを返して襲ってきたとしても、素手で撃退することは可能だ。
それに……スキルが面白い。
『鑑定』で四人を調べると、山賊とは思えない教養に関するスキルが見えた。後天的に学んだ者しか覚えられないスキル。
俄然、興味が湧いてきた。
「では荷物と短剣をどうぞ。お財布は背負い袋の中に入っていますので」
そう言って武器と背負い袋を地面に置いて、数歩下がる。
素直に応じたというのに山賊達は顔を見合わせて、何やら呟いているだけで寄ってこない。
「お前さ。そんな素直に信じてどうすんだ? 普通、そう言いながらも無防備になったところを襲うもんだろ」
まさか向こうから指摘してくるとは。やはり面白い連中のようだ。
「そういう山賊さんが多いのは否定できませんね。ですが、貴方達は違うように見えましたので。それに単独で抵抗したところで結末は見えていますし。それなら僅かな可能性に賭けるのもありかと」
その結末というのは俺の圧勝なのだが、口にする必要はない。
片腕を失ったとはいえ、身体能力とスキルでどうとでもなる。
「面白い商人だ。よっし、俺達はお前に手を出さないと誓おう。お前らもいいな」
「へい、親方」
一番体格のいいのが頭のようだ。
口調も山賊にしては丁寧だったので違和感があったが……誓う、か。山賊が口にする言葉ではないな。
武器を拾い、荷物を調べて中身を確認している。
中身は日持ちする食料品と雑貨。後はそれなりの金銭ぐらいだ。
大切な魔道具や他の持ち物は背負い袋の中ではなく、俺が腰にぶら下げている鞄の中に入っている。もちろん『隠蔽』で存在を隠しているので相手は気づいていない。
「団長、大金ですよ!」
「親方と呼べと言っているだろ」
団長と呼ばれた頭が鋭い視線を飛ばす。山賊の一人が委縮しているな。
「お前さん、こんな大金を持って一人旅とは不用心過ぎないか?」
「たまたま、安く仕入れた魔道具が大金で売れたところなのですよ。それを次の街で持ち運びに楽な品物に替えるつもりだったのですが、残念です」
所有する資産に比べれば大したものではないのだが、ただの行商人が持つには金額が多すぎる。
「こっちはついてたがな。悪いが半分は頂くぞ」
「半分ですか? 全部ではないので」
「いや、半分だ。全て頂くなんて端から言ってないぞ」
確かに「金と荷物を出せば」としか言ってない。
本当に変わった山賊だな。
前後を山賊に挟まれた状態で俺は山道を進んでいく。
彼らを観察して分かったことは、全員の動きに統一感がある事だ。
まるで兵士や騎士の行軍に紛れ込んでいるかのような錯覚を抱くほどに。
ここまで情報が出そろえば馬鹿でも分かる。彼らは元兵士か騎士崩れの山賊だろう。
実はそういう輩は珍しくない。
実際、代々続く山賊稼業というのは稀だ。初めの頃は上手くやれても、いずれ討伐される未来が待っている。
山賊になる者のいきさつは様々あり、貧困にあえぐ村人の副業。元冒険者。戦場から逃げた兵士。仕える国が滅びた貴族。
成り立ちによって山賊の強さや仕組みも異なる。
スキルの種類とレベルからしてかなりの腕利き。山賊でこのレベルの相手には滅多にお目に掛かれない。稀に用心棒として凄腕の冒険者崩れがいる事もあるが。
「しかし、お前さん。片腕で行商人なんて無理があるぞ。山賊の俺が言うのもなんだが」
「最近、腕を失ったばかりでしてね。我ながら無謀だとは思うのですが、私はこれしか生き方を知りませんので」
「そうか。自分の生き方を貫いたのだな……。羨ましい限りだ」
俺の発言に思うところがあったようで、しみじみと語る彼は口調が山賊のものではなくなっている。
頭も他の面々も神妙な表情だ。
やはり、騎士崩れで間違いないか。
昼過ぎに捕らえられて、かなりの時間を歩き続けていた。
空は朱に染まり、太陽は大地へと沈みかけている。
木々が生い茂る山奥に連れてこられたのだが、こんな場所に村があるという話は聞いたことがない。
「あのー、こちらに村があるのでしょうか?」
「悪いがひとまず、我々の集落に来てもらう」
「それは構いませんが、見ず知らずの私を住んでいる場所に連れて行くのは、問題があるのでは?」
「最近この場所を国の連中に怪しまれていてな。近日中に引き払う予定だ。なので問題はない」
「そうですか。なら、お邪魔しますね」
「お前は物怖じをしないというか、なんと言うか。山賊の拠点に連れていかれるのだぞ。普通は恐怖を覚えたり疑ったりするものなのだが」
「行商人をしていますと、様々な経験をしますからね。魔物に襲われるなんて日常茶飯事ですし、山賊さんとの遭遇も二桁を超えていますよ」
「凄まじい経験をしてきたのだな。その落ち着きようも理解できるというものだ」
話し方が完全に山賊のものではなくなっている。
進路方向に仄かな灯りが見えた。あれは松明の炎か。
さらに近づくと粗末な木の塀が見えてきた。門も何もない塀の切れ目に二人の男が立っている。こっちの山賊達よりかは身だしなみが整っている。
髪は短く切り揃えられ、髭も伸び放題ではなく剃るか整えている。鎧も立派な金属鎧だ。
「収穫はどうだった」
「行商人を一人捕らえて連れてきた。大金を持っていたから暫くは生活に困らんぞ」
「ほう、それはついていたな。お主はついてなかったようだが」
金属鎧の男が俺を見て、憂いを帯びた視線を向けてくる。
その瞳は安っぽい同情ではなく、心底俺を憐れんでいるかのようだった。
「命があっての物種ですよ。生きてさえいれば、また芽吹くこともあります」
「命さえあれば……。そう、だな」
この状況でも悲観的な態度にならない俺に対し、言葉を濁した。
それ以上は何も言わずに奥へ通される。
廃村には辛うじて形を保っている民家が三軒。後は殆ど瓦礫一歩手前だ。
焼け焦げた跡はなく、強大な力で破壊されたようで爪痕らしきものも見受けられる。
おそらく魔物の群れに襲われて壊滅したのだろう。
現存している民家の中で一番立派な家の前まで移動すると、山賊の頭がコンコンと扉を叩いた。
「はーい、今出ます」
扉の向こうから聞こえた声が予想外過ぎて、一瞬眉根が寄る。
若い女性の声だ。山賊に若い女がいたとしたら奴隷というのが定番。だがさっき聞こえた声には悲嘆に暮れた様子はなかった。
奴隷ならもっとか細く、精気など全く感じないのだが。
扉が開くとそこには、くすんだ赤のドレスを着た若い女性が立っていた。
廃村で山賊の中にドレス姿の女性。それだけでも違和感しかない光景なのだが、彼女が姿を現すと山賊達が一斉に片膝を突く。
まるで、主に仕える騎士のように。
「顔を上げてください、皆さん。いつも言っているじゃないですか、今は山賊なのですから礼儀は不要ですよ。その人も驚いて……ませんね」
「いえ、驚いてはいますよ。ただ感情が顔に出ないもので」
「感情を表に出さない商人は大成すると言いますものね。ご立派ですわ」
「ありがとうございます」
口元に手を添えて艶やかに笑う姿が様になっている。
穢れのない雪のように白い肌。茶色がかった黒髪。小さな唇には紅を塗っているようで鮮やかで光沢がある。
こんな廃村には似つかわしくない格好だ。
「変ですよね、こんな場所で動きにくい格好をしていて。私もみんなと同じような服装でいいのですが」
表情には出していなかったつもりだが、彼女を観察していた目の動きを読まれたのかもしれない。だとしたら、儚げな少女に見えて意外と強かなのか。
眠り姫の前例もある。見た目で判断するのは愚の骨頂。警戒心を緩めないでおこう。
「お嬢様はそれでよいのです。我々はお嬢様がいるからこそ、恥を忍んで生き延びているのです。いつか復興するその日まで」
「ありがとうございます。頼りにしていますよ」
これで確定だな。国を追われた貴族の娘というところか。
山賊達はそこで仕えていた騎士や兵士達。
納得はいったがそんな秘密を俺の前でばらしていいのか?
「あのー、そういった込み入った事情は秘密にしておくべきなのでは。部外者の私に聞かれてもよいので?」
「あら、そうですね。どうしましょう?」
小首を傾げる仕草が可愛らしいが、この状況でされても。
周りの山賊達は既に立ち上がっている。これは口約束を反故にして口封じの為に斬り捨てるという展開か。
「どうせ明後日にはここを発つ予定でしたから、別に構いませんよ。今日は見張りをつけて共に過ごしてもらい、明日逃がしましょう。商人もそれでよいか?」
「助けていただけるのであれば、文句はありませんよ」
「はい決定。では食事にしましょう。皆さんもお腹が空いているでしょうし」
お嬢様の一言で夕飯の準備が始まり、俺もご相伴に与らせてもらった。
食べる前に俺は手を合わせようと思ったが片手がないので、祈るような形で「いただきます」と口にすると、お嬢様が不思議そうに尋ねてきた。
「それは食前の挨拶ですか?」
「ええ。遥か東の国の作法なのですが、気に入ったので使わせてもらっているのですよ。両手があれば手のひらを合わせて祈るのですが。これは食事を作ってくださった方への感謝。そして食材への感謝が込められているのです」
「それは素敵ですわね。私もこれからは食べる前にいただきます、と言うようにしますわ」
直ぐに俺を真似て手を合わせると「いただきます」と口にする。
素朴だが美味しい料理を食べて、まるで客人のように振る舞われた。
その後は空き家の一つに閉じ込められはしたが、暴力は一切振るわれていない。
流石に毛布も何もないが、まださほど寒くない時期なので問題なく眠れそうだ。
とりあえず、床に寝ころび瞼を閉じる。
そして、静かな時が流れていく。
暫くして扉の開く音がしたが、俺は眠ったふりを続ける。
「眠られていますかー」
この声はお嬢様だ。と驚く必要はない。既に気配を察知していたので、この家に近づく前から分かっていた。
家を取り囲むように山賊がいる。俺を逃がさないように見張っているようだ。
「すみません。せめて安らかに眠っている内に……」
お嬢様が歩くたびに民家の床が軋む。
眠っている俺の前で立ち止まると、両手を大きく振り上げ短剣を勢いよく振り下ろした。
刃は肉を貫くことなく床に突き刺さり、寸前で避けた俺をお嬢様が凝視している。
「起きていらっしゃったのですか?」
「ええまあ。食事に睡眠薬は常套手段ですので」
今まで何度もやられている定番の手口だ。
山賊と一緒に食事をして警戒しない方がおかしい。
「悪い事はできないものですね。これは困りましたわ。私を人質にでもして逃げてみますか?」
「この人数を相手に逃げるのは少々、骨が折れそうですね。そんな事より、一つお聞きしたいことがあるのですよ?」
「この状況で質問ですか。本当に面白い人ですね。なんでしょう」
本来なら殺そうとした相手と呑気に会話している場合ではないのだろうが、今は何よりも好奇心が勝っている。
「以前小耳に挟んだことがあるのですが、小国のとある領主の話でして」
そこでいったん言葉を区切ったが、穏やかに微笑んでいるお嬢様の顔に変化はない。
「その領主は民にも慕われて国からも重宝されていた人物だったそうです。そんな領主には美しい娘が一人いて、彼女も身分差も気にせずに分け隔てなく接する方だったそうです」
「まあ、それは素敵な領主様ですわね」
動揺の一つも見せることもなく、むしろ笑みが深まっている。
「安定した素晴らしいところだったそうです。ですがたった一つだけ問題がありまして。領主の治める街や村では、人が消えるのですよ。こんな世の中です、魔物に殺される誘拐されるという事は珍しくありません。ですが不思議な事に週に一度、たった一人だけ姿を消すのですよ。それも二十代から三十代の男性のみ」
「あらあら。働き盛りなのに困りますわね」
「そうですね。十数年もその状態が続くと、国の方でもさすがに問題視するようになりまして調査隊を派遣したそうです。その結果、噂の領主が男達を誘拐していたことが分かったのですよ。そして、国の兵士たちが領主の館に向かうと、その屋敷の地下には無数の人間の骨に交じって、食べかけの領主の死体があったそうです」
「まあ……。怖いですわね」
言葉とは裏腹に、お嬢様の口角が吊り上がると、薄く開いた口から白い歯が見えた。
「貴女がその領主の娘さんですよね?」
「ふふふ、ご明察ですわ。何故分かったのです」
あっさりと認めたな。
圧倒的有利な状況下で焦る必要もないと考えているのか。
「貴女の首に賞金が懸かっていますので、人相書きが広まっているのが一つ。もう一つは、貴女のスキルですよ」
「あら、『鑑定』を所有されているのですか。本当に腕利きの商人だったのですね。私に何のスキルが見えるのですか?」
「そうですね気になったのが、『暴食』そして『食人』でしょうか」
負のスキルとしてどちらも最悪の部類だ。
『暴食』は『大食い』と同じものだと誤解されがちだが、そうではない。『大食い』は一度に大量に食べる事ができるが、我慢も可能。
『暴食』は絶え間なく空腹が襲い、何かを食べずにはいられないのだ。
それに加え『食人』これは言うまでもなく、人を食う。このスキルを持つ者は人が美味しそうに見えて仕方がない。普通は魔物が所有するスキルなのだが、稀に人間にも所有者が現れる。
「貴女は何人の人を食べたのですか」
「さあ何人でしたかしら。我慢しても我慢しても、どうしてもこの飢えが抑えられなくなるのです。でも私は食通ですから若く筋肉のついた男性の肉しか食べませんの。適度な噛み応えがないと食べた気がしませんものね。逃げている最中に人を食べる機会が訪れなくて、本当に苦労しましたわ」
悪びれる様子は全くない。
美味しいご飯を食べた。そんな日常会話をしているかのようだ。
「一人の男性を長い時間をかけて食べ尽くす。それが私の生きがいですの。貴方を食べる際もちゃーんと、手を合わせていただきますって言いますから」
気の弱い者なら震えが止まらなくなるかもしれない。それぐらい狂気にあふれた壮絶な笑みを浮かべている。
お嬢様がこうなったのは、スキルの影響なのだろうな。
だが、全てスキルのせいだとは限らない。そういった欲望に抗い耐えている人だっているのだ。
彼女は欲望に従ったのだ。その結果こうなった。
「貴方も私を責めますか?」
「さあ、どうでしょうね。私も動物の肉も食べますし、植物も食べます。その対象が人とは異なっただけ。生物としては間違っていないのかもしれません」
「あら、同意をいただけるとは思いもしませんでしたわ」
本当に驚いたようで、今までとは違う純粋に驚いた子供のような表情をしている。
「ですが、人としてそれは理に反します。人は貴女に食われるために生きているのではないのですから」
「そうですよね。人を殺せば罪になり恨まれる。当たり前の事です。ですが、そんな理屈はどうでもいいのですよ。私はこの飢えを満たしたい。それだけなのです!」
最後の叫びが聞こえたようで、扉から山賊達がなだれ込んできた。
俺が喰われる事なく起きている事にまず驚き、続いてお嬢様を守るように俺との間に体を滑り込ませる。
「薬が効かなかったのか!」
「そのようですね。ところで、貴方達はもちろんお嬢様の食人行動をご存知ですよね」
剣の切っ先を突きつけている彼らに質問すると、全員が欠損した自分の体に目をやった。
……ああ、そういう事か。
「なるほど。こうやって人を捕らえられなかった時は、自分達の体を提供してきたのですね。何故そこまで忠誠を貫くのです。愚かな行為だとは思わないのですか」
俺の言葉に山賊の頭は首を……横に振る。
「誤解があるようだな。俺達は皆、お嬢様に助けられたのだ」
「助けられた? 食べられそうになったではなくてですか」
その返答に思わず動揺してしまう。
これは予想外な言葉が返ってきたぞ。
「元々、領主様が人を食べていたのだ。お嬢様はある日それを知り、食べかけの我々を助け出してくれた。お嬢様は自ら父である領主様を殺して、助け出してくださったのだ!」
感情をむき出しにして叫ぶ頭の声に嘘はないと『心理学』は判断している。
山賊になってまでお嬢様に忠誠を誓う。その理由は今の言動で納得がいった。
閉じ込められ体の一部を食われていく、そんな絶望的な状況を救われたら忠誠心も芽生えるだろう。
領主が彼らに手を出した理由も村や街の住民を食べ過ぎて警戒されてしまい、身近な騎士や兵士に手を出した、という事か。
そうなると話が変わってくる。……もしや、そういう事なのか。
「そんな事もありましたが、今は私がその化け物なのですよ。人喰いの欲望を抑えられない、化け物なのです」
「お嬢様……」
しんみりとした空気の中、沈黙を破ったのは俺だった。
「もしかして食人に対する欲求は、父親を殺すまでは抑えられていたのではないですか?」
「ええ、そうですが。人を食べたいという願望は幼い頃からありましたが、それは動物の肉や時折自分の腕を強く噛むことで、抑えられていました」
「やはりそうですか。皮肉な事ですが、貴女が父親を殺したことで、食人欲求が高まったのですよ」
「そ、それはいったいどういう事なのです」
「貴女は自分のスキルをご存知ですか」
「は、はい。父を殺したあの日まで『食人』というスキルが自分の中にある事は知りませんでした。ですが父の蛮行を問い詰めた際に言われたのです「お前にも『食人』スキルがある」と」
当時を思い出したのだろう、ただでさえ白い顔が血の気が失せて青白く見える。
「では『暴食』というスキルをご存知ですか?」
「先程口にされていましたが、初耳です」
「このスキルは食に対する欲望が抑えられなくなるのですよ。そしてレアスキルでもあります。レアスキルは持ち主が死んだ際に誰かに移ります。そしてスキルというのは血族に遺伝する可能性が高い。つまり、父親が死んだその瞬間、貴女は『暴食』を覚えたのですよ」
そう。レアスキルである『暴食』は所有者を失い、新たな所有者へと移った。それがたまたま娘である彼女だったのだ。
血縁はスキルが遺伝する確率が高い。レアスキルが身内や血縁関係者に移ったという前例は確かにある。だがそれは本当に稀で珍しい。
……運命の悪戯としか言いようがない。
「つまり、父の『暴食』が私に移り、私は食人衝動が抑えられなくなった……と」
「そういう事です」
俺がそう断言すると、彼女は床に崩れ落ちた。
慌てて山賊が駆け寄っている。
「やはり、私は死ぬべきなのかもしれません。皆は一時的な病気のようなもので直ぐに治ると言ってくれましたが、商人さんのおかげでハッキリしました。今までは死体を食べてなんとか食いつなぎ、今日初めて生きた人間である貴方を殺して食べるつもりでしたが……」
「そのような事を言わないでください! きっと治ります! 何か打開策があるはずです」
全てに絶望して自ら死を選ぶ彼女。
思い留まるように必死に説得する元騎士や兵士達。
彼女を助ける術はある。二つのスキルを買い取ればいいだけの話なのだから。
だけど、それは……。
俺は大きく息を吸い。全ての判断を託すことにした。
「皆さん、お嬢様を治す手段があると言ったらどうしますか?」
朝を迎えた。
俺は小屋を出て空を眺める。
雲一つない晴天だ。
昨晩、俺は彼女からスキルを買い取った。これで食人行動に悩まされる事は無くなる。
すっと地面に視線を下ろすと、多くの山賊の死体が転がっていた。
あの後、彼女は『食人』『暴食』を失い、自分の中で最も大きな欲望が消えた。
それは何にも勝る欲だった。
『暴食』が失われたことで、欲望で誤魔化されていた心が現実を受け入れてしまう。
死体を食べた事。
殺した父を食べた事を……。
その事実に耐えられなくなった彼女は、手にした短剣で自らの命を絶った。
欲望というものは理性や罪悪感を上回るのだ。何事にも優先される欲望を失い、残ったのは人としての心だった。
その心は今までの行いを受け止め切れずに、死を選んだ。
そして彼女を苦しめていたことを恥じた彼らも、主の後を追った。
魂の失われた器に何の価値があるのか。
死んでしまえばただの肉でしかない。
それは分かっているはずなのに、彼らの冥福を祈り心の中で手を合わせた。