ダンジョンリフォーム
「あれっ、団長。今日は昼前から公演がありますよね?」
宿屋のいつもの席で食後のお茶をのんびり楽しんでいると、宿屋の看板娘チェイリの驚いた声が聞こえる。
手にしたカップを置いて、声の方へ視線を向けると壮年で厳つい顔つきの男――魔王兼有名劇団の団長と話しをしていた。
「うむ、既に公演は始まっておるな。舞台は皆に任せてきた。別件の野暮用があってな。チェイリ、此度の劇では選ばれる事はなかったが、気落ちするでないぞ」
「落ち込んでませんよ。だって、今回の劇は歌劇ですし」
励ます団長の言葉に苦笑いで答えるチェイリ。
そういや歌が苦手だったな。音痴は少しずつ改善されているようだが、まだ舞台に立てるほどの歌唱力が備わっていないらしい。
「うむ。だが次の新作は新たな劇作家による新作だ。歌劇ではないので、安心するがよい」
「本当ですか! 頑張りますよー!」
「励むがよい。少し派手に体を動かすことになるやもしれぬから、鍛錬は欠かさぬようにな」
「任せてください。力仕事と体力には自信があります」
どんと胸を叩いた際に、二つの乳房が大きく揺れる。
あれも役者としては立派な武器だよな。
演劇についての会話を終えた団長は席から立つと、こちらに向かって歩み寄って来る。
どうやら野暮用というのは、俺に対してのようだ。
「大幅な改築工事をしようと考えておるのだが、忌憚のない意見を聞かせてはくれまいか」
目の前に団長が座り、唐突にこう切り出してきた。
「話が見えないのですが、劇場の改築ですか? 大工の知り合いでしたら紹介できると思いますが」
以前に『木工』や『精密動作』を売った大工に心当たりがある。
今は凄腕の棟梁として名を馳せているらしい。
「いや、劇場ではない。我が拠点であるダンジョンを大幅に改造したくなってな」
とんでもない事を言い出したな。さすがにこの話は他の人に聞かれては不味いと、辺りに視線を向けたのだが店内に客は一人もいない。
店員の二人も奥に引っ込んでいるようだ。
「人払いの結界を張りましたね」
「うむ。魔王らしいであろう。そんな事より、今はダンジョンの話だ」
顎を撫でて考えるそぶりを見せる魔王は、体格のいい人間の男性にしか見えないのだが、これでもかなり強力な悪魔だ。
今は友好関係だが敵に回すとかなり厄介な相手となる。
なので機嫌を損なわないように、彼からの依頼や相談事はできるだけ受けることにしているが、ダンジョンの改造ときたか。
「ちなみに理由をうかがっても?」
「うむ、よいだろう。マンネリ化しているのではないかと不安になってな。最近は様々なダンジョンや魔境に赴いては、冒険者のふりをして構造や罠などを勉強しているのだよ」
なんて研究熱心な魔王だ。
そういや魔王の出番は最後のやり取りと戦闘のみなので、勇者一行が攻略中は暇を持て余しているそうだ。
たまに途中の階層で『幻影』を使用して、勇者達を驚かして挑発したりもしているが、後は部下の悪魔達へ演技指導をするぐらい。
だから魔王として、他にも貢献したいと考えているのか。
「んー、ダンジョンの改築となると何か考えはあるのですか?」
「もちろん、部下の意見も含めてまとめておる」
鞄から分厚い紙の束を取り出し、机にどんっと置く。
何枚あるんだこれ。
「罠を全部入れ替えようかと思ってな。今までの罠は歴代の勇者達が場所を書き留めているので、新たな勇者達が引っかかってくれんのだ」
「まあ、そうですよね」
毎回同じ事をやっているのだから、ダンジョンの攻略法も広まっていて当然。
「ちなみに今までの罠はどんな感じですか」
「ふむ、面白味のない罠が多いぞ。地面に落とし穴が口を開ける。天井から槍が降る。扉のノブを捻ると毒矢が飛び出す。部屋に入ると出口が閉じて魔物が大量に現れる」
指折り数えながら既存の罠を説明する魔王。
実際に見聞きしたことがある定番の罠ばかりだ。
「こういう罠は警戒されてしまい効果が薄い。それに物理的な罠ばかりで面白味に欠けるとは思わぬかね」
「確かに新鮮味はありませんが、ダンジョンにそんなものを求めてないような」
「何を言うか。エンターテイナーは常に観客を喜ばす事を考えねばならぬ。この場合、勇者が観客に当たるわけだ。となれば団員一同、全力で楽しませるべきであろう!」
熱弁を振るう魔王。自分の事をエンターテイナー呼ばわりするとは。
そもそも、凝った罠なんて勇者は求めていないだろ。
そう思ったが止める理由も見当たらない。あの国の王にも魔王の事を託されているので話に乗っておくか。
「どうせなら楽しい方がいいですよね」
「回収屋は話が分かるのう。そこで我々が考え出した罠を見てくれ」
紙の束の一枚目には『ダンジョン改造計画書』と書いてある。
それをめくると『第一部 罠』という文字が目に飛び込んできた。……第何部まであるのだろう。
「ええと、その一。宝箱を開けると、中に小さな宝箱が入っている。更にその宝箱を開けると、もう一回り小さな宝箱が。それを開けると更に……。なんですかこれは」
「うむ、よくぞ聞いてくれた。宝箱の罠もマンネリ化しておってな。肉体ではなく精神に影響を与える罠がないかと考え出したのだ!」
ダンジョンには何故か宝箱が存在していて、そこには何かしらの道具や武具、財宝などが詰まっている場合がある。
これには諸説があるのだが、ダンジョンの魔物が冒険者を招き入れる為に準備している。ダンジョン内で力尽きた冒険者達の装備品を魔物が奪い、宝箱に収納している。古代文明の遺産が置かれている、等。
実際はダンジョン毎によって異なるようだが、この魔王のダンジョンは悪魔達が品物を厳選して宝箱に収納、配置までやっている。
「開けても開けても宝箱しか出てこない。緊張と疲労がピークに達したその時、小箱となった最後の宝箱から出てきたのは……。我が劇団の招待券というのはどうだろうか」
「やめてあげてください」
「良い案だとは思わぬか? ダンジョンを制覇した後に、どうしても気になって我が劇団の公演を見に来ると、そこで演じられているのはダンジョンでの勇者一行を舞台化した物語。ダンジョン内での赤裸々な失態や、仲間との恋愛話を面白おかしく盛り込んだ――」
「本当にやめてあげてください」
自分達を題材にした物語なんて、羞恥で身悶えしてもおかしくはない。
それも物語として脚本されて原型もない演劇ではなく、自分達の体験が精密に描かれていたとしたら、考えただけでぞっとする。
「ふむ、不評であるか。ではこれはどうだ。地面のある場所を踏むとダンジョンの奥から何かが開いたような音と地響きがする」
「王道ですね。ゴーレムでも現れるのでしょうか。それとも大岩が転がってくるのもありですよね。もしくは隠し通路が開いてその先に財宝が」
「いや、何もない。ただ音がして振動がするだけだ。勇者達は無駄に警戒するであろう? それを見て楽しむのだ」
「久々に貴方の事を悪魔だと思いましたよ」
魔王は長年人間の世界で生きてきただけあり、人の精神を痛めつける術に長けてきている。
「そんな嫌がらせの知恵何処で学んだのですか」
「以前やった演目でな。貴族の嫁姑問題を扱った演劇があったのだが、その際に肉体よりも精神への攻撃の方が効果的な場合もあると学んだのだ」
その演目を選んだのは誰だ。余計な事をしてくれたな。
この魔王、演劇に絡むことに勉強熱心なのは素晴らしいとは思うが、もっと違う事を学んでほしい。
「罠は不評のようだが、では第二部、魔物編はどうだ」
紙の束を二十枚ほどめくると、『第二部 魔物』と書いてあった。
話が進んだことに喜ぶよりも、罠の話がまだあんなにも残っていたことにぞっとする。
この魔物編にも嫌な予感しかしないが、一応目を通してみるか。
「最弱の魔物。第一階層に現れる雑魚の魔物ですか。ふむ、弱くて少しだけ素早い。攻撃性も低い。これはちょっと難易度が低すぎるのでは?」
「やはり、そう思うか。だが次のページをめくれば意見はガラッと変わるであろう」
妙に自信ありげのようだが、こんな設定の魔物なら何が来ても怖さは感じない。
一枚めくった先には、その魔物の姿が描かれていた。
「こ、これは……」
「ちなみに、第一階層はこの敵だけにして、全部倒さなければ次の階層の扉は開かない仕様にする予定だ」
この姿を見たら前言撤回するしかない。これはある意味最強の敵だ。
その魔物は毛むくじゃらで、手足は短く尻尾がピンと伸びている。
体に不釣り合いだと思えるぐらい顔が大きめで耳がつんっと立ち、くりくりとした大きな目は潤んでいるように見えた。
体格は小柄で手のひらよりも少し大きい。
この魔物を一言で表現するなら――愛らしい。それに尽きる。
「これどこからどう見ても子猫ですよね?」
「子猫型魔物だな。ちなみに人懐っこく、みゃーみゃーとか細い鳴き声をしておる。攻撃方法は噛みつきと引っ掻きだが、甘噛みと肉球で叩かれる程度だ」
「第一階層から攻略不可なのですが」
「実際は『分裂』と『変化』ができる悪魔が担当するのであって、本当の子猫ではないのだが」
勇者達はそれを知らないだろうに。知っていたとしても、この魔物に容赦なく攻撃を加えるのは難しい。
特に女性には厳しいよな。
「攻略できぬとなると困ったことになるか。ならば、こっちの魔物はどうだ」
「丸い半透明の体の中心に巨大な目が一つですか。少し不気味ですが、これなら問題なく倒せそうですね」
「うむ、雑魚っぽいであろう。だが備考欄を見てくれ」
魔物の説明の下の方に何か書いてあるな。何々……ただし、倒されそうになると第二形態になり少し強くなる。
「窮地に陥ると強化される魔物なのですね。戦闘に緊張が生まれそうな相手でよいのでは」
「そうであろう。次のページに続きが書いてあるぞ」
胸を反らして自慢げだ。
かなりの自信作のようだが、続きは第二形態の絵があるのだろうか。となると、まさかいきなり凶悪な魔物に変形するというオチでは。
恐る恐るめくると、そこにはさっきの魔物絵に角が生えただけの個体がいた。
胸を撫で下ろしそうになったが、まだまだ油断はできない。見た目に反して凶悪な性能になっているかもしれない。
説明文を読むと、第一形態よりほんの少しだけ強化されただけのようだ。
「悪くないと思いますよ。これなら油断しない限りは大丈夫でしょう」
「そうであろう、そうであろう。では次のページも見てくれ」
上機嫌な魔王に促されるまま、次の魔物を調べてみると『第三形態』という文字が目に飛び込んできた。
さっきの魔物に角を二本増やした、三本角の一つ目魔物がいる。
資料から視線を魔王へ向けると、腕を組んで得意顔をしていた。
質問する気も失せたので、次の魔物へ視線を移動すると『第四形態』の文字が。
――さっきの魔物に黒い翼が生えている。
更にめくる。
『第五形態』鋭いかぎ爪をそなえた足が二本追加。
『第六形態』三本指の腕が二本増える。
『第七形態』『第八形態』『第九形態』『最終形態』
結局第十形態まであり、最後の姿は原形を留めていない凶悪な化け物。
「これ雑魚敵なのですよね。……何がしたいのです?」
「新鮮な驚きと、マンネリの打破だ!」
「劇団としては間違いではない思想なのでしょうが、魔王としては大間違いです。いきなり全滅させてどうするのですか。勇者の心が挫けないダンジョンにしましょう」
それから魔王の暴走を抑えながら、あれやこれやと口出しをして何とか攻略できそうなダンジョンの図面が出来上がった。
精神的難易度がかなり高めで運動能力が高くないときついが、これなら大丈夫……だと思いたい。
次代の勇者には軽く同情するよ。
「これだけ大掛かりな改築工事となると一年以上は覚悟するべきか。劇団の公演も考えると常にダンジョンにいるわけにもいかぬ。そもそも、出来上がった後の実験をどうするかという問題も……」
魔王の人柄というか性格は長年の付き合いで信用できることは分かっている。だが何かのきっかけで立ち位置を変えたら、本当に世界を混乱に陥らせる実力を持っている。
そうなると、俺は彼を滅ぼさなければならない。……それはできるだけ避けたい。
なら彼が熱中できる何かを提供し続けるというのが、一番安全で賢明な選択肢だと思っている。
「回収屋よ。このダンジョンが完成の暁には、招待するので一度挑戦してはみてくれぬか?」
顎に手を当てて考える振りをしたが、こんな面倒臭いダンジョンなんて攻略したくない。ここは上手くかわしておくか。
「……内容を知っている私だと意味がないかと。そうですね、魔王復活の予兆を感じるとか適当な事を言って、国から特別な許可を出してもらい、知り合いに探索させてみましょうか? 封印の間の前までなら問題ないでしょう。中級レベルの冒険者パーティーや、どんな罠にも屈しない知り合いもいることですし」
他の生け贄を差し出して納得してもらう作戦でいこう。
「おー、それは助かるぞ。では気合を入れて改築工事に取り掛かるとしよう」
ルイオのパーティーでもいいし、万が一の場合死に戻れるリプレ、何があっても死なないクヨリは危険性を調べるのに最も向いている人材だ。
「この罠が実用的で上手く起動できた後には、舞台装置に流用するのもありかもしれぬな」
人の精神をいたぶる事に優れた罠の数々を思い出し、これは止めさすべきだと判断した。
団長でもある魔王が宿に泊まる事になり、ただでさえチェイリの心休まる時間が減っているというのに、これ以上精神的重圧を与えたら倒れてしまう。
「チェイリさん達が危険ですので、やめてあげてください」
「先ほど話をした期待しておる新人の娘か。あやつには宿でも世話になっておる。そうだ! 褒美と舞台装置の実験も兼ねて、団員と共に我が最高のダンジョンへ招待するというのは――」
「やめてあげてください」