毒を吐く少女
「ねえ、おばさんはどうして見た目を気にしないの? 髪もボサボサだし、服もボロボロだよ? もしかして、女を捨てているの?」
朝食を食べようと宿屋の一階に下りる最中に、女の子の声が耳に届いた。
聞き覚えのない声。可愛らしい声質をしているのに話の内容が酷い。
誰かに話しかけているようだが、まさか俺の知り合いと話している訳じゃないよな。
階段を下り切る前に相手の姿を確認してみる。
一人は肩の長さで真っ直ぐに切りそろえられた髪型の少女。目を大きく見開き大きめの口は閉じることなく、言葉を吐き続けていた。
「おばちゃんは、どうして女を捨てるの? 恋愛や結婚に興味ないの? それとも自分は努力しないのに理想の相手がほいほいやって来るとか、そんなあり得ない夢を見ちゃっているとか? 現実見えてますか?」
……酷い質問攻めだ。いや、質問責めだ。
黙っていれば可愛らしい少女なのに、よくもあれだけ人を追い詰める言葉がすらすらと出てくるな。
そんな罵倒に近い質問を浴びせられているのは、顔見知りの人物だった。
机を挟んで椅子に座り肩を震わせているのは――クヨリ。
こちらからは俯いている後頭部しか見えないが、追い詰められているのは伝わってくる。
元々、俺以外との接点がなく下手したら数か月、誰とも話さないのが当たり前だった彼女が、口の達者な少女の対応ができるわけがない。ここは助け舟を出すとしますか。
俺が足早にクヨリへ歩み寄る最中に、ふと違和感に気付く。朝食の時間で客が結構いるというのに、みんな静かすぎる。
少女の声はそんなに大きくないので、普通は宿屋の喧騒に呑み込まれて俺の耳には届かないはずだ。
周りの席に目をやると、席は殆ど埋まっていて客もいるのだが……。注意深く見ると、宿屋が静まり返っている理由が判明した。
運ばれた朝食に手を付けず、濁った瞳を天井に向けている者。
「はははははは」空虚な笑みを浮かべ、力のない声を漏らす者。
誰もクヨリを助けようとしない訳が理解できた。――既に被害に遭った後のようだ。
「幸薄くないし、貧乏臭くないよぉ……」
「だ、大丈夫。まだ若い役もやれるもん。十代ヒロイン役もできるもん……」
宿屋の店員であるスーミレとチェイリが床に座り込み、肩を寄せ合ってぶつぶつ呟いている。かなり酷い事を言われたのか。
「この罵倒は参考になります、参考になります」
文章を商売にしている作家も言い負かされたようで、虚ろな瞳でペンを走らせて何かを書き込んでいる。
その後ろに控える執事と双子メイドは無表情に見えるが、三人とも握りしめた拳がプルプル震えていた。
リプレは机に突っ伏したままピクリとも動かない。『死に戻り』も心のダメージでは発動しないようだ。
魔王とイリイリイはいないようだが、それ以外の宿屋に泊まっている客は全滅……か。
気性の荒い者なら殴られても文句が言えないレベルの発言。だというのに誰も怒鳴ったり暴力に訴えたりはしなかったようだ。少女相手に大人げないと判断したのだろう。
――その結果、酷い有り様だが。
「おばちゃん、幾つなの? もう結婚している……わけないよね。旦那さんや意中の相手がいたら普通もっとマシな格好」
「そこまでで、お願いします」
クヨリの脇に立ち、少女の眼前にすっと手を伸ばす。
気配を消して忍び寄ったので、突然俺が現れたように見えたのだろう。少女が驚いて口を噤む。
「クヨリさん、大丈夫ですか」
「回収やぁぁぁ」
俺の服の裾を握り、涙目で俺にすがってきた。
これは珍しい。最近、喜怒哀楽が少し復活してきてはいたが、涙目のクヨリを見るのは数十年ぶりかもしれない。
庇護欲がかきたてられるな。
半泣きのクヨリにこの場を離れるように言い聞かせて、席を譲ってもらう。
背を向けてとぼとぼと歩き去っていくクヨリ。不死にあれだけの痛手を与えるとは。
「お嬢さん。私に御用でしょうか?」
「まだ名乗ってもないし説明もしてないのに、何でおじちゃんに用だと思ったの? もしかして少女趣味で自意識過剰なのかな。うっわーきっしょーい」
本当に口が悪いなこの子は。
誰に対してもこの話し方だと、いざこざが絶えないだろうに。
「いえいえ。そんな趣味はありませんよ」
いつものように微笑みながら、さらっと返す。
俺の反応が意外だったのか、少女の眉根が寄る。
そんな少女の服装は質のいい素材を使っている。縫合もしっかりしていて高級な衣類のようだ。金持ちか権力者の娘っぽいな。
しかし地位のある親なら、こんな問題児の少女を一人でうろちょろさせるとは思えない。
気配を探る範囲を広げると、宿屋の前に四人の強い気配を感じる。
朝食目当ての書き入れ時なのに、客が新たに入ってこないと思ったら扉の前で通行止めをしているようだ。
護衛と考えるのが妥当か。だとしたら中まで入ってこないのには、何か理由があるのか?
この宿屋の常連は気性も穏やかで分別をわきまえている。子供に手を出すような人はいないが、それを彼らが事前に知っていたとすると考えられるのは……。
「もしかして、眠り姫のご友人ですか?」
「えっ、何で分かるの! 気持ち悪い。引くわぁ」
ほんっと、口が悪いな。
とはいえ、その理由が分かっているので腹は立たない。
『鑑定』の結果、彼女の頭上には赤い文字で『毒舌』が浮かんでいる。それもかなりの高レベルで。
少女はスキルの影響で毒を吐かずにはいられないのだ。
おまけに『饒舌』『心理学』まで兼ね備えている。相手の弱点や欠点を見抜き、そこを徹底的に攻める能力に優れた少女。
「簡単な推理ですよ」
そう口にすると、斜め前方の席で俯いていた作家の顔が跳ね上がる。そこに反応しなくていいです。
「いい歳こいて、名探偵気取りなの? 現実と物語の区別がつかなくなって痛い発言が許されるのは十代半ばまでなのに、おつむ大丈夫なのかなぁ。言ってみてよ、その名推理とやらを、ぷっ」
煽る煽る。
原因が分かっているので苛立つことはないが、……一応『状態異常耐性』のレベルを上げておこうか。
「いえ。それだけ言葉が巧みですと、口では勝てずに手を出す人も、稀にいらっしゃるのではありませんか。そういった非常事態に対処する護衛の方が、店の外にいる人達ですよね。店内まで同行しなかったという事は、この宿屋の客がどういった気性なのかを把握していた。そういった情報に詳しい人物で、尚且つ貴方のような方と繋がりがありそうな人となると、……眠り姫ぐらいしか思いつかなかったので」
眠り姫なら面白がって俺を紹介するだろうから、という推測は口にしないでおこう。
どうやら的中したようで、口角を下げて不満顔をしている。
「眠り姫に聞いていた通り、底が見えなくて煽りがいが無いから嫌い」
少女が嘆息して半眼で俺を睨んでいる。
そういえば眠り姫はその呼び名を気に入っているらしく、周りにもそう呼ぶように言っているそうだな。
「はははは。よく言われます」
「むーっ。反応が面白くない。どうせスキルが見えているんでしょ。これをどうにかできる、冴えない男がいると聞いてやってきたけど、おじちゃんの事だよね」
「はい、なんとかできますよ」
『毒舌』はオンリースキルでもレアスキルでもないので買い取る事は可能だ。実際に何度か買い取った前例もある。
『毒舌』持ちで最も多いのが、元から口が悪く性格の曲がった人が、いつの間にか覚えていた。
その次に多いのが夫婦のどちらかが結婚生活中にスキルを覚え、伴侶が買い取りを頼むパターンか、当人が悩んで相談に来るかの二択だ。
『毒舌』の厄介なのが元々口と性格が悪い場合と、深刻な悩みが隠されている場合に分かれるところだ。
相手に対する不平不満があるとスキルが発生しやすい。それも感情を押し殺し、我慢に我慢を重ね限界に達した時に『毒舌』が現れる。
「いざこざの元にしかならない、こんな迷惑なスキルさっさと買い取ってよ。貧乏そうなおじちゃんが満足するような金額を支払ってあげるから」
安堵の息を吐いた彼女の表情に一瞬、陰りが見えた。
「本当に買い取っていいのですか?」
「何言ってんの? もっと暴言を浴びせられたいという奇特な性癖の持ち主なの?」
肩をすくめて俺の発言の意味が分からないといった素振りをしているが、内心の動揺が『心理学』で読み取れた。
やはり彼女は後者か。――『毒舌』は感情を殺し、我慢を重ねた時に生まれる。
この場合、元々の性格は大人しく言いたいことも言えない。そんな人が多い。
「貴女はそのスキルに助けられているところもあるのでは?」
「万が一そうだったとしても、赤の他人のおじちゃんに言う必要はないよね」
「確かにそうですね。買い取りたいところですが、スキルを買い取るにはこちらの準備も必要なのですよ。明後日にもう一度訪ねてもらってもいいですか?」
腕を組んで背もたれに体を預けた少女が、じっと俺の目を見つめている。
強がって見えるが、それは怯えている心を見破られないように、覆い隠す為の虚勢。
「分かったわ。明後日に又来るから、ちゃんと準備しておいてよ!」
肩を怒らせ少女が出ていくと、店の客が息を吹き返した。
体を起こし、大きく息を吐いている。
「あー、明後日に用事があったなぁ」
「私も明後日はちょっと冒険に出る予定だわ」
「部屋に引きこもる……」
全員が誰に聞かせるでもなく明後日の予定を口にして、足早に部屋へと戻っていく。
明後日の宿屋は静かな事になりそうだな。
「とまあ、そんなこんなで少女の事を教えていただけないかと」
「やっぱり、見抜かれていましたのね。私が話を通したことを。……ふああぁぁ」
大あくびをしたのは薄幸の美少女っぽく見える、眠り姫だ。
以前より血色はよくなって健康的になったようだが、眠り続けていた影響で常に睡眠不足らしい。
毒舌少女が来た次の日、情報屋でもある眠り姫の屋敷を訪ねると、あっさり寝室まで通されて今に至る。
「普通に買い取ってもよかったのですが、何か事情があるようでしたので」
「んー、そうですね。彼女はとある貴族の俗に言う妾の子という立場でして。父親は滅多に顔を出さず、その苛立ちを母親が娘にぶつける。その結果、自分の感情を押し殺して、相手の顔色を見る事ばかりに長けて、言いたい事も言えない哀れな少女に育ちましたとさ」
すらすらと事情を口にするという事は、俺の行動も想定の範囲内だったのか。
後天的に発生するスキルには意味と理由が存在する。
『心理学』は少しでも両親の心を知る為に懸命に学んだ結果。
『毒舌』は押し殺した心が限界を超えて、自分の心を吐露する為に発現した。
『饒舌』だってそうだ。本当の彼女は、……他愛ないおしゃべり好きの女の子だったのだろう。
「今の彼女はどういう状況なのですか?」
「虐待に近い事をしていた母は、娘の暴言に怯えて手を出さなくなりましたが、……距離を置くようになったようです。今は両親とも彼女に寄り付かず、昔から彼女の事をよく知っているメイドが傍に仕えているだけみたいですよ」
言いたいことを過剰に言えるようになり暴力からは逃れられたが、孤独が増したのか。
現状を把握したうえで、スキルを買い取っていいものか、それとも放置しておくべきか判断に迷う。
少女が『毒舌』を失えば、母の虐待が再び始まる可能性が高い。
とはいえ、このまま放置し続けると両親と和解する機会も得られず、友人すら作る事もできない。
でも『毒舌』が彼女の中に溜まった精神的重圧、心の膿を吐き出してくれているのも事実だ。
「思ったより面倒な案件ですね。私がここでうだうだ考えるより、当人がどうしたいか本心を聞いた方が早い」
「そうですよね。私もどうにかしてあげたいのですが、色々と面倒なので回収屋様に押し付けよう……。回収屋様なら何とかしてくれると信じていますので」
優しく微笑んでいるが、誤魔化せていないぞ。
最近、厄介事があると全て俺に投げている気がする。こちらも利用はしているが、少しだけ納得がいかない。
「まずは当人からどうやって本心を聞き出すか、ですね……」
「回収屋様なら、そう仰ると思って彼女を呼んでいます。お入りください」
用意周到な事で。扉の前に気配を感じていたが、彼女のものだったか。
寝室の扉を開けて入ってきた少女は一言も発しない。口をきゅっと噤んでじっとこっちを見ている。
どうやら、今までの会話は聞かれていたようだ。
「単刀直入にお聞きしますが、貴女はどうしたいですか?」
少女は両こぶしをぎゅっと握りしめ、大きく一度息を吸うと口を開く。
「昔に戻るのは嫌。でも、このまま独りぼっちも嫌なの。もう誰も傷つけたくない、の」
目の前にいるのは言葉で他人を傷つける毒舌な少女ではなく、ボロボロと涙を流す、寂しがり屋で年相応の少女。
この場合での最善策は――。
「分かりました。『毒舌』は買い取ります。ですが、レベルを1だけ残しますね」
「レベルを残す?」
目を真っ赤にしたまま、きょとんとした表情で首を傾げている。
「ええ。レベル1なら影響も少ないですし、ちょっとだけ口が悪い程度ですからね。それなら可愛らしく見えますよ」
思った事を口にしやすいから、不平不満を溜め込みすぎることもない。
「おっさんに、そんな事言われても嬉しくないっての。でもまあ、ありがとうって言ってあげるわ! 美少女に言われて嬉しいでしょ」
そう言って恥ずかしそうに笑う少女の顔は、確かに魅力的だった。
少女の『毒舌』を買い取ると、レベル1になった発言はとても愛らしく、あれなら多くの人に好まれると確信が持てる。
ちょくちょく様子を見に行って、またレベルが上がったらその分を買い取ることにしよう。
「ほ、本当に感謝しているんだからねっ! でも、調子に乗らないでよね。別にあんたの事が気に入ったわけじゃないんだからっ」
と言い捨てて、寝室から去っていった。
あの程度の発言なら、むしろ好む相手の方が多いだろう。
「これで万事解決ですね。よかったよかった」
全てを俺に押し付けた眠り姫が何か言っている。
日頃から彼女にいいように利用されている気がするので、ここら辺で一度話し合った方がいいかもしれない。
「でも買い取った『毒舌』はどうするのですか? 使い道があるようには思えないのですが」
「いえいえ、どんなスキルでも使い道はあります。例えばこのように発動させて、悪夢を見るレベルの言葉責めをすることも……可能ですよ?」