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駆け引き

 いつもの窓際の席で視線は窓の外に向いてはいるが、その目は違うものを捉えていた。

 自分自身を『鑑定』して何度か現状を確認したのだが、スキル名とレベルを表示する赤い文字に変化はない。


「回収屋様、愚かな下僕に何かご命令を」


 相手との賭けに勝ち、『売買』レベルは10に上がったのだが、それは『賭け』空間内での一時的なもので、解除されると同時に『売買』のレベルは1に戻った。

 そりゃそうだ。『賭け』スキルで発生した空間内でのみ、その効果が発揮されると前置きされていたのだから。


「卑しい雌犬めに卑猥なご命令は如何でしょうか」


 ただし賭けの対象に関しては、勝負が終了すると実際に実行される。それが『賭け』スキルの能力だからだ。

 それもどんなことでも可能、というわけではない。負けた側にとって不利益であること。それが条件だ。

 後に教えられたのだが、真剣勝負でなければ賭けの支払いは実行されないそうだ。

 例えば俺とクヨリが『賭け』で勝負をしたとしよう。クヨリは自分のオンリースキル『不死』を賭けた。そして彼女がわざと負けた場合、スキルが支払われることはない。

 そしてもっとも大事なポイントが、賭けで支払う対象は互いの価値が等しいこと。これが絶対のルールだ。

 クヨリが『不死』を賭けるのであれば、俺は『売買』を賭けなければならない。それも真剣勝負で。


「ああんっ! うっとうしそうに冷めた視線を注ぐ姿も、す、て、き」


 あれこれ考えてはみたが、そんなデメリットがあろうがあるまいが、もう関係ないのだが。

 『売買』で買い取った『賭け』はカイムロゼから俺に移った、それは間違いない。そこまでの展開は俺の理想通りだった。……が、そこから先は誤算だった。

 俺のスキルスロットには二つしかスキルが入れられないというルール内で、スキルスロットは既に埋まっていた。ならば、買い取った『賭け』は何処へ行くのか。

 それは――


「うふっ。このコインが私と回収屋様との絆。私はこれで貴方様に買い取られたのね」


 スキルスロットに収まらずに、俺の中で眠っている。

 そしてオンリースキルは『制御』の効果を受けない。『売買』のレベルを変更することも付け加えることもできないのは実証済み。

 つまり、どういうことかというと。


「まさか『賭け』を買い取れたというのに、スキルスロットに装着することができないとは……」


 そう『制御』できない『賭け』は宝の持ち腐れとなった。

 条件があるとはいえ、上手く使えばオンリースキルも手に入れる事が可能なスキルだというのに。

 敵の手に渡らず、手元で保管していると考えると……まだましかな。


「でも私の心は貴方に買い取られてしまいましたよ?」


 唇が触れそうな距離まで顔を寄せた、カイムロゼが目の前にいる。

 ずっと無視をしていたのだが、めげる事なく延々と話し続けていた。

 この人は負けてから性格が変わってないか。


「カイムロゼさん。勝負の最中に『賭け』を買い取ったので、賭けは成立していませんよね? 貴女は私の奴隷ではありません」


「いえ、回収屋様の機転と度胸と勝負強さに、心の底から魅了されてしまったのです。そう、私は恋の奴隷!」


 両腕を広げ恍惚とした目を天井に向けて、恥ずかしいセリフを叫ぶ危険人物がいる。

 あの後、素直に負けを認めて賭けで手に入れたものを全て返却したのはいいが、何故か(なつ)かれてしまった。

 姉の情報も素直に全て話してくれたので冷たいようだが、『賭け』スキルを失った彼女には興味も用もない。

 カイムロゼに構いたくないもう一つの理由が、カウンターの近くでこっちを睨んでいる店員二人の存在だ。

 スーミレもチェイリも怒りよりも殺気に近い視線を、彼女の背中に突き刺している。

 そんな視線に気づいた上で、過剰なスキンシップと発言を楽しんでいる可能性が高い。

 二人に何度も顔を向けては、妖艶な笑みを浮かべているのがその証拠だろう。

 これ以上付き合わない方が身の為か。


「姉の情報は感謝しています。では、さようなら」


「酷いっ! お姉さまを裏切る行為は命を危険に曝すというのに、貴方様の為に危険を覚悟の上で話したというのにっ!」


 顔を両手で覆い泣いているように見えるが、これは嘘泣きだ。

 最近『演技』スキルの高い連中と触れ合う機会が多かったので、この程度の芝居なら『心理学』を発動させなくても騙されることはない。

 そもそも、自分の命を狙ってきた相手に同情する必要はどこにもないのだ。


「貴重な情報ありがとうございます。姉がオンリースキルの所有者を積極的に集めている。この情報は本当に助かりました」


 姉から送られてきた二人は両方ともオンリースキルを所有していた。

 これは偶然ではなく姉の配下で幹部に値する面々は、オンリースキル所有者ばかりらしい。

 ただでさえ希少なオンリースキル所有者を姉はどうやって見つけ出したのか。

 その秘密は特定の物やスキルや人物を探す事が可能な、レアスキルを所有しているからだった。

 スキルの名は『捜索』。それもかなりの高レベルなので捜索範囲が広く正確らしい。

 レアスキルは使い込んでもなかなかレベルが上がらない。だというのに高レベルを所有している理由をカイムロゼから聞き、少し驚くと同時に納得がいった。


「お姉さまは、鑑定を請け負う教会と繋がりがあります。そこで『捜索』スキルの存在を知ると現地に向かい、所有者から奪って殺害。そしてまた、そのスキルを持って生まれた人物を発見すると奪って殺害。これの繰り返しです」


 過去の書物には『捜索』スキルを活用した冒険者や商人の話が記載されていたが、俺が回収屋を始めて一度たりとも、『捜索』スキルの話題を耳にしたことがなかった。まさか姉が裏で暗躍していたとは。

 それだけには(とど)まらず、姉は更に狡猾だった。


「今はお姉さまの配下に『捜索』持ちがいますわ。『奪取』で奪い強化した『捜索』が必要なレベルに達したので、今度の所有者は殺さず手元に置く事で、弟である回収屋様にスキルを奪われないように、とのお考えだそうです」


 姉を探すのに最も適したスキルとして『捜索』に目をつけて、情報屋のマエキルや眠り姫にも所有者を探すように依頼をしていた。……その全てが徒労だったようだが。

 幹部は何人いるか、どんな面子なのかという情報は殆ど得られず、この二つ以外の情報に価値はなかった。


「命が心配でしたら、チャンピオンの下でメイドをするというのはどうです? あの方が屋敷内にいる限りは安全です。何処かに出かける際も、おつきのメイドとして同行すれば守ってくれますよ」


 俺が知る限り、チャンピオンに守られるのが最も安全だと言える。

 姉から刺客が送られたとしても、喜んで撃退してくれるに違いない。


「私は身も心も回収屋様に捧げたのです。他の男の近くで過ごすなんて、あり得ません」


「捧げなくて結構です。実際の話『捜索』スキルがあればどこに隠れても無駄でしょうから、迎え撃つか、守り通すか、一定の場所に留まらないか、ぐらいしか手はないですよ」


「分かっています。ですから、回収屋様が私を傍に置いて一生守ってください」


「お断りします」


 胸を強調するように両腕を組んで上目遣いされようが、必要以上に構う気はない。

 親しい人に対しては情があるので、助けを求められなくても手を差し伸べるだろう。だが目の前の彼女はそうではない。敵対していた相手だ。必要以上に構う気も義理もない。


「もおおおぅ! 私のどこが不満なんですか」


「魅力的な女性だと思いますよ。ですがそういう問題ではないのですよ。私の隣で寄り添い共に進める女性は……限られていますので」


 好みの問題ではなく姉との問題が片付かない限り、恋愛事に(うつつ)を抜かす余裕はない。


「そうですよ! 回収屋さんは忙しいんです!」


「カイムロゼさんだっけ。お店での迷惑行為はご遠慮いただけませんか?」


 机の傍に立ちこちらを見下ろしている店員が二人。

 会話に割り込んできてくれたか。このまま彼女を追い出したいところだが。


「あらあら。お客の恋愛沙汰に店員が口を挟むのですか? 先日と比べたらそんなに騒いでいないつもりですが」


 カイムロゼは動じることなく髪をかき上げながら、余裕の笑みを浮かべている。

 凄腕のギャンブラーだけあって度胸は大したものだ。

 女性同士のいざこざは、当事者であっても迂闊に手を出すと大怪我を負うことになる、と昔の偉い人は言っていた。……気がする。


「回収屋さんに迷惑をかけないでください!」


「嫉妬ですか、可愛らしい」


「ちょっとスタイルが良くて美人だからって調子に乗らないでよね」


「お褒めいただき光栄ですわ」


 二対一だというのに一歩も引いていない。

 俺はそっと『隠蔽』を発動させて存在を消すと、『忍び足』で足音を殺してその場から戦略的撤退をする。

 逃げたわけではなく一時的に退いただけ。そういう事にしておこう。

 カイムロゼはともかく、姉に自分の居場所がバレているという現状をどうにかしないといけないな。

 姉の性格からして人を巻き込むことにためらいはない。だが俺の実力を警戒しているのか、今のところ俺だけを狙ってきている。

 それは今のところであって、今後もそうとは限らない。関わりのある人達を人質に取るぐらいの事は、やってのけるだろう。


「こちらも動くとしますか」





 宿屋の扉が軋む音がしたかと思うと、屋外から風が流れ込んでくる。

 開け放たれた扉の向こうには幾つかの人影が見えた。


「今日から世話になる」


 赤黒いシミのあるドレスを着込んだ女性が、美しい金髪をそよがせながら店内に入る途中で転びそうになり、手を突いた机が勢いよく倒れる。

 その衝撃で飛び上がった酒の空瓶が天井の梁にぶつかり割れた。そして、鋭利な断面を真下に向けて、彼女の頭に突き刺さった。

 食堂にいた人々が悲鳴を上げる中、彼女は無造作に瓶を引っこ抜く。

 血が噴水のように飛び散っていたが、直ぐに血は止まり傷口も塞がる。

 窓際の席から腰を上げ駆け寄ると、鞄からぞうきんを取り出した彼女と一緒に床を拭く。

 彼女――クヨリにとって日常の出来事なので、慌てる必要はない。


「回収屋、いつもすまんな」


「それは言わない約束ですよ」


 定番のやり取りをしながら、飛び散った血の処理が終わる。

 クヨリは血を落とす専用の洗剤とぞうきんを常備しているので、この程度の血なら直ぐに元通り。俺も『清掃』スキルを取りつけたので完璧な仕上がりだ。


「私なら確実に死に戻りしていますよ」


 クヨリから遅れて宿屋に入ったのは、濃い緑の髪を後ろで束ね、目がぱっちりと開いた女性――リプレだ。

 以前は目つきが悪く、濃い隈があったので暗い印象だったが、本来の姿はこっちらしい。

 あれから死に戻りの相談を受けていないので、平穏無事に過ごしているようだ。


「この方だと殺人事件が成立しませんな。作家殺しな方だ」


「旦那様。そこを面白く書くのが腕の見せどころかと」


 続いて現れたのは小太りの作家と、皴一つないタキシード姿の執事と双子のメイド。


「そんなとこにいられては邪魔である! 偉大なる演出家であり、団長としても名高いこの我が入れぬではないかっ」


 入り口を占拠している小説家の一行に大声を張り上げたのは、劇団虚実の団長を兼任している魔王だった。

 もちろん今は角を消して人間のふりをしている。


「アリアリアの頼みを聞くのは癪だしぃ、人間はどうでもいいけどぉ。修理してもらった借りがあるから、仕方ないわよね」


 宿屋を見回し、気だるそうに呟いている女性が最後らしい。

 肩までの茶色い髪に袖のないシャツは丈が短くへそ出しで、短パンからすらりと美しい脚が伸びている。

 体に凹凸は殆どないので、性別がどちらか判断が難しいが本人曰く、女性型だそうだ。

 彼女は以前、アリアリアと共に暴走を止めたオートマタ、イリイリイ。

 完全に機能停止していたのだが、アリアリアの懸命な処置により復活を成し遂げた。


「皆さんよく来てくださいました」


 ここにいる人々は俺の呼びかけに応じて、今日からこの宿屋を利用する事になった客。

 これが俺から姉への対抗策。

 常に彼らが泊まり拠点とすることで、この宿屋にちょっかいを出させないようにしたのだ。

 クヨリや作家の従者達も優秀でそれに加え、古代文明の遺物であるイリイリイの存在。

 そして何よりも魔王である団長を引き入れられたのが大きい。彼の配下である悪魔達が常時宿屋と知り合いを警護してくれている。

 魔王に力を借りる条件として、こちら側から提示したのは『死んだ振り』『手加減』といったスキルに加え、この宿で暮らすことになった作家の紹介である。

 優秀な劇作家を求めていた魔王は即答で承諾してくれた。作家も劇団との繋がりに興味があったようで、思ったよりも潤滑に事が運んだ。


 クヨリもリプレもオンリースキル所有者として狙われる可能性が高い。むしろ既にターゲットだと考えるべきだ。なら同じ場所に居た方が守りやすい。

 今の宿屋の安全性は王城に匹敵する……いや、それ以上か。

 拠点が別にある面々にも、宿屋を気にかけてもらうように声を掛けて置いた。チャンピオンもちょくちょく顔を出してくれるそうだ。

 これでひとまず安心だろう。俺がいる時は常に目を光らせておくが、この面子に手を出すのはかなりの戦力と覚悟が必要となる。

 問題があるとすれば、


「あっ、またライバ……女性が増えました……」


「えっ、団長も泊まるの……。劇団でも実家でも一緒なんて、息を抜く暇がないんだけどぉ」


 ここの店員には不評なことぐらいか。


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