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世界情勢とお見合いと

「お見合いをすることになった」


 薄いカーテン越しの声が、とんでもない事を口走った。

 声の主はこの国の最高権力者である女性で、結婚適齢期を過ぎた独身なので発言自体におかしな点はない。

 女王という立場上、お見合い自体が大事(おおごと)なのは確かなのだが、彼女の場合はそれ以上の問題がある。


「お見合いですか。それは、おめでとうございます。相手の方も全裸で挑むのですか?」


「相手は服を着ている。そして、我も服を着ているのだがなっ!」


 この国の女王に対して無礼な物言いで、相手が怒鳴るのも当然なのだが不敬罪で処分されることはない。

 人前に出る事がない彼女の秘密を知る者は、俺と長年仕えているメイド長のみ。秘密の共有というのは互いの心の距離を近づけるようだ。


「我が対等の立場で構わぬと言ったが、普通は真に受けず、女王を前にすれば礼を尽くそうとは思うものなのだが」


「心根が素直なもので。それに丁寧な言葉づかいは辛うじて維持していますよ」


「その話し方も、貴様の場合は慇懃無礼としか思えぬ」


 怒りは収まったようだが、まだ不機嫌さが直っていない。

 でもなんだかんだ言いながらも、本気で気分を害しているわけではない。声の響きからして、カーテンの向こうで苦笑いを浮かべているはずだ。


「しかし女王様がお見合いとなると、相手もそれなりの方ですよね?」


「もちろんだ。杭の国ケヌケシブの第一王子が相手となっておる」


 ケヌケシブは俺が拠点としている大陸の中心に位置する大国だ。

 杭の国と呼ばれる由来は、古代文明の時代から建つ塔の存在だ。

 まるで天から大陸に打ち込まれたかのような、白く天高く伸びた巨大な塔は杭と呼ばれ、その塔を守る目的で人が集まり、村となり、やがて街となりそして――杭の国ケヌケシブとなった。

 というのが、杭の国の成り立ちについての伝承だ。


「杭の国の第一王子となると、あの方ですか。もしや、私の提案に乗っかったのですか?」


「言うと思ったぞ。その考えが全くなかったとは言わぬが、そもそも向こうから提案してきたのだよ。同盟国であり、大国である向こうからの提案を断るわけにはいかぬのだ」


 女王の治めるこの国は、小国ではあるが資源が豊富で他国と比べて治安がいい。大陸内で住みやすい国を挙げる際に、必ず候補に入る。

 だが残念な事に周辺国には恵まれていない。

 無能な王が治める独裁国や、自国が世界で最も優れていると勘違いした民が住む国。物事の中心に暴力がある国など、ろくでもない国ばかりだ。

 同盟国である杭の国の後ろ盾があってこその、仮初の平和。

 それを理解している女王としては、政略結婚だと分かっていても断る選択はない。


「我が存在を秘匿することにより、他国は謎多き我を警戒して侵略に二の足を踏んでいる。しかし、杭の国の王子は心が読めるのであろう? いずれ公式の場でカーテン越しとはいえ話す機会が訪れる。我のスキルがバレるのは時間の問題だ」


 杭の国の跡継ぎは、あの王子になる事が確定している。

 いずれバレるなら、今の内に秘密をこちらから明かして信頼を得る作戦か。


「回収屋よ。他人事のように振る舞っておるが、恥を覚悟の上で見合いを受けたのは、貴様が原因なのを分かっておるのか? 以前、王子との結婚を提案した際に、王子のスキルを口にしたのを忘れたとは言わさんぞ」


 前回、軽い冗談のつもりで王子を勧めたのは確かだ。その際に心が読めることを話したのは……俺だな。

 その後、杭の国の王に別件で頼みごとをされた時に、雑談として女王の事を話したような気もする。


「それで腹が決まったのだ」


 結果的に俺が仲人をしたようなものなのか。

 政略結婚以外の何ものでもないが、これはこの国にとっても悪い話ではない。属国になるとしても他国の脅威から身を守れる。

 杭の国の王は気弱で、俺に無理難題を押し付けるのが趣味の頼りない王ではあるが、人柄だけは認めている。この国を悪いようにはしないだろう。

 この大陸では国のトップ同士が結婚したという前例は何度かある。その場合、どちらかの国に移り住むわけではなく、互いの国で日々を過ごす。

 国の政策としての同盟よりも強い契約。それが彼らにとっての結婚だ。


「そこまで腹を括られているのであれば、お見合いも成功間違いありませんね」


 あの王子に意中の相手が別にいる事は問題だが、国の事情に個人の主張など通るわけがない。何かと甘いところがある王も、さすがにそのわがままを認めることは……ないと思う。

 だが愛のある結婚生活が絶望的というわけでもない。権力者というものは正妻だけではなく(めかけ)を囲うのが一般的。

 今回の場合は建前上の結婚でしかないので、女性側も別の伴侶を見つけても咎められることはない。

 そして大体は正妻ではない方が本来の想い人だったというのは、ありがちな話だ。特にこんな国同士の歪な結婚だと。


「と言っても今回は顔見せであって、直ぐに結婚という話でもないのだがな。それに上手くいったとしても、そこに愛などない。当たり前の事だが」


 女王の声が少し沈んだ。

 王族というものは人より恵まれた生活が保障されるので羨む者は多い。だが王族とはいえ……違うな。王族だからこそ、どれだけ望んでも得られないものがある。

 それが自由。

 仕事、恋愛、日常生活、選択の自由。


「っと、そんな愚痴を回収屋に聞かせる為に呼んだのではない。『透明化』スキルが見抜かれたとしても、やはり裸で王子の前に出るのは気がねする。そこで回収屋の知恵を借りたい。我の肌をどうにか隠す方法を考えてくれぬか?」


「隠す方法ですか」


「その、なんだ。この見合いが成功しても、結婚に愛がないのは重々承知しているのだが、その、あれだ。それでも伴侶となる男性と会うのに裸というのは、下品だろ? あ、あれだ、恥ずかしいじゃないか」


 カーテンに映る全裸の影がくねくねと揺れている。頬に手を当てて照れているのか。

 男性経験が皆無で心は乙女だったのをすっかり忘れていた。どうやら、とんでもない依頼を受けることになりそうだ。

 面倒事に巻き込まれるのは目に見えているので断りたいところだが、事の発端は俺なので拒否権は用意されていない。





 女王との話し合いが終わった直後に、漁村ミゲラシビへと向かった。村外れに住む魔物マニアに用があったからだ。

 家を訪ねると喜んで中に招き入れられ、また魔物豆知識を嬉々として語られそうになったので、先に用件を切り出した。


「――ということなのですよ、セラピーさん」


「あの、これって国の機密情報ですよね? 私のような者が知っても大丈夫なのでしょうか?」


 セラピーに女王とのやり取りを話すと、血の気の失せた顔で俺をじっと見ている。


「もちろん、他言無用ですよ。誰かに話したら両国から命を狙われる危険性があるので、気を付けてくださいね」


「そんな事を気軽に話さないでくださいよおおおおおおっ!」


「うっかりしていました」


 頭を抱え悶えているセラピーを眺めながら、メイド姿のアリアリアが運んでくれたお茶を口にする。

 本来のオートマタ状態よりも人間に化けた姿を気に入ったようで、最近はこっちの格好ばかりらしい。


「安心してください。そもそも話す相手がいません。この無駄乳房に友達なんて誰もいないので」


「えっ、そ、そんな事はないわよ! 村の子供とは仲良しだし、魚屋さんとかおまけもくれるのよ!」


「子供はバカにしているだけです。魚屋は魚屋のくせに胸の巨大な果実に興味津々なだけです」


 村でセラピーを目撃したことがあるのだが、アリアリアの言い分はあながち間違いではない。

 子供達は魔物知識を熱心に語る彼女を、面白いオバちゃん……女性だと言っていた。

 店主達は会話を引き延ばし、彼女におまけを渡して喜ばすことで、体の一部が揺れるのを楽しんでいたのを俺は知っている。……母性の象徴に惹かれる男は多い。


「そ、それに、友達ならアリアリアも回収屋さんもそうでしょ」


 涙目でこっちを見つめてきたので、すっと視線を逸らした。隣でアリアリアも同じ動きをしている。


「ちょっとおおおっ! 友達ですよね! ねえ、回収屋さん! アリアリア!」


 すがりつく彼女の胸部が押し付けられ悪い気はしないが、これ以上からかうと本気で泣かれそうだ。


「冗談ですよ。ところで、お友達のセラピーさんに質問があってここまで足を運んだのですが」


「あっ、そうでしたね! お友達になんでも訊いてください!」


 満面の笑みで胸元を叩く彼女に、当初の目的を口にした。


「先ほど話した通り、『透明化』のスキルにより、女王様の身の回りの物は全て透明になってしまいます。ですが対応策がない……事もないのです」


 女王はずっと自分のスキルを調べ、その対策を考えていた。

 そんな彼女の提案が――。


「生物に大事な部分を隠してもらうことです」


 意外な盲点なのだが、人間や生き物が透明にならないのであれば、それで胸や大事なところを隠せばいい。

 一度メイド長に頼んで、背後から抱きかかえるようにして胸と下半身を隠してもらったのだが、その状態は卑猥さが増すだけという結論に達した。

 それならばと動物を用意してみたのだが、素っ裸で微笑む女王の迫力に怯えてしまい、大人しく従う動物が見つからなかったのだ。

 どうせ見えないのだからと、動物を無理やり紐で彼女の体に縛るという手段も考えたのだが、女王が

「それは可哀そうだから、ダメだ」と断ったので手が尽きた。


「そこでセラピーさんなら、人に大人しく従い、衣類代わりになりそうな魔物をご存じではないかと思いまして」


「大人しく従う魔物なら心当たりはありますが、衣類代わりですか……」


 腕を組んで唸っているセラピーの背後で控えているアリアリアは、口を挟む気がないようだ。

 日頃はどちらが主で従者なのか誤解されそうな口の悪さが目立つが、彼女が真剣に考え込んでいるときは、こうして黙って見守っている。


「蛇系の魔物が体に巻き付く、というのはどうでしょうか? 大事なところは隠せると思います」


「危険性はありませんか」


「うちで飼育している魔物なら大丈夫ですよ。頭がよくていい子なので、連れて来ましょうか?」


 ここで飼育している魔物を見たことがなかったな。

 採用するかどうかは別としても、一度飼育されている魔物を見たい。


「どうせなら、飼育場を見学してもらっては如何(いかが)ですか。そこなら他の魔物もいますので、より良い案が浮かぶかもしれません」


 アリアリアの提案は渡りに船だ。俺が頷くと、セラピーが嬉しそうに笑った。





「これが飼育場ですか。立派なものですね」


 住居に隣接されている外観は岩にしか見えない飼育場は、想像以上に立派な設備で思わず、感嘆の声が漏れた。

 天井は全てガラス張りで、頭上から陽の光が燦燦(さんさん)と降り注いでいる。

 継ぎ目の見当たらない巨大な一枚板のガラス。これだけでも古代文明の凄さが伝わってくるな。

 室内だとは思えない自然が室内に再現されていた。泉や木々。砂地や沼地まである。

 外から見たよりもかなり広く見えるのは、これも古代文明の技術なのか。


「ここは魔物同士で争わない大人しい魔物ばかりを育成しています。少し危険な魔物は奥の別エリアにいますよ。えっと、バイバイちゃん、出ておいで~」


 セラピーが口に手を当てて、魔物の名を呼んでいる。名前のセンスについては触れないでおこう。

 すると、茂みの中から全長三メートルはある蛇が現れた。


「色彩が豊かですね……」


「はい、赤と白と黄色の模様が綺麗ですよね。これなら体に巻き付けても色合いとして悪くないと思うのですよ。人間の幼児ぐらいの知能もありますし気性も穏やかなので、こうやって手にした果物を食べてくれるんですよ」


 赤い果実を蛇の前に差し出すと、大口を開けて一口で呑み込んだ。

 本当に懐いているようで、セラピーの足に絡みついて甘えているように見える。


「実際、体に巻き付いて衣類のように見えるかどうか。飼い主として試しにやってみてはどうです」


「そうですね、ちょっとやってみましょう」


 アリアリアの提案に迷うことなく同意するセラピー。

 蛇の前で屈みこみ、何やら小声で話しかけている。

 幼児並みの知能があるとしても、こちらの言葉が通じるのだろうか。


「ここの魔物は簡単な言葉なら理解できる個体が多いですよ。セラピーの耳はアレでしたが、飼育の腕は確かですので」


 アレとは魔物の声が理解できると勘違いする要因となった『幻聴』スキルの事だ。

 アリアリアが俺の心配を見抜いたようで、さりげなく補足説明を入れてくれる。

 なんだかんだ言っても、彼女はセラピーの能力を認めている。それを指摘しても絶対に認めないので口にはしないが。


「では、このようにっ、んっ、はあぅー。ちょ、ちょっと、そ、そこああんっ! ダメ、そんなとこ擦らないでっ。んんっ」


 ワンピースに蛇が巻き付き、セラピーが身悶(みもだ)えている。

 どうやら敏感な部分を刺激されて、体が反応しているようだ。

 豊かな胸が蛇のひも状の体で圧迫され、危ない事になっている。俺が若ければ目のやり場に困っていたな。


「無駄に肉厚な体を持て余しているだけの事はありますね。これを魔道具で録画しておけば、商売できそうな気がするのですが。如何でしょうか、回収屋様」


「言い値で買いましょう。これは男性相手に、ぼろ儲けの予感がしますよ」


「バカな事言ってないで、助けてください!」


 商談成立と熱い握手を交わしていると、セラピーの悲痛な叫びが聞こえたので、蛇を引き剥がすことにした。

 蛇の巻き付く力が想像以上に強く、巻き付く場所の指定ができないのが最大の問題なので、この提案は没となる。


「名案だと思ったのに。他に衣類代わりに使えそうな子がいたかなぁ」


 あんな目に遭ったのにセラピーはまったくめげていない。

 それから四足歩行の魔物に座ってもらい体を隠してみたり、巨大な両生類の魔物の口に入り、そこから首だけ出してみたりと色々やってみたのだが、どれも全裸の方がマシな見た目だった。


「んんんんーっ。残っている子は……」


 唾液まみれのセラピーが考え込んでいる。

 ワンピースが濡れて下着が透けて見えているのだが、本人は気づいていない。


「あれを使ってみてはどうですか。変異種のあの子でしたら、条件にピッタリでは」


「ああっ! それよそれ! もっと早く言ってよ、もう」


「面白かったので黙っていました」


 肩を怒らせて奥の方へ歩いていったセラピーが戻ってくると、手には黒いボールのようなものを抱え持っていた。


「この子は突然変異なのですが、かなりお利口さんです。魔物としては能力が落ちているのですが、人に飼われるのであれば最高の魔物だと思いますよ」


 その種族で黒色の個体は初めてだったので驚いたのだが、スキルを『鑑定』して合点がいく。種族が生まれ持つ固有スキルの一つが存在していなかった。

 これなら確かに、女王様にピッタリかもしれない。





「ということで、彼の名はグロイちゃんだそうです」


「その名には触れないでおくが、大丈夫なのか? それはスライムだろう」


 カーテンの隙間から覗き見ている女王の声が、わずかに怯えている。

 セラピーから提供された魔物は――スライムだった。


「スライムは相手を丸呑みにして徐々に溶かしていくと聞いている。そんなものを体に貼り付けたら……」


「その点はご安心ください。この子は突然変異で『溶解』スキルが存在しません。このように体に手を突っ込んでも無害です」


 抱えていたスライムにずぼっと手を入れるが。皮膚が溶ける感覚も痛みもない。

 スライムも体に手を入れられているというのに嫌がる素振りもなく、楽しげにぷるぷる揺れている。


「躾もばっちりですし、簡単な言葉なら理解できます。伸縮性や体を変化する能力にも長けています。体に貼り付いて隠す訓練もしてきましたので、論より証拠。グロイちゃん、ゴー」


 訓練の際に幾つか合言葉を覚えさせた。ゴーは女王の服に貼り付けという意味だ。


「ちょ、ちょっと待て! ま、まだ心の準備がっ! ああああっ、ひんやりしてるっ!」


 カーテン越しに暴れている姿がよく見える。

 暫くは抵抗していたようなのだが、途中から諦めたようでベッドの上に立った状態でじっとしていた。


「回収屋よ。今からカーテンを開けるぞ」


 カーテンの向こうで自分の体をチェックしていたようだが、どうやら上手くいったようだ。


「はい、どうぞ」


 カーテンの開く音がして、ベッドを下りて歩み出てきた女王。

 肩がむき出しで胸元が大きく開いた、黒いイブニングドレスのようなものを着ているように見える。腰近くまで大きく裂けたスリットから垣間見える脚が、艶めかしく色っぽい。


「全裸と比べたら雲泥の差だな」


「そのグロイちゃんは、女王様が着ている服に薄く貼り付いているだけなので、服を着替えれば別の服にもなれますよ。残念ながら色は黒限定になりますが」


「そうか! それは楽しみだ。感謝するぞ、回収屋!」


 女王はご満悦のようだ。

 これで見合いも一安心かな。やるべきことはやったので、後は結果を待つだけか。





「回収屋さん! 私は困っているのです。心に決めた人がいるというのに、とある女性に魅力を感じてしまい」


 あれから数日後。王子様に呼び出されて嫌な予感はしていたのだが、やはり見合いの一件か。


「少し年上ですが国民を大切に想う心に偽りがなく、それに内面がとても可愛らしい人だったのですよ。私はどうすればいいのでしょうか?」


 真剣に悩み相談してくる王子を前にして、俺は心の中で大きくため息を吐く。

 板挟みになっている心情を延々と吐露(とろ)されて、数時間が経過している。

 やっぱり面倒な事になった。自分に『透明化』があったら、消えてこの場から逃げ出せるのに……。


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