愛しの我が子
人里から離れた森の奥の湖畔に、一軒の家がある。
丸太を組み合わせただけの簡素な造りだが、一家族が住むのには十分な大きさだ。
元々は木こりが利用していた山小屋だったらしい。魔物が大量に発生した際にこの小屋は破棄されて、今は木こりと全く関係のない家族が住んでいる。
彼らは魔物の大量発生時に村が襲われ、ここまで逃げてきた者達で、彼ら以外は誰もこの周辺にはいない。
俺はひょんなことから彼らと知り合いになり、たまにこうして顔を出している。
湖畔を歩きながら湖を覗き込む。
水が澄んでいるので、群れを成して元気に泳ぐ大量の魚がくっきりと見える。ここの魚を捕まえるだけでも食には困らないだろう。
自然が豊富なので山菜も動物も多く、自給自足をするには最適な場所だ。
唯一気になるのは魔物の存在なのだが、両親が腕利きなので油断をしない限りは大丈夫か。
のんびりと湖を半周して小屋の前につく。気配を探ると小屋の中には一つの小さな気配が存在していた。
どうやら子供だけで両親は出かけているようだ。
こんこんっ、と軽く木製の扉を叩くと、向こう側から扉の閂を引き抜く音が聞こえる。
重く分厚い扉が開かれると、中には少年が一人。
肌が白く小さく薄紅色の唇。背が低く髪も肩口まで伸びているので女の子に見えるが、中性的なだけであって男の子だ。
「こんにちは、回収屋さん」
少年の閉じられた目尻が緩み、はにかんで頬を染める姿には庇護欲がわくな。
「はい、こんにちは。お元気でしたか?」
「うん、とっても元気です。中へどうぞ」
招かれるままに扉をくぐり、白い杖を突いて先導する少年の後を追う。
木製の武骨な机に備え付けの椅子が引かれ、そこに座るように促される。
椅子に腰を下ろすと、少年は俺の前に飲み物と焼き菓子を並べた。
「慣れたものですね」
「物の配置は覚えてますから、家の中だけなら問題ないですよ。たまに足下に落ちている物に気付かなくて痛い目をみたりしますけど」
恥ずかしそうに頭を掻く少年。
そうだよな、配置を覚えていたとしても毎日全てが同じというわけにはいかない。
大きめのゴミや日常品が棚から落ちただけでも、彼にとっては大問題だ。
「こういうときは、ほんの少しだけ不便さを感じます」
少年は目元に手をやり、寂しげに笑う。
すっと指を走らせたのは閉じられた目蓋。
少年は――目が見えない。
それは生まれつきではなく、幼い頃に受けた呪いだ。
その日から、少年の目蓋が開くことはなかった。
「ハッキリとは覚えていないのですが、空は青く、草木が緑で、地面が土の色をしていました。今でも夢は色付きだから、僕は眠るのが好きなんです。夢の中はとっても綺麗だから」
少年は四歳からずっと闇の世界にいる。
少年の住んでいた村は壊滅状態で生き残ったのは……彼を含めた僅かな村人のみ。
村を襲ったのは、肥えた体に豚の頭が乗った魔物オークの群れ。それを引き連れていたのは元魔法使いの死霊――リッチ。
リッチとは強力な魔力を秘めた魔法使いが、自らの体を不死の魔物へと変化させた存在。
引き連れる魔物は死体や骸骨などのアンデッドが定番なのだが、オークを従えるというのは珍しい。
後に調べて分かったのだが、どうやらリッチとなった魔法使いは生前『調教』や『使役』といったスキルを磨き、魔物を育成して支配する術に長けていたそうだ。
その能力を生かし、オークの群れを使役して村を襲った。
ただ滅ぼすだけでは飽き足らず、リッチは魔法の実験と称して生き残りの少年に呪いを掛けた。目が見えなくなる、盲目の魔法を。
「村が襲われた時の記憶は殆どありません。そもそも、村人の顔も両親の顔もおぼろげで……」
物心つくかどうかの年齢で視界が闇に閉ざされたのだ、覚えていないのは無理もない。
「でも、目が見えるようになるんですよね! お父さんやお母さんの顔も、青く澄んだ空も、毎朝鳴いている小鳥の姿も……回収屋さんの姿も見えるようになるんですよね!」
沈んだ表情が一瞬にして眩い笑顔になり、俺に顔を向けて朗らかに笑っている。
その通りだよ。足を運んでいる理由がそれだから。
俺は少年を育てている両親に、目を治して欲しいと頼まれここにいる。
彼のスキルを調べたところ、スキルスロットに『盲目』のスキルが埋め込まれているのを確認した。あれを買い取れば少年の目は見えるように……なるだろう。
「ただ、前から言っていますが、少し厄介な魔法ですので一度では買い取ることができずにこうやって時間がかかってしまっています。本当に申し訳ありません」
少年に向かい頭を下げる。目の見えない相手にやっても意味のない事なのかもしれないが、謝罪をせずにはいられなかった。
今すぐにでも彼の目を開かせることは可能だというのに、それを引き延ばしてきたからだ。
「そ、そんな、謝らないでください! 十年近くずっと見えなかったのですから、今更一二年伸びたとしても全然平気ですよ!」
ぶんぶんと風の鳴る音が聞こえるぐらい両腕を素早く左右に振って、謝る必要はないと言葉と体で表現してくれている。
人の心を思いやれる優しく素直な少年に育っている。これも彼らの注いだ愛情と躾の賜物か。
「あっ、父さんと母さんかな」
少年の呟きを肯定するかのように、扉の開く音がした。
「おや、回収屋さん。いらしていたのですね」
「あらあら、すみません。お迎えもせずに」
背後から男女の声がする。
振り返るまでもない。少年の目を治せないかと、俺に相談してきた両親で間違いない。
「父さん、母さん、おかえりなさい!」
少年は父親の下へ走っていくと、その逞しい胸に飛び込んでいく。
そんな少年を両親は優しい目で見つめ、声を揃えて「ただいま」と言い、頭を撫でている。
この子は俺の前では大人ぶっているが、両親の前だと年相応の子供らしさが見えて和むな。
そんな感想を抱きながら、仲睦まじい家族のやり取りを俺は黙って見つめていた。
少年が眠りについた夜。
俺は二人を前に最後の確認をしていた。
「明日の朝、彼の『盲目』を買い取りますが、本当にいいのですね?」
「はい。……お願いします」
二人は深々と頭を下げ、買い取りを頼む。
そもそも彼らから切り出してきた願い事だ、この結果は見えていた。
「彼が見えるようになったら、どうするおつもりで?」
「近くの街に連れて行こうかと。あの子は頭もよくて気の利く、できた子です。直ぐに街にもなじめることでしょう。十年ぐらいなら仕事が見つからずとも生きていける蓄えもあります」
「わがままを聞いていただけるなら、あの子の住む場所と仕事も斡旋していただけると助かります。その分の報酬は私達のスキルを買い取った値でどうでしょうか」
二人の申し出は予想の範囲内だったので、頷いておく。
結果いかんによっては、そうするつもりでいたので断る理由はなかった。
「彼がここを離れる選択をした場合、その後の事はお任せください。私が拠点としている街なら治安もよく、知り合いも多いので」
「それを聞いて安心しました。これでもう……望むことは何もありません。明日はよろしくお願いします。あの子の目に光を取り戻してやってください」
「どうかお願いします」
涙ぐむ二人を前に俺は神妙な顔で、もう一度頷く事しかできないでいた。
窓からは薄っすらと光が差し込み、空は雲一つない晴天。
早朝なのでまだ日が昇りきっておらず、辺りは薄暗いが十年も暗闇で過ごした目には強い光は毒となる。これぐらいの明るさでやったほうが安全だ。
「皆さん『盲目』の買い取りは、せっかくなので外でやりましょうか」
どうせなら、初めに飛び込んでくる光景は最高のものを提供したい。
「それは、いい考えですね。なあ、お前」
「ええそうね。私も賛成しますわ」
「うん、僕もそれでいいよ!」
家族の同意がもらえたので、扉を開けて外に連れ出す。
少年の背後に太陽、正面に湖が見えるように配置すると、彼の顔を挟み込むように手を添える。
両親は少年の後方でじっとこっちを見ていた。
「では、今から『盲目』を買い取ります。よろしければ、自分の中のスキルを私に渡すことを意識してみてください。貴方の心がそれを許可すれば、スキルは私に移ります」
「はい、お願いします!」
すっと少年の中から何かが抜け、自分に移ったのが分かる。
スキルを確認すると、『盲目』の買い取りは無事成功していた。
「ゆっくりと目を開けてください。薄暗いとはいえ光に慣れていませんのでゆっくりと……眩しいと思ったらすぐに目を閉じてくださいね」
「はい……」
閉じられていた目蓋が徐々に開く。
適度の明るさなので瞳への負担はなかったようで、目を再び閉じることはなく大きく見開かれている。
俺の顔をまじまじと見つめて暫くそうしていたが、すっと視線を上げると、その先の湖と森の美しさに目を奪われていた。
「回収屋さんのお顔も湖も本当に素敵です。ああ、夢よりも綺麗で鮮やかです。そうなんだ、これが風景、これが自然。忘れていました……」
ボロボロと涙を流す少年を背後から見つめる両親は抱き合い、彼よりも大粒の涙をあふれさせていた。
「あっ、父さんと母さんは」
「貴方の後ろにいますよ」
俺の発言を聞いた少年は瞳を輝かせ――両親は対照的に顔に哀愁の影が差す。
少年が勢いよく振り返ると、父と母は強く抱き合い俯きそうになる顔を必死にこらえ、正面から少年の顔を見据えた。
ここからでは少年の顔は見えない。俺から見えるのは二人……いや、二体のオークの姿だけだ。
少年を戦場で拾ってから十年間、自分達の子供として育てていたオークの夫婦。
それを知らずに自分の親だと思い込んでいた少年。
『盲目』が生み出した悲劇。目が見えなければ一生、このままでいられたかもしれないのに、オークの夫婦は少年の光を優先した。
空気に重量があるのかと錯覚するほどの重い沈黙が、この場に満ちている。
ここから先、どうなろうとも一切手出しはしない。最悪の展開になったとしても止めないでくれと、両親から懇願されている。
長い沈黙の後、先に切り出したのは……オークの夫婦だった。
「すまない。お前の村を襲い、本当の両親を殺したのは俺達だ。言い訳になるが、我々オークはリッチに操られ村を襲った。操られるままに本当の両親を殺し、お前までも手に掛けようとしたその時、少年だったお前に見つめられ……俺とこいつは我に返った」
「あなたの姿を一年前に亡くなった、自分達の子供と重ね合わせたのだと思う。正気を取り戻した私達はあなたを抱え、その場から逃げ去ろうとした。その時にリッチに見つかり、放たれた魔法があなたに当たり、あなたは目が見えなくなってしまったの」
夫婦の語る言葉に少年は黙って耳を傾けている。驚きの余り言葉が届いていないのかもしれないが、今のところは何の反応もない。
「お前は当時のショックで記憶が混乱していて、目も見えないこともあり我々を本当の両親だと思い込んでしまった。そこで俺達は罪滅ぼし……ではないな。自分達が失った子供の代わりにお前を育てることにした」
俺はこの話を事前に聞かされていた。オークの夫婦が俺の前に現れ事情を語った時は本当に驚いたよ。
野蛮なイメージがあるオークだが、それは住む地域によって異なる。人間だって野蛮な奴もいれば、理性的な者もいる。
オークは元々頭のいい種族で知能は人と同じぐらいで、人と変わらぬ生活をして村を作り、大人しく生きている連中もいるのだ。
そんな彼らを操り利用していたリッチが全ての元凶なのだが、そんな事は少年にとって関係ない。自分を育てていた親だと思っていた相手がオークで、実の両親の仇だという真実。
「覚悟はできている。この剣を使って仇をとれ」
オークが腰に携えていた剣を鞘から抜くと、少年の前に放り投げる。
それを黙って拾った少年は剣を大きく振り上げ……湖へ投げ捨てた。
「な、何を⁉」
少年の行動が理解できずに、オークの夫婦が声を荒げる。
剣を手放した手を降ろすと、ゆっくりと夫婦に向かい歩を進める。
「知っていたんだよ。父さん、母さん。二人がオークなのも、実の両親じゃないことも。本当の両親の仇だと……いうことも。僕は目が見えない代わりに『気配察知』のスキルを覚えたんだ。だから、気配の形や感じで誰なのかある程度は分かるんだ」
少年は俺がこの家を訪ねた時に、扉を叩いただけで声を出していないというのに俺だと分かった。両親が扉を開ける前にその存在に気付いた。
それは彼が『気配察知』のスキルを所有していたからだ。このスキルはレベルが低いと僅かな光源が見えるような感覚で、気配からそれが何であるかを察知することはできない。
だがレベルが上がるとその気配はより明確な形となり輪郭が浮かび上がる。更に極めると気配の色が変わり、人か魔物か動物かまで見分けられるようになる。
少年は目が見えない代わりに得た『気配察知』を常に発動させていたので、そのレベルは高い。輪郭と色がハッキリ見えるぐらいに。
「分かった上で、家族を続けてくれていたのか……」
「うん」
「こんな私達を許してくれるというの?」
「うん」
「俺達が憎くはない、のか?」
未だに現状を受け止め切れていないオークの夫婦がそう訊ねると、少年はぽりぽりと頭を掻いている。
「僕はずっと目が見えなかった。だからこそ、見えないものがずっと見えていたんだよ。お父さんとお母さんの優しさも、僕に対する謝罪の気持ちもずっとずっと見えていたんだよ。目が見えない役立たずの僕を大切に育ててくれたのは、……僕のお父さんとお母さんは、……二人なんだよ」
両親の目の前に立った少年が断言すると、家族はきつく抱き合った。
「こんな私達を……親だと言ってくれるのかっ」
「ごめんね、ごめんね」
部外者である俺がこれ以上ここにいるべきではないな。
気配を消して家族から遠ざかっていく。
「万が一の為に『変身』スキルも用意していたのですが、儲けそこないましたね」
彼らは今後も家族として暮らしていくのだろう。
他人からしてみれば、歪な家族に見えるかもしれない。そんな人は目に頼らず、目蓋を閉じてみて欲しい。
そうすれば、瞼の裏に理想的な家族が見えるはずだから。