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日常劇

 太陽は沈み人々の大半が眠りについた街。

 隣で歩く彼女の息遣いが聞こえるほどの静けさに包まれた深夜。

 俺はスーミレと肩を並べて歩いている。


「すみません。こんな遅くに付き合ってもらって」


「いえいえ。お気になさらないでください。この街は他と比べて治安はいい方ですが、深夜に女性が一人で歩くのは危険ですからね」


 恐縮して頭を下げているスーミレの頬がほんのり赤く、嬉しそうに見えるのは気のせいではないだろう。

 彼女が俺に対し好意を抱いてくれているのは理解している。

 こういった誤解されるような態度を取るべきではないと分かっているのだが、商人として人当たりのいい人という印象を崩すわけにもいかない。


「今日は遅くまで仕事がありましたし、その荷物をチェイリさんに届けないといけないのですよね?」


「はい。チェイリさんの所属している劇団の新しい演目が公開間近らしくて、遅くまで芝居があって暫くは劇場に寝泊まりするそうですから。それで、この荷物が寝泊まり用の一式です」


「それを忘れて稽古に行くのが、チェイリさんらしいですね」


 今日は昼で仕事を上がった看板娘は意気揚々と演劇の稽古に向かったのだが、荷物を忘れて行ってしまい、こうやってスーミレと俺が届けることになった。

 深夜に無言で歩いていると妙に意識しかねないので、目的地に着くまでは雑談を楽しむことにしよう。


「女将さんは明日の仕込みがありますからね。私は家に帰るついでだったので」


「チェイリさんなら、着替えがなくても風邪の心配はありませんが、女性に汗で濡れた服のまま寝ろというのも酷な話です」


「ふふっ。『健康』スキルがありますからね」


 以前、病弱なヒロイン役に抜擢され病気を経験したいからと、生まれ持っていた『健康』を彼女から買い取ったのだが、今は彼女の元に戻っている。


「今回の芝居は新たな試みだと聞いたのですが、詳しい話はご存知ですか?」


「歌劇? らしいですよ。劇の最中に音楽が流れて、役者の皆さんが歌ったり踊ったりするそうです。私はそういうのを見たことがないので、ピンときませんでしたが」


「歌劇ですか。西方の国では一般的な演劇の一つですね。音楽と歌と劇が融合したものでして、演じる役者さんは歌唱力も必要となりますので、普通の劇よりも求められる要素が多く、難易度が高いと言われています」


「回収屋さんは物知りですよね。尊敬します!」


 そんな目を輝かせて感動するようなことではないのだが。

 スーミレは何かにつけて俺を持ち上げてくれるが、贔屓目が入っているのは間違いない。


「行商人として各地を渡り歩いていますからね。話題になりそうなネタは積極的に収集するように心がけていますよ。情報はあって損はありません。こうやって、スーミレさんに褒めていただけたりしますから」


 そう言って、優しい笑顔を心がける。

 ボーっと俺の顔を見ていた彼女が慌てて目を逸らした。


「あ、あの、今回の劇のチケットをチェイリさんから貰ったので、その、あの、よかったらご一緒に……」


 勇気を振り絞って言ってくれたのが、声の震えから伝わってくる。

 その気がないならここで突き放す方が男として正しい道だ。……が、彼女が俺に抱いている恋心は、愛情とは少し違う気がする。

 スーミレは母子家庭で育ち、父親の顔を覚えていない。幼い弟と妹がいて、頼られてばかりの人生だった。

 そこに手を差し伸べた俺を……父親や兄のような、頼れる存在と認識したのだろう。それを恋心と勘違いした。

 ならば、俺は頼れる存在として彼女を見守ってあげたい。


「私でよければ、ご一緒させてください。チェイリさんの歌声に興味ありますからね」


「あ、ありがとうざいますっ」


「お礼を言うのはこっちですよ。演劇は一人で見るのは空しいですからね。それに今回の演目は恋愛要素が入っていると、チェイリさんが仰っていました。男一人はさすがに……ね」


「そうですよね。男性一人だと、ちょっと恥ずかしいと思います!」


 早口でまくし立てるように話しているのは、恥ずかしさと喜びを誤魔化す為か。

 純粋に可愛らしい娘さんだとは思う。俺がもう少し……いや、かなり若ければ彼女に恋心を抱いていたかもしれない。それぐらい、魅力的な女性であることは確かだ。

 恋か……。以前、不老不死者であるクヨリに「回収屋の恋愛に対する考察は間違いが多い」と半眼で睨まれながら諭されたことがあった。

 確かに恋愛絡みの依頼は失敗が多い。今回の考察も見当違いなのかもしれないな。

 実はスーミレにその気はなくて、親しい年上の友達という認識だけで、自分が勝手にモテると思い込んでいる可能性だってある。だとしたら、恥ずかしい話だ。

 『心理学』を使えばある程度相手の心は読めるのだが、「男女間の特に自分に対する好意に関して『心理学』を使うのは卑怯だぞ」と、クヨリから釘を刺されている。

 なので、こういう場面で使うのは控えるようになった。


「回収屋さん。私は世の中に疎くて演劇の事はよく分からないのですが、チェイリさんが所属している劇団は有名なのですか?」


「はい。劇団の名を聞いて驚きました。この国で三本の指に入る、有名な劇団ですね。料金は控えめで大衆に受ける劇を好み、貴族よりも庶民に人気があるようです。名前は劇団虚実でしたか」


 結成されて数十年経過している劇団で、演技力と演出面では他の追随を許さないと言われている。

 何年かに一度、団長を含めた主要メンバーが別の国で公演をする期間があり、前回チェイリが主演の作品では主力が抜けていたそうだ。それで彼女が大抜擢されたらしい。


「そうなのですか。やっぱり、凄いなーチェイリさんは。……でも、私は負けません」


 呟き拳を握りしめたスーミレに、「何が?」と聞くほど無粋ではない。


「チェイリさんといえば……歌はどうなのでしょう。スーミレさんはご存知ですか?」


「えっと、その、うーんと、独特だと思います」


 顔を逸らして言葉を濁している。

 その反応だけで十分だ。彼女のスキルに『歌唱』は存在していなかったので、得意ではないと分かっていたが、それどころではないようだ。


「もしかして、ここ数日ですが早朝に聞こえてくる、あの、独創的な歌声はもしや?」


「たぶん、チェイリさんです」


 最近、朝早くに音程の外れた鳥の鳴き声が聞こえるなと思っていたのだが、あれはチェイリだったのか。

 ……歌劇に関してはヒロインの座を射止めることはなさそうだ。役者としての技能はあるので極力歌う場面のない役をもらっているといいが。

 俺に『歌唱』スキルの購入を求めてくるかと少し考えたが、彼女の性格からして自力で何とかしようとするな。

 余程、追い詰められない限りあり得ない。……でも、『歌唱』スキルのレベル確認だけはしておくか。


「回収屋さんは、行商人として色んな場所に行っていますよね……。その、えっと、何処かの街に腰を据えて住もうと、考えたことはないのですか?」


 そんな事を考えていたら、スーミレが問いかけてきた。

 一か所に留まる……か。考えたことがないと言えば嘘になる。だが、今はそのつもりはない。


「以前、お話したことがありますよね。私に姉がいることを」


「はい、あの絵の綺麗な方ですよね」


「ええそうです。私は姉を探しているのですよ。各地を回り情報を集めるだけではなく、回収屋として名を広めれば、いつの日か……姉に会えるのではないかと、微かな希望に縋りついています」


「そうだったのですね。変なことを言ってすみません」


 謝ることではないので、手を振って「気にしないでください」とだけ言っておく。

 当初はむしろ姉の目から逃れるように生活をしていた。十分な力を得てからでなければ、あの人に会う権利はないと信じていたから。

 あれから、あまりにも長い年月が流れてしまったが、未だに姉の影すら捉えていない。

 情報屋のマエキルと眠り姫に依頼を出しているが耳寄りな情報はなく、今も懸命に捜索を続けてくれている。

 姉は野心家であり、自分の欲望の為ならどんな犠牲もいとわない。

 そんな姉の情報が得られないことに恐怖を覚えるが、俺の目が届かない場所で暗躍しているのだろう。あの人はそういう人だ。


「お姉さんに会いたいのですか? って、当たり前ですよね。ごめんなさい」


「たった一人の肉親ですからね、会いたいですよ。その想いのみで、今まで生きてきたようなものですから……」


 会ってどうしたいのか。

 殺したいと思ったこともある。

 話したいと思ったこともある。

 殴りたいと思ったこともある。

 救いたいと思ったこともある。

 ――未だに答えは出ないまま堂々巡りだ。

 きっと、顔を見れば全ての答えが出るのだろう。それが分かっているので、意識して深くは考えないようにしてきた。

 どの選択肢を選ぶにしても、俺には力が必要だ。

 その為に俺は――回収屋になったのだから。


「あっ、そろそろ劇場につきそうですよ!」


 黙り込んでしまった俺を気遣ってくれたのか、弾むような明るい声を出してスーミレが俺の腕を引っ張る。

 話し込んでいるうちに、チェイリが所属している劇団虚実が拠点としている劇場に到着した。

 扉の前に立つ警備員に用件を伝えると、あっさりと奥に通してもらえた。この警備員は何度か宿屋の食堂を利用しているらしく、スーミレの顔も覚えていたようだ。

 舞台へ続く通路を抜け、特殊な素材で作られた防音扉を開け観客席へ移動する。

 舞台の上での稽古は終わったばかりのようで、団長らしき男性が声を張り上げて劇団員に指示を出していた。


「従順なる団員共よっ! 掃除は我らがやっておく! さっさと地下の浴場へとその身を投じ、痛めつけられた筋肉を癒すがいい。体を冷やすでないぞ!」


「はい、団長。失礼します!」


 稽古着の団員たちが一斉に舞台脇へ消えていく。

 残っているのは団長と大道具や小道具の担当、そしてベテランらしき役者が数名。


「あっ、チェイリさーん!」


 スーミレが舞台袖に消えようとしていた彼女の姿を発見して、駆け寄っていく。


「どうしたの、スーミレ? あっ、もしかして荷物持ってきてくれたの! ありがとうー」


「お疲れ様です。お芝居の方はどうですか?」


「演技の方はなんとかなりそうなんだけど、歌のパートが……ね」


 女同士の会話に入り込むのは疲れそうなので、俺は彼女の後は追わずに舞台の正面に移動した。団長に用があったからだ。


「こんなところで、何をしているのですか」


「何者だキサ……回収屋ではないか!」


 上半身をのけ反らして大袈裟に驚いている男に、俺は見覚えがあった。

 額から生えているはずの角はないが、この人は――演劇好きの魔王だ。


「いつから劇団を立ち上げていたのです?」


「あれは、何十年前だったか。二十年に一度しか芝居を見せられないのは、もったいないという部下たちの意見があってな。それに芝居の腕を磨くには実戦を積むべきだと判断した結果、こうなったのだ。こうやって日夜芝居の腕を磨きながら、あの洞窟で使う道具や設備代も稼いでおるのだ」


 なるほど。あの洞窟は二十年に一度しか開かない、という設定になっているので、十九年間は入り口の扉が封印され誰も訪れることがない。留守にしていても何の問題もない……が、まさか街で劇団をやっていたとは。

 道具の片づけと清掃をしている面々を『鑑定』を発動させた目で見つめると、頭の上に『変身』や『変装』のスキルが見えた。人間とほぼ変わらない外見の悪魔は『変装』で。人にはどう足掻いても見えない悪魔は『変身』を使っているのか。

 この劇団のベテラン勢は全て、魔王の配下である悪魔達が化けた姿のようだ。

 勇者に討伐される演劇の為に悪魔達が磨き上げたスキルが、こんなところで活かされているとは。


「国から予算出ていましたよね?」


「あんなもの、衣装を揃えたら残っておらぬ。今の王は特にケチでな、我々がこうやって(みずか)ら資金を集めなければ派手な演出も、凝った道具も用意できぬ有り様だ」


 それは年々、魔王達が細部にまで凝り出して予算が増えていっただけなのでは。と喉元まで出かけたが、その言葉を呑み込む。


「もしかして、この劇団が何年かに一度、別の国で公演をするというのは……」


「うむ、あの国で勇者相手に演じるあれだ。嘘は申しておらぬだろう?」


 確かに嘘ではなく、本当に他国で演じている。

 でもなんだろう、このもやっとした感じは。


「……今回歌劇をするというのは、あの時に私が音楽を流す、と言ったことが原因じゃないですよね?」


「その通りだ。お主の提案を参考にして、この演目が思い浮かんだ」


 その言葉を聞いて苦笑するしかなかった。

 薄い笑みを貼り付けたままチェイリへと視線を向け、『聞き耳』を発動させる。


「歌はほんとおおおおおうに、勘弁してほしいわ。誰よ、団長に歌劇やろうなんて(そそのか)したのは……」


 はい、私です。


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