剣の道を極める
「ただ繰り返すのではなく、一振りに殺気を込め全力で振るえ!」
「はいっ!」
道場に熱のこもった声が響く。
顔に傷を負った壮年の男が声を張り上げ、数十名いる門下生が負けじと大声で返す。
ここは有名な剣術の道場で、俺は邪魔にならないように隅で見学させてもらっていた。
剣聖とまで呼ばれた道場主は剣の実力なら、世界で五本の指に入ると言われていた。現在その五本の指の一本は、代々スキルを受け継ぐあの一族だ。
道場主は四十半ば。剣術の為だけに鍛え上げられた体つきをしている。剣を振るうのに必要のない肉は筋肉であろうとそぎ落とした肉体。
それはまるで研ぎ澄まされた刀身のようだ。
老人と呼ぶには若いが、十分ベテランと言ってよい年齢。それでも衰えることのない気迫漲る男の姿は、若かりし頃を彷彿とさせる。
「そういうところは変わっていませんね」
彼と初めて会ったのは、十歳にも満たない子供だった頃。
スラム街で木の棒を片手に懸命に鍛錬をしていた、ボロボロの服と痩せ細った手足の子供。
皮と骨しかない体とは不釣り合いな、強い意志を感じるギラギラと輝く生命力あふれる瞳。その姿に魅了された俺は、気まぐれで彼に『剣術』スキルを売ったのだ。
出世払いで、必ず返すようにと言い含めて。
売ったと言っても所詮はレベル1。そこから大成するかどうかは彼次第だった。
当時の会話は確か、
「どうして、剣術を覚えたいのですか?」
「誰よりも強くなりたいからだ! 強くなって金儲けしたいのもあるけど、誰よりも強くなったら、俺の名前を聞いただけでみんな降参して戦わなくて済むだろ? 俺が強くなって有名になったら、父ちゃんも母ちゃんも俺を殴ったりしなくなるよな! 本当は剣なんかで暴力で解決するのは間違っているって知ってるんだ。でもよ、一番強くなったら剣なんか持たなくても相手は逃げるから、傷つけないで済むよな!」
過酷な環境と純粋さが混ざり合った結果、導き出された彼なりの答え。子供らしい馬鹿げた発想で矛盾だらけだ。でも俺は彼の今後に賭けてみたくなった
――結果はご覧の通り。先見の明があったというより、彼の執念が想像を遥かに超えていただけだったのだろう。
そんな彼は十年前に戦いの場から身を引き、今は道場主となり後進の教育に力を注いでいる。
彼ほどの実力者であるなら、教えを乞う人々が数千単位で押しかけても不思議ではなかったのだが、現在この道場にいる門下生が全てだ。
数十名……正確には三十七名。
今年新たに加わった生徒は三名。――いや、加わったというのは少し違う。残ったのが三名だった。
こう話すと訓練が厳しく音を上げて辞めていったのかと思われがちだが、そうではない。
多くの入門希望者は初日の内に……入門を取り消すのだ。
「稽古をつけてやろう。新入りの三名、誰からでもいいぞ」
道場主である男がそう切り出すと、新入り三名は顔を見合わせて誰から行くか相談している。三人の中で一番背が高く体格もいい青年が一番手に立候補したようだ。
「師範、お願いします」
腕に覚えがあるようで、堂々とした足取りで道場主の前に進み出た。
剣術家として名を馳せた道場主の前に立つ態度ではないが、彼は気にもしていないようだ。新入りの残り二人も一番手の青年と同じ気持ちなのか、口元に嘲るような笑みが浮かんでいる。
……今年の新人は酷いな。毎年数名はこういった態度の輩はいるが、よりにもよって三人ともそうだとは。今年は外れだ。
例年、道場主を目の当たりにして、入門希望者の多くは失望し蔑む。
ここにいる門下生で、彼らと似たような態度をとった者も少なくない。そんな自分の過去と新入りを重ね合わせて、苦笑している者がちらほらいる。
門下生は全員手を止め、道場主と新入りの戦いを見物するようだ。
新入りは手にした長い木剣を上段に構え、対する道場主は長いシャツの袖をだらりと垂らす。
「遠慮は一切無用だ。本気で打ち込んでこい」
「大怪我しても知りませんよ」
「攻撃が掠りでもしたら、師範代にしてやろう」
「その言葉忘れないでください! はっ!」
短く呼気を吐き、鋭い踏み込みと同時に上段から木剣を振り下ろす。
対する道場主は躱すのではなく、すっと前に進むと、新入りの脇を抜け背後に回った。
体を上下に揺らすことのない、滑るように進む独特の歩法は、彼の鍛え上げられた足の筋肉と日ごろの鍛錬のなせる技だ。
「えっ、消えた⁉」
静止画のように体がぶれず目の前に迫り、その光景を目の当たりにして驚き一瞬目を閉じた瞬間、最速で隣を抜けた道場主を新入りは目で捉えることができなかった。
「こっちだ、未熟者め」
背後から聞こえてきた声に慌てて振りむいた新入りは、今度は突きを放とうと構えたところで――動きが止まった。
気を込めた目で射すくめられた新入りは、全身を小刻みに震わせたまま攻撃に移ることができないでいる。
道場主が「ふんっ!」と、裂ぱくの気合と共に踏み込むと、青年は木剣を横に倒して防御の構えを取った。
道場にいる全員の目に、ざんっ、と青年が木剣ごと真っ二つに脳天から切り裂かれた姿が見えた。
青年は膝から崩れ落ち前のめりに倒れる。
全身から血……以外の汗や尿といった液体を噴き出した新入りは、無傷の状態で白目をむき痙攣していた。
目の前で真っ二つにされたというのに、どこにも傷一つない。
新入りや道場の人々が見たのは――幻影。
道場主の気迫が見せた、ありもしない剣による斬撃だった。
この場にいる誰もが道場主は斬ることが出来ないことを知っていた。だというのに、誰の目にもないはずの剣が見え、上段からの一撃で切り裂かれた新入りの姿を目撃したのだ。
そんなことはあり得ない。誰もが分かっていた。
なぜなら、道場主には――両腕がない。
十年前に姑息な闇討ちに遭い、二十名近くを返り討ちにしたのだが、毒の塗られた刃が両腕を掠め、命の代わりにその両腕を切断した。
それ以来、彼は剣を振るえなくなった。
彼はそれでも剣術を捨てることはなく、門下生に自分の技術を叩き込んだのだ。
剣術家として名を馳せていた彼が道場を開くと聞き、世界各地から多くの希望者が訪れたが、両腕を失った姿を見て失望し……踵を返していった。
結局残ったのは腕のない師範であれば修行も楽だろうと安易な考えを持つ者や、この道場を乗っ取るつもりの腕利き、といった有り様。
それでも彼は心が折れることなく指導を続けた。時折、こうして甘い考えの連中を一対一の稽古で打ち破り、尊敬の眼差しをその身に浴びながら。
彼は指導者としての才能もあったようで、門下生の『剣術』スキルのレベルは一様に高い。
卒業した弟子達の活躍は各地で耳にするようになり、いつしか五大流派の一つに挙げられるようになった。
「よーし、今日はここまでだ! 直ぐに汗を拭き、体を冷やすなよ! 稽古の後は免疫力が落ちて体を壊しやすくなっているからな!」
「はい!」
弟子たちは布で体を拭き、道具の片づけと道場の掃除を始める。
道場主は弟子から渡された布を足の指で受取り、器用に顔と首筋を拭く。足を手のように動かせるのは関節の柔らかさと、血のにじむような努力の賜物だ。
「お見事でした」
「よく来てくれた、回収屋。あんたのおかげで、何とかなっている」
彼の横に並び、優しい目で弟子たちを眺めている道場主の横顔を見て、胸中で安堵のため息を吐く。
十年前、彼が闇討ちに遭い両手を失って間もない時に話したことがあるのだが、当時は憔悴しきっていて、ろくに食事もできない状態だった。
人生の全てを懸けていた剣術。その剣が二度と振れないと知った彼の絶望は計り知れない。
当時の悲観に暮れていた彼は……見ていられなかった。
「笑ってくれ、回収屋。自害しようにも、剣すら持てないこの俺を……。俺のっ! 俺のっ! この三十年は一体なんだったんだっ! 魔物を斬り、敵対する人間も手にかけてきた。夢を追い、戦場で死ぬ覚悟はできていた! 俺は最後まで剣を握り、戦って死ぬ……。そう信じていたんだっ……。俺の求める剣の道はまだ半ばだというのに、何もかもバッサリと斬り落とされちまったよ……。あんたに売って貰った、大切なスキルも、こうなっちまったらもう……」
声を殺して泣く彼の姿を、今もハッキリと覚えている。
我流で腕を磨き、剣術家の頂点が見えかけていた彼は一夜にして剣術家ではなくなった。
このままでは自ら死を選ぶことが目に見えていた。そこで俺は彼に自分の剣術を人に教える道を提案したのだ。
「自分が振るえないのであれば、代わりに託してみてはどうですか? 貴方が道半ばで進めなくなったのであれば、後継者に進んでもらいましょう。貴方の思い描いた理想の道はまだ続いているのですから」
一子相伝でスキルを子供に渡す彼らのように、スキルを譲渡して後を託す方法もあった。だが、それをしてしまったら彼は生きる意味を失う。
ならば、指導者として別の生きがいを見つけて欲しかった。彼にとってそれは屈辱の人生かもしれない。ここで死んでいた方が楽だったのかもしれない。
それでも、俺は彼に死んで欲しくなかった。あの野望と希望を宿した彼の瞳をもう一度見たかった。
だから、今度は『指導』を彼に売ることにしたのだ。
「もう、二度とあきらめたりはしない。道はまだ続いているんだ。今度は足がもがれたら、這いつくばってでも進んでやる。俺に生きる希望を与えてくれたのは回収屋、あんただ。本当に感謝しても感謝しきれない」
人目もはばからず深々と頭を下げるので、門下生達が何事かとこっちを見ている。
「やめてください。全ては貴方の努力の結果。胸を張ってください」
俺が与えた『剣術』も『指導』もレベル1のみ。それをここまでのレベルに上げたのは、全て彼の実力。
『指導』スキルの急成長にも驚かされたが、我が目を疑ったのは彼の『剣術』スキル。
両腕を失う前に『剣術』が高位スキルの『上級剣術』に進化していたのだが、指導者となってから『上級剣術』のスキルレベルが上がっていたのだ。
両腕を失って剣を振るえなくなったというのに、『上級剣術』のレベルが上がる。その事実に驚愕した。
彼の剣術は門下生に託しただけではなく、自分でもまだ歩み続けていたのだ。
「そうだ、うちの流派の名前を決めて欲しいんだ。このまま、無名でもいいんだが、弟子たちがうるさくてな。流派が答えられないのは不便らしい」
唐突にそんなことを言われ、即座に断ろうとしたのだが、光を取り戻した瞳に見つめられると……断ることができなかった。
流派か。五大流派の一つなのに正式名称が決まっていないので、彼の教える剣術は様々な呼ばれ方をしている。
無双流、一閃流、幻影流、と呼び名が定まっていない。
彼の流派として、最もふさわしい名前か。ネーミングセンスには正直自信はないのだが、彼の目を見て思いついた名前が一つあった。
「剣無流……というのはどうですか。剣がなくても戦える、貴方が追い求めた姿」
彼が子供の頃に語ってくれた理想。剣がなくても勝て、相手を傷つけない剣術。
「覚えていてくれたのだな、ガキの頃の話を。……剣無流か。いいな、これからはそう名乗らせてもらう!」
剣を使えない師範が教える剣術。
それは好奇の視線を浴び、冷やかし目的で彼の道場を訪れる者も後を絶たない。
だが彼の戦いを目撃した者は、二度と剣無流を笑うことはなかった。