復活の魔王
選ばれし勇者のみが入ることを許された地下洞窟の奥深くには、巨大な大広間が存在していた。
禍々しい悪魔が彫られた石の柱が並び、床に敷かれている真っ赤なじゅうたんは、扉から真っ直ぐに玉座へと訪問者を導く。
金色の悪趣味な玉座に座るのは、額から一本の角が生えた男だった。
「フーハッハッハッハッハッ! 勇者よ、よくぞここまでたどり着いた!」
色鮮やかな刺繍を施されたマントを肩にかけ、頭蓋骨をあしらった不気味な杖を持った男が哄笑する。
角の生えた男は赤く逆立つ髪に、左目の潰れた強面。子供ならその顔を見ただけで号泣することは間違いない。
「魔王よ! キサマが復活することは永遠にない! この勇者がいる限り!」
青く澄んだ色の全身鎧に、金色の鷹が羽ばたいているデザインの大剣。目鼻立ちがスッキリした美青年が武器を構え意気込んでいる。
その隣には戦士風の壮年。後ろには射手と魔法使い、そして僧侶の女が控えていた。
「我が復活を毎回邪魔しおって……。忌々しい! 二十年の時を経て力を取り戻した我に、人間ごときが敵うと思うなっ!」
魔王の体から黒い霧のようなものが噴出すると、風もないのにマントがはためく。
「人間を甘く見るな! 全身全霊をもって魔王……キサマを封印するっ!」
勇者一行が魔王へと挑み、それを魔王が向かい受ける。
二十年に一度の復活をもくろむ魔王と、復活を阻止する選ばれし勇者との戦いの幕が切って落とされた。
激闘の結末は勇者が最後の力を振り絞り放った、渾身の突きだった。
捨て身の一撃は魔王の胸を貫くと、聖剣が刺さった状態でよろよろと後退する。
それは、紙一重の勝利。どちらが勝ってもおかしくない戦い。
勇者とその仲間達も満身創痍で、立っているのが精一杯という状態だった。
「口惜しい、口惜しいぞっ! 我が我が滅びるというのかああああっ!」
天井に向かい断末魔を上げ、悔しそうに虚空へ手を伸ばす魔王。
勇者たちは勝利を確信して、その顔に思わず笑みが浮かぶ。
「二十年もの歳月が全て無駄に、無意味に、無価値に、無謀に、無常に終わるというのかっ!」
魔王が両腕を広げ、苦悶の表情を浮かべ、勇者たちを忌々しげに見据える。
そのまま力尽き前のめりに倒れそうになるが、ギリギリで踏みとどまった。
「我は魔物たちの為に世界征服をしたかったのだ。虐げられるだけの魔物たちに、この世界の広さを美しさを見せてやりたかった……。このような暗く光の入らぬ地下に我と共に封じられた哀れな魔物たちへ、地上の光景を見せてやりたかった……」
魔王の独白を聞き、勇者たちが神妙な顔になる。
悪の存在と決めつけ、言い分も聞かずに襲い掛かったことを後悔しているのか。
魔王は胸元の聖剣を手で掴むと、一気に引き抜いた。
栓になっていた剣が消えたことで、傷口から血が大量に噴き出し、魔王は今度こそ力尽きたのか大きくのけぞる。
よろよろとおぼつかない足取りで玉座まで戻ると、全身の力が抜け崩れるように腰を下ろす。
「フーハハハハハ! ゲハッグホッ! 我は滅びぬ! 二十年後また会おうではないか愚かな人間どもよ! 我が復活を恐れ怯えながら、偽りの平和を楽しむがいい! グハハハハハハハッ!」
魔王の表面がひび割れ、そこから金色の光があふれ出す。
爆発的に膨れ上がった光が大広間を満たし、勇者一行は思わず目を閉じた。
光りが消えた後には、血に濡れた玉座があるのみで魔王の姿は――ない。
勇者は魔王の消滅を確認すると仲間と共に、大広間の唯一の出入り口である扉を抜け、地上へと戻っていく。
勇者たちが姿を消した、五分後。
「はい、カット! 皆さん、お疲れさまでしたー」
天井にぶら下がっていた無駄に豪華なシャンデリアから降りてきた、監督役の悪魔の声に呼応して、あらゆる場所から悪魔が姿を現す。
柱の一部が開くとそこから、録画録音機能付きの〈大いなる遺物〉を手にした悪魔が出てくる。
「なかなか、いい映像が撮れましたよ」
「後で見直しつつ、反省会だな」
壁の一部が前に倒れると、その裏に悪魔が数十体控えていた。
「張りぼての柱も壁もバレませんでしたね」
「そりゃ、この日の為に絵の腕を上げていたからな。そう簡単に見抜かれてたまるかってんだ」
「予算も年々少なくなっていますからね。削れるところは削らないと」
大広間の柱も壁も悪魔や魔物が作ったセットで、テキパキと回収作業が始まっている。
物の数分で大広間は、殺風景な巨大な空洞と化した。
「二階で雑魚役の最中に危うく死にかけたぜ」
「自分より弱い魔物を演じるのって苦労するよな。避けるタイミングって結構難しくてよ。分身体は何体かやられたよ」
互いの苦労を語っているのは、この洞窟の途中で何度も勇者の前に立ちはだかる雑魚役を兼任している、『変身』や『分裂』スキルを持つ悪魔たちだった。
「ふぃー、疲れた疲れた。カツラは思ったより蒸すのだな。この化粧も取っておくか」
唯一残っていた玉座には、滅んだはずの魔王がいつの間にか現れている。
大きく息を吐くと赤髪のウイッグを外し、左目の傷跡の特殊メイクを剥がす。
化粧跡が気持ち悪かったようで、メイド姿の悪魔に渡された濡れた布で顔をぬぐっている。
「どうだ、迫真の演技だったであろう」
「はい、魔王様。芝居は素晴らしかったのですが、……最後が少しくどかったかもしれません。もう少し簡潔な方が心に響く気がしますね」
「ふむ。無念さを全力で表現して見たのだが、少々やりすぎであったか」
監督役の悪魔と魔王はさっきの芝居についての意見を交わしている。
魔王の服は血に汚れ、聖剣の刺さった跡も服に開いたままだが自身には傷一つないようだ。
「皆さん、お疲れさまでした。差し入れです」
そんな魔王達の前に俺は進み出ると、いつものように大量の差し入れを取り出す。
勇者たちとの激闘――の芝居を観戦させてもらったお礼も兼ねている。
「いつもすまんな、回収屋。今回の芝居はどうであった?」
「そうですね、二十年前より立ち回りも洗練されていて、滅ぶ際の演出も凝っていましたね。芝居だと知っているのに見入ってしまいましたよ」
「そうか、そうか。分かっておるな、回収屋」
満足そうな笑みを浮かべ魔王が膝を叩いて喜んでいる。
彼らは二十年に一度、大掛かりな魔王復活の芝居を行っている魔物達だ。
魔王は本物の悪魔であり、ここにいる二十名の悪魔は忠実なる僕である。
大昔は本当に世界征服をもくろんでいた大悪魔なのだが、封印されて、復活して、また封印されるを繰り返しているうちに、そんな野望は消え去ってしまった。
いっそ倒されてしまえば楽だったのだが、彼は『強固』『超回復』『復活』といった強力なスキルがあり、この国の人々では滅ぼすことができなかった。
それに封印の仕方を知られてしまったことで、人々は初めから滅ぼすのではなく封印が目的となり、復活したら速攻で封印される、の繰り返し。
それもさっきのような劇的な戦いの結果ではない。
封印が切れる日が正確に分かっているので、切れる前に復活場所に大掛かりな魔法陣を描き、復活すると同時に封印を張られるだけの作業と化していた。
魔王としてはたまったものではない。毎回、封印が解けると同時に再度封印され、再び無為な二十年が流れる。
その間、一切動けないのだが意識はあるので、当初は人間に対する怒りが蓄積されていたのだが、百年以上も繰り返されると心が折れてしまった。
俺が何度目かの封印の儀に参加していたとき、魔王と呼ばれている悪魔は人々にこう切り出したのだ。
「人間に危害は加えぬ。だから、我を解放してくれまいか。信用できぬのであれば、『契約』を結ぼうではないか。悪魔の契約は絶対だ」
封印担当の魔法使いたちは聞く耳を持たなかったのだが、俺は魔王の申し出に興味を持ち、スキルを活用して彼らを説得して、魔王と『契約』を結んだ。
……となっているが、実は俺が封印の儀に参加したのには別の理由があった。
封印には〈大いなる遺物〉を使用していたのだが、実は壊れかけていて封印が失敗する恐れがあり、保険として俺が参加していたのだ。
俺の力を知っていた王から密命を受け、「いざという時は魔王を倒して欲しい」と頼まれていた。
魔王と戦うという選択肢もあったのだが、相手のスキルを見て確実に勝てる自信がなかったので、相手の提案に乗ることにした。……その方が自分の利益になるという考えも若干あったのは認める。
そのときに交わした契約内容は、人間に危害を与えない。その一点のみだ。
これでこの国の脅威は去ったのだが、契約の際に魔王は妙なことを言いだした。
「我は一度でいいから、魔王らしく戦いたいのだ! 何もできず、毎回毎回、封印されるだけ……。 一度ぐらい、魔王らしく宣言をして勇者と戦いたい! 分かるか? この世界に無理やり呼び出され、命令に従わないと分かれば問答無用で封印されてきたのだぞ。自分達の都合で身勝手に呼び出した挙句、魔王呼ばわりしおって……。ならば、一度ぐらい魔王らしく振る舞いたいではないか!」
熱く語る魔王の気迫に負け、俺はある提案をしてみた。
二十年に一度、国内から選出された勇者と戦い、魔王として封印させられる芝居をすることを。
ここは強国に囲まれた弱小国なのだが、代々魔王を封印してきた功績が認められ国の存続を許されているような立場だった。
なので、魔王の封印が必要ないと分かると他国から侵略される可能性が高まる。こうして封印を続けることが、他国への外交材料となっていたのだ。
そこで俺の考えたシナリオはこうだ。
二十年に一度、魔王の封印が解け、国内で選ばれし勇者一行が魔王の討伐に出る。勇者が手にする聖剣は魔王を封じる唯一の手段。――という設定。
勇者の仲間は隣国から選ばれた者とすることで、魔王封印の儀式が本物であることが他国にも伝わり、更に共同で魔王討伐に当たることで他国との関係も深まると考えた。
俺の思惑通りに事は運んだのだが、それだけにとどまらず思わぬ追加効果が発生した。国中で勇者を目標とする若者が増え、武芸が盛んになり、優秀な人材が多く生まれたのだ。
今では小国でありながら人材の宝庫と呼ばれ、他国と対等に渡り合えるようになった。これは嬉しい誤算だった。
……まあ、嬉しくない誤算もあったのだが。
相手に芝居がバレないように、俺が『演技』『指導』のスキルを活用して芝居を叩き込むと、魔王が――芝居の面白さに目覚めてしまったのだ。
それからというもの、魔界から召喚した悪魔と一緒に日夜稽古に明け暮れ、二十年に一度の封印の儀という大舞台の為に芝居の腕を磨いていた。
その結果がこの有り様だ。
ちなみにこの真実を知っているのは、この国では国王と一握りの権力者のみで、国民は本気で魔王の復活を阻止していると信じている。
「もう少し、死に際の演出を派手にできぬだろうか」
「んー、出血をあれ以上やると、話せること自体が怪しく思われてしまいそうで。派手さを求めるなら、倒れた際に爆発入れます?」
「そうですね、爆裂系の魔法を放ち、煙を発生させるのもありかも」
「二階層辺りで一度姿を見せて、圧倒的な力を見せつけるというのはどうだろうか」
魔王と監督担当悪魔と演出担当悪魔が、熱い議論を交わしている。
悪魔たちは魔王の従順な僕なのだが、演劇に関しては無礼講という命令をされているので、簡単に自分の意見を曲げたりはしない。
「最後の戦いを盛り上げる方法はないだろうか。画期的で心を揺さぶるような演出をしたいのだが」
「勇者一行が挑む際に魔王様が回復魔法をかけて、「全力で足掻いてみよ!」というのはどうでしょう?」
「おおっ、悪くないぞ! だが、それでは足りぬな……。回収屋なにか案はないか?」
傍観者に徹していたというのに急に話を振られ、俺は深く考えずに思ったことを口にしていた。
「音楽を流すというのはどうですか?」
盛り上がるシーンで演奏が入るというのは、芝居ではありがちな手段。
だけど、本当の戦闘中に音楽が流れるなんてあり得ない。我ながらバカなことを口にした。
「うむ、悪くないぞ!」
「そうですね。タキシードを着た骸骨に演奏させるというのはどうでしょうか。魔王に連れ去られた演奏者が、死んでからもアンデッドとして働かされているという設定で」
「そうなると、音楽の練習も必要となるのか」
あっ、意外と乗り気だ。
この人達……悪魔達は芝居に関しては貪欲だな。
「回収屋よ、音楽関連のスキルを売ってもらえぬか?」
魔王の頼みを断る理由はない。
人々の脅威になるようなスキルであれば売る気はないが、音楽関連なら悪い事には使えないだろう。
「それは構いませんが、タダでは無理ですよ?」
「分かっておる。我やそやつらから、いつものように『呪い』『拷問』『誘惑』といった、必要のないスキルを買い取ってくれ。その代金を音楽スキルの買い取りに回す」
魔王は演劇に関するスキルなら迷わず購入する。そして、その際に自分達の演劇に必要のないスキルを簡単に手放すのだ。
……俺は魔王達の戦力を地道に削っていることになる。なんだろう、この複雑な感情は。
「食べ終えたのであれば、さっきの芝居を見直し、通しでもう一度やるぞ!」
「おーーっ!」
差し入れを食べ終えた魔王と悪魔達は二十年後に向けて、今から稽古を始めるようだ。
悪魔とは人を誘惑して、悪行に手を染めさせ魂を汚し、人を堕落させるという迷信がある。
本当は悪魔が誘惑するのではなく、人が悪魔を呼ぶのだ。自分の欲望を満たすために悪魔を召喚して、契約を結ぶ。
今の魔王達の状況は、二十年ごとに契約を更新する劇団といった立ち位置だよな。
人々の勇者になりたいという欲を満たすために、芝居をする悪魔達。
悪魔としての立ち位置としては間違っていないのかもしれない。
「では、勇者が門を開けたシーンから始めるぞ! 三、二、一、始めっ!」
カンッと拍子木の鳴る音が響き、魔王達が勇者との芝居を復習している。そんな悪魔達を眺めていると、さっきの迷信が頭をよぎった。
堕落。――堕落とは道を踏み外し、身を持ちくずすことを指す。
悪魔としてのあるべき道を踏み外し、スキルを売ってでも芝居に没頭している。そんな悪魔達にこそ、
「堕落という言葉が相応しいのかもしれませんね」
そう呟きながらも悪魔達の微笑ましい光景に、思わず頬が緩んでいた。