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終わりのない人生

 獣道と大差ない道を歩いている。

 鬱蒼(うっそう)と生い茂る山道を延々と歩き続けた先に、古ぼけた屋敷が見えてきた。

 二メートル近い塀に囲まれた屋敷は至る所に補修の後があり、一目見て年代物だと分かる。

 太陽が頂点にやってくる昼時以外は光の差さない場所に建てられているので、まだ夕方前だというのに薄暗く、屋敷の古さと相まってアンデッドでも徘徊していそうな雰囲気を(かも)し出している。

 街外れの辺ぴな場所に建てられているので、近づく者は殆どいない。稀にやって来るのは俺か、肝試し気分でやって来る街の若者ぐらいだろう。

 錆が浮かび朽ち果てる寸前の門を押すと、開くと同時に蝶番が役目を終え地面へと転がる。どうやら門にとどめを刺してしまったようだ。


「後で門を作り直しますか」


 この程度の補修なら『建築』や『鍛冶』スキルを使えば容易い。

 門を抜けると綺麗に刈られた芝生が広がり、花も等間隔で植えられている。

 〈大いなる遺物〉である永遠に灯りが消えることのない照明器具が至る所に設置されているので、ここは塀の外に比べてかなり明るい。

 外とは別世界のようだ。

 何も知らなければ美しい庭園なのだが目を凝らすと、芝生や花、花壇の至る所に血の跡が見える。

 肝試しに来た連中の大半はここでビビって帰ることになるのだが、俺は見慣れたものなので怖気づくこともない。

 屋敷の扉の前に立ち、大きく息を吸い込む。


「クヨリさん、回収屋です! お邪魔しても構いませんかー!」


 大声を張り上げてから十秒ほど待つと、扉の向こうから派手な音が連続して響いてきた。おそらく階段を転げ落ちたのだろう。

 相手の返事はなかったが、あれが合図のようなものなので俺は木製の分厚い扉を押し開いた。

 扉の向こうには大理石の床が敷き詰められたホールがあり、二階へと続く階段が二本設置されている。

 階段と階段の間には拳を振り上げた等身大の女神像があり、堂々とその存在を主張していた。

 その突き上げた拳の上に乗っかっているのは、背中が曲がってはいけない方向に折れている――依頼人だった。

 穴の空いた古ぼけたドレス姿の女は顔色が悪く、口から血が垂れ流されている。常人なら激痛に顔を歪ませるか、痛みに耐えきれず涙を流すものなのだが無表情だ。

 ビクンビクンと痙攣して重症に見えるが、俺は特に慌てることなく彼女の元へと歩み寄る。


「また階段から足を踏み外したのですか。今日の出迎えはいつもより過激ですね」


 普通なら返事もできない状況なのだが、歪な格好のままクヨリは口元だけニヤリと笑う。


「うむ、死なぬとなると注意がおろそかになってしまうのだよ。不死故の欠点だ」


 俺は彼女を持ち上げて床の上にそっと置くと、折れ曲がっていた腰がまっすぐに伸び皮膚から飛び出していた骨や、千切れていた筋肉が修復していく。

 いつ見ても異様な光景だな。

 数秒で傷が完治して、すくっと立つ姿はいつもの彼女だ。

 年のころは二十半ばに見えるが、最低でも千年は生きている不老不死。それが彼女、クヨリだ。


「相変わらず『不死』のスキルは凄まじいですね」


「うむ。今日も我を死なせてはくれぬようだ。また服が破れたか」


「見た目は悪くないのですから、もう少し服装に気を付けてはどうです?」


 何年、いや何十年着古したか分からない黒のドレスは至る所が破れ、修繕の跡もあるのだが追いついていない。


「死なぬことが分かっておると、防衛本能が薄れてしまい注意力が散漫になってしまうのだよ。通常なら死ぬ怪我もこのように元に戻る。良い服を着たところで直ぐにほつれ、破れてしまうのがオチだ。それに服を見せる相手もおらぬからな」


「こうやって、たまに私が来るでしょう。一応、女性なのですからもう少し身だしなみを」


 背負い袋を降ろし、中からブラシを取り出すと寝ぐせを放置したままの髪を()いていく。

 金色の長く美しい髪をしているというのにもったいない。


「すまんな、いつもいつも」


「それは言わない約束ですよ。古い服は庭で燃やしますから、私が買ってきた服を着るように。分かりましたね」


 いつものやり取りをしながら、髪の手入れは終了した。

 彼女が老女の姿をしていたら完全に老人介護なのだが、見た目が若いので違和感がある。

 日常品と衣類を彼女の部屋に運びタンスに勝手に収納していく。女性用の下着もあるのだが今更照れることもない。

 彼女も止めることも照れることもなくボーっと俺を見守っているだけだ。

 自分のことに関しては無頓着なくせに、趣味が掃除なので屋敷は清潔に保たれ、庭の手入れも行き届いている。


「ところで今日は何回死にました?」


「今日はまだ三回だ」


「庭でもやらかしたでしょう。血が飛び散っていましたよ」


「庭の木を斧で切ろうとして、間違えて自分の首をはねた。あと、窓を外から拭こうとして梯子をかけたら後ろに倒れて、運悪く岩があって頭をぶつけた」


「……どこをどうやったら、そんな器用なことが……」


 庭園にあった血の跡は全て彼女の物だ。死なないことが分かっていると人は体を守ろうとする意思が薄れてしまうようで、注意力が散漫になってしまうらしい。

 ゾンビやスケルトン等のアンデットを見ていれば分かるのだが、死を恐れないものは自分の身を顧みず突撃を繰り返して防御を無視する。――それは生きている不老不死にも当てはまるようだ。

 おまけに彼女は痛みを感じない体。自分の身をおろそかにするのも分からなくはない。

 大きく息を吐き、『鑑定』を発動させて彼女の頭の上を見る。

 そこには赤い文字で『不老』『不死』『怪力』『掃除』『痛覚麻痺』等、かなりの数のスキルが並んでいた。長年使い込んでいるだけあってレベルの高さは桁違いだ。

 ただ、『不死』のレベルだけは1のままで、これは初めて会った頃から変わりない。

 『不死』はオンリースキルであり、オンリースキルは何故かレベルが上がることがないのだ。俺の『売買』もレベル1で固定されている。


「オンリースキルってなんなのでしょうね」


「さてな。長年生きている間に、そのような研究もしていたが、その記憶も日々のどうでもいい記憶に埋もれてしまった。我の記憶容量は満杯だったからな」


 人の記憶力には限界があり、千年もの時を過ごした彼女は記憶に空きがない。

 例えるなら限界まで器に水を注ぎ、新たに記憶と言う名の水を注ぐと、その際に新たな水は殆ど零れてしまう。そして同時に元から器に入っていた水も少し溢れ出てしまうのだ。

 つまり、新たな記憶は殆ど覚えられず過去の記憶も失われていく。

 初めて会った時はもう新たなことを覚える余地がなく、その記憶は一時間も持たなかった。

 買い取り交渉している最中に話の内容を忘れるので、とんでもなく苦労したことを今も覚えている。


「だが、回収屋から売ってもらった『忘却』のスキルのおかげで、なんとか日々を過ごせている。感謝するぞ」


「そのスキルは買い取りの要望が多いので、レベルにも余裕がありますからね」


 そんな彼女に売ったスキル『忘却』は多くの人が後天的に覚えるスキルだ。

 このスキルを会得する条件は当人が忘れたいと強く願うこと。


 酷い境遇で過去を忘れたい。

 自分の過ちから目を逸らし、なかったことにしたい。

 年老い、迫りくる死から逃れるために自ら記憶を放棄して子供の様に生きたい。


 現実から逃げたいと強く願った時に得られるスキル。それが『忘却』だ。

 特に年老いた者に多く発生するスキルなので、物忘れが激しくなり私生活に悪影響を与え困り果てた老人が買い取りを希望することが多い。

 売ったところで『忘却』を直ぐにまた覚えてしまう人が大半だとしても……。

 この『忘却』は不要なスキルとして有名なのだが、レベルが高ければ意識して発動することが可能になり、自分の消したい記憶を選べるようになる。――ということは知られていないのだ。

 それを利用してクヨリは必要のない記憶を消し、日常生活を問題なく行えるようになった。


「回収屋よ、いつものを頼んでいいか?」


「構いませんが、期待しないでくださいね」


 定期的に訪れては毎回行っていること。それは、彼女の『不死』を買い取ることだ。

 いつものように彼女の前に立ち『売買』を発動させる。意識を集中してみるが、変化は何もない。


「やはり、オンリースキルは買い取れませんね」


「そうか……」


 彼女は生き疲れている。初めて会った時はアンデッドと見間違えてしまうほどの精気のない目をしていた。

 『忘却』を売ってからは以前と比べて活動的になり、無駄に空回りをして死なない事故死を繰り返しているようだが。

 オンリースキルは買い取れない。これは紛れもない事実だ。

 実際、以前会った『死に戻り』を保有しているリプレからも買い取りを要望されたのだが、買い取ることは不可能だった。

 それ以外にもオンリースキルを何度か買い取ろうとしたことがあったのだが、ことごとく失敗している。レアスキルは買い取れるというのに、この違いは何なのか……。


「我は永遠に生き続けなければならぬ定めか……」


「諦めるのは早いですよ。少なくとも私は諦めていません。この『売買』がレベル2に上がれば、あるいは」


「だが、そんな前例は聞いたこともない」


「確かに。ですが、私は決して妥協しませんよ。スキルの後ろにレベル1の数字があるというのであれば、それが2になる可能性はあるはずです。可能性があるというのに諦めてしまっては……彼に笑われてしまいますからね」


 無能者でありながらスキルを求め続けた彼の姿を思い出し、無意識のうちに口元に笑みを浮かべていた。

 この程度の努力で結論付ける訳にはいかない。

 俺が買い取りを頻繁に行っているのは、金儲けとスキル集めの為だけではなく『売買』のレベル上げも考慮してのことだった。

 クヨリもそうなのだが、リプレと知り合って『売買』のレベル上げを更に熱心にやるようになった自分を自覚している。

 リプレが俺に買い取りを求めた時の事を、俺は鮮明に覚えている。思いつめた顔で彼女は、こう語ったのだ。


「回収屋さん。私は病気や老衰で死んだ場合どうなるのでしょうか……。死ぬ一日前に戻って、また同じ苦しみを味わい、蘇るのが分かった状態で死に続けるのでしょうか。私は永遠に死を繰り返すだけの状態に……。耐えられるのでしょうか……」


 『不死』も『死に戻り』も他人が聞けば羨ましがるスキルかもしれない。だが、そこには落とし穴がある。所有している者だけが知る葛藤。

 世界でたった一つの前例のないスキルだからこその恐怖。将来どうなるかは、その時になってみなければ分からないのだ。

 クヨリの時間は無限に近いぐらい残されている。俺も彼女と同じ時を過ごし続けることは可能だろう。だが、リプレは違う。

 非常手段として『若作り』や『長寿』を売って生きながらえさせることは可能だ。しかし、それもいずれは限界が訪れる。それにこの歪な生き方が正しいとは思えない。

 リプレには人として一生を終えてもらいたい。俺やクヨリのように歪な生を得てほしくないのだ。

 長く生きているからこそ知るこの苦悩。知らない方がいいに決まっている。


「レベル2か……。そんな日が来るのだろうか」


「ええ、必ずレベルを上げてみせますよ」


「そうか、なら期待させてもらうとするか。だがもし、買い取れる日が来なければ、どうするのだ?」


 俯き気味にそう呟く声には、いつにも増して覇気がなかった。

 ずっと孤独と戦ってきた彼女は不安なのだろうな。その問いに対する答えは決まっている。


「そうですね。あなたの『不死』を買い取れる日まで、私も共に永遠にも近い日々を過ごしますよ。それでどうでしょうか?」


 一人は寂しいもんな。顔見知りが死んでいく中、ずっと変わらずにいてくれるクヨリの存在がどれだけ励みになったか。

 彼女もきっと同じ気持ちだと信じている。良き友人として共に終わらない人生を歩むのも悪くない。

 俺の返事に満足してくれたのか、地面を見つめていた顔が俺に向けられると、頬を赤く染めた彼女がいた。珍しく感情が表に出ている。


「そうか、うん、そうか。それなら不死も悪くない。永遠にずっと回収屋が傍にいてくれるなら……嬉しい」


 そう呟いた彼女はハッとした表情になると、慌てて俺に背を向ける。

 彼女の照れる姿はかなり貴重なので、俺が調子に乗って「よく聞こえなかったので、もう一度お願いできますか?」と声をかけると、振り返らずにこう答えた。


「二度と言わない。死ぬほど恥ずかしいのだぞ」


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