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欲望のゆくへ

 白で統一された壁と床。室内には長い椅子が整然と並んでいる。

 正面には巨大な神像があり、後ろのステンドクラスには神話の一場面が描かれている。

 闇の神と聖なる神との争いだったか。両方女神で創造神である男の神を奪い合って、ガチの殺し合いをした結果、一度世界は滅びた……らしい。

 この世界は神の喧嘩や古代文明の暴走で滅びたりと、酷い歴史を歩んでいるな。――それが全て本当であればの話だが。

 教会の独特な空気が正直苦手だ。今日はこの教会の神父に呼ばれて来たのだが……。俺はここの連中に毛嫌いされている。

 神から与えられた才能を売り買いしていたら、そりゃ目も付けられるだろう。

 だというのに神父が俺を内密に呼び寄せたのだ。人の目を気にして、深夜にこっそりとだが。


「夜分遅くに申し訳ありません」


 奥の扉から現れたのは白い祭服を着込み、白髪交じりの髪を後方へ撫でつけた髪型をした、壮年の男性だった。

 穏やかな笑みを(たた)えているのは、いかにも神父といった感じなのだが、その体つきが神父とは思えない。

 祭服を下から押し上げている鍛え上げられた筋肉。魔物退治を生業としている聖騎士団出身や元冒険者なのかもしれない。


「いえいえ、お気になさらず。商人は基本的に夜遅いものですので」


「そう言っていただけると、助かります。今日、お呼びだてしたのは個人的なお願いでして」


 宗教家お得意の無駄に長い前振りもなく本題を切り出してきたか。

 よほど切羽詰まった要件なのかもしれないな。表面上は笑顔を貼り付けているが、『心理学』が(つら)の下の焦りを暴いている。

 しかし、お堅いことで有名な宗派の神父が何の用なのやら。買い取り以外は思いつかないが、ここは神から与えられたスキルは負のスキルであっても受け入れ、乗り越えなければならない。とか教義になかったか?

 俺を頼るとは思えないのだが。


「このようなことを頼むのは心苦しいのですが、どうぞご内密に願います」


「他言無用は商人の基本です。特に私の商売は人に話せない内容が多いですので」


「その言葉、信じさせてもらいますね」


 神父が胸を撫で下ろし、安堵の表情を浮かべている。

 宗教家は面の皮が厚い輩が多いのだが、この人は誠実な人間のようだ。『心理学』に嘘の反応がない。


「それでですね……。その、あの、それがですね……。なんと申せばいいのか、そのあれでして……」


 ここで言い淀むか。さっきまでは堂々とした態度だったのだが、急に落ち着きがなくなり挙動不審になっている。

 このままではらちが明かないので、無断で『鑑定』させてもらうことにした。

 ざっと見たところ特に妙なスキル……あるな。それも二つ異様にスキルレベルが高いのがあるぞ。

 一つは『理性』でレベルが20を超えている。誠実な聖職者らしいと言えばそうなのだが、ここまで高い人は初めて見たかもしれない。

 そして、それよりも気になるスキルがある。


 そのスキルの名は――『性欲』それもレベルが『理性』とほぼ同じだ。

 実は『性欲』を所有している人は少なくない。特に金持ちや権力者に多く、力や金が有り余ると性的欲求が増える傾向にあるようだ。

 でも、まさかこの真面目そうな聖職者が……。

 『性欲』などの欲望に関する負のスキルは、誰もが後天的に目覚める可能性があるので、あまり問題視されていない。他にも『食欲』『睡眠欲』等が有名だろう。

 『性欲』は英雄色を好むという言葉もあるように、歴史に名を残す偉人達の中にも所有していた者は多い。一般的な認識としては「お前、性欲持っているんだって。このスケベが」ぐらいの軽いノリですむ。


 低レベルなら男として問題ないのだが、レベルが20を超えているのは相当だぞ。常時、頭はエロい妄想や欲望で埋まっているはずだ。

 あんなに『性欲』が高いと普通は性犯罪者か、金に物を言わせ女を大量に囲ったりしているのだが、この神父は『理性』のスキルで強引に抑え込んでいるのか。

 男として尊敬に値する人だ。


「それでですね。その、なんと言いますか」


 こういうところは男らしくないと思うが、聖職者として言い出せないよな。ここは俺から切り出そう。


「失礼だとは思いますが、もしや、スキルの買い取りでしょうか?」


「な、何故それを!」


 驚いてのけ反ってくれるのはいいのだが、冷静さを完全に失っているようだ。

 回収屋を呼んでおいて他に何の要件があるというのか。


「どのようなスキルでも買い取らせていただきますよ。もちろん、内密に」


 ここで『鑑定』を使って事前に知っていることは明かさない。相手のプライドもあるだろうし、教会の人間に使ったとなると後で問題になりかねない。


「私も腹を括りました。回収屋様、私のスキルを買い取っていただきたいのですよ。その、あのですね、性欲のスキルを!」


 いつも教会で信徒に熱弁を振るっているのだろう、凄まじい声量だ。

 未だに神父の声が教会内に響いている。


「はい、性欲のスキルですね。こういう依頼は多いので慣れたものですよ。所有者がとても多いスキルですからね」


 別に珍しい依頼ではないことを強調しておく。

 その方が円滑に話が進むだろうから。


「そうなのですね。情けないことなのですが、神に仕える者でありながら、日に日に欲望が増す一方でこのままでは……過ちを犯しかねない。それを危惧していたところ、回収屋様の話を耳にしまして」


 これだけレベルが高ければ本当に毎日の誘惑が酷かったはずだ。

 頭が性的欲求で埋まった状態で、よくも今まで耐えきったものだ。お疲れ様です。

 それにしても気になるのが、なんでこんなにも『性欲』スキルが上昇しているのか。日常から性欲を揺さぶられるような状況なら理解もできる。だが、教会の神父なんてしていたら、お祈りに来る人ぐらいしか接点がないような?


「これで一安心です。この街へ赴任するまでは、ここまでスキルの影響は受けていなかったのですよ。ここに来てからというもの、神が私を試しているかのように毎日毎日、私の心を乱す出来事がっ。もう、あの誘惑に悩むことは無くなるのですね……。男としての本能が消えてしまうような寂しさはありますが、私は神に仕える者。煩悩は必要ないのです、ええ」


 納得しているようにも聞こえるが、自分を無理に説得しているのだろうな。

 自分の中から『性欲』が消えるというのは、本能の一つが消える怖さがある。もちろん、スキルが消えるだけで本来の性欲は残る。

 でも、今と比べれば、それこそ聖人のように性に対する興味は激減するだろう。

 ……あれっ、ちょっと待てよ。ここに来てから『性欲』が増大したと話していたが、今スキルを失っても元凶を取り除かなければ、『性欲』が復活する可能性だってある。

 この神父をそこまで悩ます原因を知りたいという好奇心はあるが、そこまで踏み込んでいいものなのだろうか。

 そんなことを悩みながらも『売買』を実行するために神父へと近づく。


「神父様ぁ、このようなところでぇ、深夜に何をされているのですかぁ?」


 神父が出てきたのとは別の扉から一人の女性が現れた。

 間延びした話し方をするこの人は、ここの修道士かな。

 長い髪を背中へと流した女性。深夜だというのに裾が大きな頭巾を被り、修道服を着込んでいる。

 地味目の色合いなのだが、この人の着ている修道服変じゃないか?

 本来、修道服というのはゆったりしたサイズで、体の凹凸が分からないように配慮されているのだが、なんでピッタリサイズ……むしろ、小さめなんだ。


 スタイルがいいから修道服の上から下着が透けて見えているぞ。おまけに腰辺りから足元まで修道服が裂けていて、切込みの激しいスリットのようになっている。

 垂れ目気味で開いているかどうか怪しい細い目に、泣きぼくろ。厚く赤い唇、じんわり汗ばみ乱れた呼吸。

 そして壁際の仄かな灯りに照らされる姿は、とても煽情(せんじょう)的で無意識のうちに唾を呑み込んでいた。


「はぁ……。シスター、この方は旧知の友です。商人をされていて、何かと忙しくこのような時間でなければ会えなかったのですよ」


「そうでしたかぁ。トイレに行こうと廊下を歩いているとぉ、何やら話し声がしたのでぇ、慌てて駆けてきたのですがぁ、ほっといたしましたわぁ」


 その際にどこかで修道服を引っかけたのか。

 神父の『理性』の高さと『性欲』のレベルが上がった理由が判明した。原因はこの人で間違いない。なんだ、このエロの塊は。

 相手が聖職者で修道服というのが背徳感を刺激するのか。

 恥ずかし気に頬を染めて破れた箇所を隠そうとする度に、服を内側から押し上げている尻と胸がゆらゆらと揺れる。その姿が妙に興奮して……。

 ちょっと待て、いくらなんでもおかしい。確かに魅力的ではあるが俺の心がここまで揺さぶられるのはあり得ない。

 常時、『精神異常耐性』を発動させている俺が性的欲求を普通に抱くわけがない。

 ……これは『鑑定』だな。


 頭上に浮かぶスキルを見て、全てに納得がいった。

 『色気』『煽情』『魅了』が揃っていて、かなりレベルが高い。ついでに『鈍感』もあるな。

 この人、職業選択を間違えてないか。夜の商売をしていたら、今頃億万長者も夢じゃないだろうに。

 男を魅了して精気を吸い取る、美しい女性の姿をした夢魔サキュバスという悪魔がいるのだが、それに匹敵するスキルの充実とレベルの高さ。

 神父はこのエロの濁流に毎日呑み込まれないように、耐え忍んでいたのか……。


「神父様、ご苦労されていたのですね」


「分かっていただけましたかっ」


 男として神父の苦悩を痛いほど感じ、すっと手を差し出す。神父は大きく一度頷き、涙目で握り返してきた。

 ほんと、よく今まで耐えてこれたものだ。

 原因がハッキリしたところで、彼女のスキルも買い取れるといいのだが。そうしないと、神父は再び『性欲』に目覚める。これは断言してもいい。

 それに、シスターのスキルは欲しがる女性が多い。商売としてもなんとか成立させたいところだ。


「ではぁ、私は失礼しますぅ。お邪魔しましたぁ」


 深々とお辞儀をした際に、修道服が限界に達したのかスリット状態になっていた箇所の裂け目が広がり、脇の下辺りまで肌が露出している。

 そして、当人は気づかないと。『鈍感』スキルは組み合わせによってはこんなにも凶悪になるのか。


「これを着てください」


 祭服は三枚重ねになっているので、神父は一番上を脱いでシスターに羽織らせた。視線を彼女に向けないように努力しながら。

 ……早くなんとかしてあげないと。


「ところで、シスター。私はしがない商人なのですが、御必要な物はございませんか? 魔道具も取り扱っていますので、何か困り事を回避する道具があるかもしれませんよ」


「あらあらぁ、商人さんでしたのねぇ。必要な物、困り事ですかぁ。修道士になるまではぁ、変態に追い回されたりぃ、痴漢されたりぃ、罵りながら頭を踏んでくださいぃ、と頼まれたことはありましたがぁ」


 そのスキルがあれば、そうなるのは必然だ。

 神父のように耐えられる人の方が稀なのだから。普通なら自分の欲望を抑えられなくなり、そういった行動をとってしまうだろう。


「ですがぁ、修道士となりここでぇ、住まわせてもらえるようになってからはぁ、日々が幸せでぇ、悩みもありませんよぉ」


 手を合わせ神に感謝の祈りを捧げているが、信者の皆さんと神父さんが耐えているだけだと思う。礼拝に行くと必ずこの人がいるのか……。信者の方々の信仰が試されるな。


「ちなみに、彼女が来てから、男性の信者が多く訪れるようになりました」


 こそっと神父が耳打ちした。

 男性信者の気持ちは分からなくもない。俺も若い頃だったら頻繁に通っていた可能性がある。


「失礼だとは承知していますが、シスターは自分のスキルを調べた経験はありますか?」


「それはもちろんですわぁ。両親も敬虔な信者でしてぇ、幼い頃に受けた結果を両親にぃ、教えてもらいましたぁ。恥ずかしいのですがぁ、『鈍感』があるようでしてぇ、いずれ克服できることをー、願っていますぅ」


 確かに『鈍感』も、ある。

 両親が気を使って他のスキルは伝えなかったのか。負のスキルや印象の悪いスキルは大人になるまで、両親が秘匿するのは決して珍しいことではない。

 こうなると厄介だな。本人が知らないのにスキルを教えていいものだろうか。実は自分のスキルを理解していて、人々を誘惑している悪女という可能性もないとは言えない。


「あいたっ。申し訳ありませんー」


 祭服の裾を踏みつけ豪快に転んで、シスターがお尻を晒している。

 これが計算でやっているなら役者になれるぞ。チェイリに紹介したいぐらいだ。

 神父は『鑑定』が使えるはずだから、もしかして彼女のスキルを把握しているのか?


「……神父様。彼女のスキルはご存知ですか?」


「……はい。承知しております」


 シスターに聞こえないように小声で言葉を交わしているのだが、俺達の会話には興味がないようで、微笑みながら佇んでいるだけだ。

 彼女に背を向けて少し距離を取る。


「シスターのスキルを取り除かなければ、いずれ『性欲』が復活しかねませんが」


「やはり、そうですか。彼女は自分のスキルを把握しておりません。性格からして、真実を告げると衝撃を受けそうでして」


 自分のエロさを自覚しているなら話は楽なのだが、人のよさそうなシスターだから、どうしたらいいのか。

 二人で顔を見合わせて、「うーん」と唸ってしまった。


「あっ、そうでしたぁ。神父様ぁ、急で申し訳ありませんがぁ、一週間後に二日お休みいただいてもぉ、大丈夫でしょうかぁ?」


 考え込んでいると、不意にシスターが神父にそんなことを言い出した。


「はい、特に行事もありませんので問題ありませんよ。何かご用でも?」


「私の友人がぁ、近日中にこの街を訪れるのですがぁ、その時にぃ、『鑑定』を使わせて欲しいとぉ、頼まれたのですよぉ。以前からスキルはあったのですがぁ、人のスキルを見ることは叶わずぅ、ずっと修行をしていたそうですぅ。それが一か月ほど前にぃ、初めてぇ、鑑定に成功したらしくぅ、私に試させて欲しいとぉ」


「そうですか。ご友人は努力されたのですね。……鑑定ですか?」


「はいー、鑑定ですぅ」


 今、神父さんのこめかみからつーっと、汗が滑り落ちたのを見逃さなかった。表情を変えていないのは立派だが。

 それって、彼女の友人がスキルをバラす可能性があるってことだよな。これは……俺達が黙っていても、遅いか早いかの差ではないのか。

 チラッと神父を横目で確認すると、俺と同じことを考えてはいるようだが、それでも一歩を踏み出せないでいるようだ。

 最悪の展開を考えてしまうが、彼女の友人が気を使って黙ってくれるかもしれない。


「友人はとても明るいのですがぁ、おしゃべりでぇ、口が軽いのが玉に(きず)でしてぇ。友人たちはぁ、彼女に言いふらされるのが嫌でぇ、断ったのですよぉ。私はぁ、『鈍感』は既に教えてありますしぃ、知られて困るスキルはぁ、ありませんのでぇ、安心してやってもらえますぅ」


 これは……ダメだ。問題しかないぞ。

 今のやり取りで確信した。シスターはスキルの自覚がない。

 そして神父の頬を追加で三本の汗が滑り落ちている。


「新しいスキルに目覚めているかもしれませんよ?」


「そうなったら嬉しいですわぁ。でもぉ、負のスキルだと困りますぅ。神の僕としてぇ、相応しくないぃ、恥ずかしいスキルが増えてたらぁ、信徒として恥ずかしくてぇ、死んでしまうかもしれませんー」


 そこまで聞くと神父と一緒に半回転して、シスターに背を向けて彼女から離れる。


「どうします? 私は今のうちに明かして、私がスキルを買った方がいいと思うのですが」


「それが最善だとは思うのですが、彼女は敬虔なる信者ですからね。今までは自覚してなかったので、助かっている場面が多かったのですが……。周囲の性的な欲望が、自分のスキルが生み出したものだと知ってしまったら、大袈裟ではなく自ら死を選びかねません」


 シスターを見ていると忘れそうになるが、この宗教は結婚するまで処女であること、貞淑を貫く事が教義にある。離婚や浮気なんてもってのほかで、性知識すら毛嫌いしている。

 普通に切り出したらショックで倒れかねない。


「ここは、私にお任せください。その結果、お願いが増えるかもしれませんが大丈夫でしょうか?」


「はい。慈善事業ではありませんので、それなりの金額はいただきますが」


「冒険者時代の蓄えがありますから、その点はご安心ください」


 やはり、元冒険者だったか。この体格なので予想はついていたが。回収屋である自分に対しても当たりが柔らかかったことにも説明がつく。

 任せろと言うのなら、お手並み拝見させてもらうとしよう。


「シスター落ち着いて聞いて欲しいことがあります」


「なんでしょうかぁ、神父様ぁ」


 笑みを消してシスターの正面に立った神父は、相手の肩にゆっくりと優しく手を添えた。

 何を勘違いしているのか、頬を染めて神父を見つめているな。


「実はあなたにはご両親が秘密にされていたスキルが存在します。私にも他言無用でお願いしますと頼まれていました」


「あらぁ、そうなのですかぁ。びっくりですわぁ」


 頬に手を当てて驚いているようなのだが、話し方のせいで緊張感が皆無だ。


「そのスキルとは……『色気』『煽情』『魅了』です」


「あらそうなのですかぁ。……えっ?」


 糸のように細い目が大きく見開かれた。

 度肝を抜かれたようで大口を開けて硬直している。


「落ち着いて聞いてください。そのようなスキルを所有していたことで、嫌な思いも多くされたことでしょう。スキルは自分で選ぶことはできません。ですから、あなたが気に病むことはありません」


「で、で、ですが、神父様。教義では性的欲求を抑え、誠実なる人生を……」


「そうですね。確かに誠実に生きろと神は仰っています。スキルとは神が与えた才能。性を意識させるスキルを与えられたあなたは……。人よりも幸運だったのですよ」


 幸運? まさか、そんな言葉が飛び出てくるとは思わなかった。

 考えがあっての発言なのだろうが、ここからどう説得するつもりなんだ。


「幸運……。そんな訳がありません! こんな、人の道に外れたスキルを私はっ!」


 かなり動揺して興奮しているのか、間延びした話し方はどこかへ吹き飛んでしまっている。


「落ち着いてください。いいですか、これは神の与えた試練なのです。そのスキルを乗り越え、信徒として大きく成長する機会をお与えくださったのです」 


「そんなの、信じられませんっ! 神父様はこのような穢れたスキルがないから、言えるのですっ!」

「いえ、私もあなたに隠していたスキルがあるのですよ。『性欲』です」


 穏やかに優しく語る神父の口から、そんな言葉が出てきたことに虚を突かれたようで、呆けた顔をしている。

 だが、ハッと我に返ると口を結んでキッと神父を睨む。


「性欲は誰しもが得ることがあるスキルではないですか。私とは違います! 違うのですっ!」


 その程度では心の乱れを収めることはできない。

 錯乱状態に近い彼女を説得するには、言葉に重みが足りない。この程度の話術なら俺が話した方が……。


「教団に所属しているのであればご存知ですよね。スキルにはレベルという概念(がいねん)が存在していることを。これは一部の優秀な方にしか見えぬ数値です。私もまだ未熟でレベルを見ることができません」


「そ、それがなにか」


「スキルレベルは5もあるとかなり影響が強く出ます。それはご存知ですよね」


「はい、それは……」


「私は『性欲』のスキルがレベル20を超えています」


 シスターの体がビクンッと縦に大きく揺れた。見開かれた瞳には怯えの色が見える。

 そこまで『性欲』が高い人が尊敬する人物だった。今までの動揺も吹き飛ぶ衝撃だったのだろう。


「そんな私に触れられて怖いですか?」


「そ、そんなことは……それに、神父様なら」


 最後の呟きは小さすぎて、俺にしか聞き取れなかったようだ。

 シスターがその気なら、別に誘惑に負けてもいい気がするが……黙っておこう。


「いいのですよ、それが正直な反応です。私はこの欲望を理性でなんとか制御してきました。これを封じ乗り越えることが、神の与えた試練だと信じて。まだ、その道の途中ではありますが、いつしか自力で乗り越えるつもりでいます」


「神父……様」


「あなたの道のりは険しく辛いものになるでしょう。ですが、私と共に乗り越えてみませんか? 試練の先に何があるのかを見てみたくはありませんか? 共に歩み到達できれば、こんなにも嬉しいことはありません」


「神父様……。私が間違っていました。共に苦難を乗り越えられるなら、これほど嬉しいことがあるでしょうか!」


 肩に置かれた手に自らの手を重ね、頬を染め濡れた瞳で神父をじっと見つめ返す。

 神像の前で見つめ合う、神父とシスター。

 絵画に描かれそうなワンシーンなのだが、シスターからあふれ出す魅力に呑み込まれそうになっている神父の背中が、汗でじっとり濡れている。

 これで生真面目な神父は自分の言葉に責任を持つために、『性欲』スキルを俺に売ることは止めるだろう。そして、彼女の魅力に抗いながら日々を過ごすことになる。

 必死に耐える神父の頭の上で『性欲』と『理性』の数値が増えるのを見て、信じてもいない神に今日ばかりは祈る気になった。


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