婚約者に裏切られた私は熊より強くなりました

作者: 秋雨ルウ(レビューしてた人)

なんとなくストーリーが頭に思い浮かんだので文章にしてみました。

基本ROM専なので、書くのはこれっきりです。

「…アンリ。俺、絶対立派になって、お金持ちになって帰ってくるよ。だから…俺を信じて待っててくれ。」


 この何も無い村で一緒に育ってきた幼馴染は、そう言って私を強く抱き締めてから…馬車へと乗り込んだ。行かないでと言いたかったけど、泣きすぎて喉が引きつり声が出なかった。

「私も…待っ…てる…から…!」

 それでも絞り出すように言えば、彼は小さく笑って手を振り返してくれた。

 走り出す馬車が村の出口を通り過ぎていく。森の木々に隠れて彼の空色の髪も見えなくなった。それでも私は手を振り続けた。彼が帰ってきますように、祈りを込めて。


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 気がつけば彼女の茜色の髪が見えなくなった。


 ――おれ、アンリがすきだ!おとなになったらけっこんしよう!

 ――…っ!うれしい!わたしもエドとけっこんしたい!


 あの頃は村の中が全てだった。アンリと一緒に村の端から端まで走っただけで、世界を一周したような気がしていた。

 でも、村の中での生活は楽ではなかった。狩りに行けない子供も、大人に混じって畑の土をいじる。獣の血抜きを手伝うこともあった。村には文字通り畑と風車、あとは魔獣を引き取る冒険者ギルドの出張所と小さな食堂があるくらいで、娯楽もない。

 村の猟師より稼ぐためには、王都の本ギルドに所属して、冒険者として出世するのが一番近道だった。アンリとの豊かな結婚生活と、何よりウェディングドレスを贈るためにも金は必要だ。


 ――エド。私、エドがいればいいの。お金だって二人で稼げば良い。お願いだから無理しないで。


 優しいアンリと、いずれ生まれるだろう子供たちにこれ以上苦労をさせたくない。

 待っていてくれ、アンリ。

 必ず立派になって帰るから。


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 彼がいない生活は予想していたよりも寂しく、辛いものだった。いつも隣には彼がいた。寝ぼけた朝に、いないはずの彼のお弁当を作ってしまうこともあった。いない人のお弁当を自分で食べた時は、本当に胸が痛んで、味なんてわからなかった。


 そんなある日、忙しいはずの彼からの手紙が届いた。手紙に製紙が使われていることに驚いた。製紙は主に医者が薬を調合する際に使うが、手紙に使うのは一部の貴族くらいで、普通は獣皮紙や麻布を使う。彼が貴重なお金を捻出して気持ちを届けてくれたことが嬉しかった。

 震える手で手紙を開くと、そこには連絡が遅くなったことに対する謝罪と、ギルド歴代最速でCランクになったこと、今は生活にも余裕が出てきて充実した毎日を送っていること、そして…早く村に帰って私と結婚したいという希望が書かれていた。


「うん…うんっ…待ってるっ!ずっと待ってるから…!」


 幼い日のあどけないプロポーズを思い出して胸が熱くなった。涙でインクが滲んだことに気付いて慌てて目元を袖で拭う。


 生活が安定してきたという話は本当らしく、彼からの手紙は一回で4,5枚ほど送られてきた。私も少ないお金を工面して手紙を書いて送った。けれど彼の手紙に返す形で、一回に一枚が限界だった。当然、獣皮紙に木炭で書いた粗末なものだ。彼がお金持ちになりたい気持ちが、少しだけわかった気がして…彼に対する申し訳ない気持ちと、彼と少しだけ同じ気持ちになれたみたいで嬉しかった。


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 彼と村の門で別れてから一年が経った。


「ねえあなた、あの話は聞きまして?」

 最近この村にというか、私の家によく立ち寄る彼女――ジュリアと言う冒険者らしい――は、何故か得意げに話しかけてきた。


『いやあああ!底なし沼!臭い底なし沼ですわあああ!!父上!!母上!!誰かあああ!!』

 以前、村の肥溜めに落ちて号泣していたところを助け、湯浴みをさせてあげた時から友達になった子だ。例によって作り過ぎていた2人分のシチューを分けてあげたら、『まるで聖女様ですわ!!こんなに暖かいシチューは初めてですわ!!』と泣き笑いを浮かべて平らげたのをよく覚えている。


 没落した貴族の末娘だったと自称する彼女は、格好こそ冒険者だったが確かにどこか品があった。ちなみに花も恥じらうBランクらしいが、冒険者に詳しくない私にはその強さも、花が恥じらう意味もよくわからない。


「カールおじさんが結婚してたって話?」

「あのちゃらんぽらん様が既婚者!?…て、そうじゃなくて!伝説の魔王が復活して、同時に伝説の勇者が再び現れたという話ですわ!」


 やや興奮した様子で語る彼女だが、実は少し前にエドからの手紙で知っていた。

 伝説の勇者は、両親に似ていない顔立ちと髪色を持ち、剣聖に匹敵する剣の冴えと、魔道士に並び立つ魔法を操ったと言う。勇者の再来とは、つまりそういう人なのだろう。

 そしてその手紙には、エドが魔王討伐のための勇者パーティーに選ばれた事が誇らしげに書かれていたのだ。危ないことはやめてと手紙を返したが、既に旅に出ていた彼には届かず、返送されてしまった。

 自分でも気付かないうちに不安とストレスが溜まっていたのか、まだ知り合ってそれほど経ってないはずの彼女に思わず愚痴ってしまった。


「エドって、剣豪のエドかしら?…あなたすごい恋人がいますのね。彼なら大丈夫よ。史上最速のAランクの実力は本物でしてよ。きっと生きて帰ってきますわ」

 いきなり愚痴りだした私に、彼女は嫌な顔一つせずに聞き、むしろ励ましてくれた。その目には気品と寛容さが溢れていて、冒険者の格好に似つかわしくない。

 彼女の優しさが胸にしみて、思わず涙が滲んだ。


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 彼が村を出て2年が経った。村はすっかり春めいて、花の香りで満ちている。


 一週間に一度だった手紙が、二週間に一度になった。そして、それが一ヶ月に一度来るか来ないかになったのは、去年の冬に差し掛かる頃だった。

 5枚だった手紙は今では1,2枚ほどになり、紙も獣皮紙になっていた。やはり、旅をしながら手紙を書くのは大変なのだろう。無駄と知りつつ、手紙の送り元に返送の手紙を添えて送る。

 そして案の定、数週間後には未達の印とともに戻ってきた。長い時は、返送だけで一か月かかった。


 その時間差がどうしようもなく不安で、彼の手紙が来ないのもあって、いっそ自分で向かってしまおうかとも思った。だけどそれはジュリアによって止められた。

「よしなさい、アンリ。それだけ彼が激戦地で戦っているということですわ。危険な地域ほど、郵便物を届けるのに時間がかかりますから。素人が向かったところで、死ぬだけですわ。」

 彼女のいつになく厳しい口調に、何も言えなくなった。だがその通りだった。戦う力を持たない私は、ここで待つしかない。それが最善だ。

「配達員の方には、届けようとしてくれているだけでも感謝しないといけませんわね。」

 今度、郵便配達係の職員さんに、何かお礼の品を渡さなくてはならないな。


 届くかもわからない手紙だったが、送らずにはいられなかった。

 旅が落ち着くまで無理をしないでほしいこと、去年知り合った友達がとても親切でエドにも紹介したいこと、そして生きて帰ってきてほしいと、精一杯の気持ちを込めて書いた手紙だった。


「うん、いいんじゃないかしら?誤字もありませんし、きれいな文ですわよ」

「ありがとう、ジュリア!じゃあ、ギルドの受付に預けてくるね」

「…あなたも大変律儀ですわね。彼は幸せ者だわ。」


 ジュリアは今もよく私に付き合ってくれる。拠点がこの近くにあるらしく、毎日ではないが頻繁に会ってくれた。時間が合えば一緒に食事をすることもあった。きれいな文字の書き方も彼女が教えてくれた。ただそんな彼女も、あの肥溜めの近くには絶対に近寄らなかった。

 その日々がどれほど私を支えてくれたことかわからない。

 同時に、真実彼女が元貴族で、それもかなり高度な教育を受けていたことは自然と理解できた。目の前の彼女は油滴る熱いボア肉にかぶりついて悲鳴をあげているけれど。



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 彼が村を出て3年が経つ。彼からの手紙は、まだ来ていない。

「自分から始めた文通でしょうに、途中でやめるなんて不誠実な方ですこと」

 と漏らすジュリアを最初は咎めていたが、夏になり、秋になっても何も連絡がないとなると、流石に不安になってきていた。


 そして何も届かないまま冬になった。

 雪が降りしきる中、冒険者ギルド出張所に郵便が来ていないか尋ねる。もうすっかり私の日課になっていた。


「アンリさん、エドさんから荷物が来てるよ。手紙では無いみたいだけどね」


(無事だったのね…!!)

 一年以上ぶりの連絡に心臓が跳ねた。

 包まれていた麻布をそっと開くと、そこにはシオンと呼ばれる花のプリザーブドフラワーが包まれていた。村を出て4年、初めて贈られた美しい押し花を見て涙が止まらなかった。

「嬉しい…!嬉しいよぉ…!エド…!会いたいよ!エドぉ!」

 出張所の玄関で泣きながらうずくまる私を、職員さんは微笑ましく見守ってくれていた。何故かジュリアだけが花を見て顔を強張らせていたけども、この時の私は気付いていなかった。


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 翌年の春。


 手紙は来ないけれど、美しい姿を保つ押し花を撫でているといつまでも待てる気がした。花を通じて彼と一緒に暮らせているような気がして、寂しい中でも幸せだった。


 なんと冒険者に過ぎないはずのジュリアには、遠方からの縁談がいくつも来ていたらしい。没落したとはいえ元貴族なりに人脈があるので、それを狙ってるのだろうと語る彼女の顔は完全に大人だった。

「安心なさい。私は親友が幸せになるのを見届けるまでは誰とも添い遂げませんわ」

 それはありがたいけど縁談を断る理由にはなってなくて、同時に私が原因みたいですごく申し訳ない気分にもなった。


「私のために結婚を遅らせてるなら、気にしなくて良いんだよ?私だって彼といつ結婚できるかなんてわからないんだし…先に結婚しても気にしないったら。ジュリアの幸せだって、私の幸せだよ。」

「私は引く手数多だから構いませんの。呼んでもいないのに勝手に集まってくる連中なんて待たせておけばいいのですわ。」

 と手をひらひら振ってみせた。その自信の大きさに思わず鼻白む。

 同時に、彼女と親友になれた自分がひどく幸福だとも思えた。少なくとも彼女と過ごす間は寂しくなかった。


「ねえ、どうしてここまでしてくれるの?」

「アンリだけでしたから。汚れるのも気にしないで手を伸ばしてくれたのも、泣いてる私を抱き締めてくれたのも。あの時は護衛も散開してましたし…。」

「護衛?」

「…いえ、仲間ですわ。いけませんわね、まだ貴族だった頃の癖が抜けてませんの。とにかく、私はあなたを誰よりも一番に感じてる。実のところ大した理由なんて、ありませんのよ。」

 そういえば、彼女が言う仲間に私は一度でも会っただろうか?



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 彼を待つ日々が終わるのは唐突だった。


 日が高くなった頃に家に届いた号外紙。新聞と呼ばれるそれは製紙に印刷を施した高級品で、本来なら貴族の読み物だ。それが平民の家に直接届いたということは、平民であっても知らなければならない大事件か、朗報があったことにほかならない。そこには2つの朗報が載っていた。


 一つは勇者様が魔王を討伐せしめ、第一王女と結婚し準王族として迎え入れられたこと。王位継承権は持たないが、王族にほぼ等しい権限があるらしい。


 もう一つは…勇者の右腕である剣聖エドが、パーティー内の聖女と結婚したことだった。二人が勇者夫妻の横で抱き合って深くキスをしている写真も載っていた。


「……え?」


 はじめはなにがかかれているのかよくわからなかった。ううん、かいてあることはわかる。けど、けんせいエドってだれだろう?

 あ、エドげんきかな。そういえばきすしてるおとこのひと、エドににてるきがする…。


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 どれくらい時間が経ってたんだろう。

 呆然と号外紙を眺める中、家のドアが激しい音を立てて開いた。

「アンリ!!大丈夫ですの!?……アンリ!?」

 ジュリアのこえだった。

「じゅりあ。」

 こんにちは。いいてんきだね。


 いつもどおり笑ったはずなのに、彼女は眉間に深いシワを刻んで涙を浮かべていた。そしてそのまま私に全身でぶつかってくるものだから、思わず背中から倒れてしまった。何故か彼女はわんわん泣いていた。ああ、また肥溜めに落ちちゃったのかな。かわいいなぁ。だいすき。


「許さない…!あの男!絶対に許しませんわ!アンリ!!今は泣いていいの!!いっぱいいっぱい怒って泣きなさいな!!私も…!私も一緒に泣いてさしあげますから…!!だから…!!」


 おもしろいかお。


「その笑顔をやめなさいッ!!!」


 きれいなおつきさま。


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 あの人が村を出て5年。私は18歳になっていた。

 私は義父に倣って猟師になった。初めは色々失敗も多く義父によく怒られたものだが、今では村唯一の若手猟師としてそれなりに重宝されている。

 村の猟師は皆年寄りになってしまっていたし、魔王が討伐された後になってもなお凶暴化している魔獣相手に、捕獲から後処理まで一人でこなせる私はちょっとした重要人物だ。


 あの号外紙を目にした日、村で待つだけのアンリは死んだんだと思う。


『馬鹿みたい…なんで期待してたんだろうね。待ってるだけで剣聖様と結婚できるわけないのに。』

『あなたは…悪くありませんわ…!だってあなたは彼と…彼を…!』

『私も…』

『アンリ…?』

『私も強くなる。一人でも生きていけるように…誰かを待たなくても生きていけるように。ジュリア。あなたのように。』


 それからはがむしゃらに狩猟を習った。義父は初め息子の結婚に衝撃を受けて、私に対して何度も頭を下げてくれたけども、猟師になることには反対した。猟師の平均寿命は短く、魔獣に食われて終わる未来が殆どだからだ。

 それでも義父は、精一杯私に狩猟のノウハウを教えてくれた。罠の張り方、魔獣の見つけ方、逃げ方、そして仕留め方。時々、ジュリアも剣と弓の使い方を教えてくれた。それは義父が教えるのとはまた違う、美しい型の存在する戦い方だった。魔法も教わってみたかったが、「素人が教えるのは危険ですわ。それにあなたにはたぶん必要ありませんわよ。」と断られてしまった。


 夜明け前に出発して昨晩仕掛けた罠を確認し、明るい時間に狩猟を行い、また暗くなる前に罠を張って帰り、家にいる間は道具の手入れをする。ジュリアがいるときは「必ず役に立つから」と貴族の礼儀作法を教わった。それを休みなく毎日繰り返した。


「アンリさん、やっぱりギルドに魔獣討伐専属で所属しませんか?正式加入した方が手当ても増えますよ。」

「ありがとうございます。でも私には分不相応ですよ。魔法も使えませんし。」

 そう言うと、馴染みの職員さんは困ったような小さい笑みを浮かべた。

「魔法を使わずに一人で熊を討伐できる人が相応しくないなら、だれも専門家にはなれませんよ。」

 何度も納品を繰り返すうちにこうして正式加入を打診されるようになったが、いつもお断りしている。ギルドはあの人との距離が近すぎる。


 魔王討伐後も魔獣が凶暴化する中、今までと変わらない平和と秩序を維持している村は珍しく、かの剣聖の加護があるのではとここはちょっとした名物になっている。そのおかげか村人も増えていた。


 森で仕留めたソルジャーボア2頭を冒険者ギルド出張所に預け、村唯一の食堂に向かう。報酬の殆どは2週間も食堂に通えば使い切れちゃう額だけど、元々村からあまり出る気がない私にはそれで十分事足りた。私が仕留めたものが食堂の特別メニューになることもあって、それがお金以上に誇らしかった。それに週に2匹も仕留めれば貯金もできた。


「ねぇアンリ、あの噂は聞きまして?」

 兎肉のソテーを頬張っていた私の横に、親友が座った。猟師になってからは彼女の討伐依頼を手伝ったりもする。

 戦い方を覚えてからわかったことだが、彼女の実力はかなりのものだった。ビッグブルベアーは狩猟に慣れた私でも罠をいくつも使わないと狩れないのに、彼女は熊の猛攻を軽やかに躱し、長剣で脳を刺突するだけで倒してしまう。おまけにかく乱のための炎魔法も使ってみせていた。Bランクって皆こんなに強いの?


「どの噂のこと?カールおじさんに隠し子がいたって話?かわいい男の子らしいね」

「あのちゃらんぽらん様は何をしてらっしゃるの!?て、そっちじゃなくて!あんたの元恋人の話ですわ!」

 あまりに切れのいいツッコミに思わず苦笑してしまう。


「聞いてるよ、もちろん。」

 フォークに刺した兎肉をクルクル回す。たまにはソードラビットを狩ってみても良いかもしれない。この肉は柔らかくてシチューにしても美味い。


「聖女様と帰省してくるんだってね。」

「なんでそんな平然としてますの?私、あの男の無神経さに腸が煮えくり返りそうですわ!約束も守らずに浮気して、結婚しておいて!よく帰省しようだなんて思えましたわね!!」


 全くその通りだ。第一、聖女様と結婚できたということは同時に相応の爵位を得たということであり、魔王討伐の報奨だとすると騎士爵では収まらないはず。そんな貴族様が、何故今更こんな村への帰省を考えたんだろう。王都の方がよほど清潔で安全だろうに。


「理由もふざけてますわよ!『私と聖女の間に生まれた子供を両親に一番に見せてあげたい』。キリッ。って、どの口が言いますの!?あの男の両親といえば、アンリの義両親でしょう!!聖女の両親宅に行けばよろしいでしょうに!!」


 全く似ていないあの人のモノマネに笑いつつ、まぁまぁどぉどぉと宥めるのは私にしかできない役目だ。だがその点は流石に彼らにも言い分があるだろう。


「仕方ないよ。聖女様の両親は既に亡くなられているんだから。」

「なら墓に入ってから産めばいいのですわ。」

 あんまりと言えばあんまりだが、咎める気は起きない。聖女に恨みは無いが、彼の子供は見たくもない。


「多分だけど、彼の狙いは私…というより、私に送った手紙だよね。」

「両方、という可能性が高いですわ」

「と言うと?」

「つまり証拠を消しつつ、あなたも消すのですわ。その方が確実ですもの。」

 彼はそんなことするはずないとは、否定できなかった。

 魔王討伐の英雄となり、聖女と結婚して子供を授かった今、過去の話とはいえ平民の小娘に求婚した証拠は貴族社会では致命傷となりうるスキャンダルだ。

 下級貴族が相手なら慰謝料という名の口止め料と和解で済ませられるかもしれない。しかし名もなき村の平民が相手ならば、いっそ秘密裏に消してしまった方が簡単だろう。平民が一人減ったところで、すぐ増えるのだから。

 ジュリアから習った社会感覚は、確実に私を毒していた。そして彼に対する信頼も、あの日の夜に置いてきていた。


「彼がやらなくても…英雄を担ぎ上げたい誰かならやりかねないか。」

「アンリ…」

「ねぇ…私、まだ死にたくないわ。彼のために死ぬなんて御免よ。」

「ええ、ええ、もちろんわかってますわ。彼が何を望もうと、あなたに指一本触れさせるものですか。」

 力強く頷くジュリアが、誰よりも心強かった。彼女が男だったなら、結婚していたかもしれない。

「必ずあなたを守って差し上げますわ、親友。」

「頼りにしてるよ、親友。」

 あの日を思い出して、少しだけ、親友の顔が滲んだ。


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「ようこそいらっしゃいました、剣聖様!おかえりなさいませ!」

「ただいまもどりました、村長。ご無沙汰しております。」


 村の門で村長が剣聖様と聖女様を出迎えている。村を出るまではよく彼に拳骨をかましていたものだが、随分な掌返しだ。

 一方、遠くから眺めていた私は剣聖様とお腹の大きい聖女様を見ても、特に何も感慨を覚えなかった。このまま適当に産んで帰ってくれれば良いのにと、面倒ごとを嫌う平民そのものの心境で眺めていた。実際、それが一番良い結果になる。


 しかし完全に背景になっていたはずだが、剣聖様の視力は誤魔化せなかったらしい。茜色の髪など珍しくもないのに、よく即座に見つけたものだ。

「アンリ!」

 ひと目で私を見つけると、巧みに馬を操作して私の元までやってきた。村人たちは道を開けつつ、好奇の目で私と剣聖様を交互に見ている。


 剣聖様が馬を止めて、私に笑顔を向けてきた。平民が相手なので馬からは下りないということか。


「ご無沙汰しております、剣聖様」

 平服のまま見事なカーテシーをする私に、彼はひどく驚いたようだった。許可なく頭を上げれば不敬に当たるため、目線は合わせない。ジュリアが数年をかけて教えてくれた作法は、狩猟で疲労困憊の中で習得したものだ。このカーテシーは地震が起きても崩れない自信がある。


「あ、ああ…元気だったか?」

「はい、剣聖様が勇者様や聖女様と共に魔王を討伐してくださったおかげです。」

 そしてあなたが裏切ってくれたから戦う力も手に入りました、

「え…ア、アンリ。どうして敬語なんだ?私と君との仲じゃないか。昔みたいに話そう。積もる話もあるのだ。」

 …馬上から貴族そのものの態度で話しかけていながら、何を言っているのだろう。

 こんな人だったろうかと内心首を捻る。


「平民である私がご貴族様にお声をおかけするだけでも恐れ多く、不敬にも当たります故に、言葉遣いについては平にご容赦願います。まして剣聖様は聖女様と結婚し、王族に近しい立場になられたものと存じ上げます。お声を頂くだけでも恐縮の極みにございます。」

 彼はどういうわけか、ひどく傷付いた表情を浮かべていた。平民が貴族にタメ口を利けるはずがないのに。

 だがこの言葉に動揺したのは、むしろ村人達だった。剣聖様は正確には王族ではない為、村の出世頭としての歓待でも大きな問題はない。だが、その違いを村人たちは理解できなかった。


 溢れんばかりの拍手や歓声が一気に止み、村を静寂が支配した。中には膝と手を付き頭を下げる人まで現れ始め、混乱が広がっている。王族と許可なく目線を合わせた平民は、それだけで反逆の恐れありとして首が飛びかねない。


「み、皆、やめてくれ!俺はここの生まれなんだ!不敬罪になど問わない!頭を上げてくれ!アンリもだ!」

 泣くように叫ぶ彼を見て、一部の村人達も姿勢を戻したものの、どうしたものかと周囲を見回していた。私もカーテシーは解いたが、目線は合わせない。合わせろとも言われていない。


 場を収めようと切り出したのは村長だった。

「け、剣聖様!聖女様も身重の中、長旅でお疲れでしょう。まずは、私の館でお休みになられてはいかがでしょう。あそこが村で一番広い屋敷にございます。ご帰還を祝い、ささやかですが宴もご用意しておりますので、是非とも!」


「……ああ、わかった。案内を頼む。アンリ、後で話そう」


 そう言って、必要のない案内を村長にさせた彼は、村長を馬上から見下ろしながら村長宅へ向かった。ひどく小さく見える背中だった。聖女も私を見て心配そうにしつつ、大きく膨らんだお腹を擦っていた。それが私をどこまでも惨めにした。


「さよなら、エド。」

 話すことなど私には無かった。

 そして私に対し元婚約者として振る舞った以上、私が彼にとって最大のスキャンダルの種になったことが確定した。

 最早一刻の猶予もない。


 すぐさま廃屋の中で彼女と合流する。

「ジュリア…!」

「ええ、見てましたわ。あの馬鹿は見事に堂々と話しかけてきましたわね。それが何を意味するのか分かってないのかしら……わかっていないのでしょうね。いいわ、私も覚悟を決めましょう。あの男の自慰に命を賭けて付き合う義理はありませんわ。」



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 あの人について、私達はいくつかのパターンを想定していた。


 1つ目は、私を探さない、または見つけても無視するか気付かないこと。

 2つ目は、二人きりのタイミングを狙って話しかけてくること。

 3つ目が、幼馴染として昔と同じ態度で接してくることだ。


 いずれを選んでも私は消される恐れがあるが、2つ目と3つ目は未だに過去を清算できていないことが確実視されるのだから特に最悪だ。それを両方とも見事に踏抜くとは、これをどう表したらいいのだろう。両足で地雷を踏みぬく存在に対して表現する言葉を私は持っていない。そもそも聖女様がそれを見て何も思わないとでも思っているのだろうか?


 興奮するあまりあらぬ方向に思考が行きつつあった私を、高潔だが硬質な声が打った。


「覚悟はよろしくて?今すぐ王都に向かって、ここに書かれた住所まで急いで向かいなさい。そこに行けば仲間がいるわ。このネックレスと、合言葉を言えば信じてくれます。でもギルド職員用の送迎馬車は使ってはいけません。あれは足が付きやすいですし、職員さんはともかく組織としては英雄様の味方ですから。下りた先で待ち伏せを食らうかもしれません。」

「でも走破だと追いつかれないかな。私もそれなりに体力には自信があるけど、馬で追われたら逃げ切れる自信は無いわ。それこそ道中で待ち伏せでもされたら…」

 狩猟を続けていると、森の中で数十分熊と追いかけっこすることもある。森を突っ切れば馬も人も撒くことは容易だろうが、道中の魔獣を避けて進まねばならなくなる。その分相手に時間を与えることになるし、そもそも森の中に潜ませていないという保証もない。


「道中の待ち伏せは私の仲間が片付けますわ。そして馬は、あなたの御義父上が用意してくださいました。」

「義父さんが!?」

「『俺の馬を使いなさい。うちのバカ息子が本当にすまない。娘よ、今までありがとう。俺も妻もお前を心から愛している。』…あなたの御義両親から伝言よ。手紙も預かってるから、向こうでゆっくり読みなさい。」

 その手紙の束は一番安い獣皮紙だったけども、今までの手紙のどれよりも貴重で、かけがえの無い物に見えた。思わず胸に抱いてしまうほどに。


「お父さん…!お母さん…!」

 この場にいない義両親に、別れを告げられないことが辛かった。

「…さぁ、早く行きなさい。後のことは私に任せて、王都まで真っ直ぐ走るのですよ!」

「ジュリアはどうするの!?」

「大丈夫、剣聖様は()()()()()()()()()()()()()()()()()。さぁ!早くなさい!」

 私は彼女が今まで見せたことの無い威圧感に圧されるように、義父自慢の駿馬に跨がって村を飛び出した。

 借りたネックレスの宝石は、彼女の目と同じ美しい蒼い色をしていた。まるで彼女が一緒にいるみたいで、とても心強かった。



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 あの日村を出た俺は、ギルド史上最速でAランクになっていた。二つ名は剣豪…俺には過ぎた称号だ。Aランクともなると仕事をしなくても年給が貰える立場だ。

 だからAランクになったらすぐに帰ろうと思っていた。村ではアンリが待っている。彼女と離れ離れの時間は辛かった。

 だが周囲から「Sランクは確実」「剣聖を名乗れる」と言われ、もう少しだけ冒険者業を続けてみることにした。Sランクは年給こそないが、仕事一つで一生分の報酬が手に入る。アンリに苦労させないどころか、一生遊んで暮らせるだけの贅沢をさせられるだろう。


 しかしAランクになってすぐ、魔王復活の報が王都に流れた。そして魔王討伐パーティーへの加入が、王命としてAランク以上の全冒険者に下された。王命に逆らうことは出来ない。アンリに謝罪の手紙を送ってすぐ、勇者パーティーと共に旅に出た。


 パーティーは想像していたよりも大所帯だった。勇者と現聖女、それを護る聖女候補生と騎士、そしてAランク以上の冒険者で構成され、優に50人を超えていた。


「Aランクなりたてのお前は聖女候補生の世話でもしてろ」

 そう先輩冒険者から言われ、俺はまだ修行中の彼女たちの世話と防衛を任されていた。

 辛い旅だった。魔王に近づくほどに魔獣は強くなっていく。仲間達が次々と倒れ、Sランクの冒険者が何人も倒れた。まだ幼い聖女候補生達の班に魔法が直撃し、大半が焼滅したこともあった。体を焼かれて声もなく炭になっていく少女たちと、アンリの姿が重なった。

 俺が生き残れたのは、本当に運が良かっただけだった。聖女候補生を守る立場にあった俺は、それ故に彼女達から治癒と祝福を受けやすかったのだ。そして限界の状況は俺の剣を磨いてくれた。いつしか討伐メンバーは勇者、現聖女、俺の3人だけが残っていた。

 激化する戦いは俺達から気持ちの余裕を奪い、手紙を書くどころか、村に残した彼女の顔と名前すらもすぐに思い出せなくなっていった。


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 命のやりとりを繰り返し、3人でお互いの背中を守って旅をしていれば、当然ながら仲間意識も深くなる。はじめにあった勇者の傲慢さも、修羅場を潜ったことで諧謔味が加わり不思議な愛嬌へと進化していた。今日の薪拾い当番は勇者だが、文句を言いつつも両手いっぱいに拾ってくる彼はむしろ好人物に映る。いつの間にか、こいつのためになら命を賭けてもいいなと思えていた。


 ある夜、焚き火の番をしていた俺の横に、勇者が座り込んだ。

「お前、セイラのこと好きなんだろ」

 勇者から言われた言葉にひどく動揺する。…なぜ動揺しているんだ、俺は。


「え…いや…俺は…」

「隠してるつもりだろうけどな、あいつの前だとお前露骨にきょどるからわかるんだよ。それにあいつもお前のこと好きだよ。多分な。」

「聖女様が…?」

「戦闘中もお互いチラチラ見やがって、ウザってえ。お互いそんなに気になってんならさっさとくっついちまえばいい。」

 何も言い返せなかった。俺は何度も聖女に…セイラの魔法に助けられていた。セイラの代わりに傷を負ったことも何度もあった。必ず生きて帰ろうといつも励ましてくれた。いつの間にか、俺は村に残した幼馴染より、生死を共にするセイラのことを愛していた。


「だがなエド。」

 温かな気持ちに浸っていた俺に冷ややかな目線が刺さった。

「あいつは俺の大事な幼馴染だ。だからあいつを不幸にすることは許さねぇ。セイラが許しても俺が許さねぇ。くっつくからには幸せにしろ。いいな」

 息が止まるかと思った。焚き火に当てられている勇者の髪が茜色に輝き、俺の心臓に刃を立てた。


「どうして…そこまで…」

 お前だって好きだろうに、どうして。

「俺はあいつに嫌われてる。王都で散々、いじめてきたからな」

 そんなはずはない。セイラはいつも、二言目には勇者のことを心配していた。本人に聞かれたら怒るからと、寂しそうに笑っていたんだ。

「それに、旅が終わったらお姫様と結婚させられる。あいつとは結婚できない。側室か、愛妾が精々だ。………あいつにそんなこと、させられるかよ」

 そう言った彼の目は火のせいか輝いていた。


 もうセイラのことしか考えられなかった。そうだ、幼馴染とは婚約したわけではない。あれは小さい頃の戯れみたいなものだったし、手紙にだって"結婚したいとは書いたが結婚の約束はしていない"じゃないか。なら、俺はセイラと結ばれても良い。セイラこそが運命の相手だったんだ。


 次の日、俺はセイラに告白し………旅先の宿で結ばれた。そして、村に残した幼馴染へ、最後の贈り物を送った。惜別の思いを込めた、シオンのプリザーブドフラワーを。彼女なら押し花に込められた意味もわかるはず。これだけで伝わるはずだ。


 すまない、アンリ。俺は君の元には帰れない。俺の幸せはここにあるんだ。




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 激戦を制して魔王を討伐した俺達は、すぐに王都へ帰って結婚式を挙げた。勇者は第一王女と、そして俺は愛しいセイラと共に。後に渡された号外では、勇者たちの横で深い口付けを交わす俺達の写真も載っていて、恥ずかしくも幸せだった。


 そして程なく、セイラの懐妊が判明した。赤ん坊の成長が少し早い気がしたが、遅いよりは良いと詳しく調べなかった。セイラもそれを望まなかった。


「エド、私達の赤ちゃんだけども」

「なんだい?」

 大きなお腹を愛おしそうに撫でる彼女は、既に母親の顔をしていた。

「エドのご両親にも見せてあげたいの。ううん、出来ればエドが生まれ育った村で産みたいわ。そしたら、ご両親にすぐ初孫を見せてあげられるから」

「いいのかい?ありがとう…嬉しいよ」

 セイラには両親がいない。だからせめて俺の両親に見せたいと願ってくれた彼女を、心から誇らしく思えた。だから、村に幼馴染がいることを直前まで忘れていたのだ。


 一年以上連絡がなかった相手からの贈り物を、少女がどのような気持ちで受け取ったかなど、俺には想像もできなかったんだ。




 数年ぶりに村に帰ってくると、あの日厳しい顔で送り出した村長が笑顔で迎え入れてくれた。剣聖様!おかえりなさい!と拍手と歓声で迎えてくれる村人たちに笑顔で手を振り返す。

 早く幼馴染に剣聖としての姿を見せてやりたかった。結婚こそ出来なかったが、約束通り立派になって帰ってこれたのだ。魔王討伐報酬の1割でも村に寄付すれば、当分の間は村も安泰のはずだ。結果的に彼女に楽な生活をさせられるだろう。

 幼馴染を求めて見渡すと…いくつも見える茜色の髪の先に彼女はいた。




「アンリ!」

 今までうまく思い出せなかった名前がすぐに口から出てきた。そうだ、アンリだ。俺の大切な幼馴染だ!

 久しぶりに見た幼馴染は、別れた数年前よりも遥かに美しくなっていた。均整の取れた顔立ちは化粧無しでも垢抜けていて、瞳は力強く輝き、身体には一切の無駄な肉がついていない。それらがただ粗食と農作業によって育まれたものではないことはすぐに理解できた。数年という長い時間で、彼女は息を呑むほどの美少女へと成長していた。

 言いたいことはたくさんあったのに、その美しさに完全に見惚れていた。

 だが次の瞬間、俺は殴られたようなひどい衝撃を受けた。


「ご無沙汰しております、剣聖様」

 他人行儀な言葉が飛び出す。カーテシーは平民がやるものでは無いはずだが、あまりにも所作が完璧過ぎて指摘する気も起きなかった。少なくとも城で会った貴族の誰よりも整った姿勢だ。


「あ、ああ…元気だったか?」

「はい、剣聖様が勇者様や聖女様と共に魔王を討伐してくださったおかげです。」

 労いの言葉をくれたが、どこまでも事務的で、目線は外されている。これは幼馴染に対する態度ではなく、貴族に対する礼だ。

「え…ア、アンリ。どうして敬語なんだ?私と君との仲じゃないか。昔みたいに話そう。積もる話もあるのだ。」

 大好きな幼馴染は目の前にいるのに、何故こうも遠くに感じるのだ。

「恐れ多くも平民である私が許可なくご貴族様にお声をおかけするだけでも不敬に当たります故、言葉遣いについては平にご容赦願います。まして剣聖様は聖女様と結婚し、王族に近しい立場になられたものと存じ上げます。お声を頂くだけでも恐縮の極みにございます。」

 この娘は…本当にアンリなのか!?

 彼女の口から出たのはまさに正論だった。しかし、それは村で生きているだけでは導き出せない、貴族として生きている者が持ち得る論法だ。村人に貴族の立ち位置など考察できるはずがない。

 それを聞いた村人たちは…村長も…食堂のおばちゃんたちも…そして俺の両親も、一斉に地べたに這うようにして頭を下げだした。そんな、俺は、この村の一員じゃないか!!これじゃあまるで!!


「み、皆、やめてくれ!俺はここの生まれなんだ!不敬罪になど問わない!頭を上げてくれ!アンリもだ!」


 村人たちは困惑しつつも体を起こしたが、明らかに動揺していた。しかし一方で、俺に対する目が同郷の民に対するものではないことは明らかだった。


「け、剣聖様!聖女様も身重の中、長旅でお疲れでしょう。まずは、私の館でお休みになられてはいかがでしょう。あそこが村で一番広い家にございます。ご帰還を祝い、ささやかですが宴もご用意しておりますので、是非とも!」

 村長の声が、俺の冷静な部分を呼び起こす。そうだ、セイラを休ませないといけない。だが…。

「……ああ、わかった。案内を頼む。アンリ、後で話そう」

 それでも目の前の幼馴染から目が離せなかった。



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 宴は飾り付けこそ華やかではなかったが、村人たちは俺の帰還を喜んで踊り、歌い、大変貴重であるはずのうさぎ肉やボア肉が食べ切れないほどに並べてくれた。そのどれも王都で食べる物よりも美味しいと感じられた。

 はじめは故郷で食べるからかと思ったが、セイラや護衛ですらその美味に驚いていたので、どうやら最適な鮮度の物が出されていたようだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()、その心遣いに心から感謝した。


 俺は上機嫌なまま隣の親父に話しかけた。身分の差が出来ても生みの親は変わらないと皆には宣告してある。そうしないと隣に座らせることも出来なかった。


「本当に美味いよ。料理の腕もそうだけど、これは肉の質が大きいな。腕のいい猟師でも雇ったのかい?」

「いいや、新しく猟師になったやつだ。今や村一番の猟師だよ。」

「へえ!まぁ外から来た人も増えたみたいだしな。挨拶したいんだけど、誰なのか教えてくれ?」


「アンリだ」

「………え?」

 心臓が跳ねた。


「俺の自慢の義娘が猟ったんだよ、"剣聖様"。」

 あれ程騒がしかった歌声が遠くなっていく。なのに、親父の声は消されることなく耳朶を打つ。


「俺の"娘"を泣かせたな。」

 俺はこの怒りを知っている。

 だがそれは人に向ける目ではない。


「俺の"娘"に魔獣に食い殺される未来を与えたのはお前だ。」

 魔王軍に家族を殺された人が向ける――


「俺はお前を許さない。」

 憎悪だ。


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「アンリ!どこだ!」

 宴の席を立ち、俺はアンリの家に来ていた。

 家の中は昔とは様変わりしていた。かつて農具や裁縫道具くらいしかなかった部屋の壁には、狩猟に使っているのであろう複数の罠や縄、そしてナタが掛けられている。

 いつ来ても彼女が好きだった花の香りが漂っていたのに、今は心なしか獣臭すらした。猟師をする者は、自然と森と獣の匂いを染付かせる。そういえば、再会したときも花の香りはしなかったのではないか。


「アンリ!!」

「彼女はもうここにはおりませんわ。」

「…誰だ!?」


 腰の剣を抜き、声がした方に向ける。

「御機嫌よう、剣聖エド様。私はジュリアと申します。以後お見知りおきくださいませ」

 そこには僅かな月明かりに照らされた一人の美少女がいた。アンリとはまた異なり、気品の中に高貴さを感じさせた。だが、それよりも!

「戯言はいい!アンリはどこだ!あの子をどこにやった!!」

「人聞きの悪いことを言わないでくださいまし。逃げたのは彼女の選択ですわ。あの子を村から追い出したのは他ならぬ貴方ですのよ?」

「どういう意味だ…!?」


 ジュリアと名乗る女は肩をすくめると、剣を突き付けられているにも関わらず悠然と木のベッドに座り、足を組んだ。剣を意識した様子は一切無い。


「言葉通りの意味ですわ、剣聖様。念願の立派な貴族になれて、聖女と結婚して満足していれば良かったのに。何を考えていますの?」

「どういう意味だと聞いている!!」

「…我々は貴方が勇者様と旅に出る前に、当然貴方の素性についても調べていましたの。そしてこの村に、貴方が昔婚約した幼馴染がいたことも早々に調べが付いていたのです。」

「なっ…!?」

 旅の準備を進めている裏で村が調査されていた事実に、言葉が出なかった。

 そういえば、王都の守りを託された冒険者が何人もいた。あれはそういうことだったのか?


「私もその素性調査のために村にやってきていたのですわ。何せ貴方はギルド史上最速で剣聖になりうる存在…私自身、貴方には純粋に興味がありましたから。御父上と御母上に無理を言って、護衛を隠しながら直接村に訪問したのです。そして、彼女に出会った。」


 一方的に話す女からは、懐かしむ気持ちに溢れていた。


「出会い方は最悪でしたけど、おかげで私は彼女と親友になれましたわ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、彼女はとても興味深かったわ。だから調査の後もあの子には何度も会いに行きましたの。あの子は今まで会った誰よりも優しく、強く、そして対等でしたわ。それがあまりにも心地よくて、時々本来の仕事が疎かになりそうで御父上に怒られたほどでしたけど。」

「…お前が彼女のことを大事にしていることはわかった。だが、それとこれとは――」

「関係ありますのよ、お馬鹿さん。黙って最後まで聞きなさい。あなたにはその義務があります。」

 俺の言葉を遮って言い切る女からは、傲慢さではなく、義憤と怒りが感じられた。そうしてもなお、女には気品があった。そしてその気品さには見覚えがあった。


「あの子は貴方が旅に出たあとも手紙を書き続けていたわ。何度も何度も送っては、届かなくて返送されていた。それでも彼女は貴方に手紙を送っていたのよ。手紙にお金を使わなければ、もっと楽に生活できたのに。」

「馬鹿な、嘘を言うな。俺はちゃんと届け元を書いていたぞ!それに半月もの間駐屯しているのに、届かないはずがないだろう!」


 そう、俺は旅に出てから彼女からの返事を貰ったことがなかった。だからこそ、彼女は俺を忘れたいのかもしれないと思ったんだ。村を出て行って帰らなかったのは俺だから、彼女が新しい恋を始めていたとしても仕方ないと思っていたんだ。俺はアンリのために恋を諦めていたというのに、それすらも俺のせいにするのか。


「誰が馬鹿よ。馬鹿は貴方よ。貴方、手紙が一体どれほどの時間をかけて届くものだと思ってますの?魔王軍との戦線からほど近い危険地帯から届けて、その危険地帯へ返事を送るのにどれほどかかると?貴方は半月ほど駐屯していれば届くのだと思っていたのかもしれませんけど、往復なら一月を見込んでも短いわ。道中で魔物に襲われるかもしれないから、軽装のまま早馬で駆けるわけにもいかないのに。郵便配達員を無礼(なめ)ているのではなくて?」

「………っ!?」


「まあいいわ。ほら、貴方はこれが欲しかったんでしょう?アンリが、もういらないから貴方に渡してって私に預けてくれたの。焼くなりなんなり、好きになさいな。」

 足元に投げつけられたのは、大量の手紙が入った麻袋だった。俺が聞いた手紙と一緒に、【返送】の印が押してある手紙が混ざっていた。そして、シオンの押し花も……これは……そんな……。

 握っていた剣が落ち、床に刺さる。膝に力が入らなくなり、そのまま床に崩れ落ちた。


「【君を忘れない】。【遠方にある人を思う】。そして……【失恋】、【追憶】」


 それは、シオンの花言葉だった。

 直後、これまでで最も激しい怒りの感情が俺に叩きつけられる。


「よくもこんなものを送りつけることができましたわね。あなたは小粋に別れを告げたつもりかもしれないけども、シオンの花言葉がどういうものかなんて、そんなのあの頃のあの子には重要じゃなかったのよ。旅に出てから初めて届いた貴方からの贈り物を、あの子は本当に大切な宝物だと思って抱きしめて泣いていた。それを私がどういう思いで見ていたか、あなたにわかりまして?」


 呆然と女を見上げていると、軽蔑した表情のままポケットから何かを取り出した。

「そしてこれが、アンリから貴方宛の最後の手紙よ。この話が終わったら読んでみなさいな。中身は見ていないから、安心なさい。」

 ベッドに座ったまま、片手で差し出してきたそれを、俺は震えながら受け取った。受け取るしかなかった。


「手紙が来ないことで気持ちが切れたあなたは聖女様を愛し、結婚した。……あの時はあなたをそのまま断頭台に乗せてやりたいと思ったけども、今はアンリの相手が貴方じゃなくて良かったと安堵しているわ。アンリに浮気者は似合わないから。」

 浮気者という言葉が脳裏に響いた。


「幸せの絶頂にいたはずの貴方は、聖女と一緒に村へ凱旋することにしたようですけども、何故そんなことをしようとしましたの?勇者様と添い遂げた第一王女の派閥どもが、その右腕とされる剣聖様の醜聞の種を逃すはずがないでしょう?貴方は英雄で居続けなくてはいけないのよ。聖女との二股相手が平民の小娘となれば、消されるに決まってるじゃありませんか。」


 全身から血の気が抜けた思いがした。こんな恐怖、魔王の前でさえ感じなかった。

「け、消される…!?ち、違う!俺はただ、アンリに立派になった姿を見せようと!アンリは、アンリは無事なのか!?」

「貴方にアンリの心配をする資格はありませんわ。貴方が彼女を思って余計なことをすればするほど、彼女は危険な立場になる。だからこそ彼女は村から出て、貴方の前から逃げ続けることを選んだのよ。」

 遂に、後悔のあまり女を直視することも出来なくなり、手を床についてしまった。まるで、この女に跪くように。


「俺は……俺はなんてことを……アンリ……アンリぃぃ……!!」


 月明かりが強くなった。朧げだった女の姿が、遂にくっきりと浮かび上がる。俺は思わず目を見開いた。粗末な木のベッドに座っているはずなのに、彼女が腰掛けただけで玉座のように映る。

「ま…まさか…お前は…いや、貴方様は…!?」

「私、あの子に2つ嘘をつきましたわ。」

 彼女は組んでいた足を直し、膝上に肘を乗せながら嗜虐的に嘲笑っていた。


「まず、私は冒険者ではありませんの。一応冒険者ギルドには登録させてもらいましたけど、それはギルド出張所に派遣という形を取るため。たまに依頼という名目であの子と魔獣狩りをしましたけども、いらぬお世話だったみたいね。あの子はとびっきり強いもの。ねえ剣聖様、あなたは一人で魔法も使わず、無傷のままビッグブルベアーを仕留められるのかしら?」

 ウットリとした目は、もはや俺を見ていない。

「そしてもう一つ。私の家は没落していませんの。」





「………え?……ここ……だよね?」

 夜明けと同時に、ジュリアが渡してくれた住所に辿り着いた私は完全に硬直していた。

 私の眼前には、どう見ても王城があった。



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 私が持っていたネックレスを見た衛兵はすぐに城内に走り、入れ替わるようにすごく背の高い騎士様と、その後ろに数名の騎士様がやってきた。も、もしかして泥棒だと思われてる!?


「失礼、私の名前はアデレーヌ・フォン・クラメールと申します。お名前と、そのネックレスについてお聞きしても?」


 疲れもあったせいかやや現実逃避していた私は、慌てつつも丁寧にカーテシーを返す。どんな時でも疲れた顔を見せたり、カーテシーを崩してはならない。


「お初にお目にかかります、クラメール様。私の名前はアンリ。平民ですので姓はございません。このネックレスは、私の親友ジュリアから預かったものです。これを見せて、合言葉を言えば伝わると言われて訪ねてきたのですが…。」

 騎士様は何に驚いたのかやや眉を上げつつも、ひとまず疑問を横においてくれたようだ。

「なるほど。では、その合言葉を教えて頂いても?」

「は、はい。えっと…"泣き叫ぶ片羽は我とともにあり"、です。」

 騎士様たちがざわめく。「この子が…?」「まさか…」と、小声だがばっちり私の耳に届いていた。なんだが酷く不安になってくる。

 背の高い…クラメール様が咳払いした。それだけでざわめきは収まる。もしかしたら騎士団長様かもしれないな。


「大変失礼いたしました。ジュリエット・フォン・エル・デュヴァリエ様より貴殿のことはよく仰せつかっております。貴殿のご到着をお待ちしていました、アンリ殿。」

「え…!?あの、申し訳ありませんが、意味がよく…ジュリエット様とは?」

「はい。貴殿のご親友であられますジュリア様の本名です。そして――」

 ま、まさか…!?

「我らがデュヴァリエ王国の王位継承権をお持ちであられます、第二王女その人です。」

「ジュリアが!?だ、第二王女!?」

 あまりの衝撃に意識が飛び、そのまま目の前の騎士様に倒れ込んでしまった。


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 目が覚めると、物凄く立派な天井が目に飛び込んできた。泥だらけだったはずなのに、すっかり身奇麗になっていて、簡素だが質のいいワンピースを着ていた。村で着ていた平服も洗濯されて畳まれていた。


 かわいい服(メイド服というらしい)を着た少女が、すぐに部屋から飛び出していった。そして入れ替わるように、親友が部屋に入ってきた。急いできたのか、少しだけ顔が赤い。その服装は冒険者のものではなく、華やかな飾りで彩られたドレス姿で、頭には王族を示すティアラが乗っていた。

 本当に、ジュリアは王女様だったんだ…。


「人払いを。アンリと二人で話します。」

「しかし…」

「命令よ。大丈夫、アンリは私の"片羽"ですから。」

 そう言うと、さっきの小さなメイドさん一人だけが壁際に控え、護衛と思われる人達は部屋から出ていった。


「色々黙っててごめんなさいね。村で身分を明かすわけにもいかなかったから」

「い、いえ!こちらこそ、王女様と知らず、大変なご無礼の数々をごめんくださいませ!!」

「くっふふふ…!ははは!駄目ですわアンリ!敬語を意識しすぎて大変なことになってますわよ!」

 今度は私が顔を真っ赤にする番だった。うう、恥ずかしい…!


「ここでは今までどおりの口調で話してくださいな。私もそうしますから。」

「う、うん。ありがとうございます、ジュリエット様」

「ジュリアよ、アンリ!」

「…ふふっ!ごめん、ジュリア。でも、やっぱりジュリアはすごい貴族だったんだね」

「…いつから気づいてましたの?」

 意外そうに眉を上げた彼女を見て、やっぱりこの子かわいいなと思わず笑みがこぼれた。

「王女様とは思わなかったけどね。でも食べ方がきれいだったし、服も冒険者をやってる割には全然汚れてなかったから、なんとなくそう思ってたんだ。食堂がいつも賑わってたのも、あれはジュリアの仲間…護衛だったんでしょ?」


 ジュリアは今度こそ驚いた顔をした。でも、違和感は割と最初からあった。

 肥溜めに落ちた翌日、彼女は全く同じ服装で改めてお礼に来てくれたんだけど、その服には汚れ一つなかったのだ。肥溜めに落ちたのだから、普通はそんなすぐ綺麗に汚れを落とせない。王族しか使わない石鹸を使うか、予備の服が何枚もない限り。そして何より、彼女自身がいつも綺麗すぎた。まるで毎日磨かれているかのように。

 そう教えると、彼女は観念したようにため息をついた。


「はぁぁぁ…迂闊でしたわ。そう、あの服はあの後何度洗濯しても匂いが取れなくて、元通りになるのに一週間掛かりましたの。あなたとの思い出の品だったから、捨てることも出来なくて。…なんだか髪の毛もいつまでも臭うような気がしてましたわ」

 それがなくてもきっとすぐにバレてたのでしょうけどもと、苦笑いを浮かべた。


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「それで本題ですけども、アンリ。あなたは今ひどく不安定で危険な立場にあることはわかるかしら。」

 ジュリアの真剣な表情に、私も頷く。過去に剣聖と恋人関係にあり、今も恋慕が残っている…と思われている幼馴染。しかも剣聖から身を引くために村をでたということで、何故か早くも民衆の中で噂になっていた。それも悲恋の物語に登場する少女として。

 それは剣聖の評判を落とすほどのものでは無かったが、私の存在を浮かび上がらせるものには違いなかった。そう、私は今、第一王女派にとって最も厄介な存在になりつつある。

「勝手なものだよね。皆も浮気相手に子供が出来てから村を追われてみればいいんだよ。」

「王族としては頷けないけど、親友としては大いに同感ですわ。」

 そう頷く彼女の口の端には諧謔味があった。


「アンリが取れる道は限られていますの。主に3つですわ。」

「1つは追手から逃げ続けることだよね。」

 私にはこれ以外に現実的なプランが思い浮かばない。私の腕なら、食べるのには当分困らない。ジュリアの協力があれば逃亡先を選ぶことも可能だろう。

「それでは最低でも国外ですし、おすすめできませんわ。国外になればいざというときに私の力も及びませんし…親友と別れたくありませんもの。」


 ここで一旦話を区切った。どうやら2つ目は相当言いたくないらしい。だが、意を決したように話しだした。


「2つ目は、思い切って剣聖様の側室になることですわ。剣聖様は恐らく…いえ、必ずアンリを追ってきます。今はまだ聖女様の出産を待ってますから村から離れませんけども、出産後に剣聖様が直々に囲んでしまえば、第一王女派もうるさくは言えないでしょう。あくまで聖女には及ばない範囲で、軟禁状態で寵愛を受ける立場なら消す理由もなくなり、少なくとも安全で安楽な生活は送れますわ。」


 思わずひゅっと息が止まり、青褪めた。確かに、彼ならそれはやりかねない。そして確実性もあった。私の命を守りつつ、彼は聖女と私の両方を愛することができるだろう。でも、仲睦まじい二人を見ながらの生活なんてきっと耐えられない。万が一、私が彼の子供を孕まされでもしたら…そこまで考えて、軽く吐き気がした。


 背中を擦ってくれるジュリアは、温かい手を背中に当てたまま呟いた。

「だから、私は3つ目を選んでほしいの。何よりも、私自身のために。」

「……3つ目?」

「アンリ。これは王命でもなんでもない。あなたが選びとってほしい。あなたは自由でいてほしいから。これを選ばなくても、私は怒らないわ。」


 彼女は、鼻と鼻が触れ合うのではないかという距離で、熱い吐息とともに告げた。

「3つ目は……」


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 セイラが産気づいたと言われたのは、ジュリエット様が村を出て3日後だった。

 本当はすぐにでもアンリを探したかった。いや、居場所は大体わかっていた。おそらくは、王都デュヴァリエの王城、第二王女の側だ。


 俺はあのお方を一度だけ見かけたことがあった。あれはセイラとの結婚式を迎えた日。あのお方は王族が座る特別席から、信じられないものを見たような、王族らしからぬ表情を見せていた。

 あの時は勇者と結婚する姉に対して今更嫉妬していたのかと思っていた。だが、今思えばあれは姉に向けたものではなかったのだ。ジュリエット様は、親友を裏切って聖女と結婚した俺に怒りを覚えていたんだ。


 聖女の出産に立ち会うことは許されなかったが、その部屋の隣で待つことができた。そうだエド。今は、アンリのことは考えるな。愛するセイラが無事に赤ん坊を産んでくれることを、ただ祈るんだ。俺は彼女を愛している。過去の恋心に惑わされて、彼女を裏切るような真似はするな。


「生まれた!生まれましたよ!かわいい女の子ですよ聖女様!!」

 元気のいい産声に、村人たちの歓声が重なった。俺はいても立ってもいられず、すぐに聖女の手を取りに行った。


「セイラ!頑張ったな!ありがとう、俺達の子供を生んでくれて!ありがとう!」

「ええ…あなた。私達の子ですわ…え!?」

 赤ん坊を受け取ったセイラは、小さな悲鳴をあげた。俺は悲鳴すらあげられなかった。そんな、こんなことって。ああ、神様。


 赤ん坊を取り上げた村の医師たちは屋敷を飛び出し、外の村人たちに"吉報"を叫んだ。

「勇者様だ!!この同じ時代に二人目の勇者様が再誕なさったぞ!!吉兆だ!!この世界は絶対の繁栄が約束されたぞぉ!!」

 赤ん坊の髪の毛は、勇者と同じ緋色をしていた。あいつと、同じ髪色をしていた。


 俺は一瞬、聖女と勇者の姦通を疑いかけた。しかし、それを追求するより前に速報を知らされた勇者自身が関与を公式に否定した。

「二人目の勇者が誕生したことは大変喜ばしいことだ。()()()()()()()()()()()()以上、剣聖と聖女から誕生したことはまさに奇跡と言えるだろう。つまり、魔王を討伐した三人は、魔王を討伐すべくして討伐したのだ。いつまた魔王が生まれようとも、必ずや再び討伐せしめるだろう。」

 そう、伝承と歴史が勇者の関与を否定していた。セイラはその後、何度も俺に謝り続けていた。あなたと同じ髪色の子を生みたかったと涙を流し続けていた。命を賭けて産んでくれたのは彼女なのに。




「先に王都に戻って、家を整えておくよ。」

「ええ、あなた。気をつけてね。アネットのことは任せてください。」

 出産後、セイラの心身が落ち着いたのを見て、俺は村を発った。家を整えておくのは本当だが、それ位以上に今はアンリのことが気になった。

 平民である彼女が第一王女の派閥から狙われている事実は変わらない。アンリに残された道は、国外逃亡以外にないだろう。だが第二王女の力添えがあったとしても準備が必要のはずだ。ならまだ出発はしていない。

 俺のせいで彼女に理不尽な苦労をさせるだなんて、俺には耐えられない。俺は君に幸せな生活を送ってほしくて村を出たのに。俺には彼女を幸せにする義務がある!いざとなれば、セイラを説得して側室に招いたっていい。いや貴族なら側室を迎えるのはむしろ当然だ。そうすれば約束だって果たされるじゃないか!それがいい!

 既に王城には、平民アンリとの面会を打診する書簡は送ってある。恐らくはもう通っているだろう。


 王城に着くなり、城門の騎士に走り寄った。

「エド・フォン・オルレアン子爵だ!ここにアンリという平民が保護されていると思う。彼女に会わせてくれ!」

「書簡にて聞き及んでおります。どうぞ、こちらにてお待ちください。」


 騎士に通されたのは王城の内部でも比較的中寄りの客間だ。子爵と平民が会うには王族により過ぎているが、俺が魔王討伐の立役者だからだろうと自分を納得させた。


 しばらくして、客間の奥から二人の淑女が現れた。その一人はジュリエット様だと気付き、すぐさま臣下の礼を取る。もしや、俺のために彼女が面会を取り付けてくれたというのか。だがそれよりも…。

「ジュリエット・フォン・エル・デュヴァリエ第二王女殿下!この度は…」

「よい。今日の私はアンリの付添人に過ぎぬ。楽にせよ。」

「はっ…しかしその、アンリは何処に?」

「目の前におるではないか。」

 そう言われてぎょっとした俺は、もう一人の美女を凝視してしまう。

 間違いなくアンリだった。その整った顔立ちは村では一切しなかった化粧によって輝きを増し、髪は丁寧に結われて後方に流れていた。だがそれ以上に、その服装に目を奪われた。

 近衛にのみ許された真っ白な軍服。女性であってもスカートではない統一された服だが、彼女のプロポーションは男性であることを完璧な形で否定していた。そしてその腰には美しいショートソードが下げられている。だが儀礼的な物では無い。高位貴族を守るものにのみ許された聖剣、セイブ・ザ・ロードと呼ばれる業物だ。

「え…あの…」

「お久しぶりです、剣聖様。」

 自分にだけ向けられた声は、村で聞いたときよりは感情が乗っていたように聞こえた。

「あ、ああ…元気だったか?」

「はい。今は第二王女殿下の専属護衛として働かせて頂いています。」


(やられた…!)

 俺は瞬時に自分の失敗を悟った。動くのが遅すぎたのだ。

 王族は自身の専属護衛を自分で選べるだけの裁量権を持つ。本来なら平民を選ぶなど絶対にあり得ない。だが両親半公認のもと数年を掛けて絆を深めていたことと、それが同性であることが決め手となったのだろう。

 両親を喪った独身の女性であり、全幅の信頼を寄せ合い、かつ魔獣を一人で圧倒できるほど腕が立つならば、専属護衛にできない理由などない。そして、護衛に手を出すことは王女に手を出すことに直結する。そんなことは、この国の貴族どころか、王にすら不可能だった。


「そ、そうか…君が元気なら、いいんだ。また時々、会いに来てもいいかな。今度はちゃんとお土産も持ってくるよ」

「申し訳ありませんが、そういった物は護衛として一切受け取れません。賄賂に当たりますから」

「わ、賄賂などと、そんな…」

「ご用件は以上でしょうか?私はこの通り元気で、オルレアン子爵様は妻子ある身。これ以上はあらぬ疑いもかけられましょう。本日はお会いできて嬉しかったですわ。どうぞお元気で。…皆さん、オルレアン子爵がお帰りになられます。」


 そう言うが早いか、俺は部屋に控えていたメイド達によって退室させられてしまった。

 もう、彼女は俺の手の届かない場所にいた。第二王女の専属護衛と理由もなく会える日など二度と訪れないだろう。第一王女の派閥に数えられている俺が近づけば、第一王女と第二王女の確執を噂させてしまうだろう。そうなれば何もかもおしまいだ。


 いや、すでに何もかも終わっているのだ。気付くのが遅かった。

 そもそも俺はどうしてあの日、村を出てしまったのだろう。貧しくても良いと言っていた彼女を振り切って、富と栄光を求めた俺は、間違っていたのだろうか。

 今となってはそれすらもわからなくなっていた。

 ただわかることは、最愛の幼馴染と両親を失ったということだけだった。


 --------

「あー、スッキリした!みんなもありがとう!」

 硬い表情だったメイドや執事たちが思わずといったように吹き出した。皆、私達の事情をよく知る人たち…というか、村でジュリアの護衛として側にいた人達だ。

「ねぇ、本当にこれでよろしかったの?」

「もちろん!平民のままジュリアと一緒に居られるなんて、夢みたいだよ!」



 あの日、ジュリアは決意を込めて、それでも断られることを恐れるように提案した。

『3つ目は……私専属の護衛として、一生の忠誠を捧げることですわ』

『専属の…護衛?』

『私は立場上、常に狙われてますの。食事のときも、湯浴みのときも、いつだって気が抜けない。でも、あなたが側にいれば…私は冷めた食事でも美味しく食べられますわ。湯浴みのお湯が冷めてたって、あなたと一緒なら心から安らげる。あなたがそばにいるだけで、眠れない夜だって耐えられる。』

『ジュリア…。』

『通常の護衛と違い、専属の護衛には身分を問われませんの。…でも、護衛になれば結婚相手は自由に選べないわ。私が選ぶことになる。私より先に結婚もできない。村の生活が長かったあなたにとって、きっと楽な生活でもない。…だけど誓いますわ。あなたが私を護ってくださるなら、私も貴方を全身全霊をもって護ります。だから…!』

『いいよ!私、ジュリアの専属護衛になる!』

『ア、アンリ…!?』

『ジュリアは約束通り、私を守ってくれたよ。だから、今度は私があなたを守る。もう誰にも指一本、ジュリアに触らせはしないと誓うわ。』

『うっ…ううっ…アンリ…!うあああ…!』



 専属護衛は平民には務まらないという反対の声もたくさんあった。特に夜会の護衛は礼儀作法も厳格で、専属護衛は主君と同等の作法を要求される。夜会の最中に襲われることも考えると、ある意味参加者以上に神経を使う仕事だ。

 だけど数年をかけて、それこそ狩猟の後も容赦なく王女直々に訓練された礼儀作法やダンスは、あらゆる夜会にも耐えうるだけの清廉さを私に与えていた。比較対象がジュリアしかいなかったのでわからなかったが、どうやら王族に引けを取らないレベルらしい。それは反対派が、それこそ第一王女派ですら身分以外にケチを付けられなかった程だった。


 と言うのも、実はその指導レベルが王妃教育に匹敵するものだったらしく、後に親友は「ごめん、流石にあれはやりすぎだった」と舌を出して笑う始末だった。反射的にチョップをかました私は絶対に悪くない。


「全く、自分から頼んでおいて泣き出すなんて、本当に泣き虫だよね」

「ちょ!?こ、これはその、感極まったというか…じゃなくて!ああ、もう!良いこと!?もし私を護りきれなかったら承知しませんからね!?」

 顔を真っ赤にしながら涙を浮かべる親友が、可愛くて仕方なかった。


「大丈夫だよ、親友。私、熊よりも強いんだから。」

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小説を書くのって思ったより大変ですね。

小説を書くすべての皆様に敬意を表します。