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青色の料理人

・原案:

 -「喋る無機物」(テイク TwitterID:@teikukigyouren)

 -「神様と料理人」(西 勇士 なろうID:848281)


・小説:里崎(なろうID:565366)


・イラスト:hal(TwitterID:@H0x0Hal)

挿絵(By みてみん)




「うわあああ!」


穏やかな潮騒(しおさい)の音を、料理人の鋭い悲鳴が掻き消した。


弾き飛ばされた包丁が宙を舞い、明かり取りの窓から外に飛び出す。

少し遅れて、ちゃぽん、と水面(みなも)に落ちる音。


「ま、まただ!」


「逃げろ!」


一気に惨状と化した広い調理場から、顔面蒼白になった料理人たちが悲鳴をあげて飛び出していく。

皿の破片で裂けた袋から、小麦の粉が白くもうもうと舞い上がる。

倒れた藤籠から果実と野菜がこぼれて、タイル張りの床を転がった。


「お許しを! お許しをー!」


長い廊下を駆けぬけて、料理人も使用人も荷運びの従者たちも、ばたばたと祠の外に逃げていく。


「しゅ、守護神様!」


数人残った年かさの者たちが、後ずさりしながら、震える声でその名(・・・)を呼んだ。長ったらしい、最上級の敬称を付けて。


「い、いま一度、どうか、」


「あの、至らぬ点がありましたら、謹んでお詫び申し上げます……ですから、何がご不満なのか、なにとぞご要望を」


「そ、そうそう、御食事だけでは味気ないと思いまして、今回は珍しい楽器も取り揃えて、一流の楽器職人が作ったばかりの――」


猫なで声を作る彼らの元へ、一気に伸びる青い腕。


ぽこん、と手前にいた料理人の帽子を弾き飛ばし。


ばくん、とその頭から、一気に喰らいつく。


「……!!」


声にならない悲鳴を上げて、一人の人間が『守護神様』に飲み込まれていく。


「ひぃいいい!」


そんな光景を間近で見せられて、ついに辛抱しきれなくなった年かさのものたちも、競うようにして逃げ出していく。


彼らの背中が豆粒になるまで見送って――

部屋に残された家主(・・)は、フスゥゥ、と長い息を吐いた。


窓の外に広がる青緑色の大海原は、なにごともなかったかのように凪いでいる。

ゆらゆら揺れる水面の動きと連動するように、重たい身体を揺らして、『守護神様』は食器棚の裏側に回りこんだ。


床に放り出された調理途中の食材に、複数本の長い腕をもぞもぞと伸ばしたところで。


「う」


部屋の隅から、小さな声。

ゆっくりと振り向けば、腰を抜かしたらしい亜人の少年が、真っ青な顔でしゃがみこんでいた。


その少年の、銀髪の間にぴょこんと立った、猫のような耳。


物音に反応して細かく動くその耳が気になって、『守護神様』の青い腕が一本、そちらに伸びた。


「……う、うわわ」


悲鳴を上げて後ずさりする少年に、青い腕が中空で動きを止める。


「た、食べな……」


言いかけて、ふと何かに思い当たったような顔をした少年は、長く息を吐いて、ゆっくりと目を閉じた。


諦めきったような笑みを、その白い顔に浮かべて。


「……僕、ガリガリだから、美味しくないかもしれませんけど……どうぞ、『守護神様』」


少年は全身から力を抜いた。それでも、四肢の震えはおさまらない。


青い異形は、そんな少年を見て、ぽつりと言った。


「……ニンゲン、ゼンブ、オイシクナイ」


少し耳を動かした少年が、そうっと薄目を開けた。

大きな単眼と目が合って、ああ、とホッとしたような、嬉しそうな顔をする。


「守護神様、言葉、話せるんですね。……良かった」


「……」


包丁が飛んでいった窓を指さして、少年が言う。


「さっきの、言葉が通じなくて怒っていらっしゃるのかと思ったから」


「……キコエル?」


「あ、はい。聞こえますよ、守護神様の言葉。僕、耳は少し良いほうで」


微笑んで、明かり取りの窓を指さす少年。


「潮騒のような声ですね」


とたん、『守護神様』の巨体がブワッと膨らんだ。


「わ、わわわ」


壁際にいた少年は混乱しきったまま、部屋いっぱいに膨張する青色の神様に、すぐに押しつぶされた。


***


海辺にある唯一の街。


過去、とある小国の商人たちが、戦火を逃れるため、巨大な化け物の棲家に逃げ込んだ。


海辺に住まうその青い異形は、三方から攻め込んできた強大な帝国の侵略者たちに怒り狂って、たった一夜ですべてを殲滅した。

半数以上の兵を喰らい、残りのほとんどを海に沈めて。


伝承では、かつて水底(みなぞこ)に棲んでいた古き者たちの末裔だと言われている。

タコのようにもゾウのようにも見えるけれど、その体は海水でできており、『海』そのものなのだとも。

そして、この広大な海原を支配する、生き物たちの王なのだとも。


その化け物の棲家を中心にして、この街ができた。


化け物を盾に身を守ることを覚えた民衆たちは、彼を勝手に『守護神』と呼んで祀り上げ、洞窟のようだった棲家を立派な祠に造り替えた。

サンゴを削って、石を盛って作られた、石造りの青い宮殿。


そして、その中に篭るように暮らす、気難しい化け物の機嫌をとるためにと、次々に貢ぎ物を贈った。

すべては、自分たちの保身のために、貢ぎ物を贈った。

もちろん、金で買った物や――人などを。


***


――食欲旺盛な『守護神様』はいつもお腹を空かせていて、気に入らない召使いも何もかも、頭からムシャムシャと食べてしまう。


破格の報酬と引き換えに『守護神様』の荷運び役として雇われた時、神官から言われたことを、少年は今になって思い出していた。


確かに、そのとおりだった。だけど。


洗い場のすぐ横に山積みにされていた西国の果実を、木箱ごとバリバリと咀嚼している『守護神様』。

その様子を、床に座り込んだままの少年はそっと盗み見ていた。


窓から吹き込む、心地よい温度の潮風。

奇妙に穏やかな時間に、まどろんだ少年がつい目を閉じたところで。


『守護神様』のほうから、ごごごごご、と地響きのような音が鳴った。


目を開けた少年は、一本の青い腕を腹部にぺちりと当てたまま、何かを探すようにうろうろと単眼を動かす『守護神様』の姿を見つけた。


「……『守護神様』、お腹、空いてるんです?」


ぺぺっと吐き出された鉄釘と果実の芯が、窓の外に飛んでいく。


そういえば、と少年は、先ほど岬のほうから鳴った鐘の音を思い出す。

料理の途中で全員を追い出してしまったので、いつもの昼餉の時間を過ぎている。


少年のサンダルが砂利を踏みしめる音。

『守護神様』がそちらへ視線を向けると、


「お好きな食べ物は? 僕、神官局に伝えてきますよ」


立ち上がった少年が、利発そうな笑顔を浮かべて言った。


「僕を雇った神官局の人たち、『守護神様』のためなら何でも用意するって言っていたので、珍しいものでも、たぶん揃うと思いますよ」


その言葉に、青い腕が期待するようにぴこぴこと動いて。


羊肉の煮込み(シチュー)


「…………え?」


少年はきょとんとして、キッチンに放置されたままの切りかけの食材を見る。

生の羊肉と、細長い根菜、黒キノコ、水で戻した海藻類、食用蝶に、香味野菜がいくつか。

煮炊き用の壷の中には水が張ってあり、良く肥えた丸鶏が三つ。


それもそのはず。今日の昼餉のメニューのひとつだったのだ。


「そしたら、材料は揃ってるので、あとは料理人だけですね」


破顔した少年が一礼して、戸口に向かって駆け出そうとして――

とっさに首飾りに巻きついた青い手に、ぐい、と後方へ引き戻される。


「うわあわあわ」


数歩よろめいて、床に尻もちをついた。

金色の胸飾りが甲高い音を立てる。神前なのだからみすぼらしい格好は改めるようにと、ここに来る前に着させられたものだ。


首飾りから離れた腕が、少年のすぐ横に伸びて、床に転がっていた小さな果実をころころと転がす。

何度かそれを繰り返して、諦めたように引っ込んでいく。


次に、黒キノコの乗ったまな板を2本の腕で持ち上げて――

バランスを崩した板の上から、大半のキノコがぼとぼとと床に落下した。

かろうじて残った2、3個だけが、無事に壷の中に入る。


床に座り込んだままの少年はそれをじっと見てから、一度、戸口のほうを見て、視線を戻して。


「あのう……僕でよければ、お手伝いしましょうか?」


『守護神様』の体表面が、じわわわ、と黄色みがかっていく。

よく分からないなりにその態度を了承ととった少年は、桶の水に両手を突っ込んだあと、まな板の前に立った。


「あれ、包丁がない。……ハサミもないなぁ」


壁際に並ぶ作りつけの棚を、端から順に、残らず開けて、探し回って。


「あったあった」


荷解き前の箱の中をのぞきこんで、そこに、紙に包まれた古びた果物ナイフを見つけて、そうっと引き抜く。


直後。

――少年の体が、ものすごい勢いで壁に叩きつけられた。


衝撃に息を詰める少年。一瞬、意識が飛ぶ。


「……うう」


小さく呻いて目を開けると、至近距離に『守護神様』の姿。

そして――少年が右手に持っていたはずの刃物が、ない。


「ど、どこかに刺さっ……!」


青ざめて叫ぶ少年に、『守護神様』が、ちょい、と窓の外を指さす。


「……え? 外?」


そういえば、さっきの騒動でも包丁が窓の外に飛んでいったような、と少年は記憶をたどり。


もしかして、と思い至る。


「刃物が怖い……とか?」


果実の入った籠をごそごそと漁っていた『守護神様』が、ぴたりと動きを止める。


少年は切りかけの食材を見て。


「じゃあ、こうして……」


ばきっ、と砕けた根菜が鍋に落ちる。


野菜を手掴みで折って、砕いて、鍋に入れていく少年。

ぼちゃぼちゃと汁が跳ねて、出汁の匂いが湯気に混じる。


大きな単眼がその様子をじいっと、物珍しそうに見つめる。


「あ、そうですよね。一流のコックさんたちばかりが料理していたから、こんなこと見たことないですよね」


少年が赤面してうつむく。


「味はそんなに、変わんない……と思うし、煮込みだから火は通るし」


取り繕うように言って、大壷の前に回り込んで小窓をのぞきこむ。


「あれ、これどうやって火ぃ増や……」


そこに閉じ込められていたのは焚き木と炎ではなく、慌しく飛び回っている火の精霊たちで。


「あ、これ魔道具……」


少年が気づいたところで、『守護神様』がなにやら不可思議な呪文を唱える。


赤い光が小窓に集まり、ぼぼっと精霊が増えた。出会ったばかりの小さな精霊たちが、手をとって踊りあう。


壷にすべての具材を入れ終えた少年が礼を言う。


「……お腹空くのって、しんどいですもんね」


煮え立ち始めた液面を見ながらポツリと呟く少年を、まばたきしない大きな目がじいっと見つめる。


***


窓の外で、わあわあと駆け回る神官たちの声がする。


窓辺でくつろぐ『守護神様』は、気まぐれのように長い腕を伸ばして海中に突っ込んでは、海水を持ち上げている。こねこねとちょうどいい大きさに丸めて、ぽいと宙に放り出す。

ゆがんだ水の球はその不恰好な形状を維持したまま、空中にふよふよと漂い、潮風に流されていく。


それを、虫取り網のようなものを持った神官たちが、飛び跳ねながら必死に回収して、せっせと袋に詰めているのだ。

捕まえ損ねた水のかたまりは、潮風に流されて右に左に揺れながら、ゆっくりと青空にのぼっていく。

悔しそうな顔でそれを見上げる、汗まみれの神官たち。


なにやってるんだろうアレ、とぼんやり思いながら、少年は壷を掻き混ぜている。


料理のにおいを嗅ぎつけて、ずるずると身体を引きずって寄ってきた『守護神様』に、


「味見します?」


少年は小皿を差し出す。

食用蝶の鱗粉(りんぷん)が湯気に混じって舞い上がり、キラキラと光る。


小皿に腕を突っ込んだ『守護神様』は、ずぞぞぞぞ、と水分を吸い上げた。具材だけを残して、あっという間にスープが消えうせる。


腕だと思っていたものは口だったらしい。

まばたきをした少年は、不思議そうに『守護神様』の巨体を見つめた。

たぽん、と水色のカタマリが揺れる。ゆがんだ水面の向こう、映った自分と目が合う。


「……あ。熱くないんです?」


「?」


不思議そうな反応を返す『守護神様』。

どうやら問題ないらしいと納得した少年は、西日の射し込む洒落たダイニングテーブルを指さして言った。


「もう少しでできるので、お皿を並べておいてもらえますか?」


***


両開きの扉を大きく開けて、大勢の人間が室内に乗りこんでくる。

数珠玉をいくつも繋げたような暖簾が、乾いた音を立てて揺れる。


「守護神様!」


真っ青な顔をした神官たちが、ぞろぞろと連れ立って現れた。

食事の真っ最中の異形の前に、次々とひざまずく。


「つ、次こそは必ず、守護神様のお気に召す、最高の料理人を連れてまいります! ですからなにとぞ、」


「イラナイ」


ダイニングテーブルに座って熱心に何かを咀嚼している『守護神様』の稀な様子に、古参の神官たちが揃って目を瞠る。


『守護神様』の脇に控えるように立っていた亜人の少年が、困り顔で言った。


「あの、『要らない』とおっしゃってます」


荷運びの人員として新しく雇った者だ、と雇用担当の神官が気づく。


「……は、?」


少年が『守護神様』の言葉を通訳したと即座には理解できず、大人たちは一斉に呆けた顔をした。


『守護神様』の長い腕が部屋の隅に伸び、床に転がっていたコック帽を拾い上げた。まるでオモチャで遊ぶかのように、それを宙に飛ばし――


――ぽん、と少年の頭に、コック帽が乗っかった。


「ココニイル」


「え、僕?」と少年。


「え、そ、その者ですか?」と神官たち。


落ちそうになったコック帽を両手で押さえる少年の鼻先に、ずいっと突き出される、空っぽの椀。


「あ、はい、ただいま」


椀を受け取った少年が、おかわりを盛りに、壷のほうに駆けていく。


ぴったんぴったん、と、床のタイルに手足を付けたり離したりしながら、少年が戻ってくるのをおとなしく待っている『守護神様』を、神官たちは目を白黒させながら見つめるしかなかった。

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