天使は微笑み以外を知らない
・原案:
-「「そんな関係じゃない」って笑いながら言える、そんな関係。」(里崎 なろうID:565366)
-「喋る無機物」(テイク TwitterID:@teikukigyouren)
・小説:ナット(TwitterID:@NAT_OSDAN)
・イラスト:リーフレット(なろうID:497496)
高い塀の向こうに太陽が見えるようになると、市街の喧騒はいくらか落ち着いたものになる。最も活発な経済活動のある朝と夕にはさまれたこの時間帯は、暇つぶしの散策にはもってこいだ。
昼下がりの市場を若い男と年若い少女が連れ立って歩いていると、先々の店から冷やかしの言葉が飛んでくる。大口の取引でのっぴきならない朝を過ぎてしまえば、商人たちもずいぶんと余裕があるらしい。
「いらっしゃい、お兄さん軍の人かい? いつもお勤めご苦労様。安くしとくよ」
「ありがとう」
やけに愛想のいい商店主の言葉に謝辞で返すと、彼の店を見渡す。新鮮な野菜や果物が所狭しと並べられていて、彩りすらも楽しいほどだ。
「りんごを二つ。青いのと赤いのを」
「ひとつずつで?」
「ああ、それでいい」
店主はてきぱきと紙袋にりんごを詰めて寄越した。たいした金も落とさないような客にも笑顔を絶やさない、商店主の鑑のような男だ。
「お前は、何か食べたいものはあるか」
「もも」
傍らの少女は控えめに応えた。
「すまない、桃をひとつ追加で」
「あいよ。可愛い恋人さんだね」
「そういう関係じゃないさ」
商店主のそれはほとんど冗句であったから、応える声にも笑みが混じる。傍らの少女は少しだけ不機嫌な顔をしたような気がしたが、それでも果実の――注文より少しばかり余計に――詰まった袋を渡されれば、それもわからなくなった。少女はおずおずとお辞儀をして、これには商店主も営業用の笑顔ではない本当の笑顔を見せた気がした。
「まいどどうも、また来てくださいな」
「ああ。きっと来るよ」
少女は辻を曲がるまで、小さく店主に手を振っていたし、愛想のいい店主は律儀にそれに応えて手を振り返してくれていた。
「平和だな」
「うん」
こぼれた想いに、少女も同調する。鈴を鳴らすような、可憐な声で。
「俺たちも、もっとがんばらなきゃな」
「うん」
応える少女は先ほどと同じ文言であったが、その意味するところ、こめた想いはわずかに重い。
「そういえば、恋人だとよ」
気分転換に笑いをかみ殺しながら、先ほど店主に言われた冗談を蒸し返してみる。すると少女は少し呆れて、次に少しさびしく、
「そういう関係じゃないよ」
そう言って微笑った。
+
宿舎の前で少女とは別れた。
「充電が切れそうだから」
自前の端末を確認すると、こちらの電池も切れかかっていた。そう長い間外出していたわけではないのだが、ここ最近、高電磁パルスの影響でこの都市全体にバッテリーの短寿命化がおこっている。おかげで携帯端末を持ち歩く人間も減った。
パルスの影響下では通信精度が低下の一途をたどっているのもその一因だろう。
「これはどうする」
先ほどの袋を掲げてみせると、
「また夜に」
長い髪を風に揺らして、少女は少し微笑みながら応えた。
+
遠くにサイレンの音が聞こえる。
「……入れるぞ」
薄衣だけを身に纏った私は少女の内側に這わせていた手を止めて、最後の確認とでもいうように尋ねた。
「……うん」
少女は少し躊躇いを見せたが、承諾した。
ムーディといえば聞こえはいいが、少しの下品さを含んだ赤い照明に照らされて、少女は生まれたままの姿でそこに在った。
彼女の心音が、うるさいほどによく聞こえる。
太く硬質な異物が、挿入された。カチン、と何かが噛みあったような感触があって、結合部から伝わってくる怖気とも快感とも取れる微弱な電気信号が、絶えずピリピリと脳を焼く。
どちらのものとも取れるうめき声が上がった。
「動くぞ」
「うん、大丈夫。でも、最初はゆっくり、ね?」
少女の言葉には首肯のみで返した。
ずん、という振動が、体の芯を貫いて揺さぶる。結合部から伝わる電気信号が途端に増幅されて、とんでもない刺激が脳を駆け巡った。
「ウッ、ハッ……」
「ゆっくり、ゆっくり……」
チカチカと瞼の裏でスパークが走るような錯覚を覚える。耳鳴りのなかに、私よりも幾分か余裕のある少女の声が聞こえた。
「これが初めてってわけじゃない。……大丈夫だ。いくぞ」
これが強がりでないと言えば嘘になろう。しかし、矜持というものがある。それがいかに矮小なものであったとしても、あるものはあるのだ。
「うん」
応える少女の声は短い。それでいい。余計なことを考えずに済む。
「降下開始」
「承認。降下開始」
私は短く命令を発して、少女は忠実にそれを実行した。
一際強い振動――もはや衝撃だ――が、全身に襲い掛かる。頭から急速に血が抜けていく感触があって、こぶしを硬く握ってそれに耐えた。
びゅうびゅうと唸る寒風に体を晒される圧倒的な質感が、首の後ろ、頸椎に深く差しこまれた神経同調プラグから怒涛の情報として流れ込んできて、脳みそをかき回す。
高度5万メートルからの自由落下は、何度やっても慣れることはない。先程まで足をかけていた「都市」のへりが、もう目視では確認できないほど上空にあった。
「バイタル正常。メンタル正常。接敵まで40」
窮屈なお人形から解放された少女――身長20メートルはあろうかという紡錘形の、鋼鉄の天使――は、ヒトの姿の時と変わりない声で胎内の私に告げる。
それは言外に許しを請うていた。素子の集積でしかない彼女の頭脳に、最終決定権はない。
「レーザー発振器全門開放。お前の好きなようにやれ」
であるから、許す。少女は心臓をトクンと弾ませた。
これは歓喜の音だ。
神経同調プラグから流れ込んだ照準情報を咀嚼して飲み込ませてやると、少女は自身の全身に設えられた光学レーザー発振器を次々に露出させてゆく。
そのころになってようやく、私も地表に蠢く悪魔の姿をとらえた。「都市」の敵、ヒトの敵、すなわち、私の敵。
少女と同じ鉄の体をして、同様に巨大でありながら、決定的に醜悪な存在。ヒトに仇なす存在。「都市」を脅かす外夷。それを屠るのに、戸惑いは無い。
「桃は冷蔵庫で冷やしてある。帰って二人で食べよう」
炉心の稼働率が急速に上昇していくときの「心音」を頭上に聞きながら、場違いなほど穏やかに、私は提案した。昼間の人のいい商店主の顔がちらついて、彼の言葉が妙に反響する。
恋人? いいや違う。失笑が漏れる。そんな高尚で、甘やかな関係ではない。私とこの少女の関係は、もっと浅く、無味乾燥としていて、されど何よりも深い。少女は鉄の天使で、私は一己の人間である。命を預け合う仲でありながら、対等ではない。そういった、どうしようもないような関係なのだ。
「うん」
光輪を背負い、全身から致死の光を迸らせた少女は、そう言って無垢に笑った。