その婚約破棄、ちょっと待った!~一人で悩まないでまずは相談を~
【その婚約破棄、ちょっと待った! ~一人で悩まないでまずは相談を~】
生徒会室から一番近い男子トイレの個室に入り、ドアを閉めたところで視界に入って来たのはそんな張り紙だった。
(……ちょっと待った、だと?)
僕はこの国の第一王子で、あと六時間後に婚約破棄をする予定なのだけど……
◇◇◇
〈予定まであと六時間〉
きっかけは些細なことだった。
婚約者で幼馴染のシャーロット・オル・ヴィステリア公爵令嬢とは、上手くいっていない。
気位が高く偉そうな彼女は「レオハルト様は王太子になるのですから」と、まるで教育係のように僕のやることなすこと厳しく口出しをしてくる。
周囲からは『淑女の鑑』だとか『華やかで凛としていて、未来の王妃に相応しい』などと言われているが、昔はそうじゃなかった。幼い頃の彼女はおてんばで、僕と一緒に城の中庭を走り回っては侍女に叱られていた、あの頃の元気で可愛らしい彼女はどこへ行ってしまったのだろう。
『シャーロットってば、ほんっと可愛げがないんだから』
『レオハルトはそのままでいいのだからね。私たちの可愛い子』
『あなたの素直で真っすぐなところが好きよ。そのままでいてちょうだい』
僕のことを認めてくれて、そのままでいいと言ってくれたのは二人のお母さまと二人のお姉さまだ。王家唯一の男児である僕を可愛がってくれて、惜しみない愛情を注いでくれる。それなのにシャーロットときたら、いずれ家族になるというのに僕に厳しいことばかり言う。彼女はきっと僕のことを愛してなどいないのだ。
13歳になり学園に入学すると、シャーロットはそれまで以上に僕に厳しくなった。優秀な成績を修め生徒たちの手本となることを求められる息苦しい日々が始まり、お姉さまたちも嫁いで遠くに行ってしまい、僕は拠り所を求めた。そんなときに出会ったのが、一学年下に入学してきたメルルーサ・グラス男爵令嬢だった。
元々庶子だった彼女は、平民の母親亡き後父親である男爵に引き取られ、試験で優秀な成績を修めて貴族学園に入学してきた期待の才女だ。僕が会長を務める生徒会に入ってきたメルルは、持ち前の明るさと貴族らしからぬ柔軟な発想で様々な改革案を打ち立て、魅力的な彼女に僕はどんどん惹かれていった。彼女も僕のことを好いてくれているようで「いけませんわ、殿下にはシャーロット様がいらっしゃるのですから……」と言いながらも、いつも僕の傍に寄り添って支えてくれるようになった。
そんな僕たちを見たシャーロットは、取り巻きの令嬢たちと一緒にメルルにきつく当たっているらしい。婚約者でもないのにでしゃばるなとメルルを突き飛ばし、僕がメルルに贈ったブローチを学園の中庭にある池に投げ捨てたらしい。
『シャーロット様はわたしのことがお嫌いなのでしょう。わたしが殿下の本当の恋人だと噂されていて、目障りなのでしょうね。わたし、そんなつもりじゃないのに……』
『メルルは一つも悪くない!僕が君を必ず守るから安心してくれ!』
『殿下……!わたし、シャーロット様より早く殿下に出会えたらよかったのに!』
『メルル……!』
僕はメルルを守ってやりたいし、彼女と婚約することが叶えばシャーロットとその取り巻きたちを未来の王子妃を虐げた罪で断罪することも出来る。シャーロットは僕に厳しくするばかりだし、メルルにまで辛く当たるような女性では王子妃に相応しくない。
だけど、メルルを妃に迎えたいと相談したところ、唯一無二の乳兄弟に真っ向から否定された。
『殿下、正気ですか?いくらなんでもグラス男爵令嬢に王子妃は務まらないでしょう』
『務まらないとはどういうことだ!メルルは大変優秀で、生徒会にも多大な貢献を果たしているじゃないか!!』
『グラス男爵令嬢の発想力は柔軟で、参考にすべきところもない訳ではありません。ですがこの国の価値観にはそぐわないものも多い。少なくともシャーロット様を押しのけてまで妃にする価値がある方とは俺には思えませんし、男爵家の庶子が相手じゃ国王陛下も取り合わないでしょう。もう少し現実を見ないと』
一番信頼している乳兄弟のカーティスに心無い言葉を投げつけられ、深く傷ついた。いつだって僕の味方だったカーティスがメルルを悪く言うなんてショックだった。もうお前には頼らない!と宣言し遠ざけて、生徒会の仲間たちにメルルとのことを相談したら、皆はカーティスと違って僕とメルルの仲を祝福してくれた。
『卒業パーティーでヴィステリア公爵令嬢に婚約破棄を突きつけては?』
『その場でメルルーサ嬢を婚約者にすると宣言すれば、国中の貴族たちに知らしめることが出来ます』
『殿下はメルルーサ嬢に、王族入りするにふさわしいドレスを誂えなくてはなりませんね』
『もちろん宝飾品は殿下の瞳の色と同じエメラルドで揃えましょう』
『カーティス様や側近たちにはご内密に。でないとヴィステリア公爵家の息のかかった者に露見してしまう恐れがありますから』
『王室お抱えの仕立て屋や商人を使うとバレてしまうので、俺たちの馴染みの店を紹介しますよ』
皆僕の気持ちに寄り添い親身になってくれて、有益な助言を沢山くれたので、それに従い準備を進めてきた。
そして、遂にパーティー当日。迷いなどなかったハズなのに、その張り紙がやけに気になった。
【悩んでいる方はこちらへ連絡を。秘密は必ず守ります】
◇◇◇
〈予定まであと五時間〉
「よく来てくれましたね。さ、そちらにおかけください。早速お話を伺いましょう」
「あ、あぁ……」
張り紙の案内に従い連絡を取ったところ、音楽準備室に来るよう指示された。ここなら防音がしっかりしているし、五時間後に控えたパーティーの準備で誰もが忙しくしているので、他の者は寄り付かないだろう。『相談員』のバッジを付けた穏やかそうな男性が温かいハーブティーを淹れてくれて、少し緊張がほぐれる。
「毎年ね、この時期になるとあなたのような生徒さんがやって来るんですよ。卒業を控えて、これからの人生に迷いが生じるのでしょうね」
「僕だけではないんだな……」
「貴族の結婚は、本人の意思より親の希望が優先されることが多いでしょう?そうやって決められたお相手とどうしても合わなかったり、学園で出会った婚約者ではない異性と想いを交わしてしまったり、ね。人の数だけ事情があるものです」
「そう、そうなんだ!」
同じような境遇の者が居るとわかって安堵した僕は、これまでのことを話し出した。
◇◇◇
「僕は、愛し愛される夫婦関係を築きたいんだ!メルルはいつだって僕のことを褒めてくれるし、誰よりも傍で励ましてくれる。シャーロットはいつも厳しいことばかりで、どれだけ頑張っても「もう少し頑張りましょう」とか「ここが間違ってます」とか、そんなことばっかり言うんだ!!」
「なるほど。つまりあなたは、ありのままの自分を愛してくれるお姉様方のような優しいお相手と結婚したくて、婚約破棄をするおつもりなんですね」
「その通りだ!シャーロットも昔は素直で可愛らしくて、婚約者に決まった時は嬉しかったのに……」
なんなら自ら父上に「こんやくしゃをえらぶなら、ぼくはシャーロットがいいです!」とねだった記憶もある。シャーロットの祖母は降嫁した元王女なので、ヴィステリア公爵家と王家の縁は深い。希望はすんなり通った。
「僕は幼い頃の、ありのままのシャーロットがよかったんだ。今のシャーロットは昔とはまるで別人になってしまった。それに比べてメルルは僕に寄り添って褒めてくれて、刺繍のハンカチを贈ってくれて女性らしいし、いつも優しくて愛らしくて癒してくれる!」
「立場が人を作ると言いますからね。きっとあなたの婚約者さんは、その立場に相応しい人になろうと、それまでの自分を変えて懸命に努力をされたのでは?」
「えっ?」
思いもよらぬことを言われた。
「婚約者が決まれば、まだ幼くても淑女であることを求められるでしょう。お相手が高貴な方であればある程、振る舞いは厳しく見られますしね」
「そ、そういうものなのか……?」
そんなこと、今まで考えたこともなかった。言われてみればシャーロットが大人しくなったのは僕と婚約した頃だったような気がする。
「婚約者同士でも、節度を守った付き合いが求められます。子供の頃と同じではいられないのですよ。態度が厳しくなったのは、そのような背景があったからではないでしょうか」
そういえばカーティスはそのようなことを言っていた気がする。
『殿下、シャーロット様は殿下の婚約者に相応しくあろうと凄まじい努力をなさっています。彼女の献身に報いることが出来るよう、殿下も今以上に頑張らなくてはいけませんね』
僕はその時なんと返したのだっけ。もう思い出せない。
「あなたが惹かれているメルルさんは、市井でお育ちになったせいか年齢の割に些か奔放な印象を受けます。婚約者さんが苦言を呈するのはごく自然なことですし、メルルさんのためを想うならあなたが注意しないといけないことですよ」
「うっ……」
それもカーティスに似たようなことを言われた。
『グラス男爵令嬢は男爵家に引き取られてまだ日が浅いので、貴族としての振る舞いがまだ身についていません。それを殿下が許容していたら、いずれ困るのは本人ですよ』
そう言われたときはメルルにそのように注意したが『では、殿下が貴族の振る舞いを教えてくれるのですか?』と可愛らしく聞かれて、それ以来彼女と過ごす時間が増えたのだ。未熟だから他の人の前に出るのは恥ずかしいと言うので、彼女が親しくしている友人や生徒会の仲間以外は排除して過ごすようになった。思えばあれ以来、シャーロットとはまともに顔を合わせていない気がする。
「ではどうすればよかったというんだ?困っている生徒を見過ごすのはよくないだろう」
「なにもあなたが直接教える必要はありません。異性では教えられることに限度がありますし、何よりあなたが直接教えては、婚約者がいるのに他の異性と親しくしていると周囲は見ます。誰にとっても不名誉なことです」
「ううっ……」
「ご友人の忠言を聞き入れて、頼りにするといいでしょう。話を聞いていると、あなたのことを大事に思っているようですから、遠ざけたことを謝って仲直りしたらよいのでは?」
「でも、前は僕がいくら遠ざけても離れなかったのに、最近は全然僕の傍に居ないし、話し掛けてもこないんだ。僕の事をもう見放してしまったのかも……」
「見放すもなにも、そっちが先に俺を遠ざけたんでしょーが」
「!?」
振り返るとそこには、久しぶりにこの距離で見るカーティスが呆れ顔で立っていた。
「カーティス、どうしてここに!?」
「細かいことは後回しです。パーティーまでもう時間がない中、目を覚ますキッカケが与えられたのは僥倖でした。先生、ありがとうございます」
「いいや、ただ話を聞いただけだよ。これからは君が力になってあげてね」
「あ、あの、ありがとうございます!」
「勇気を出してここまで来てくれてよかったよ。あのね、愛し愛されたいのは何も君だけじゃないと思うんだ。そのことをよく考えて、大切な人達と向き合っておいで」
そのままカーティスに引き摺られ、音楽準備室を出た。相談員は僕たちが見えなくなるまで手を振ってくれていた。
〈予定まであと四時間〉
◇◇◇
卒業パーティーでは、学園のホール入り口でエスコート相手と待ち合わせをし一緒に入場することになっている。僕とメルルは一番最後の入場になるようギリギリの時間に待ち合わせをしていた。
「メルル!」
「殿下、お待ちしておりました」
僕が贈ったベビーピンクのフリルたっぷりのドレスは彼女によく似合っていた。ふわりとしたチョコレート色の髪をゆるく結い上げ、エメラルドをあしらったティアラのような髪飾りを付けていてとても愛らしい。
「では、行こうか」
「夢みたいです。こうして卒業パーティーで、殿下にエスコートしてもらえるなんて」
「夢じゃないよ、メルル」
「はい。無事に今日を迎えられたことを、嬉しく思います。ようやく殿下もシャーロット様から解放されるのですね!」
扉の前で僕は立ち止まり、彼女の手を離して問い掛けた。
「メルル、君は僕のことをどう思ってる?」
「殿下?」
「君はいつでも僕の傍に居て寄り添ってくれたし、辛いときには励まして支えてくれた。君は、僕の事を愛しているからそうしてくれたんだよね……?」
「まぁ、殿下ったら。このようなところで……」
恥ずかしそうに頬を染めたメルルは、柔らかな両手で僕の手を包み込み、自らの胸元へ近付けた。
「わたしの気持ち、こうすれば伝わりますか?」
「……あぁ」
「ふふっ、よかった!さぁ、入りましょう?わたし、殿下とファーストダンスを踊るのを楽しみにしていたのです」
メルルに手を引かれてホールの中へ入る。他の令嬢は決してしないような、彼女のこういう奔放な振る舞いは自由で魅力的なものだと思っていた。ほんの五時間前までは……
◇◇◇
「メルルーサ・グラス男爵令嬢、あなたを詐欺罪で拘束します」
「きゃっ……!?」
ホール内にはメルルを捕らえるために王城から派遣された兵士たちが詰めていて、パーティー参加者は既に別会場に移動した後だ。
「そんな、詐欺だなんて……何かの間違いです!」
「グラス男爵令嬢、あなたとお父上がしたことは既に露見しています」
「―――!」
「おや、そのようにあからさまに反応しては、誤魔化しきれませんよ?」
「くっ……!」
兵士たちの後ろから出てきたカーティスの挑発に、メルルの顔が憎々し気に歪んでいく。彼女もこのような顔をするのかと、全てを知った今となっても信じられない気持ちがまだ自分の中にある。
「殿下!助けてください!!何者かがわたしを陥れようとしているのです……そう、そうです!きっとシャーロット様の仕業に違いありません。殿下と恋仲になったわたしを妬んでこのようなことを……っ!」
「お黙りなさい。名を呼ぶことなど許していなくてよ」
「なっ!」
カーティスの陰に隠れていたシャーロットが姿を現すと、メルルの表情が一層歪んだ。
「殿下、殿下、違うんです。わたしは何もしていません!そう、父が!男爵が全て――」
「メルル、僕は君のことが好きだった。だけど君は、一度も僕のことを好きだと言わなかった。カーティスが教えてくれたのだけど、何かあったら僕一人に全てを擦り付けて逃げるつもりだったんだろうって。それは、本当のことなのか?」
「……何をおっしゃっているのかよくわかりません。わたしはずっと殿下に寄り添って、お支えしていたでしょう!?それが全てではないですか!」
ここまで言っても、メルルは頑なに僕の事を好きだと言わなかった。
たった一言、その言葉が聞けたら、それでよかったのに。
「もういい、連れて行ってくれ」
「はっ!」
「いやっ!何をするの!!離しなさいよ―――――!」
バタンッ
大きな音を立てて扉が閉まり、僕とカーティスとシャーロットだけがホールに残される。
「言っておきますけど殿下、もしあそこでグラス男爵令嬢があなたを好きだと言っても、彼女の罪が軽くなったりはしませんからね」
「べ、別にそんなつもりはない!」
「はぁ、だといいのですけど。あのようなことをシャーロット様の前で問うのはあまりにも軽率な……」
「いいえ、カーティス様。寸でのところで間に合ったのですから、よしとしましょう」
「……他でもないあなたがそうおっしゃるなら、この辺にしておきます」
「し、シャーロット、僕はその、なんだ、えっと……」
「カーティス様、少し殿下と二人でお話をしたいのだけれど、よろしくて?」
「わかりました。我々は外で控えておりますので、何かあったらお呼びください。殿下、ここが運命の分かれ目だと思ってくださいね」
「ま、待ってくれカーティス行かないで…っ!」
「待ちませーん」
さっきと同じように、バタンッと音を立てて扉が閉まった。
◇◇◇
〈予定変更〉
「今まですまなかった!!!!!!!」
「……いえ、殿下、私は」
「本当に申し訳ない!!!!!」
「いいえ殿下、私は……」
「ごめんなさい!!!!!!」
「殿下、少し黙ってくれません?」
「はい静かにします!!!!!」
誠意を見せようと全力の謝罪を繰り出したが、怒られてしまった。
「まず最初に、どの程度理解されているか不明なので改めてお話しします。殿下はグラス男爵令嬢を含む生徒会の面々に騙されていたのです。学内の出来事は外に伝わりにくい分、私とカーティス様で殿下をしっかり見張っていなければならなかったのに、あの方たちは殿下の純情を利用して私たちから遠ざけました」
メルルの父親は平民から成り上がった男爵で、メルルを利用して更に成り上がろうとしたらしい。生徒会の皆もグラス男爵の手の者だったと言われて驚いた。僕がメルルのドレスや宝飾品を揃えた店からは相場の倍以上の金額が請求されていて、無知な僕は何の疑問にも思わず提示された額を支払ったが、それも全てグラス男爵に流れていたと聞いて愕然とした。
「メルルーサさんは殿下の妃になって、市井で暮らしていた頃の恋人を愛人として囲い込むおつもりだったのです。私はカーティス様と共にグラス男爵家の内情を探り商売上の不正の証拠などを手に入れ、今日のパーティーの場で殿下共々グラス男爵家を断罪するつもりでおりました」
「僕もなの!?」
「勿論です。周囲の甘言に惑わされた殿下を廃嫡して、隣国に嫁がれた第一王女殿下の三人目の御子様を養子に迎え入れる計画が持ち上がっておりましたの」
「何も聞いてないんだけど!?」
「殿下にバレていないことこそ、この計画が順調に進んでいた証左ですわ」
ですが、と一息置いて、それまでよりも柔らかい表情になったシャーロットはこう続けた。
「殿下は直前で踏みとどまってくださいました。自らメルルーサさんの行動に疑問を抱き、カーティス様の御言葉を聞き入れこちらに戻られましたし、彼女の断罪にも協力的でした。これまでの行いを反省し挽回することが出来れば、国王陛下も安心して貴方を立太子させることでしょう」
「よ、よかった……君やカーティスにもとんでもない責を負わせるところだったね。ごめんよ……」
「私のことはよいのです。殿下の婚約者の立場は辞して、領地でひっそりと生きていくつもりですので」
「えっ、どうして?」
「此度のことは、ひとえに私が殿下と信頼関係を築けていれば起こらなかったことです。殿下の婚約者でいる資格はもうございません。それに……」
今まで見たこと無いような弱弱しくて悲し気な瞳で、それでも僕を真っすぐ見つめて言った。
「私も、少し疲れてしまいました。幼い頃は何も考えずにただ貴方のお傍で笑っていられたのに、どうしてこうなってしまったのでしょうね?」
「シャーロット、僕は……」
「殿下がメルルーサさんに向けた優しさを、愛情を、私にも向けて欲しかった。でもそれは、私がそうするに値しない存在だから得られなかったのです。幼い頃のように共に笑い合って過ごす夢はもう叶いませんが、貴方様の治世がよきものになることを祈って領地で静かに過ごします。あぁ、修道院に入るのも良いかも―――」
「待ってくれシャーロット!!!僕は君の事が好きだ!!!ずっと昔から!!!!!」
驚いたシャーロットが静かになった隙に抱き寄せ、何か言われる前に僕の気持ちを全てさらけ出そうと必死に言い募る。
「君は僕が望んだ婚約者だ。父上にシャーロットを婚約者にして欲しいと僕がお願いしたんだ。婚約したら君は僕にとても厳しくなってちょっと怖かったしお姉さまたちも可愛げのない子と言うので真に受けてしまったけど、僕が王太子に相応しく育つように、お姉さまやお母さまが言わないような厳しい言葉を掛けてくれたんだって今ならわかる!」
「…………正直、国王陛下ご夫妻も王女様方も、貴方に甘すぎなのですわ」
「だよね!?さっきカーティスに言われて気付いたけど、僕家族に叱られたことって一度も無いもの!!!」
お姉さまたちは僕を可愛がるあまり、僕が自ら望んだ婚約者のシャーロットの存在が面白くなく、わざと悪く言っていたらしい。言われてみればお姉様たちが嫁いでからは、シャーロットのことを悪く言うような人はメルルや生徒会の面々しか居なかった。
「ごめんシャーロット。僕は、家族ってそういうものだと思っていたんだ。優しく甘やかしてくれることが愛情で、それ以外の愛情の形を知らなかった。君はずっと僕に愛情を与えてくれていたのに気付かなかった」
「だから、望んだ通りの形の愛情を与えてくれるメルルーサさんに惹かれたのですね?」
「……彼女は僕にとても優しくて、甘やかしてくれて、お姉さまたちのように全て肯定して寄り添ってくれた。それを真実の愛だと勘違いして、騙されていることにも気付かなかった。思えばメルルからは一度も好きとも愛しているとも言われていなかったのに」
メルルとの幸せだった日々は、今思い返せば度々おかしいなと思うことがあった。二人だけで出掛けるはずが生徒会の面々が我が物顔でついて来て僕の支払いで飲食や買い物をしたり、学内への立ち入りが禁じられているはずの商人が生徒会室にやってきてメルルから宝石をねだられたりしたこともあった。
「そんなことまで……?メルルーサさんにはしっかり裁きを受けさせなくてはいけませんわね…………」
「シャ、シャーロット、ごめんなさい……」
シャーロットの冷笑が物凄く怖いけど、ここで僕が怯んではいけない。震えている場合じゃないぞ僕。
「シャーロット、僕はこれから父上の後を継いでこの国を守っていけるよう、精一杯努力する。君が幼い頃のように僕の傍で笑って過ごせるよう、ずっと気を張っていなくても僕に安心して背中を預けられるような存在になるから、婚約者のままで居て欲しい。とても遅くなってしまったけど、やり直したいんだ」
「……私には、メルルーサさんのような愛嬌はありません。つまらない女です。それでもよいのですか?」
「愛嬌はよくわからないけど、シャーロットは小さい頃からずっと可愛いし、大人びて綺麗になったよ!」
「なっ……!」
「僕は、両親のように政略結婚でも愛し愛される夫婦関係を築きたい。遅くなったけど、今からでも君とそうなれるよう、頑張らせてくれないか……?」
「……私は、先程も言いましたけど愛嬌のない女ですし、このようなことがあった以上周囲の目が厳しくなるので、これまでよりも更に貴方に厳しくしなくてはなりません。それでもよいのですか?」
「うっ……頑張ります」
「……貴方がそう言ってくれるのなら、私も頑張ります」
そうして僕たちは、卒業パーティーを欠席して二人きりの時間を過ごした。
◇◇◇
〈婚約破棄キャンセル後〉
「所長、お疲れさまでした。王族の方の婚約破棄があると後追いする者がどっと増えるので、殿下が思いとどまってくれて本当によかったです」
「あぁ、フィル!ご苦労だったわね!お陰で殿下を唆した令嬢も、加担した令息たちも一網打尽よ。ふふっ」
「グラス男爵は爵位剥奪の上遠隔地での強制労働が決まったそうで。令嬢の方は必死で逃げようとしているみたいですが、往生際が悪いですねぇ」
毎年毎年、卒業シーズンになると婚約破棄をする令息令嬢が後を絶たない。フィルを始めとするこの相談所の職員たちは、そういった出来事がキッカケでここで働き始めた者が多い。
「それにしても、今回の一件は近年稀に見る大団円ですね。レオハルト殿下は視野が狭いですけど、素直な気質で助かりました」
「今回の一件で懲りただろうし、あのしっかりした公爵令嬢を娶れるならなんとかなるでしょう」
「この話が広まったら、来年のこの時期は俺たちもゆっくりできますかね」
「どうだかね。若者の話題の移り変わりなんてあっという間よ?」
コンコン、と音楽準備室にドアノッカーの音が響く。
「失礼します、マルグリット所長、フィル副所長。クロフト伯爵家のご令嬢が舞台役者に入れ込んで、卒業後の結婚を厭って侯爵家の次男との婚約破棄を目論んでると、卒業パーティーで話題になっていたようです。どうしますか?」
「今度はご令嬢の方からかー……」
「次男はエスコートも拒否されたようで、早々に会場を出てトイレに籠っていました。個室の張り紙を見ていたら、こちらに連絡があるかもしれません」
「わかったわ、報告ありがとう。さて、もうひと働きしましょうか……!」
「はぁ、まだまだ落ち着くのは先ですね……」
こうしてまた一人、悩める令息が音楽準備室へやってくるのでした。
それからどうなったかは、また別のお話。
令嬢側の視点や「うーん、それは婚約破棄したほうがいいですね!」なネタも書いてみたいなと思いつつ、これにて一区切り。
あと四時間~メルルをエスコートしに行くまでの間に、殿下は大急ぎで謝罪文を書いて、カーティスが用意してくれていたシャーロットへの宝飾品をヴィステリア公爵邸に届けて、パーティーに出席する彼女が自分の婚約者であることを示せるギリッギリの体裁を整えました。最終的に欠席して二人で過ごしたのですが、カーティスには足を向けて眠れません。
お読みいただきありがとうございました!