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生首

 朝から響く甲高い「やーとー」というすっかり聞き慣れたかけ声を、ヴィドゥキント公爵は穏やかに聞いていました。


 アンジェリークが屋敷を飛び出し黒の森へ行き、賊の砦を一つ落としたときは娘が全く未知の存在になっていて不安と恐怖が渦巻いていましたが、その日以降アンジェリークは特に森へ行くこともなく屋敷で大人しくしていました。


 大人しくと言っても剣の鍛錬は積んでいましたし魔法の研究もしていましたが、森で賊をぶち殺すことを考えれば十分大人しいと言えるでしょう。剣が使えるのはザクセン家の娘としてはマイナスではありませんし、姉のアレクサンドラという前例もありますので。


 アンジェリークはなんの前触れもなく黒の森に行ったり、賊滅したりしたのが悪いのです。アレクサンドラは剣の稽古はしても実際に人を斬り殺したことは当然ですがありません。


 やーとーやーとーしていても、森にさえ行かなければそれ以外は基本的に以前と変わりません。礼儀作法は完璧で、時々歳相応な可愛らしさも見せる、亡き妻が残した愛すべき末娘。それが公爵にとってのアンジェリークなのです。森にさえ行かなければ。


 安心していた公爵は「森へ行かないのは未熟だから」というアンジェリークの台詞をすっかり忘れていました。


 アンジェリークの声が消え、暫くするとアンジェリーク付きのクララが申し訳なさそうにやってきました。公爵はきゅきゅきゅと胃が縮むような感覚を覚えました。


「お嬢様が「ちょっと行ってくる」と言って屋敷を飛び出しまし、旦那様!?」


 目を背け続けた現実が目の前に現れ、公爵は膝から崩れ落ちました。




 屋敷から飛び出したアンジェリークは暫く走った後、思案するように視線を上に向け、しまったとばかりに頭に手を当てて止まりました。


「私が考える以上に前世を引きずってるね……」


 アンジェリークは公爵に心配をかけていることにようやく気が付きました。気が付いた理由はローザとの手紙です。公爵様に心配をかけないようにと書かれていたのをふと思い出し、今の自分というものに気が付いたのです。現世では心配させるようなことを一切せず、前世では何処へ行こうが心配されることがなかったため完全に意識にありませんでした。


 前世と今世、全く違うはずなのに全く違和感を持っていないためズレに気付かなかったのです。


 気付いてしまえば公爵にどれほど心配をかけたのかアンジェリークにはおおよそ理解ができました。前世で可愛がっていた七歳年下の妹が、治安の悪い場所に行けば居ても立ってもいられなかったでしょう。


「よし、心配事を解消すれば大丈夫か」


 アンジェリークはそう考えると屋敷ではなく街の中心部へと向かいました。目的地は冒険者ギルドです。


 この世界において冒険者というのはギルドに身分を保障されたある程度の戦闘能力を有して街を移動する個人、もしくは数人のグループを指します。ギルドは基本的に何でも屋で、危険な場所に生えている植物を入手したり、賞金首を捕まえたり、商人の護衛をしたり、辺境の村の魔物被害に対処したり、古代遺跡の調査をしたりと仕事は多種多様に存在します。国や領主では予算や柔軟性の問題で対応できない諸処の問題に民間組織として応じるのが冒険者というわけです。


 そんなギルドにやってきたアンジェリークは興味深げに見回しながら受付へと向かいます。ピシッとした制服を着た二十歳ほどの受付嬢がアンジェリークへと笑顔で頭を下げます。


 アンジェリークが黒の森へ行った事件は公爵家の醜聞の拡散を防ぐため秘匿されました。アンジェリークも捕まっていた女性達に名乗ることもしなかったため、実際に何があったか知っているのは屋敷の者と公爵家の私設騎士のみです。ゆえに受付嬢は目の前の少女が今から黒の森に行こうとしている公爵家の次女だとは当然ながら考えませんでした。


「いらっしゃいませ。ご依頼はなんでしょうか?」

「冒険者の登録ってここでいいですか?」

「……登録ですか?」


 受付嬢は確認するように問いかけました。よい生地の乗馬服もどきを着ているアンジェリークはどう見ても上流階級の少女なので何かしらの依頼にきたのだと思ったのです。


 アンジェリークは笑顔で頷いて答えます。


「はい、登録です」

「承りました。それではこちらの用紙に記入をお願い致します」


 受付嬢は特に疑問に思うことなくアンジェリークに登録用紙を渡しました。冒険者ギルドから発行される身分証を持ちたがる貴族というのは一定数存在するのです。平民としての身分というのは便利な場合があるからです。少額を払えば誰でも偽名でも身分を偽ってでも登録することが可能な上に冒険者ギルドが保障してくれます。ただし、悪用した場合はギルドから指名手配され地の果てまで追い回されることになりますが。冒険者ギルドは信用が重要な商売であるためその辺りは恐ろしく厳しいのです。

 

 適当にアンという偽名で書類を記入したアンジェリークはギルド証を手に入れました。軍人の認識票よろしく首からぶら下げられるようになっていて、金属製の板に名前と星が一つ書かれています。

 

 ギルド会員となった冒険者には星の数で示される階級が存在します。見習いの一つ星から最高位の七つ星まで存在し、それが冒険者の実力を示しています。実力と言っても戦闘力ではなく信用度と言った方が正しいですが。基本的には星が多いほど戦闘能力も高いですが、戦闘力皆無でも荷物や手紙の運搬で王族や貴族の信頼を勝ち取り、七つ星にのし上がった者もいたりします。

 

 ギルド証を首からぶら下げたアンジェリークは近くのコルクボードへと向かいます。採取、護衛、討伐等の区分けがされているコルクボードのうちの賞金首と書かれている物から黒の森に関わっていると思われる手配書をいくつか拝借し、内容を紙に書き写していきます。写真など存在しないため、手配書には絵など無く特徴が箇条書きで書かれているのです。


 アンジェリークは考えました。どうしたら心配されないだろうかと。そして、賞金首を狩れるということを証明すれば心配されないだろうと考えました。


 前世で妹を心配したのは妹が武道など習っておらず弱い為で、強ければ心配などしなかっただろうと、自身の過去から判断しました。違う、そうじゃないと止める存在はその場にはだれもいません。


 一応、アンジェリークの登録を担当した受付嬢が心配そうに見てはいました。ギルドに入って即座に賞金首の情報を纏めている十三歳ぐらいの少女がいたら当然です。しかし、止める暇も無くアンジェリークが出て行ったのでどうにもなりませんでした。


 ギルドのような幇助組織があるとはいえ冒険者は自己責任が原則です。ああ無情と受付嬢は涙を飲みました。


 ギルドを出たアンジェリークは黒の森に近い門へと向かいました。そしてギルド証を提示して町の外へと出ました。前回、アンジェリークが突破した後は警戒されていましたが、もう大分時間が経ってしまったため警戒は薄れていました。公爵による情報隠蔽の効果もあり、前回突破したのがアンジェリークであるということも知られていませんでした。


 まっすぐ森へと向かったアンジェリークは、出てきたゴブリンを五体ほど撫で斬りにしたところで太刀を見て口をへの字に曲げました。


「本当、気持ち悪いぐらい斬れる太刀だなぁ」


 前世で刀を幾度となく扱ったことがあるため、刀というのがどのぐらい斬れるのか感覚で分かっています。ゆえに異様なほどスパッと斬れるこの太刀には違和感しか覚えません。切れ味が良いのは悪くはないですが、ここまで異様だと感覚が鈍りそうだという懸念があります。今使う分にはともかく、慣れてしまうと折れた時に困るのです。


 とはいえ、今はこの太刀以外にはドスぐらいしかないので折れるか他のが見つかるまで使っていくしかありません。血糊で刃が鈍る様子も刀身が歪む気配もないので長持ちしそうではありますが。


 森に入ったアンジェリークは懐から手配書の写しを取りだして確認します。黒の森は薬草等の素材の宝庫であるため冒険者も結構入り込んでおり、その冒険者達の目撃証言により手配犯の潜伏地域というのも大まかですが予測が出ているのです。まあ、黒の森は複数の国家に跨がるクソ広い森なので本当に無いよりマシの目安程度ではありますが。


 そんな手配書を見て、近いところに潜んでいると思われる賞金首のところへ向かいます。なお、一番近いところに居たのは先日蒸し焼きにした全身金属鎧マンでした。


 アンジェリークは時々現れる魔物を刀の錆にしつつ森を進み、暫くすると人の痕跡を発見しました。発見したのは戦闘の跡、おそらく複数人でゴブリンと戦ったのでしょう。死体が片付けられているのを見るに近くに拠点がある事が覗えます。死体が放置されれば魔物を呼び寄せるため、拠点近くでは穴を掘って埋めるなり崖があれば下にでも落とすなりする必要があるからです。


 血液の乾き具合からしてちょっと前に戦闘があったのだとアンジェリークは判断しました。戦闘で怪我を負った人間を二人で支えていたようで、足跡が狭い間隔で乱れています。アンジェリークは足跡を追跡し、砦を発見しました。

 

 そこからは基本的に前回と同じでした。強いて言えば高速戦闘技術の練度が向上していたのと足場を作る魔法のおかげで前回以上に素早く賊を殲滅できました。賞金首も出てきましたが、前回の金属鎧マンとは違ってあっさり倒せました。金属鎧マンの難点はその金属鎧であり、雑魚よりも武勇に優れる程度ではアンジェリークの相手にはなりません。アンジェリークの高速戦闘術は特異すぎて対応が難しいのが主な理由です。


 賊を殲滅したアンジェリークは砦を見て回ります。前回のように誘拐された者が囚われているかと考えたのです。地下はなかったので人の気配のなかった部屋を調べていくと、宝物庫として使用していたらしい部屋を見つけました。中には金貨や銀貨から衣服や武器に陶器に秤や延べ棒や絵画に楽器に宝石にと統一感のないものが雑多に纏められていました。


 彼らはこんなものを集めて一体どうするつもりなんだろうとアンジェリークは首を捻りました。財貨は商品を購入しなければただの鉱物であり、衣服や武器など使わなければ持ち腐れ、陶器に絵画に楽器などは文化趣味がなければ無用の長物、延べ棒や宝石などは素材でしかなく、秤に至っては何を計測するつもりなのか疑問しかありません。全て人の街でこそ役立つ物であり、こんな砦に溜め込んだところで自己満足以外なにもできません。街へ行きたくとも複数の国家に跨がって展開している冒険者ギルドに指名手配を受けているので街に出られないというのもあるかもしれませんが。


 農村を襲って食料を奪うのはともかくとして、商人を襲って物品を奪い、それを無意味に溜め込むというのがアンジェリークには理解出来ませんでした。


「お嬢さん!」


 宝物なんぞ持ち歩くのは邪魔くさいがゆえに放置して去ろうとしたアンジェリークの背に甲高い声が投げつけられました。振り返りますが、誰かがいるようには見えません。


「こっちこっち!」


 声の聞こえた方に近づき目を凝らすと、鳥籠の中に小さな人が入っているのが見えました。見た目麗しい中性的な容姿で衣服からも性別の判定はできず、背中から羽が生えています。つまりは、妖精が捕らえられていました。


「あーよかった。気付かずに出て行こうとするから焦っちゃったよ」

「そうですか。ではさようなら」

「イヤイヤイヤイヤイヤ! この状況で放置して出て行くつもり!? どういう教育受けてるの!?」


 手を上げて挨拶して部屋から出て行こうとしたアンジェリークに妖精が驚愕したように叫びました。


「妖怪変化の類いには興味がありません」

「いや待とう! 私みたいな可愛らしい妖精さんがこんな鳥籠に捕まってるんだから助けようと思うのが人情じゃないの!?」

「妖怪変化の類いには興味がありません」

「本当に興味なさそうだな! 何人もの人間と関わってきたけど君ほど興味を持たれないのは初めてだよ!」


 面倒くさそうに同じ台詞を繰り返すアンジェリークはどう見ても路傍の石程度の興味しかもっていません。妖精も本気で自分に興味を抱かない人間は初めてだったので驚愕しました。粗野な賊ですら売れると踏んで捕まえるぐらいに興味を持つのですから。


 価値がないものとして扱われた妖精は少し心が折れかけていましたが、ここでアンジェリークを逃してしまえば檻に閉じ込められたままなので必死に縋り付きます。


「僕は便利だよ! ほら、賊に見つからないように偵察とかできるし!」

「もう賊はいないので無意味です。全員斬りましたから」


 その台詞を聞いてアンジェリークが太刀を持っていることに妖精はようやく気が付きました。そしてアンジェリークから漂う血の臭いからそれが本当だと理解してしまいました。


「それだったらここから出してくれたっていいじゃん!」

「あなたが私に危害をくわえない確信がないからだめです」

「いやいや! 助けてくれた人に害なんか与えないし、そもそも賊を殲滅できるような人を相手にできるほど強くないから!」


 慌てて身振り手振りを駆使して否定する妖精をアンジェリークは感情のない目でジッと見つめます。


「私はあなたの種族を全く知りません。人間同士ですら価値観が合わずに殺し合いをするのに、生き方そのものが違うあなた達がどういう価値観で他者を攻撃するのかがわかりません。分からない以上、この状況であなたと関わり合いになりたくありません」

「賊ぶっ殺しているのに随分と臆病だな……」

「臆病じゃなくて慎重ですね、この場合は。罠の可能性もありますから」

「檻に閉じ込められてる僕が賊に加担する理由がないでしょうが!」


 激昂する妖精を見てアンジェリークは郷愁を感じました。前世の妹の鋭いツッコミを思い出したのです。罠の可能性はほぼ無いとは思っていましたが、懐かしくついついからかってしまいました。


「分かった! だったら契約をしよう! そうすれば問題ないだろう」


 からかわれていると気付いていない妖精は埒が明かないと思って言いました。


「君を主として契約する。そうすれば裏切らないとわかるだろう? 契約はわかるよね?」

「それは当然。しかし、いいんですか?」


 契約というのは魔力により特別な関係を結ぶことです。今回の場合、妖精はアンジェリークを主とする奴隷契約に近い契約になります。実際の奴隷のような縛りの強い契約にはなりませんが。


「ここに閉じ込められ続けるよりは遙かにマシ! それに、君が寿命で死ぬまで付き合ったとしても僕にとっては刹那とかわらないしね」

「何十年を刹那というあたり種族の違いを感じますね。まあ、それならいいでしょう」


 特に自分にとって不利にならないためアンジェリークは了承しました。仮に嘘を吐いたとしても契約の時点でわかり、拒否も可能なので問題ありません。


「内容は君に危害を加えないこと。これはよかれと思ってやったことが不利に働いた場合は除外する。許可が出る、もしくは不可抗力でない限り繋がりが断たれるほど遠くへは行かない。これでどう?」

「問題ないですよ。では結びましょう」


 アンジェリークはドスで人差し指の先を刺して魔力を纏わせた血の一滴を口へと落とします。妖精はその血液を使い契約のための魔法陣を展開しました。アンジェリークは心に何らかの繋がりを感じました。


「契約完了。では開けますね」

「うわぁあああ! 自由だぁ!!!」


 檻の鍵を開けると妖精が凄い勢いで飛び出してきました。そしてビュンビュンとアンジェリークの周りを飛び回ります。

 

「ありがとう! あー! 本当に辛かったんだよ! 僕は狭いところが本当に苦手で!」

 

 興奮したように早口で妖精は捲し立てました。どうやら狭い場所に閉じ込められるというのがかなり苦痛だったようです。捲し立てたのち、晴れ晴れとした表情でアンジェリークの手、というか指を握ります。


「本当にありがとう。この恩は絶対に返すよ」

「そうですか。今日は目的も達成したので今後の話はウチでしましょう」


 感謝してもしたりないという妖精にアンジェリークは愛想笑いで答えました。




「ただいま帰りました!」


 妖精を助けたアンジェリークはまっすぐ屋敷へと帰りました。妖精には隠れて貰っています。妖精の目撃情報は少なく、契約したという話も皆無なので知られたら面倒になると思ったからです。


 妖精はアンジェリークが公爵令嬢だと知り絶句していました。人間社会にそれほど詳しいわけではないのですが、良いとこの娘さんが黒の森に一人でやってきて賊を殲滅するのがかなりの非常識であるのは分かっているからです。


「アンジェリーク……」


 駆けつけた公爵はホッとしたような怒ったようななんとも言えない表情を浮かべていました。そんな公爵にアンジェリークは申し訳なさそうに頭を下げました。


「お父様、ご心配をおかけして申し訳ございません」


 今更何を言っているんだお前は。聞いていた使用人一同の心が一致しました。


 一方、頭を上げたアンジェリークは笑顔で続けます。


「しかし、もう大丈夫です。こちらをご覧ください」


 アンジェリークが手にしていた風呂敷包みを地面に置き、その場に広げました。そこには本日ぶっ殺した賞金首の首が入っていました。公爵の後ろに控えていたメイド長が卒倒しました。

 

「森に潜んでいた賞金首です! 討伐の証として首を持ち帰ってきました!」


 目標であった賞金首が狩れるということの証明をアンジェリークは果たしました。


「アンジェリーク……!」


 公爵は泣きそうな表情でその場に膝を突きました。静まりかえった現状にアンジェリークは反応が予想と違うと首を傾げました。妖精はこの娘と契約を交わして本当に大丈夫だったんだろうかと今更ながら後悔していました。

ツッコミ役が必要だなと感じたので付けました。

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