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むかしむかし

アリスは妖艶な占い師に的確な指摘を受け、足を止めた。占い師は静かに微笑みながら、「金は取らないわ、ただ占わせてくれたら、あなたに得になる情報を教えてあげる」と囁き、手招きした。アリスはその申し出に半信半疑だったが、何かを感じ取り、渋々そのテントへと足を踏み入れた。


テントの中は外界とは全く異なる異次元のような空間だった。色鮮やかな布地が天井から垂れ下がり、四方を囲んでいる。その隙間から差し込むランプの淡い光が、室内を薄暗く照らし出していた。香炉から立ち上るお香の煙が、重く甘い香りをテント全体に漂わせ、空気は厚みを帯びているように感じた。その香りは、異国の花々や草木から抽出されたもののようで、アリスの感覚を微かに揺さぶった。


占い師は、アリスが腰掛けるや否や、何の前置きもなく話し始めた。低く響くその声は、まるで遠い過去からの呼び声のようで、アリスの心を引き込んでいった。


むかしむかし、あるところに、みんなから愛される特別な王女と、とても強い大王がいました。王女さまは、不思議な力で「生命の糸」というものを操っていました。その糸がいつ切れるかで、人がいつ亡くなるかが決まるのです。大王さまは、闇の生き物たちをおさえて、人々が怖がらなくて済むように、その強い力で国を守っていました。


王女さまと大王さまは、毎日毎日忙しくて、時には顔を合わせることもできないくらい働いていました。でも、国の人たちは、そんな二人のことをよく知っていて、「いつもありがとう」の気持ちを込めて、まだ行われていない結婚式を贈ることにしました。


ところが、その結婚式の日、欲張りで心の黒い王女さまの妹がやってきました。彼女は、二人が交換するはずの特別な指輪をこっそり盗んでしまいました。指輪にはとても強い力が込められていたので、盗まれたことでその力が暴走し始めました。すると、王女さまが操っていた生命の糸がすべて切れてしまい、国は大混乱に。


さらに、王女さまの妹は、その暴走した力でとても恐ろしい竜に変わってしまいました。もう、元の姿には戻れなくなってしまい、ずっと竜のままで生き続けることになってしまったのです。


それ以来、誰もその指輪を手にすることはなくなり、国の人たちは王女さまと大王さまのことをいつまでも覚えていましたが、妹の竜は忘れることができず、いつまでも闇の中で悲しみ続けたと言われています。


突然に話した占い師にアリスは首を傾げた。その物語が何を意味するのか分からず、困惑の表情を浮かべた。その様子を見て、占い師は薄い微笑みを浮かべ、「この童話を知らないということは、あなたはここら辺の人間ではないのね」と静かに言った。その言葉に、アリスは少し焦りを感じながらも、何が言いたいのかを問いかけた。


すると、占い師は静かにアリスの手を取り、彼女の指に嵌められている指輪をじっと見つめた。「これは…女王の指輪なのよ」と占い師は低く言った。


その言葉を聞いた瞬間、アリスは老騎士が遺した話を思い出した。しかし、それよりも彼女の目を釘付けにしたのは、指輪の周りの皮膚が黒ずみ、まるで何かに侵食されているかのような不気味な痕跡が浮かび上がっていることだった。アリスは恐る恐るその痕に触れ、身体の奥底に冷たい感覚が走った。


「そうよ…」占い師は続けた。「指輪は今も暴走し続けている。いずれその力はあなたの全身を蝕み、死ぬこともできず、不死者として永遠に闇に囚われることになるわ。」


その言葉は、重く、そして逃れられない運命を告げるかのようにアリスの心に響いた。お香の香りが一層濃く漂い、テントの中の空気がさらに重苦しく感じられた。アリスは自分の置かれた状況の深刻さを改めて理解し、胸の中に恐怖と絶望が広がっていくのを感じた。


アリスが「どうすればいいのか」と静かに問いかけると、占い師はわずかに口元を緩め、無言のまま手元のカードを並べ始めた。光沢のあるカードは、古びたテーブルの上でほのかな反射を見せ、その裏面には複雑な模様が刻まれている。柔らかいランプの光に照らされたカードは、まるで生きているかのように揺れ動いていた。占い師はアリスに一枚を選ぶようにと指示し、アリスはその言葉に従って、直感に任せて手を伸ばした。彼女の指が触れたカードは冷たく、そしてどこか重みを感じさせた。


アリスが選んだカードをひっくり返すと、そこには「吊るされた男」の姿が描かれていた。逆さに吊るされた男は、その足首で一本の木に縛られており、彼の周囲には枯れ枝と濁った水たまりが広がっている。彼の表情は穏やかで、何かを悟ったような静けさが漂っていた。アリスはその不思議な光景をじっと見つめ、そこに込められた意味を考えようとしたが、すぐには答えが見つからなかった。


「自分から動かずとも道は開かれるわ」と占い師は優雅に囁いた。その声は柔らかくも力強く、言葉の一つ一つがアリスの心に染み渡っていく。しかし、その言葉が意味するところはあまりにも曖昧で、アリスは思わず眉をひそめた。彼女の不満げな表情に気づいた占い師は、微笑みを浮かべながら、「きっとすぐに分かるわ」と付け加えた。その微笑みには、未来を見通すような自信と落ち着きが感じられた。


アリスは深いため息をつき、占い師に軽く頭を下げて感謝の意を表した。すると、占い師は柔らかい笑みを浮かべながら、「人々をこのような形で助けるのが私の仕事ですから」と静かに応えた。その声には誇りが滲んでおり、アリスは一瞬、彼女に対して抱いた疑念を恥じた。


占い師のテントを後にしたアリスは、足早にギルド「アウトロー」へと向かった。外の通りは依然として賑やかで、商人たちの声や荷車の音が響いていたが、アリスの心には占い師の言葉が繰り返し響いていた。やがて「アウトロー」の建物が見えてきたが、近づくにつれてその異様な光景が彼女の目に飛び込んできた。ギルドの屋根には、3人の罪人が無情にも吊るされており、その首元には黒いカピロテが無言の恐怖を与えていた。彼らの体はゆっくりと風に揺れ、その足元にはまるで闇が広がるかのような影が落ちていた。


アリスはその不吉な光景に背筋が冷たくなるのを感じながらも、視線を外してギルドの中へと入った。扉を開けると、中は外の陰鬱な雰囲気とは対照的に活気に満ちていた。喧騒とともに酒の匂いが漂い、冒険者たちの笑い声や交渉の声が響いている。外の世界で何が起ころうとも、ここでは日常が続いているようだった。アリスはその喧騒の中を進みながら、頭の中で占い師の言葉を反芻し、これからの自分の道を静かに考えていた。


アリスがギルド「アウトロー」の扉をくぐった瞬間、騒がしい声が耳に飛び込んできた。声の方へ目を向けると、リリアが大きなマントを身に纏い、フードを深く被った茶髪の髭男と激しく口論しているのが見えた。男の顔は汗で光り、どこか狼狽えた様子が伺えた。彼の目は焦りを帯びており、声も震えていた。


「頼むよ、許してくれよ! あんたの金を盗もうとしたのは、間違いだったって認めるからさ…!」男は必死に言い訳を並べたが、その言葉には切羽詰まった響きがあった。ギルドの規律を破れば、吊るされた罪人たちと同じ末路を辿るのは明らかだ。男もそれを十分に理解しているからこそ、今ここで命を懸けてリリアに許しを請うているのだろう。


リリアは険しい表情を崩さず、アリスに気づくと、一瞬の間を置いて説明しようとしたが、アリスは軽く手を振り、すでに状況を理解していると伝えた。そして、口元に皮肉な笑みを浮かべながらリリアに近づき、冷たく囁いた。


「それより、この男から何を取ってやろうか?」彼女の声には、意地悪さと共に、どこか楽しげな響きが混じっていた。


男はアリスの言葉に怯え、目を見開いて訴えかけた。「何もないんだ、本当に!俺は無一文なんだ、どうか勘弁してくれ…!」その声は切実で、絶望的な響きがあり、彼の焦燥感が手に取るように伝わってきた。アリスは退屈そうに肩をすくめ、リリアに向かって、つまらなさそうに言った。


「じゃあ、何もないなら、このまま告発するしかないわね。」リリアが冷たく言い放つと、男の顔から血の気が引き、まるで心臓が止まったかのように青ざめた。彼は急に目を見開き、言葉を絞り出した。


「待ってくれ! 財宝のありかを知ってるんだ…本当さ、あんたたちが探してるような金だ!」男は矢継ぎ早に言い訳を並べ立て、必死に命を繋ごうとしていた。「それに、始めたら必ず儲かる副業だって紹介できる!金持ちになるチャンスなんだ!」彼は両手を広げ、自分が救世主であるかのように振る舞っていたが、その動作はどこか空回りしているようにも見えた。


しかし、突然男の口が止まり、目が鋭く光った。その視線はアリスの手に向けられ、口元に不気味な笑みが浮かんだ。「お嬢、その指輪…呪われてるんじゃないのか?」彼の声は低く、まるで秘密を暴くような不気味さを帯びていた。アリスは不意を突かれたように目を細めたが、冷静に返した。


「何か知ってるの?」彼女の声には緊張が滲んでいたが、それを隠すように平静を装った。男はにやりと笑い、さらに身を乗り出した。


「さあね。でも、もしこのまま告発するって言うなら、何も教えてやらないぜ。」男は挑発的に言い放ち、その態度は軽薄で、どこか悪意を含んでいた。


リリアはその様子を見て眉をひそめ、「こんな怪しい男の話なんか、信じる価値ないわ」と強い口調で言い放った。しかし、アリスは占い師の一件を思い出し、冷静に反論した。「呪いが解けるまで、血の契約を結ぼう。」その提案にリリアは不満げな顔を見せたが、アリスの真剣な眼差しに根負けし、ため息をついて渋々受け入れた。


ギルドの一角で羊皮紙の契約書が広げられ、アリスと男は互いに指を切り、血でそれに署名した。契約が完了すると、男は満足げに手を差し出し、まるで騎士が姫に忠誠を誓うかのように膝をついて言った。


「ラムウェルだ。よろしくな、お嬢。」彼は大げさに頭を下げ、その仕草にはどこか芝居がかった色気が漂っていた。


アリスは彼の態度に呆れ、内心で「やっぱり、このまま放っておいてリリアに告発させておけばよかった」と後悔したが、すでに遅かった。







アリスが出会った妖艶な占い師が喉を裂かれた遺体で見つかったのは同時刻であった。

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