<< 前へ次へ >>  更新
91/469

90.メガネ君、早すぎる迎えに焦る





「あれ? 何その肉。買うの?」


「うん」


 騎士らしき女性二人と別れた後、「明日の準備をしたい」というリッセに付き合って店を回る。

 もっとも俺たちは同行するだけだから、本格的な道具類はいらないが。


 リッセの場合は特に、だ。

 まだ狩り自体に慣れていないので、逆に余計な物は持たせない方がいいだろう。


 余計な物を持てば余計なことができる。

 余計なことができたら、余計なことをして邪魔になる。


 ただでさえ「見学だけ」なんて状態なんだ。その時点で、そんなの足手まといでしかないんだから。

 これ以上の足手まといになったら、本人も周囲もかわいそうだ。


 その辺の監視も含めて、面倒だが同行することにした。


 買い物の最中、俺も食料品店で、そこそこいい感じの肉塊を買った。自腹で。


 なんでも鉄兜アイアンヘッドの舌を熟成させたもので、固い部位ばかりの鉄兜にしては柔らかく、かなりおいしい部分らしい。


 いつだったか、訓練中になんかの折にザントが言っていたんだよな。「鉄兜の舌、あれは食っとけ」と。

 それがこれである。


 一頭からデローンとしたのが一本しか取れない希少部位なので、お値段もそれなりにする。

 でも奮発して買ってみた。


 一本デローンとしたご立派なのもあるようだが、一食二人分だけでいいので少しでいい。それならあんまり高くないしね。


「危険な狩りの前には、ちょっといいものを食べるんだ。一種の験担ぎかな」


「へえ? そんな決まりがある……」


 気軽にゆるい表情で返事していたリッセが、言いながら徐々に顔を曇らせた。


「……え、それって最後の晩餐、みたいな? 死ぬかもしれないから?」


 うん、まあ、そうだけど。


「それもあるけど、もう一つ理由があってね。

 もう一度これを食おう、だからがんばって生き残ろうって、あえて小さな心残りを作るためだよ」


 どれほどの効果があるかはわからないが。

 師匠は「気休めだが、縁起を担ぐ意味もある」と言っていたっけ。


「ま、これ食べて明日はしっかりやろうよ」


 何せ相手は黒皇狼オブシディアンウルフ

 もっとも英雄たちのかませ犬にされてきた大物の魔物である。


 しかし、英雄にとっては踏台でも、英雄じゃない者にとってはただの大きな脅威である。


 明日の狩りばっかりは俺も他人事じゃない。

 気を張って行動しないと。


 そんなこんなで諸々の買い物を済ませて家に戻れば。


「――おかえり」


 虚ろな目をした女性が、家の前でぼんやり立ち尽くしていた。


 ソリチカである。

 昨日で俺との師弟関係が解消された、元師匠である。


「晩ご飯を食べに来たよ」


 あ、そうですか。……まあ元弟子としては、最低限は元師匠の面倒くらいは見るものである。食事を所望されれば最悪パンくずくらいは出すものだ。


「鉄兜の舌、食べる?」


「肉は嫌い」


「でも食べるよね?」


「食べる」


「でも高い肉だから嫌いなら食べなくてもいいかなって」


「食べるけど」


「本当は嫌いじゃなくて?」


「嫌いだけど食べるけど」


「あえて食べとく的な?」


「そう。あえて食べとく的な」


「けどその感情は果たして真実なのか――」


「そのやり取り意味あるの!? 猫草はお腹が空いてるけどなぁ! あとすでに疲れ果てて眠いんだけどなぁ!」


 ああ、そうだね。

 リッセに言われるまでもなく、すごく無駄なことを言っていると自覚はしていたけどね。正直言わなくてよかったなぁとも思っているけどね。


 無駄なやり取りをしながら家に帰り、食事を済ませて早々に就寝した。


 明日に備えて、体調面も万全を期すために。





 翌日の朝は、想像以上に早かった。


 まだまだ空も暗い時間に、ロダが迎えにやってきた。

 彼が家に入った瞬間まで寝ていた俺は、気配を察知して慌てて跳び起きて部屋を出る。


「――さすがに早いよな。でももうすぐ出発だ」


 俺の体内時計でも、まだかなり早いと言っているが。

 でも俺の顔を見るなり、ロダはそう言った。


 なんかの間違いでも、予定より早めに来たわけでもなく、最初からこの時間に出発することになっていたらしい。


「うーん……まだ眠いんだけど。早すぎない?」


 俺から少し遅れて、リッセも起きてきた。まだ眠そうだ。俺もかなり眠い。


「いや、予定通りだ。出発時に顔合わせも兼ねて全員集まることになっている。それが人目に触れると面倒だから、早めに出発しようってことになっているんだ。だからこの時間だ」


 ほう。なるほど。


「黒皇狼のこと、秘密なんだね」


 緘口令ってやつだ。冒険者にも街にも、まだ黒皇狼が山にいるかもしれないことが、広まっていないのだろう。


「知られたらお祭り騒ぎになるからな。

 功を焦った冒険者がこぞって挑戦して死にまくるだろう。


 この街の冒険者は、そういうアホみたいなことを何度も繰り返してきた。目に見えているぜ」


 だから強い連中を集めて、事実が露呈する前にさっさと狩ってしまおうってわけだ。

 まあ、この狩りが失敗すれば、その時こそロダの言うお祭り騒ぎになるんだとは思うけど。情報規制が解除されるだろうから。


 この手の狩りはアレだからね。

 失敗できない狩りだからね。


 黒皇狼は基本的に人間を敵視しない。

 が、もし人間に危害を加えられたら、さすがに人間を敵と認識する。


 そうなったら、人間と見れば誰彼構わず襲うようになる。人間の集落も普通に襲ってくるようになる。

 その結果、どれだけ被害が広がるかわからない。


 もし俺の村みたいな過疎ってる集落が黒皇狼に襲われたら、本当に、抵抗らしい抵抗もできないまま半日も掛からず壊滅すると思う。昔からそういう話は結構あるんだよね。


「あ、そうだ。騎士が参加してない?」


 そろそろ頭が眠りから覚めてきたのだろうリッセは、昨日風呂屋で会った女性二人のことを思い出したらしい。


 そんなリッセに、ロダは言った。


「どっかで会ったのか? まあなんでもいいが、相手は身分を隠しているからな。絶対に指摘なんてするなよ?」


 リッセの読みは当たっていたようだ。俺は……それとわかるほど騎士なんて人種は知らないからなぁ。判断材料がないから俺にはわからないんだよね。


「あれ? 隣国と共同戦線とかになるんじゃないの?」


「おいおい。内情を気にするなよ。やるべきことはそこにはないだろ?」


 そうだね。

 俺たちがやることは黒皇狼を狩ることで、人間関係や隣国の騎士の事情に首を突っ込むことじゃないからね。

 特にリッセは、今回は見ているだけって立場だからね。


「わかった。エイルも気にしないようにね」


 なぜ俺に振る。

 リッセと違って俺は全然気にならないけど。


 いや、そもそも、昨日のあの二人が騎士だって言うなら、なおのこと気にしたくもないんだけど。だって絶対に毒とか棘とかあるだろうし。絶対に近づかない方がいいと思う。


「大丈夫。君と同じくらい興味ないから」


「お。するとちょっとは気にしてるわけね?」


「まだ寝ぼけてるの? 早く顔洗ってきたら? よだれの跡とかすごいけどそのまま行くの? 恥ずかしいから少し離れて歩いてね」


「えっ!? ちょ、早く言えよ!」


 まあ、嘘ですけどね。寝ぼけているようだから目を覚ますための嘘ですけどね。


「ていうかあんたもいつもそこそこ寝ぐせ頭だからね!? 人のこと言えないからね!?」


「寝ぐせ? 俺のチャームポイントだけど。俺のチャームポイントが何か?」


「え!? それが!? そうなの!? ……チャームポイント……?」


 怪訝な顔で見るなよ。嘘だよ。わかれよ。髪なんてどうでもいいだけだよ。


「君たちはすっかり仲良しだな」


 どうやらロダも寝ぼけているようだ。大丈夫かこいつら。





 余裕を持って寝ていたはずが、まさかの予想外でバタバタと支度を済ませて家を出る。


「リッセとエイルは、俺の荷物持ちで同行するってことになっている。そういう振る舞いを頼むぜ」


 荷物持ちか。

 いいね。楽なポジションだ。


 つまり全面的にロダが矢面に立ってくれて、俺たちは後ろからついていく立場でいいと。あまり人と接したくない俺からすれば大歓迎だ。


「えー? 荷物持ちー? 小間使いなのー?」


 リッセは不満そうだが、ロダは笑い飛ばした。


「見ているだけでいいんだから楽でいいだろ。なあ、エイル?」


「まったくだね」


 なんなら少し離れてついていきたいくらいだ。俺だけ別行動取れたらいいのに。


「あとは――言うまでもないが、個人的なことや俺のこと、暗殺者のこと、くれぐれも漏らさないようにな?」


 ――「最悪、口封じしないといけなくなるからな」と。


 それはそれは雑談のように気軽に。

 しかし有無を言わさぬ冷たい感情を込めて。


 どこまでも本気であることを背中で語りながら、前を歩くロダを俺とリッセは追うのだった。






<< 前へ次へ >>目次  更新