90.メガネ君、早すぎる迎えに焦る
「あれ? 何その肉。買うの?」
「うん」
騎士らしき女性二人と別れた後、「明日の準備をしたい」というリッセに付き合って店を回る。
もっとも俺たちは同行するだけだから、本格的な道具類はいらないが。
リッセの場合は特に、だ。
まだ狩り自体に慣れていないので、逆に余計な物は持たせない方がいいだろう。
余計な物を持てば余計なことができる。
余計なことができたら、余計なことをして邪魔になる。
ただでさえ「見学だけ」なんて状態なんだ。その時点で、そんなの足手まといでしかないんだから。
これ以上の足手まといになったら、本人も周囲もかわいそうだ。
その辺の監視も含めて、面倒だが同行することにした。
買い物の最中、俺も食料品店で、そこそこいい感じの肉塊を買った。自腹で。
なんでも
いつだったか、訓練中になんかの折にザントが言っていたんだよな。「鉄兜の舌、あれは食っとけ」と。
それがこれである。
一頭からデローンとしたのが一本しか取れない希少部位なので、お値段もそれなりにする。
でも奮発して買ってみた。
一本デローンとしたご立派なのもあるようだが、一食二人分だけでいいので少しでいい。それならあんまり高くないしね。
「危険な狩りの前には、ちょっといいものを食べるんだ。一種の験担ぎかな」
「へえ? そんな決まりがある……」
気軽にゆるい表情で返事していたリッセが、言いながら徐々に顔を曇らせた。
「……え、それって最後の晩餐、みたいな? 死ぬかもしれないから?」
うん、まあ、そうだけど。
「それもあるけど、もう一つ理由があってね。
もう一度これを食おう、だからがんばって生き残ろうって、あえて小さな心残りを作るためだよ」
どれほどの効果があるかはわからないが。
師匠は「気休めだが、縁起を担ぐ意味もある」と言っていたっけ。
「ま、これ食べて明日はしっかりやろうよ」
何せ相手は
もっとも英雄たちのかませ犬にされてきた大物の魔物である。
しかし、英雄にとっては踏台でも、英雄じゃない者にとってはただの大きな脅威である。
明日の狩りばっかりは俺も他人事じゃない。
気を張って行動しないと。
そんなこんなで諸々の買い物を済ませて家に戻れば。
「――おかえり」
虚ろな目をした女性が、家の前でぼんやり立ち尽くしていた。
ソリチカである。
昨日で俺との師弟関係が解消された、元師匠である。
「晩ご飯を食べに来たよ」
あ、そうですか。……まあ元弟子としては、最低限は元師匠の面倒くらいは見るものである。食事を所望されれば最悪パンくずくらいは出すものだ。
「鉄兜の舌、食べる?」
「肉は嫌い」
「でも食べるよね?」
「食べる」
「でも高い肉だから嫌いなら食べなくてもいいかなって」
「食べるけど」
「本当は嫌いじゃなくて?」
「嫌いだけど食べるけど」
「あえて食べとく的な?」
「そう。あえて食べとく的な」
「けどその感情は果たして真実なのか――」
「そのやり取り意味あるの!? 猫草はお腹が空いてるけどなぁ! あとすでに疲れ果てて眠いんだけどなぁ!」
ああ、そうだね。
リッセに言われるまでもなく、すごく無駄なことを言っていると自覚はしていたけどね。正直言わなくてよかったなぁとも思っているけどね。
無駄なやり取りをしながら家に帰り、食事を済ませて早々に就寝した。
明日に備えて、体調面も万全を期すために。
翌日の朝は、想像以上に早かった。
まだまだ空も暗い時間に、ロダが迎えにやってきた。
彼が家に入った瞬間まで寝ていた俺は、気配を察知して慌てて跳び起きて部屋を出る。
「――さすがに早いよな。でももうすぐ出発だ」
俺の体内時計でも、まだかなり早いと言っているが。
でも俺の顔を見るなり、ロダはそう言った。
なんかの間違いでも、予定より早めに来たわけでもなく、最初からこの時間に出発することになっていたらしい。
「うーん……まだ眠いんだけど。早すぎない?」
俺から少し遅れて、リッセも起きてきた。まだ眠そうだ。俺もかなり眠い。
「いや、予定通りだ。出発時に顔合わせも兼ねて全員集まることになっている。それが人目に触れると面倒だから、早めに出発しようってことになっているんだ。だからこの時間だ」
ほう。なるほど。
「黒皇狼のこと、秘密なんだね」
緘口令ってやつだ。冒険者にも街にも、まだ黒皇狼が山にいるかもしれないことが、広まっていないのだろう。
「知られたらお祭り騒ぎになるからな。
功を焦った冒険者がこぞって挑戦して死にまくるだろう。
この街の冒険者は、そういうアホみたいなことを何度も繰り返してきた。目に見えているぜ」
だから強い連中を集めて、事実が露呈する前にさっさと狩ってしまおうってわけだ。
まあ、この狩りが失敗すれば、その時こそロダの言うお祭り騒ぎになるんだとは思うけど。情報規制が解除されるだろうから。
この手の狩りはアレだからね。
失敗できない狩りだからね。
黒皇狼は基本的に人間を敵視しない。
が、もし人間に危害を加えられたら、さすがに人間を敵と認識する。
そうなったら、人間と見れば誰彼構わず襲うようになる。人間の集落も普通に襲ってくるようになる。
その結果、どれだけ被害が広がるかわからない。
もし俺の村みたいな過疎ってる集落が黒皇狼に襲われたら、本当に、抵抗らしい抵抗もできないまま半日も掛からず壊滅すると思う。昔からそういう話は結構あるんだよね。
「あ、そうだ。騎士が参加してない?」
そろそろ頭が眠りから覚めてきたのだろうリッセは、昨日風呂屋で会った女性二人のことを思い出したらしい。
そんなリッセに、ロダは言った。
「どっかで会ったのか? まあなんでもいいが、相手は身分を隠しているからな。絶対に指摘なんてするなよ?」
リッセの読みは当たっていたようだ。俺は……それとわかるほど騎士なんて人種は知らないからなぁ。判断材料がないから俺にはわからないんだよね。
「あれ? 隣国と共同戦線とかになるんじゃないの?」
「おいおい。内情を気にするなよ。やるべきことはそこにはないだろ?」
そうだね。
俺たちがやることは黒皇狼を狩ることで、人間関係や隣国の騎士の事情に首を突っ込むことじゃないからね。
特にリッセは、今回は見ているだけって立場だからね。
「わかった。エイルも気にしないようにね」
なぜ俺に振る。
リッセと違って俺は全然気にならないけど。
いや、そもそも、昨日のあの二人が騎士だって言うなら、なおのこと気にしたくもないんだけど。だって絶対に毒とか棘とかあるだろうし。絶対に近づかない方がいいと思う。
「大丈夫。君と同じくらい興味ないから」
「お。するとちょっとは気にしてるわけね?」
「まだ寝ぼけてるの? 早く顔洗ってきたら? よだれの跡とかすごいけどそのまま行くの? 恥ずかしいから少し離れて歩いてね」
「えっ!? ちょ、早く言えよ!」
まあ、嘘ですけどね。寝ぼけているようだから目を覚ますための嘘ですけどね。
「ていうかあんたもいつもそこそこ寝ぐせ頭だからね!? 人のこと言えないからね!?」
「寝ぐせ? 俺のチャームポイントだけど。俺のチャームポイントが何か?」
「え!? それが!? そうなの!? ……チャームポイント……?」
怪訝な顔で見るなよ。嘘だよ。わかれよ。髪なんてどうでもいいだけだよ。
「君たちはすっかり仲良しだな」
どうやらロダも寝ぼけているようだ。大丈夫かこいつら。
余裕を持って寝ていたはずが、まさかの予想外でバタバタと支度を済ませて家を出る。
「リッセとエイルは、俺の荷物持ちで同行するってことになっている。そういう振る舞いを頼むぜ」
荷物持ちか。
いいね。楽なポジションだ。
つまり全面的にロダが矢面に立ってくれて、俺たちは後ろからついていく立場でいいと。あまり人と接したくない俺からすれば大歓迎だ。
「えー? 荷物持ちー? 小間使いなのー?」
リッセは不満そうだが、ロダは笑い飛ばした。
「見ているだけでいいんだから楽でいいだろ。なあ、エイル?」
「まったくだね」
なんなら少し離れてついていきたいくらいだ。俺だけ別行動取れたらいいのに。
「あとは――言うまでもないが、個人的なことや俺のこと、暗殺者のこと、くれぐれも漏らさないようにな?」
――「最悪、口封じしないといけなくなるからな」と。
それはそれは雑談のように気軽に。
しかし有無を言わさぬ冷たい感情を込めて。
どこまでも本気であることを背中で語りながら、前を歩くロダを俺とリッセは追うのだった。