08.メガネ君、数字の謎が深まる
さすがに宿まで来られては、話を聞かないわけにもいかない。
だが、待ってほしい。
「ロロベルさんはわかるけど、そっちはわからない」
約束を忘れていたわけじゃない。気にはしていた。ロロベルとは情報を交換する約束をしていたから。
でも、こっちの赤毛の少女はわからない。関係ないだろう。
「だから言ったでしょ! 用があるの! お願いだから聞いてくれない!?」
……まあ、宿まで知られてるみたいだしなぁ。仕方ないな。
「これもロロベルさんならわかるけど、なんで俺がここに泊まっているってわかったの?」
「同じ理由だと思うけど」
あ、そう。
つまり、選定の儀式で連れてこられた者は、この宿に泊まる。それを知っていたわけか。
「あんたみたいなふてぶてしい冒険者、見たことないから。どうせ選定の儀式で地方から出てきたばっかの田舎者だと思ったわけ。あたしのことも知らないし」
俺は冒険者じゃないし冒険者志望でもないしふれぶてしくもないんだが……まあ、いいか。
「ちょっと待ってて。連泊の手続きをしてくるから」
もう逃げる理由もないから、話くらいはちゃんとしておこう。ロロベルは約束しているしな。少女の方は、まあ、面倒な話じゃなければ、聞くだけ聞いとこうかな。
手続きを済ませ、女性二人を部屋に通す。
まあ、狭くてベッド以外何もないような、本当に寝るだけみたいな部屋だけど。これで食事なしで風呂はあるというのだから……
……ああ、冷静に考えたら、確かに選定の儀式で連れてこられた者用の宿なのか。
きったない格好で来られても迷惑だから、せめて風呂くらいは入って小綺麗にしてこいっていう、あれだな。
風呂なんて贅沢なもの、村には小さな共同浴場があるくらいだった。
都会でもいくつか共同浴場があるのを見たので、一世帯に一つ、なんてこともないみたいだ。
これだけ狭い宿で食事もなし、なのに風呂だけはあるなんて、明らかにって感じである。地方から来た小汚い小僧や小娘どもを小綺麗にするため、以外の理由がないだろう。
とりあえず女性二人にはベッドに座って貰って、俺は壁に寄り掛かって立っていることにする。
もちろん、何か異常や危険があったら、すぐに脱出できるようにだ。赤毛の方はどうとでもなりそうだが、金髪おかっぱの方はかなりまずい。
――そして、アレだ。
部屋に入ってから、また、ロロベルの頭の上に数字が見えるようになった。
今度は「31」だ。
冒険者ギルドで見た時は、確か「52」だった。今は「31」。この数字はなんなんだ?
いや、待てよ?
俺だから見えているのか? それともロロベルが出しているのか?
午前中は色々見て回ったが、ロロベルのように数字が見える人はいなかった。つまりロロベルだけ数字が見えるということになる。
…………わからん。
隣の少女は見えないので、もしかしたら、俺がどうこうじゃなくてロロベルがどうこうって可能性もなくはない。
というか、少女にもロロベルの数字が見えているという可能性はどうだ? 俺だけ知らなくて冒険者界隈では有名な話だったりするのかもしれない。
さっぱりわからないが、俺の「メガネの素養」みたいな「数字の素養」を持っていることも考えられるんじゃないか? 理由は本当にわからないが。
最初は年齢かと思ったが、「52」でも「31」でも、行き過ぎだからな……きっと二十歳くらいだと思うし。
…………やっぱりわからん。
ギルドの時と同じように、何も見えてないフリでもしておこう。仮にあの数字がロロベルからの発信で合った場合、逆に俺が見えていることを教える必要はない。
「ロロベルさん、先に謝っとくよ。逃げてごめん」
「構わない。逃げた理由も理解できている。私こそすまない、巻き込みそうになった」
うん。正しく理解しているようだ。
俺が逃げたのは、ロロベルさんの揉め事に巻き込まれそうになったから、だからな。決して俺がどうこうじゃない。
「それにしても逃げ足が早いな。誰も君の動きについていけていなかった。まさか冒険者ギルドで食い逃げが実行されるとはな」
ああいうのは見返りを期待して誰もが捕まえようとするんだが、とロロベルは愉快そうに笑う。
「朝が早かったし、みんな寝ぼけてたんじゃない?」
完全に気配を絶つと、動物はそれを視認しづらくなると師匠に聞いた。代わりに嗅覚だの聴覚だの、あるいは空気や地面の振動で察知する能力が発達したとか。
動物はそうだが、人間は視覚に頼る部分が大きいから、見えづらくなるそうだ。
実際、師匠の気配絶ちはすごいもんな。あんな熊みたいな大男なのに、本当に、こう、影が薄くなるというか、存在感が希薄になる。
一緒に狩りに出ている時なんか、気が付けばそこにいない、みたいなことも多かった。
もっとも、同じ領域かその近くにいる者は、視覚以外の感覚も発達しているみたいだが。師匠然り。ロロベル然り。俺もそこそこだ。
「まあそういうことにしておこう」
「お金はちゃんと払いに行くよ」
「必要ない。私が出しておいた」
「借りを作ると高くつきそうだがら、返すよ」
「なんだ? 遠慮しなくていいんだぞ?」
いや、遠慮した方がよさそうだ。朝飯代くらいで一仕事任されそうな気がする。
朝食代を渡すと、ロロベルは「して、本題だが」と切り出した。
ああ、メガネね。そういう理由で話しかけてきたからね。
「目の悪い知り合いがいてな。今使っているメガネも、どうもしっくり来ないらしい。というか私から見れば、レンズの質が悪い気がする。最初からぼやけているというか、濁っているというか。
そんな時に、君のメガネだ。その一切の曇りのない、水のように透き通ったレンズ……そこまで綺麗なものは見たことがない。私はそれが欲しいのだ」
うーん。すごく真っ当な理由だな。
「どこで手に入れたのか、教えてくれないか?」
その答えは、俺が自分で作ったというのが正解だ。
でも個人情報を漏らすのは嫌だ。実用性があるかどうかは別として、「珍しい素養」ではあるのだ。あんまり知られて余計な揉め事や騒動に巻き込まれたくない。
……巻き込まれたくはないが、ロロベルには教えるという約束をした。
要するに、「素養」のことは話さず「メガネ」のことを話せばいいわけだ。
「予備があるからあげるよ。出所は内緒。そういう約束で手に入れたから」
「くれるのか? 金は払うぞ」
「口止め料込みだからいいよ。誰にも言わないでね」
と、俺はさもそこにあるかのように、置きっぱなしの背負い袋に手を突っ込み「メガネ」を作り、取り出して見せた。
……本日二個目。今日の魔力分は売り切れだな。
「はい」
「おお……ありがとう! 助かる!」
たぶん、その、ガラス……レンズ? を、俺は多少イジれるとは思う。人それぞれに合う歪みがあるはずだから、実際そうした方がいいんだろう。
でも、さすがにそれができることは話せない。
朝、お城の偉い女性に渡したのも、今ロロベルに渡したのも、俺基準で俺に合う「メガネ」だ。
ちゃんと視力に合った歪みのものを渡したいとは思うが、「素養」がバレるのでナシだ。城の女性はちゃんと話す間もなかったし。
ところでだ。
「なんで自分で掛けるの?」
なんかしれっとロロベルが俺の渡した「メガネ」を掛けているが。知り合いのじゃないのかよ。……うわ、すごく頭よさそうに見える。金髪おかっぱにメガネ。この組み合わせは無駄に知的に見えると言わざるを得ない。
「いや、こういうのは初めてなもので……なるほど、確かに見え方がまったく違うな」
「それロロベルさんの分なの?」
「いや、本当に知り合いの分だ。ちょっと試してみただけだ」
と、ロロベルは「メガネ」を、隣に座る赤毛の少女に渡した。
「え? な、なんですか?」
「掛けてみたそうな顔をしていたから」
うん。「メガネ」の話になってから、すごいしてた。邪魔しないように発言は控えてたけど顔はすごいしてた。
「べ、別にいいですそういうの。それより今度はこっちの話、いい?」
いいわけがない。聞く筋合いもない。
だけど、これ以上付きまとわれても困るので、聞くだけ聞こうか。
――それにしても、気が付いたら数字が変わっている。今度は「74」か。ロロベルの上の数字がすごく気になる。