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83.あれから一ヵ月 6





「――こんちわー」


 まだ陽も高い時刻だった。


 今日も馬たちの面倒を見ていた“霧馬ホース”の下に、血の臭いとともに報告者がやってきた。


「――“紙燕スワロー”か」


 振り向かずともわかる。

 声も若いが気配も若い。ついでに言えば動きも若い。


 それもそのはず、“紙燕”は正真正銘まだ十歳の女の子だ。現段階でさえ戦闘力は高いが、これからもっともっと伸びるだろう。


 まあ、“霧馬”を含めた村人からすれば、彼女もまだまだ未熟者だが。


「終わったようだな」


 一応この村の代表である“霧馬”は、何かあったら報告を聞く立場にある。


 彼女は、本日決行が決まっていた、生徒が計画した魔物討伐と、兼任していた山での訓練が終わった報告に来たのだ。


 “霧馬”は、今回の計画も聞いていたし、“紙燕”が山での訓練をしたいと申請も受けた。

 そして行くのを許可した。


 まだ生徒には、山での訓練は早いのだが。

 しかし、師として見ている“紙燕”が「できる」と判断したなら、許可しない理由はない。


「大成功だったよ。これお土産ね。鉄兜の肉ね」


「ああ、ありがたく頂戴しよう。少し待っていてくれ」


 手早く馬にブラシを掛け、“霧馬”は馬小屋の仕事を切り上げた。





 葉に包まれた大きな肉塊を受け取り、家の方へ移動する。

 まだ血の臭いが強い肉は食べられないが、代わりに保存している肉を出す。


 生徒ほど厳密にはしていないが、村人たちの生活も、それなりに物々交換で成り立っている。


「食べていくか?」


 “霧馬”はこれから昼食だが。


「いや、弟子と一緒に食べるから遠慮するよ。報告が終わったらすぐ行くからね」


「わかった。じゃあこれを持っていけ」


 出した肉をテーブルに置き、“霧馬”は“紙燕”の向かいに座った。


「大成功と言ったな? 何があった?」


 結果は、ただの成功ではない。

 その上を行く結果が得られたようだ。


 詳細を問えば、答えは簡潔だった。


「そうか。食らったか」


「うん。その上で立ち向かったよね。あれは大きいよね」


 “紙燕”の言う通りなら、確かに大きい。


 強い者が打たれ強いとは限らない。

 魔物から思わぬ一撃を貰い、戦意を喪失する戦士なんて珍しくもないのだ。毎年やってくる生徒が越えるべき壁の一つでもある。


 そして、結局その壁を越えられず、目指すべき暗殺者の道を変える者も、多く見てきた。


 今この村で薬師として働く毒薬ババアこと“毒梟アウル”も、訓練時代に痛手を負って実戦から距離を置いた者である。

 「なんでもできる強い暗殺者」から転じ、「毒薬に特化した暗殺者」への道に進んだのだが。


 もっとも彼女の場合は、『薬』に関する『素養』があったので、それがなくても到達した場所は大して変わらなかったかもしれないが。


「おまえは手を貸したのか?」


「口は出したね」


 それと最後の一撃――“紙燕”が鉄兜の首の骨をへし折ったのは、鉄兜がその場で崩れたら、足元に倒れていたサッシュの上にのしかかったからである。


 サッシュの槍は、左から右のあばら骨を貫通していた。

 間違いなくあれで勝負は決まっていた。


 “紙燕”がやったのはダメ押しである。

 風前の灯だった鉄兜の命を、あえてダメ押しで刈り取っただけにすぎない。


「充分だな」


 まだ訓練を初めて一ヵ月。

 生徒には、山での活動はまだまだ早い。にも関わらず魔物を狩ることに成功した。


 たとえ師の口出しがあろうと、最後の詰めをしようと、現段階では充分――それこそ大成功と言える訓練結果である。


「やはり強いな。『即迅足ファストブーツ』」


「そうだね。さすがは英雄が持っていたと言われる『素養』だね」


 サッシュの持つ『即迅足ファストブーツ』。


 この『素養』は、有名なおとぎ話に出てくる、古の英雄が持っていたと言われる『雷迅足サンダーブーツ』の下位版と言われている。


 雨雲に走る稲妻のように、光の速さで駆け抜ける『雷迅足サンダーブーツ』。

 わずかに速度に劣るが、同じような使い方ができる『即迅足ファストブーツ』。


 サッシュが暗殺者として見出されたのも、この『素養』があったからである。


 育てれば伸びる、という確約もあったが。

 しかしそれより重要なのが、『強い素養』を持つがゆえに、安易に『素養』を過信すること。


 有体に言えば、何も考えず死地へ向かいさっさとくたばること。

 調子に乗って強い魔物に挑み、あっさり返り討ちに遭うこと。

 せっかく珍しく、そして強い『素養』を持っているのに、その才を活かせず開花させる前にこの世からいなくなること。


 これは確実に国の損害である。


「あの子なんかバカなんだよね。薄々気付いてはいたけど明確になっちゃってね。結構びっくりしちゃってね」


 今回の訓練の成果は、誰よりも師である“紙燕”が喜んで……いや、安堵の方が強いか。


「まさか初手で腹筋狙うとか思わないよね」


 たぶん何も考えず、まっすぐに狙ったのだろう。

 鉄兜の、一番狙わなくていいところを。


「……腹筋を狙ったのか?」


 さすがの“霧馬”も、若干「えっ」という感じで表情が曇る。


「そうなんだよね。なまじ強いから槍が腹に深く刺さっちゃってね、抜けなくなっちゃってね。だから一発食らったの。


 心臓狙えば一撃で終わったのにね。

 なんで貫通しても即死しなさそうな場所狙ったのかね。


 なんのために麻痺毒使って動きを鈍らせて弱点を晒させたのか、計画自体をいまいち理解してなかったんじゃないかな」


 それはひどい。確かにひどい。

 わりと楽天家な“紙燕”が嘆くくらいひどい。


「結果は大成功だが、やはりまだ早かったようだな」


「そうだね。ぶっちゃけもうだいぶ強いんだけどね。でももうちょっと頭も鍛えてからだね」


 本当に、今回の生徒はなかなか規格外が多い。





「――ところで、山の様子はどうだった?」


 生徒の訓練の報告は聞いた。

 次は、“霧馬”がついでに頼んでいた、山の様子の報告である。


「聞いてた通りだったね。魔物がちょっと少なくなってる気がしたね。冒険者の乱獲かな? 痕跡は見つからなかったけど」


「いや。ハイディーガからはそういった報告はない」


 もし優秀な冒険者が魔物をたくさん狩っているのであれば、ハイディーガの街を拠点としているはず。

 しかし、街に潜伏している暗殺者からは、その手の報告はない。


 つまり街では異常はないということだ。


 ならば――


「もしや大物が来たか?」


 何年かに一度の割合だが。

 山の魔物の生態系を乱すような魔物が、外部から紛れ込むことがある。


 今の山の状態は、いわゆる大物の魔物が現れたケースとよく似ている。


「やっぱりそうなる?」


「もしそうなら、ハイディーガから連絡がありそうだが」





 ――村に「黒皇狼オブシディアンウルフ」の情報が舞い込むのは、それから数日後のことである。






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