81.あれから一ヵ月 4
戦う準備を済ませ、しばし待つことになった。
暗殺者候補生の三人は、これからの段取りを確認したり、それなりに緊張している身体をほぐしたりしつつ、その時を待つ。
「……あいつはいつもこんな気持ちで狩りやっとったんかのう……」
狩場の奥に来ることも、魔物と戦った経験もほぼない女連中の片方、フロランタンがポツリと漏らした。
彼女は落ち着かない様子で、ずっと周囲をキョロキョロ見回している。
あいつ。
確認するまでもなく、一ヵ月前に暗殺者の村からいなくなったエイルのことだ。
「いや、あいつはもう慣れてただろ」
つい一週間前に作ってもらった本物の槍を手に、背を伸ばしたり膝を曲げたり入念に一つ一つの身体の動きを確認するサッシュは、傍目には落ち着いたものだ。
実際のところは、これからここに来る鉄兜と直接戦うことになるサッシュこそ、三人の中で一番緊張しているのだが。
しかし落ち着いたものだ。傍目には。
「俺も早く慣れねえとな」
傍目には慣れているように見えるが。
セリエは思った。
この肌がピリピリし、内臓が下から持ち上げられて圧迫されているような緊張と不安、恐怖に、自分も慣れなければいけないと。
今回は保護者付きだが、一年後には、口笛を吹きながらこの山を歩いているくらいには、セリエもなっていたい。
今回はサッシュの訓練の側面が大きく打ち出されているが、そのうちセリエ自身が単独で戦うことになるだろう。
ここはまだ、自分の目指す目標の、通過点に過ぎないのだから。
それは前触れもなく。
“紙燕”は何事もなかったように森からひょいと顔を出した。
「――ただいまっ」
なんか遅くないか。
もしや返り討ちにあったのでは。
槍の達人とはいえ子供にやらせることじゃなかったんじゃないか、こんな危険なところを一人で行かせるべきではなかったのではないか、等々。
不安に駆られて不幸な出来事が脳裏をかすめ出した頃、待ち人が来た。
「ごめんごめん、探すのに手間取っちゃったね。――すぐ来るよ、構えてね」
言われるまでもなく、三人は急ぎ所定位置に着いた。
正面に構えるサッシュ。
後ろに並ぶセリエとフロランタン。
その三人の後ろに陣取る“紙燕”。
そして、来た。
ガサガサと草木を揺らし、低い枝を鬱陶しそうにへし折りながら、黒毛に覆われた巨大な牛頭の巨人――鉄兜が姿を現した。
まさに巨人である。
話には聞いていたが、本当に大きい。
セリエを縦に二人積んだほど上背があり、人のような腕や足は黒い短毛に覆われていても異様な筋肉質であることが伺える。
「――モッ?」
しかも、それなりの知性を感じる。
鉄兜は、一人の獲物を追いかけてきた先に、三人の違う獲物がいることに疑問を抱いたようだ。
候補生たちを見て一瞬動きが止まり――
「――グモオオオオォォォォ!!!!」
だが、あくまでもそれなりのようで、「待ち伏せされていた」とは思わなかったようだ。あくまでも自分が狩る方であることを疑いもしない。
獲物が増えたことに喜んだのか、ただノリで威嚇として吠えてみただけなのか、鉄兜は大気が震えるような大声を上げて一直線に走り出した。
「――グモッ!?」
掛かった。
向かってきた鉄兜が、あらかじめセリエが地面に設置していた魔法陣を踏んだ。ある程度の重量負荷が掛かると発動するように仕掛けていた。
普通の攻撃魔法も使えるが、やはりセリエが得意なのは魔法陣を扱った設置型――いわゆる罠のような使い方である。
効果は『接着』。
見えない力が、鉄兜の足を地面から離れないようにする。
鉄兜は踏み込んだ右足が前に出ず、左足も魔法陣に突っ込んで、足が出ないまま上半身だけ前につんのめった。
派手に転ぶかと思いきや、地面に両手を着くことでダメージは最小限にしたようだ。
これだけの巨体なら、転ぶだけでもそれなりに効果があるかと期待したが、人間のような受け身を取ってみせた。
まあ、予想の範疇である。
「いくど!」
今度はフロランタンだ。
この時のために拾い溜めていた石を、手袋をした手に思いっきり『力を込めて』鉄兜に投げつける。
その凶悪なまでの『腕力』から放たれた石つぶては、鉄兜に当たって砕けるほどの威力が出ている。
これがもし人間の的なら、貫通して風穴が開いているかもしれない。
だが、相手は人間よりはるかに大きく力も強い魔物である。
たとえ石が砕けるほどの威力が出ていようと、ちょっと血が出る程度で済んでいる。――まあ、無視できないほど痛いのは確かなようで、石を避けるように大きく身じろぎしているが。
魔法陣の効果は短い。
効果時間を削った分、強力な『接着の力』を付加した。
それこそ牛以上に力が強い鉄兜でも、数秒は確実に拘束できるように。
その間に、フロランタンの投石――「麻痺毒を付着させた石」を鉄兜に叩き込む。
即効性が高い麻痺毒は、すぐに効果が出るはず。
効いてくると同時に、魔法陣の効果は消える。
「――グゥゥゥゥ……!」
思わぬ反撃に遭い、低く唸りながら鉄兜が立ち上がる。
麻痺毒は効果が出ている。
石を食らった牛頭から多少の血が流れ、足は大きく震えている。毒が回り立っているのがやっと、という風である。
――ここだ。
「くたばれやオラァァァァ!!!!」
段取り通りの展開に、やはりここに勝機を見た。
サッシュは自身の「素養」を全開にして肉薄し、槍の基礎にして必殺の一撃となりえる、ただの踏み込み突きを放つ。
まさしく瞬殺と呼ぶべき早業だった。
体重、速度、体さばき。
あらゆる要素が技と昇華し完成した、それなりに形になった一撃は、誰がどう見てもなかなかの攻撃だった。
瞬きよりも早く距離を詰め、がら空きになっていた鉄兜の腹部に、サッシュの槍は突き刺さった。
突き刺さった、が。
「まずい!!」
“紙燕”が言うと同時だった。
基本に忠実に。
一突きし、引こうとしたサッシュは……動きが一瞬止まった。
阻まれたのだ。
切っ先を飲み込んだ、鉄兜の筋肉に。
基本に忠実に、
「――グモオオオオオ!!」
麻痺毒が効いているにも関わらず、鉄兜は力任せに右腕を振り上げ、横に振るう。
「…っ!?」
離脱に失敗し、まごついたその間が命取りとなった。
鉄兜の腕を、サッシュはモロに食らった。
そして聞いたことのないような強かな打撃音とともに、それでも離さなかった槍ともども軽々森の奥へと殴り飛ばされた。
すべては段取り通り、計算通りに運んでいた。
しかし、ただ一瞬の迷い、躓き、想定外のことに生まれた一秒で、状況が覆ってしまった。
――これが実戦の怖さである。