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80.あれから一ヵ月 3





「――こんちはーす姉さん方。今日はよろしくねっ」


 早朝。

 朝食を済ませて狩りの準備をしていると、サッシュの槍の師匠がやってきた。


 ――“紙燕スワロー”という名の、今年十歳になる女の子である。


 そこそこ長い髪を後ろで一つに結ったなかなか明るい茶色の髪はともかく、さえざえとした底が見えない黒い瞳は珍しい。恐らくまあまあ東洋の血が入っているのだろう。

 パッと見では男の子にも見えるシュッとした顔立ちに、まだベコッとした女性としての特徴がないペラッとした子供らしい細身だが、なんやかんや女の子である。


 見た目は本当にただの子供だが、この歳には考えられないほど武芸に秀でている。

 数多の武器に精通しているものの、特に槍が得意で、その腕前を肌で感じたサッシュは素直に頭を下げて師事を仰いだのだ。


 ――軽く事情に触れるなら、“紙燕”はこの村一番の槍使いの弟子である。彼女が師と仰ぐ人物が仕事の関係で外しているので、“紙燕”が代役を努めているのだ。


 その“紙燕”は、一本の粗末な槍を担いでやってきた。いつもサッシュの訓練で使っている、穂先に刃がないただの鉄の棒である。


「おい師匠、それで行くのか?」


 毎日それで殴られているサッシュは、“紙燕”の持つ得物に難色を示す。


 今日はこれから実戦だ。

 モノの出来は悪くともまともな槍を持ってくると思ったのだが、まさかの訓練用である。

 師の腕を疑うわけではないが、油断はしてほしくない。


鉄兜(アイアンヘッド)でしょ? ならこれで充分だね」


 へらへら笑いながら、ぺしぺしと肩に担いでいる鉄の棒を叩く。


殴って(・・・)刺して(・・・)も殺れるからね。あれくらいならね」


 恐ろしいことを笑いながら言うが、本当に恐ろしいのはそれが誇張も虚勢もない事実だということだ。


「サッシュは実戦用じゃないとダメだよね」


「あたりめーだ。俺はまだ弱ぇよ」


 自覚があるなら結構、と“紙燕”は頷く。


「少しでも調子に乗ってたら二、三発殴ってたよね。実戦をなめたら一瞬で死ぬからね。くれぐれも、自分はまだまだ弱いってことを忘れないで、ここに戻ってくるまで気を抜かないようにね」


「それ昨日も聞いた」


「師匠としては何度でも言いたいよね。サッシュってバカだものね」


 本当に、年齢のわりにはちゃんと師匠らしい師匠である。


「で、計画通りでいいの? 変更はないの?」


 弟子への小言も終わり、“紙燕”はセリエとフロランタンに確認してきた。

 強いて問題が起こっていないので、変更もないことを告げる。


「計画通り行けば大丈夫だと思うけどね。いざとなったらフォローくらいはするからね。じゃあ行こうか」


 フロランタンよりも年下で小柄だがとても頼もしい護衛をつけて、四人は山へと向かうのだった。





 暗殺者候補たちは、山に入ることは禁止されていた。


 食料を採るために麓まではいいが、深く入るのはそれとなく止められる。

 同行している村の子供や、たまたま通りかかった村人に。あるいはあの巨大猫にグイグイ押されて阻止されたりもした。


 一応は村で訓練を受けている身なので、山中深くまで迷い込む機会もなかったが。

 山に入るより優先することが多々あったから。


 だが今回の計画が立ち上がったことを村人――サッシュからの繋がりで“紙燕”に相談したところ、「山への立ち入りは禁止だよ」と、それとなく止められていたのがわざと妨害されていたことを知った。


 基本的に村での過ごし方は自由と言われている。

 ただ、表向きは「そういうこと」としているが、厳密には色々な見えない規制があるようだ。


 山に関しては、危険から遠ざけるため。

 なまじエイルが村に来てすぐ山で狩りをしていただけに、確かに山への警戒心は薄かった。


 “紙燕”の話では、山に生息している魔物はかなり強く、候補生だけでは三人掛かりでもまず半日生きていられないだろう、とのことだ。


 ちなみに村には魔物避けの何かがあるそうで、村まで魔物が来ることは滅多にないらしい。

 まあ来たところで、何事もなかったように処理されるのがオチだろうが。


 この村には“紙燕”より強い人が何人もいるのだから。





 “紙燕”の案内ですんなり山に入り――まずサッシュが小さく唸った。


「話で聞いてた以上にやべぇな、この山……」


 セリエとフロランタンにはわからないが、サッシュは多少何かを感じられるようだ。魔物の息吹か、それとも危機管理能力が働いているのか。


「今はそれでいいよね。一年後は口笛吹きながら歩けるようになってるからね」


「なってるか?」


「だいじょーぶだいじょーぶ。それくらいはできるようにしっかり鍛えてあげるからね。楽しみにしててね」


「……今以上の厳しさで?」


「ん? 訓練? まだ全然厳しくしてないよ?」


 先導する“紙燕”の小さな背中に異常な頼もしさを覚えつつ、四人は山に入ってすぐのところにあった、ちょっとした開けた場所に出た。


 あまり人の手が入っていないせいか木々が密集し、坂道になっているところも多いようだが、ここらの地面は平たんだ。草も短く石も転がっておらず、それなりに見通しがいい。


「実戦形式でやる訓練場所なんだよね。ここ」


 ほう、とフロランタンが息を吐いた。


「ずいぶん殺したのう」


「ん?」


「うちにもようわからんけど、でっかいのが死んだ場所がなんとなくわかるんじゃ。気配とか感じとるんかもしらん。人なんかだとすぐに薄くなって消えるんじゃが、魔物は強いけぇ長いこと残りおるわ」


「へえ……残留思念でも感じるの?」


「残留……? ようわからんけぇ聞くなや」


 じゃあ言うなよ、というサッシュの声は全員に無視され、「さて」と“紙燕”は面々を見る。


「それじゃ鉄兜を探して連れてくるから、姉さん方は準備しといてね。サッシュは心の準備をしとくんだよ」







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