78.あれから一ヵ月 1
その時、セリエはメガネのレンズを拭きながら、ふとあの時のことを思い出していた。
――家族が連絡を取ってきたみたい。急ぎだって言うからちょっと行ってくるよ。
そう言って、翌日の朝にはエイルが村からいなくなった時のこと。
昨日のことのように鮮明に思い出せるが、実はもう一ヵ月も前のことである。
そう、気が付けば、あっという間にあれから一ヵ月が過ぎていた。
「こんままじゃいけんぞ、セリエ」
先に気づいたのはフロランタンだった。
いや。
最後まで気づかなかったのが自分だったのだろうと、セリエは今でこそ思う。
サッシュは彼がいなくなった翌日には、食料を得るための狩りを、慣れないながら始めていたから。
彼がいなくなって三日ほどは、確保してあるもので飢えを凌ぎ生活したが、「このままではまずい」と先に悟ったのはフロランタンだった。
自分で食料を確保し、必要なものをなんとか入手して生活せねばならない。
言葉にすれば簡単だが、実際やるとなれば簡単ではなかった。
そんな生活をはじめて、まず最初の一週間で思い知ったのが、自分が思う以上に彼に頼っていたことだ。
頼り切っていた、と断じても決して言いすぎではない。
彼は多くを語らなかったし、また必要以上に歩み寄ることもしなかった。
何事にも無関心な素振りでいて、気が付けばいないし、気が付けば傍にいたりした。
必要な時だけ最低限話をする、やや疎遠な関係だと思っていたが。
実際は大違いだった。
彼は多くを語らなかったし、必要以上に歩み寄ることもなかった。
でも、彼が黙ったまま多くの役割を担っていたことに、いなくなってから気づかされた。
獲物を狩るのもさばくのも料理するのも、それ以外の食料を得るのも、森の果実や食べられるものを探すのも。
少し困った細々したことでも、彼に相談すればすぐになんとかしてくれた。
何より、彼がいるというただそれだけの事実が頼もしく、何があろうと彼がいればどうにでもなると自然と考えていた。
知らない間に、そして短い間に、無自覚にもそこまで考えていた。
かなり大きな精神的支柱となっていたことにも、遅まきながら気づいた。
いつも平然と、見るからに簡単にこなしてくれていた多くのことが、自分でやるとなるとどれだけ大変だったか。
自分でやってみて、ようやくいろんなことに気づかされた。
あれから一ヵ月。
知らず彼に寄り掛かっていたセリエは今、自分の力で自活できていた。――自分ではまだまだ色々足りないとは思うが、生活に困らない程度には慣れてきた。
拭いたメガネを掛けなおすと、セリエは目の前の扉をノックした。返事を受けて扉を開ける。
「――イッヒッヒッ……我が薬道の家にようこそ」
絵に描いたような悪い魔法使い風の怪しい姿格好の老婆が、独特の薬草の臭いが立ち込める薄暗い家の奥にいた。
「初めまして、セリエです」
この老婆は、色々と教えてもらっている内に親しくなった村の子供たちに紹介してもらった、毒薬のスペシャリストである。まさしく暗殺者の村に相応しい人物である。
「ちょっとした計画がありまして、毒薬が欲しいのですが」
「計画? どこぞの憎らしい男を即死させる計画かい?」
「いえ――」
セリエは手短に、立ち上がっている計画のことを話した。
ここの住人には下手な隠し事はしない方がいいと、すでに理解している。ただの子供でさえセリエよりよっぽど物知りであることを知っているから。
「ほう。ほうほう。ほーう。へーえ」
老婆の相槌はやや適当な印象はあるが、反応があるだけまあまあ好感触である。ちゃんと聞いてくれているから。
もし受け入れられないなら、さっさと話を打ち切る。
この村の住人はそういうタイプが多い。
「あたしゃまだ早いと思うがねぇ。でもすでにやる気だってぇなら止めはしないよ。毒薬に目を付けた着眼点も悪くない」
イッヒッヒ、と露骨に魔女らしく笑いながら、老婆は近くにある棚からビンを出す。
「で? 即死させる薬じゃなくて、麻痺毒がほしいのかい?」
「はい。あとで人が食べることを考えると、人体に害が出ないものが望ましいんですが」
何かの折に、彼から聞いた話である。
狩人は、仕留めた獲物をさばいたり食べたりするので、毒薬は使うけど人にはあまり悪影響が出ないもの、解毒が簡単なものを使用すると。
触れただけで即死するような劇薬なんて、絶対に使わないそうだ。まあそもそもそういう毒薬は知らないし、使いたくても扱えないと言っていたが。
なんのために仕留めるのか。
そして仕留めた後どうするのか。
ついつい「仕留める行為」に熱くなりがちだが、準備も事後処理も決して無視はできない大切なプロセスである。
「それで、何を殺るつもりなんだい?」
相手によって効果がある毒が違うそうだ。
セリエは躊躇することなく、すらっと答えた。
「――
そう、計画ができたのだ。
暗殺者候補の三人で、森の魔物を狩ろうという計画が。