77.メガネ君、次の教官と会う
「――よしわかった。おまえとの話はここまでだ」
え?
突然の打ち切り宣言である。……そういえば暗殺者の村を追い出されたのも、これくらい突然だったっけ。
「俺が考えている以上に、坊主の『素養』は繊細で複雑そうだ。だからこれ以上は俺は知らなくていい。情報系専門の教官役に任せるからよ」
あ、そう。……そうか。ザントが教えてくれるのはここまでなのか。
「ちなみに理由はわかるよな?」
ああ、うん。
「『知っている』のと『知っているのを隠している』のと『知らない』のとでは、全て意味が違うからだよね」
ついさっきそれを考えていた。
師匠の「素養」について、今は知らない方がよかったと思える理由だ。当時は興味がなかったからだけど。今では逆に正解だったと思っている。
「ちょっと聞いただけだけど。『嘘を見抜く素養』があるんでしょ?」
王都にいた時、特徴的な髪形のロロベルという女性から小耳に挟んだ衝撃の話だ。本当にまさか、ってくらい驚くべき話だった。
だとしたら、「知っている」という事実がいろんな足枷になりかねない。
誰かに何かを問われて「知らない」と答えた時点で、相手にはっきり答えが悟られてしまうのだ。
通常なら三択なのに、一気に真実を見破られてしまう。色々と隠れて活動している暗殺者集団には致命的な欠点になりえると思う。
俺の答えに、ザントは満足げに頷いた。
「そんだけわかりゃ上等だ。情報系の教官だからな、おまえもそのつもりで接しろよ。余計なことを言ったり探ったりしないで……まあおまえなら大丈夫か。基本無関心だもんな」
そうだといいけどね。自分から深入りする気もないし。無関心でいられたらいいけどね。……自分ではそんなに無関心でもないと思うんだけどな。表に出ないだけで。
「――リッセ、ちょっと来い!」
チラチラとこちらの様子を伺いつつ光る剣を振っていたリッセが、呼ばれてやってくる。
完全に気は散っていたようだが、素振り自体は本気でやっていたらしい。すでに身体た温まっているようで額に汗が浮かんでいる。
「今からこの坊主を、殺す気で襲え」
「は?」
は?
「んで、坊主は死なないように避けろ」
え?
……え?
正気を疑う目を向けている俺とリッセを見て、やれやれとザントは首を振った。
「……なんで二人ともピンと来ねえんだよ。今から坊主の教官役を呼んでくるから、それまで二人で訓練してろって意味だろ」
…………
え?
「殺す気とか、死なないようにとかは?」
リッセが訝しげに聞けば、こともなげに小汚いおっさんはこう返した。
「本気でやんねぇと訓練にならんだろ。街の剣術道場じゃねえんだ、ちょいちょい死の気配を感じるくらいには本気でやれ。――まあ嫌なら嫌でも構わねぇけどよ」
どうせ答えはわかってるけどな、と雄弁に語る背中を見せ、ザントはさっさと訓練場を出ていった。
…………
まあ、お察しの通りではあるが。
「やろうか」
「え? いいの?」
戸惑いが隠しきれないリッセに、俺は「うん」としっかり頷いて見せた。
「リッセに負けるとは思えないし」
「……ほう?」
それに、ザントの言う通り、本気でやらないと訓練にならないし。お互いに。
どうせやるなら、得るものが大きい方がいいだろう。
「まあエイルがその気なら私は全然構わないけど。でも一応持ち変えるからね? あんまり本気だと訓練じゃなくなるから」
さっきまでリッセが振っていた剣は、自前のロングソードである。あまり良い物ではないらしいが、刃も潰れていないし、人体くらいなら普通に斬れるだろう。
その剣を、訓練用の木剣に持ち変えるという話である。
確かに彼女の言う通り、あんまり本気すぎると訓練じゃなくて殺し合いになるので、最低限の妥協点ではあるのだろう。ちなみに木剣は壁際の棚にある。訓練道具は一通りこの地下訓練室にあると思う。
「わかった」
ついでに俺も、短剣型の訓練用木剣を持つことにする。
「使えるの?」
「防御だけだよ」
弓が使えない状況下で、魔物を相手にしなければいけない場合。活路を見出すための死なない立ち回りを師匠は教えてくれた。
いわゆる防御と反撃の型である。
この訓練が一番辛かったなぁ。
思いっきり木剣で殴られたのも一度や二度ではないし、そこそこの怪我もした。
まあ、痛い思いをした分だけ、身についたとは思うが。
しばらくはお互い様子見で何合か当ててみたが、思ったよりしっかり防御できている俺を見て、リッセの剣速が上がり始めた。
うーん。
向こうはわからないけど、俺はちょうどいいかもしれない。
このギリギリで踏ん張ってようやく防御できるくらいの実力差なら、俺の訓練にはなっている。
何せ、俺には余裕の欠片もなく、さっきから死の予感をガンガンに感じているから。
さすがにこの手のアレでは、リッセの方がはるかに強いようだ。
それに光る剣の一撃一撃が非常に重く、受け方の角度を誤れば、腕がしびれて木剣を落としそうになる。
俺は冷や汗を流しながら、リッセもまだ慣れない力をコントロールしつつまあまあそこそこの汗を流しながら、しばしの時間が過ぎていった。
「……そろそろ限界」
肩で息をしているリッセの木剣が、光を失った。
「……」
カラン、と、俺の手から木剣がすべり落ちた。こっちはとっくに限界を超えてましたが何か? もうしゃべる元気もないくらいですけど?
すでに息も絶え絶えだし、ずっと死の気配に晒されていたおかげで膝が震えている。……うん、だいぶ無理をしたけどいい訓練できたな。
たまにはこういうのもやっとかないと、いざという時に動けないからね。あんまりやりたくはないけど定期的にやりたくはある。
「弱い」
ん?
耳元で囁くような声に振り返ると――びっくりした。すぐそこに女性の顔があった。
「うわっ、誰!? いつの間に!?」
俺より、まだ近くにいたリッセの方が驚いていた。……いや俺も充分驚いてるけどね。表に出ない性質なだけで。
「あ、もしかして情報系の教官?」
というか、ここに来た時に姿だけは見ていた、幽霊みたいなあの女性だった。
「――」
女性は俺の質問に反応せず、ひそひそと俺に「あること」を告げた。
俺は、「言われた通り」にした。
そして――今度こそ本気で驚いた。
彼女が囁いた言葉は「精霊が見える?」だった。
俺は「メガネ」に「精霊を見る」という条件を付けて発動した。
すると、見えてしまった。
彼女を取り巻く三体の精霊が。
「――ソリチカ。私の名前」
こうして俺は、次の教官と出会ったのだった。