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73.メガネ君、ざわっとする





 師匠も師匠から、そして師匠の師匠も師匠から聞いたという言葉がある。


 獲物を狩るまでが狩りではない。

 帰るまでが狩りである、と。


 獲物を狩ろうが狩るまいが、獲物を持って帰れようがそうじゃなかろうが、狩猟とは帰るべき場所に帰るまで続いているのである。


 弟子入りしてから最初に教わったことだ。

 言葉にすればすごくシンプルで、すぐに覚えられた。


 けど、俺は幾度となく、この覚えやすいシンプルな言葉の意味と重みと深みと皮肉を味わってきた。


「――どうよエイル!」


 そしてその言葉を知らない者とは、やはり一緒に狩りはしたくないと思う。


 文字通り白亜鳥を瞬殺して見せただけに、リッセの得意げな顔も相応しくないとは言わないが。

 しかし、得意げになるのはまだ早い。まだまだ早い。本当に本気で早い。


 まだ狩りは終わっていない。

 帰るまでが狩りである。


 リッセの動きに注視したのもつかの間、俺は大急ぎで切り飛ばされた白亜鳥の足の、鮮血したたる切断面に防水加工した革袋をかぶせてロープできつく縛る。そして地面に飛び散った血の上に、「臭気袋」から粉をぶちまける。ひどい臭いが立ち込めた。


 よし、これでこっちの処理は終わりだ。


 俺の胸元まで、そして胴回りほどもある片足を肩に担ぎ、急いでリッセに合流する。


「早く魔核と回収部位を切り出して」


「え?」


「血の臭いでほかの魔物が寄ってくるから」


 こんなに派手に血しぶきをまき散らすように狩るとも思っていなかったから、もう血の臭いを隠すのは不可能だ。

 足の方は大まかにはどうにか処理したが、首を跳ねた頭と胴体から飛び散った血は、ごまかしようがない。


 すぐにでも魔物が寄ってきて、白亜鳥を食べてしまうだろう。長居はできない。


 それも街道でこんなことやっちゃったし。

 まあ、さすがにこの危険な山付近をのこのこ歩いている行商人や旅人もいないだろうけど。そこだけは救いである。


「頭は俺が包むから、魔核と欲しい部分を取り出して」


「え、えっと」


 なんか戸惑っているリッセを放置し、これまた派手に切り飛ばされた白亜鳥の頭に駆け寄り、収納用に持ってきた大きめの革袋に突っ込んでおく。……うーん、これで俺が持って走れる重量ギリギリだな。これ以上はもう持てない。


 血だまりに「臭気袋」の粉をぶっかけ、こっちの処理も終わった。

 全部ごまかせるわけじゃないから多少の時間稼ぎ程度にしかならないだろうけど、しないよりはマシだ。粉を掛けるだけだからそう手間もかからないし。


 さて撤退だ、とリッセを振り返ると……え?


「何やってるの? 早く」


 首のない巨大鳥のなきがらの傍、剣を持ったままおろおろしているリッセに声を掛けると――


「……あの……やって?」


 すごく申し訳なさそうな顔で振り返り、そう言った。


「……え? できないの?」


 さっきから森がざわついているけど、俺の心もざわっとした。今日一番リッセに対してざわっとした。光の剣より強く印象に残った。


 周辺の動物には、白亜鳥の血の臭いがすでに届いている。

 まだ距離があるが、魔物たちも動き出しているようだ。


「あの、まだ本格的に魔物討伐とかはしてないから……解体はちょっと、勉強中というか……」


 …………


「言いたいことはあるけど今はやめとく。今はね」


 と、俺は低姿勢になったリッセを押しのけて、白亜鳥の解体を始めた。


 ――いや、解体じゃないな。


 もう時間がないから、できるのは魔核の回収だけだ。……俺だって初めて遭遇する魔物で、解体も初めてなんだぞ。


 もうほんと、計画性のない奴と行く狩りとか、ないね。こんなんじゃ命一つだけじゃ絶対足りないよ。


 幸い、多くの魔物と同じく、白亜鳥の魔核――魔力を発する石は、心臓付近にあった。


 内臓系の場所も造りも鶏そっくりなので、両手を赤く染めながら、強引に心臓やらなんやら周辺部位をまるごと切り取り革袋に突っ込んでおく。大きさが大きさだけに臓物の量もすごい。


 ――まずい。魔物たちが来る。


「撤収! 急いで!」


「うわっちょっ……あ、待って!」


 魔核と内臓入りの革袋をリッセに押し付け、俺は振り返ることなく全速力で街へとひた走った。


 俺はリッセを待たなかった。

 幸いと言うべきなのか残念と言うべきなのか、きっちりついてきたけど。





 血の処理をしながらやったならまだしも、解体作業が急ピッチで行われたせいで、仕事が雑になってしまった。

 その結果、俺の両手や衣類は、まだ乾いていない血で真っ赤だ。


 門番が俺の姿にギョッとしたが、持ち帰った革袋や足などを見せて「魔物を狩ってきた」と説明すると、すぐに街へ通された。


 まだ早朝と言えるかもしれないが、さすがに陽が昇って少し経っている。ハイディーガの往来にはすでに人が多かった。


 まあ、冒険者が多い街なので、そこまで奇異の目は向けられないようだが。

 血だらけの奴だの、魔物の部位を持っている奴だの、そう珍しくもないのだろう。


 ――さて。


 街に戻り、これでようやく狩りが終わったわけだが。


「どこで換金する?」


「あ、冒険者ギルドで……お願いします」


 殊勝な態度のリッセの要望に応え、冒険者ギルドまで運ぶことにした。そこで俺の仕事は終わりだ。


 言葉通りの意味で肩の荷を下ろして、血を洗い流し、早く服を着替えたい。……この服はもうダメかもな。多少の血のシミならまだしも、ここまで派手に着いちゃうと……洗っても落ちないだろうしなぁ。


「あの、怒ってますか……?」


 移動する最中、なぜか腰の低いリッセに、俺は言った。


「別に」


 もう二度とないとしか思ってないから、別にいいですよ。

 落ち着いたら色々言ってやろうかとも思ったけど、まあ、それももういいかな。面倒だし。次に活かされることのないダメ出しなんてしても無駄だし。次がないし。


 冒険者ギルドの前までやってくると、ようやく肩の荷を下ろした。あんまりよくない狩りだったけど、これでなんとか終わりだ。


 やれやれ、疲れた。今日の狩りはざわっとしたね。全体的に。よくない狩りだった。


「あとよろしく」


「あ……お、お疲れさまでした!」


 なぜか深々と頭を下げるリッセに見送られ、俺はいったん家に帰ることにした。


 もう井戸で手だけ流すより、まるっと風呂で全身洗った方が早そうだ。






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