68.メガネ君、次のステップに悩む
「――いいかぁ? 人なんざ簡単に殺せる。これを基盤として考えろ」
なかなか小綺麗とも言い難いおっさんが、体力の限界で喘いでいる俺たちに大事な話をする。
正直相手の状態を見てからにしろ、と言いたいところだが。
おっさん……ザントからからすれば、身体は疲れていても頭は疲れていない俺とリッセに講義することは、ただの時間の効率的な使い方なのだろう。
「強くなりたい。俺から言わせりゃ、暗殺者は強くなくてもいいけどな。むしろ腕利きになれば必然的に強くもなるが、それ以前に『強い暗殺者』なんざ『無能』の代名詞だぜ」
そう、強くなりたい。
俺とリッセが求めている
強い暗殺者は無能の代名詞、と。
「そもそも『強い』ってのは、いろんな比較対象と比べる単位だ。あいつより強いあいつより弱い、あの魔物には勝てるあの魔物には勝てない、ってな。
そうじゃねえんだ。
そんなありきたりな理屈に住んでるわけじゃねえ。
暗殺者は比べない。一方的に殺すだけだからな」
一方的に殺す……か。
ザントの話す暗殺者は、やはり、なんというか……やっぱり狩人っぽいなぁ。
早くなっていた動悸が落ち着き、息も整ってきた。
今日も「道」を走り、10本を終えた。
ようやくザントの背中を、かろうじて遠くに見ながら走り抜けるようになった。まあ、俺は本気で走っているけど、ザントはまだまだ本気じゃなさそうだが。なお、リッセとの決着は相変わらずついていない。
訓練を初めて二週間が過ぎようとしていた。
俺も、リッセも、まだ次の行程には進めず、ひたすら「道」を走っていた。
体力も走力も、この「道」を走る技術も、かなり身についてきている。あとどれほどで合格点が貰えるのかはわからないが、まあ、今日も無理そうだということはわかる。
ちなみに、今ならはっきりわかるが、「道」の足場は日替わりで位置が変わっているみたいだ。
走りやすい足場の配置を覚え、早く走れるルートを考案したところで、次の日には無駄になる。結局走る技術を上げるしかない仕様となっている。手が込んでいる。
そんな中、今日リッセが言ったのだ。
「いつまでこれをやるんだ。早く強くなりたい」と。
リッセは早く次のステップに進みたいようだ。
言われたザントは、俺にも意志を確認した。俺も頷いた。
でも俺はまだまだ「道」でいいとも思っている。
まだ合格じゃないから。
自分の走りが納得できてないから。もっとこう、足場が急カーブしていても外側から内側に鋭角に……いや、それはいいか。
最初に比べれば、速度も走る技術も格段に上がっている。上達を実感できる間は続けてもいいと思うけど。無駄ではないと思うけど。
そして始まったのが、この暗殺者の話だった。
「道」の出入り口付近で、俺は足場である木の杭に座り、リッセは岩に座り、そしてザントは出入り口のドアの横に寄り掛かっている。まだまだ余裕という体で。ガリガリに痩せているのに体力すごいな。
「強さが必要になる状況ってのは、すでに相手と同じステージにいるってことなんだよ。
一流だったら相手のステージじゃなく、自分のステージで有利に事を運ぶ。
戦うことさえなくただ殺す。
一方的に。
なんなら何があったのかさえ悟らせないように。
暗殺者の強さってのはそういうもんだぜ」
…………
なんというか、それも一つの美学というか、暗殺者の哲学なんだろうけどね。
「それができれば苦労しないでしょ」
リッセの言う通りだ。それができないから強くなる方法を考えるのだ。
「はは、わかってるよ。今のはあくまでも理想。俺だってできやしねえよ。もし今俺が話したような暗殺者がかつていたなら、世界はきっと統一されていただろうぜ。
要するに、理想通りの暗殺者なんて、過去にも現代にも存在しねえってこった」
だろうね。誰とも戦わずして勝てるほどの暗殺者が実在するなら、各国の要人を殺し放題ってことになるしね。
「ただ、諦めずに目指してほしいとは思うがな。……まあ理想の話はいいか。
結局何が言いたいかと言えば、強さには種類があるって話だ。
自分だけの強さを突き詰めるか、あるいは三流冒険者から英雄と言われる者までに幅広く適用される強さを求めるのか。
リッセ、おまえの求める強さはなんだ?」
問われたリッセは堂々と答えた。
「誰にも負けない強さ。方法は選ばない」
「幅広い強さと、自分独自の強さを求めるってことか。まあ普通だな」
「えっ」
まるでありきたりだと言わんばかりのザントの言葉に、リッセは若干ショックを受けたようだ。でも言葉にすれば普通だと俺も思う。多くの強くなりたい冒険者はそうなんじゃないかと思う。
「坊主、おまえはどうだ? どんな強さがほしい?」
俺か。
うん。
これまでに漠然と考えてはきていたが、やはり辿り着く結論は一つである。
「はっきりしてるのは、単純に火力が足りないってことだね」
「ほう?」
ザントは面白そうに笑う。
「おまえ確か弓使うんだよな? それで火力が足りねえなんて言うってことは、魔物を想定した
まあ、結論を言えばそういうことだ。
「人はもう殺せる。ザントが言った通り、人を殺すのは簡単だから」
もちろんそれは「できる」というだけの話であって、やる気はさらさらない。俺の技術は狩人の技術。人殺しの技術じゃない。
ただ、その技術だけでは対応できないのが、魔物だ。
魔物は強い。
俺が勝てる魔物なんて数える程度しかいない。
この街に着く直前に遭遇した鉄兜だって、片目を奪うのがせいぜいだった。
俺の技術ではアレは狩れない。
というか技術でどうにかできる問題じゃないとさえ思える。だってどこに矢を当てても致命傷が狙えないのだから。
根本的に、火力が足りないから。
「弓の限界か。そうだよなぁ。形態上、弓の威力は弓にだけ依存するもんな。あとは使用者の腕次第ってことになるが、それも限界があるしな」
うん。そういうことだ。
弓の構造上、矢の威力には限界がある。弓のポテンシャル以上の威力は絶対に出ない。無理やり出そうとすれば弓が壊れるだろう。
「つまり坊主は、弓の火力の底上げに悩んでいるわけだな?」
「そう」
弓を捨てることは考えられない。
だが弓の威力には限界があり、いくら俺が身体を鍛えたって弓の威力は上がらない。
だとすれば、違う要素で火力を出す必要がある。
それは毒だったり、矢尻に火を点けたり、環境を利用した罠を使用したり、道具を使ったりといろんな手段が考えられるが……
「色々と思いつくが、聞くかい?」
…………
「まだやめとく」
かなり迷ったが断った。
まだその相談をする段階じゃないと思ったから。
どうしても考えてしまうものの、今は「道」に集中するべきだってことはよくわかっている。
本気で悩み、そして方法を聞くのは、それからだろう。
「いいだろう。坊主のタイミングでまた聞けや」
本来なら自分で色々考えるべきなのかもしれないが、今は暗殺者育成学校に所属している身である。
この貴重な時間を、悩むことだけに当てるのはもったいない。
どんなに考えても俺が辿り着けないような発想や方法、あるいは手段を、遠慮なく教えてもらおうと思っている。
ただ、今はその段階にいないだけで。
「――よし、休憩はこれくらいで充分だろ。行くぜ若ぇの」
そして俺たちはまた「道」を駆け抜ける。
合格が貰えたのは、それから三日後だった。